――――
ロビンの話も一段落し、子供たちはめいめい他の遊びに興じ始めた。
少しだけ子供たちから距離をとっていたシンチーはまた主の傍らへと戻る。
ロビンは子供たちが遊ぶ光景を書きとめようと、例のごとく紙とペンを取り出した。
本当にこのシーンを採用するのか、と思いながらシンチーはロビンの手元を覗き込んだ。
そして、そこに書かれていた文章を読むと、弾かれたように頭を上げ、目の前の光景をまじまじと見つめた。
まるで意識していなかった。
『今、この場では人間も獣人もエルフ族も関係ないのだ。友達に種族の差はないと子供たちは遊びながら我々に教えてくれている。』
「…どうしてこんなこと」
声が震えている。動じているのだ。
「さぁ、なんとなくさ」
そうシンチーに答えながら子供たちを眺めるロビンの群青の瞳は優しさに満ちている。
やられた、とシンチーはきゅっと唇をかみしめた。
「牧歌的な光景」とロビンは言ったが、もとからこれが狙いではないだろうか。だから青空教室の遠足にわざわざ同行したのだ。
この人の優しさにまんまとはめられたのはこれで何度目だろうか。
ケーゴのように直接真っ直ぐな言葉をぶつけることは決してしない。それに思わず心地よさを感じてしまう。
ずっと甘えていたくなってしまう。
思いきり彼に体を預けたくなってしまう。
だけど、それはきっと超えてはいけない一線なのだ。
何か言おうとシンチーが口を開いた時だ。
「っ!」
視線が彼女を貫いた。
亜人ゆえの鋭敏な感覚でそれを感知したシンチーは即座に警戒態勢をとる。
シンチーの変化にロビンも気づき、彼女が殺気を向ける先に目をやる。
深い森。茂みのさらに奥で一瞬何かが光った。
それは本当に一瞬のことで、2人はそれの正体に気づけなかった。
ロビンとシンチーが硬直したまま謎の視線の主の気配を探っていると、焦れたようにもう一度、今度は心なしか長めに光が走った。
そこで2人は瞠目した。
――放電だ。
2人はこの森に住まう雷を放つ獣を知っている。
だが、わざわざ姿を見せる理由は何だ。
この獣は光明に罠を張るのだ。森の知将に二人は警戒をさらに強める。
よもや狙いは子供たちか。厄介な2人をこうしてひきつけておく間に他の生き物たちが、とも考えたがシンチーが察知する限り周りにそのような気配はない。
と、2人が逡巡していると三度目の放電が行われた。
今度は獣の3つの眼がはっきりとみてとれた。
薄暗い森に光るその眼はこちらを誘っているように見える。
ロビンとシンチーは顔を見合わせた。
シンチーはロビンの命に従うつもりのようだ。表情がそう訴えている。
ロビンはロンドに目くばせした。
二人の緊張した様子に気づいていたようで、ロンドは生徒たちを自分のもとへと呼び寄せ、バグバグの実の説明を始めた。
いざという時のために生徒を自分の近くに呼び寄せる。悪くはない。
ロビンはごくりとつばを飲み込み、茂みの奥へと足を踏み入れた。シンチーもそれに続いた。
「もう少し早くこちらに気づいてもよいとワシは思うのだがの」
三つ目に狼の体躯をした人語を解する獣、ヌルヌットは開口一番そう不満を述べた。
「申し訳ないね。まさか生きているとは思っていなかったから」
「あの程度でくたばるワシではないわ」
ロビンの軽口に対して獣は忌々しげに吐き捨てた。
まさにこの森の中で、ケーゴの放った魔法によって打倒されたと思っていたのだが、とシンチーはヌルヌットの体をしげしげと見つめた。
薄暗い森の中だが、ヌルヌットの体毛がざんばらに乱れているのがわかる。どうやら無傷というわけではなさそうだ。
「…それで、何の用だ」
ロビンが固い声音で尋ねる。空気が張り詰める。
「…そう警戒するでない。今日はウヌらに話があったのだ」
剣を今にも抜こうとするシンチーを視界に入れながらヌルヌットはそう語った。
まぁそうだろうな、とロビンは内心呟いた。この獣は不意打ち闇討ちが常套手段なのだから。
だがそれを口には出さない。その言葉が油断となってヌルヌットの追い風となりかねない。なにせ相手が何を考えているのかわからない。
