Neetel Inside ニートノベル
表紙

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――――
 
 「はぁあっ!!」
 ラナタの凛とした声が森に響く。
 一閃、振り下ろされた剣が甲殻虫を叩き切る。
 シンチーとケーゴも襲われたシェルギルという虫だ。一匹一匹はさほど脅威ではないが、群れで襲ってくるからたちが悪い。
 「ラナタさん!」
 アルペジオが細身の剣を手にラナタの名を呼ぶ。その間にもシェルギルが襲い掛かってくるが、剣を振り回してそれを必死に振り払う。
 「アルペジオ、私から離れるなよ…!」
 ラナタは剣を強く握りしめた。


 そろそろ宵闇が森を包むだろうかといった時分、突如として得体のしれない虫の群れに囲まれた。突然の敵襲に応用力を欠く機械兵たちは右往左往するばかりである。
 故にラナタとアルペジオが二人で応戦することになってしまったのだが、ラナタは視界の隅に映るアルペジオに違和感を抱き始めていた。
 戦い方が手本に忠実すぎると言えばいいのだろうか。形式的な訓練だけを受けてきた新兵が現実に振り回されているようだ。
 あのままではいつか大怪我をする。そう判断したラナタはアルペジオのフォローをしつつ戦うことを強いられる。
 だがラナタ一人にすべての負担がかかるその戦法は持久戦に向かないのは火を見るより明らかであった。
 「アルペジオ!少しづつでいい、この場から離れるんだ!機械兵、私に続け!!」
 そう叫び、走り出す。
 アルペジオはその声に応え、必死に歩を進めようとするが虫たちに阻まれ思うようにいかない。
 むしろ、虫たちによって別方向へと誘導されているようでもある。
 次第に2人の間に距離が生まれ始める。
 「ちぃ…!!」
 舌打ち。あるいはそれが他の兵であるならラナタはその一人を見捨ててでも前に進んだだろう。彼女自身の実力ならそれが可能だし、機械兵たちは命令に忠実であるため多少の欠損など気にもかけずラナタについてくるはずだ。
 しかし、今危機に陥っているのはアルペジオなのだ。
 どうしても、親友を見捨てることはできなかった。
 ラナタはアルペジオの名を叫ぶが早いか、彼女のもとへと駆けた。