剣を抜くな、しかし臨戦態勢は維持するように、とシンチーに目で伝える。
そんな警戒心が伝わったのだろう。ヌルヌットはクツクツと相変わらず下卑た笑いをする。
「安心せい。今はウヌらの首は狙っておらぬ」
「今は」という言葉に引っ掛かりを覚えるが、ロビンは話を促した。
「それで、話とは」
「うむ。…最近人間がこの森の開発を進めていてな」
それは構わないのだが、と付け加えてヌルヌットは話を続ける。
「人間たちが奇妙な物体を使っていたのだ」
「奇妙な物体?」
「独立走行する鎧、とでもいえばよいのかのぅ。人間の命令に忠実に従い、完全に遂行する。あんな代物は見たことない。ウヌらは何か知っておるか」
「自動で動く鎧…?」
ロビンは唸った。全く聞いたことがない。シンチーの方へ眼をやるが、彼女も首を横へ振る。
「ウヌらも知らぬか…。後学のためにあれが何か知っておきたかったのだがのぅ。…なにせわしはウヌら以外の人間を知らないのでな」
他の者共は全て胃袋に収まったわ。
ニヤリと犬歯をのぞかせるその姿にロビンとシンチーは不快感をあらわにする。
だがここでつまらない挑発に乗ってはならない。
「…いずれにせよ、先端技術を使っていることには間違いない。そうなれば、その鎧の開発元はなんとなく見当がつくな」
冷静に検討するロビンに対してシンチーも頷く。
「甲皇国ですね」
魔法を駆使する精霊国家アルフヘイムに対して、甲皇国は機械工学を発展させてきたのだ。
「ほう、あの兵団はその国のものであったか。甲皇国には聞き覚えがある」
「それで、その鎧はどうしたんだ」
ロビンが尋ねるとヌルヌットはフン、と鼻を鳴らした。
「所詮は紛い物の兵よ。森の虫たちに翻弄されていたところを人間共々屠ってやったわ」
ロビンとシンチーの背中に冷たいものが駆けた。やはりこの獣は敵なのだと本能が警告する。
「いずれにせよ、あの程度の代物ではまだまだ、この森も安泰だろうて」
ニヤリと笑って見せる。
あくまで興味本位の質問であったようだ。どうやら甲皇国が誇る最新技術を駆使した機械兵もミシュガルドの原生生物にはまだ及ばないらしい。
「…それじゃ、質問タイムはおしまいだ」
いち早くその場から離れたいロビンが、用は済んだとばかりにそう言って後ずさろうとした。
その時だ。
「――ワシに手傷を負わせたのはウヌらだけよ」
低い唸りがロビンを刺した。
緊張感がいや増した。
ヌルヌットの三眼には先ほどまでの嘲弄は余裕は驕傲はすでになく、憤怒が憎悪が殺意が宿っている。
ロビンとシンチーは呼吸すら隙であるかのようにその殺気に耐え続けた。
獣とのにらみ合いが数刻続いた。
子供たちの笑い声が遠くに聞こえる。
思えばあの茂みが日常と非日常の境だったかのようだ。
緊張感を解いたのはヌルヌットだった。
獲物を値踏みするようにうっそりと目を細める。
「…まぁよいわ。今日はこれで戻るとしよう」
だが、今度この森で会ったときは今度こそその首食いちぎってくれる。
そう言い放ち、ヌルヌットは森の奥へと消えた。
重圧から解放され、ロビンは深く息を吐いた。肺が空になるようだ。
「…危なかったですね」
「とはいってもあそこで呼びつけに応じていなかったらそれこそ子供たちが危なかったからね」
もしヌルヌットと戦うことになったとしたら、やはりロンドたちを盾に使われていただろう。
「見逃された、ともいえるだろうね。もちろん彼がまだ全快でないのもあるだろうけど」
狡猾ゆえにリスクは背負わない。前回の戦いもヌルヌットが負けたのはロビンの介入にもかかわらず深追いをしたからなのだ。もはや同じ轍は踏むまい。
「とにかく、この森は危険だね」
「えぇ、もう遠足には来させないようにしないと」
首肯しようとして、しかしロビンはしげしげとシンチーを見つめ返した。
「なんですか」
主のその目つきに眉をひそめてみせる。
「いや、君が俺じゃなくて先にあの子供たちを心配するのは意外だったからね」
シンチー自身も無意識の発言だったのか、返答に窮した。