 アルペジオとて、ただ襲われているわけではない。
 剣で応戦してはいるのだが、なにしろ数が多い。ラナタのように全方位に斬撃を加えつつ目的方向へと移動するだけの技術がないのだ。
 結果、徐々にシェルギルたちに追い込まれる形になってしまっている。
 体中が虫の体液で汚れている。だがそれを気にかけている場合ではなかった。
 すでに息も荒く、虫たちへ反応も鈍くなり始めている。
 ついにアルペジオの脚ががくり、と崩れた。その一瞬の隙をついてシェルギルたちが飛び掛かってくる。
 「…っ!!」
 眼前に虫の強靭な顎が迫っていた。
 もう間に合わない。アルペジオの四肢が硬直した。
 「はぁあああああっ!!」
 その絶叫が耳に届くのが速いか、虫たちが真っ二つに切り裂かれるのが速いか。
 寸でのところでラナタがアルペジオに襲いかかった虫たちを切り払った。
 足元にぼとぼとと虫の残骸が落ちていく。
 そしてアルペジオの眼に映ったのは鬼気迫る表情のラナタ。
 戦場を駆けた戦闘狂。血に濡れた血に飢えた女剣士がそこにいた。
 身に纏う闘気だけで虫たちが弾き飛ばされてしまいそうだ。
 「ラナタさん…!」
 そんな彼女に恐れを抱かず、アルペジオは素直に無事を喜んだ。
 ラナタも一瞬だけ目を優しさに染めてみせる。
 だが、それも一瞬のことだった。
 すぐに身を翻し背後の虫を切り捨てた。
 そして、未だ虫たちの猛攻の真っただ中にいる彼女らは背中合わせになって敵を睨む。
 「どうしましょうか…」
 「どうもこうも、全部叩きのめすしかないだろ…!」
 ラナタの目がギラリと光る。
 無謀なことは百も承知だ。だがそれしか道はない。
 気合を入れ直して剣を握りしめたその時だ。
 2人を包囲していた虫たちの一部が外にはけた。
 それを疑問に思う間もなく、突如現れた一体の巨大な虫がその隙間に収まった。
 姿形は今まで戦ってきた虫とよく似ているが、大きさはラナタたちをゆうに超える。腹部が異様に膨らんでいる。無機質な目がラナタとアルペジオを見下ろしている。
 強靭な顎をがちがちと鳴らし獲物に狙いを定めるこの巨大な虫はどうやらこの群れの母体となっている女王虫であるようだ。
 ラナタは顔をしかめた。
 この母体のもとへと誘導されていたのだ。逃げるのがさらに難しくなった。
 「ラナタさん、あの大きな奴を倒せば…」
 虫たちと応戦しながらアルペジオがそう提案する。
 「あぁ、それにかけるしかないようだ!」
 母体を失った虫が激昂するか混乱するか。迷っている時間はない。いずれにせよ戦わなければ生き残れないのだ。
 女王虫がぐわりと顎を開きラナタへと襲い掛かって来た。
 「こちらに狙いを定めたか。それは好都合…!」
 アルペジオが狙われたらさすがに辛い。だが、これなら戦いようがある。
 ラナタはニヤリと笑い、剣を構えた。
 母体虫の噛み砕きを避け、その頭部に思い切り剣を叩きこむ。だが、巨大甲殻虫の体は思いのほか頑丈で腕に鈍い痛みが走る。
 「くっ…」
 不利とわかるや女王から距離をとろうとするが、足元の虫の残骸に足をとられた。
 体勢を崩した一瞬を狙って周りの虫たちが一気に襲い掛かる。
 腕や足にまとわりつき、噛みつく。四肢に激痛が走りラナタは顔を歪めた。
 女王虫が身動きの鈍くなったラナタに再び狙いを定めた。
 「ラナタさん!!」
 アルペジオが群がる虫たちを無理やり突破して女王と傭兵の間に入り込む。
 ラナタを捉えるはずだった虫の牙はしかし、横に構えたアルペジオの剣に食らいつく。
 割り込んできた邪魔者を巨大虫は無造作に首を振って投げ飛ばした。剣を握ったままのアルペジオは悲鳴をあげて木へと衝突する。
 衝撃でアルペジオの息が止まった。
 その苦悶の表情にラナタが絶叫した。
 「アルペジオ!!」
 だが彼女が作った猶予のおかげでラナタはまとわりつく虫たちを排除して構え直すことができた。
 「貴様ぁっ!!」
 怒号と共にラナタの穿刺が母体の口を狙う。
 しかし、巨大シェルギルはその剣を噛んで受け止める。がっしりと咥えて離せそうにない。なるほど、アルペジオはこのまま投げ飛ばされたわけだ。
 だが、ラナタはそうはいかない。
 勝利を確信するがごとく、目を光らせた。
 瞬間、巨大虫の頭部が内側から貫かれた。
 緑色の体液にまみれた赤い剣が虫から生えているようだ。
 シェルギルの母体はもんどりうって倒れた。六つの脚が痙攣している。
 顎から解放されたラナタの剣はさきほどまでと様子が違う。
 剣の切っ先が二手に分かれていて、その又から赤い刀身が新たに伸びているのだ。
 彼女が剣を一振りすると赤い剣先は鞭のようにしなりそのまま元の剣の内へと収納される。
 ラナタの愛刀、名を「蛇の剣」という。切っ先からさらに新たな赤い剣が伸びるこの剣は斬るだけではなく不意に相手を突くことが可能である。その動きはラナタの意思によって決まるため傍からは赤い剣先がどのように動くかは全く予想がつかない。
 ゆらゆらと動くその刀身はまるで蛇の舌の様。故にそう称される。
 ラナタは剣が顎で受け止められた瞬間、赤い刀身を限界までまっすぐ伸ばして女王の頭部を内側から突き破ったのだ。正確に言えば狙ったのは装甲が薄い首と胴体の付け根。外からは甲殻で隠れているが内側からなら容易に貫くことができた。
 「アルペジオ、無事か!?」
 「はい、大丈夫です」
 痛みに耐えてアルペジオがラナタのもとへと向かってくる。
 すでに服はボロボロで体液にまみれて痛々しい。
 その姿にラナタは沈痛な面持ちを見せるが、それはアルペジオとて同じである。ラナタは両腕両足すべてに傷を負っているのだから。
 指揮系統を失った虫たちは混乱して足元を蠢いている。
 だが、女王虫も決して息絶えたわけではなく、口から緑色の液体を吐き出しながらも剣士2人を睨んで逃がさない。
 最初に動いたのはやはりラナタだった。
 女王は横倒れになって甲殻で覆われていない腹部があらわになっている。そこへと間合いを詰め、一思いに切り裂いた。
 どす黒い緑色の体液が洪水のごとくラナタを襲う。
 その液体に目を潰されたラナタを狙い最後のあがきのごとく女王は脚を持ち上げて振り下ろそうとした。
 だがアルペジオがその脚を剣で受け止め軌道をそらした。
「やぁああああっ!!」
 そしてとどめと言わんばかりに巨大虫の首めがけて剣を振り下ろした。
 


――――
 
 もうすっかり夜も更けてしまった。
 虫の大群から辛くも逃げおおせたラナタとアルペジオは森の中で見つけた泉のそばで一夜を明かすことにした。
 不気味なほど静かな森のなかで、泉は月明かりを反射し美しく澄んでいる。
 一方の剣士2人は自分の血液とも虫の体液とも見分けがつかないほどに汚れている。
 「ラナタさん、怪我は…」
 アルペジオがおずおずと尋ねる。
 「あぁ、これくらい大したことない」
 もう血も止まっている。あの虫には毒もないようで問題なく動くことができる。
 「その…すみません。私が足を引っ張ったせいで」
 ラナタはそこでアルペジオの剣さばきを思い出した。
 決して拙いとは言わない。だが、どこか精彩を欠くその腕は、本当に戦時中も軍に属していたのか疑いたくなるほどだった。あるいは将軍のもとで事務でもしていたのだろうか。
 だが、それを今指摘したところで彼女を傷つけるだけだろう。ラナタは笑みを作ってアルペジオに言った。
 「大丈夫だと言っているだろう?それにとどめを刺したのはアルペジオじゃないか」
 「でも…」
 「今日失敗したのなら明日また頑張ればいいさ」
 俯くアルペジオにそう言いつつラナタは鎧を脱いだ。
 改めて自分の鎧を見てその汚れ具合に感心する。手入れを怠ればすぐに錆びついて駄目になってしまいそうだ。
 アルペジオの姿はさらに痛々しい。それが見ていられなくて、ラナタは提案した。
「ちょうど水場があるんだ。体の汚れを落とそう」
 そう言って腰の鎧も脱ぐ。
 アルペジオもラナタに倣って軍服のボタンをはずし始めた。
 ぐっしょりと濡れた軍服は普段よりも重く、不快だ。
 虫の体液は肌着まで浸透していて彼女は顔をしかめた。だが、自分もラナタさんも無事なのだ。これくらい安いものだ。
 本当にラナタさんには助けられてばかりだなぁ、とアルペジオは俯いた。
 同室になって以来様々な場面で教えを受け、手を差し伸べてもらった。
 いつかはちゃんと恩返しはしたいのだけれど。
 本当は泣き出しそうなのだ。だが、そんな軍人らしからぬ行動をしかもラナタさんの手前ではできないとアルペジオは自信を説得した。

 次第に露わになるアルペジオの肌は白く、美しい。
 無数の傷跡があるラナタとは対照的だ。それ故に先ほど出来た生傷が痛々しい。
 主張の少ない胸の膨らみが、あぁ、この子はまだ幼い少女なのだとラナタに認識させる。
 何故こんな子が軍にいるのだろうか。今更のようだが彼女はそう考えた。
 戦いに秀でたわけでもなく、軍中枢の血族でもない。
 冷静に考えれば戦時中のアルペジオはいったいいくつだったというのか。
 何かあるのだ。泉の冷たさにくすぐったさを感じて笑う年下の女の子を見てラナタはそう思っていた。
 「ラナタさん」
 何も知らないアルペジオが彼女を泉に誘う。
 トレードマークの大きなリボンをとった髪は濡れてツヤツヤと煌めいている。
 月明かりに照らされる無垢な少女をラナタは複雑な表情で見つめた。
 やがて彼女は疑念を己のうちに押しとどめて、さらしを解いた。
 誰でもいいではないか。目の前にいるのはアルペジオと言う名の少女で、彼女はラナタの大事な友人なのだ。
 守ってみせよう。そう思った。

 一糸纏わぬラナタの体を泉の清涼さが包む。
 男所帯の戦場では決してできなかった行為だ。
 女のラナタにとって多くの男たちとの行軍など気の休まる時は一時もない。
 まったく、女に生まれたことを後悔するばかりである。
 いいことなど何一つない。
 もちろん自身の体を利用したことは何度もあった。その分乱暴されたこともあった。
 それでもなお彼女が戦場から離れないのは、それしか生きる手段も喜びもなかったからに過ぎない。
 もう何度目になるだろうか、アルペジオに目をやる。
 すべすべとした彼女の肢体は穢れを知らない生娘のそれだろうと予想する。あぁ、やはり自分とは対照的だ、とラナタは自嘲する。
 当のアルペジオは自分の体の洗浄に余念がない。あんな虫の体液を大量に浴びたのだ。無理もない。
 やはりその仕草は戦場からは程遠い場所に住むあどけない少女によく似合うものだ。
 「アルペジオ、背中を流してやろう」
 そう言ってラナタはアルペジオの背後に回り込んだ。
 信頼しているのだろう、アルペジオはありがとうございますと言ってたっぷりとした髪の毛を前に回した。
 そこでふと悪戯心をおこしたラナタはそんな無防備な背中を指でつつと撫でた。
 「ひゃうっ!?」
 愛らしい声を上げたアルペジオ。ラナタはクスリと笑った。
 「もう、ラナタさん!」
 そう抗議の声をあげつつもアルペジオは仕返しとばかりにラナタに抱きついてせ彼女の背中をくすぐろうとする。
 「こら、アルペジオ!」
 ラナタは声をあげて笑った。
 一時の休息。親友との憩い。
 こんな風に笑ったのはいつぶりだろうか。
 アルペジオが水をかけてくる。負けじとラナタもアルペジオめがけて水をかけた。
 自分には不釣り合いではないかと思う程緊張の糸をほぐして水浴びに興じる。
 だが、ずっと戦場を駆けてきたのだ。この一瞬くらい、楽しんでもバチは当たらないだろう。
 アルペジオがラナタに笑顔を見せた。
 ラナタが彼女に返した笑顔はそれ以上に屈託のないものだった。






















後になってラナタは、あれが最初で最後の一瞬だったのだ、と顔を覆うことになる。





       

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