「先生、早く早く!」
亜人の子がロンドを急かす。
2人の子供たちもきゃきゃと笑いながら彼の背中を押す。フリオだけは何か警戒するかのようにロビンとシンチーのほうをチラチラとみている。
「こ、こら、みんな!」
一方のロンドは自分のうかつさを反省しながら子供たちを制しようと努めていた。ここは一度びしっと厳しく言うべきなのだろうか。先ほどからそう迷っている。
きっとこの子たちは森で遊びたいだけなのだ。彼はため息をついた。
森には自分たちだけでは行くことができず、しかも昨日森は危ないからと強制的に交易所内に戻されてしまった。
普段のフリオたちの様子を見ていれば、彼らがその後何を考えるかなど容易に想像がついただろうに。
ただ、危険な森に大切なものを落としてしまったと言われて気が動転してしまった。情けない話だ。
きっとあのまま何も言わなければ子供たちに押されて森に行ってしまっただろう。
それを察してか、彼は5分という時間制限を設けてくれた。はたして自分は、子供たちに囲まれた状況でそう言えただろうか。いや、言わないといけないのだけれども。
甲皇国の研究者が形無しである。それに引き替えあの2人は本当に頼りになる。
それにしても、フリオ君は頑なに自分に近づこうとしないなぁと寂しさを覚えた。
「あの子たち、絶対森の奥に逃げ出すよね」
「分かっているなら」
責めるシンチーの目は真剣だ。まがりなりにも子供たちのことを気にかけているのだろうとロビンは考える。その理由は誰知らず。
そうこうしているうちに3人の大人と4人の子供たちは西門へとたどり着いた。
ロンドが手続きをしている間、フリオたちは落ち着きなく門の先を覗き込んだりしている。
ロビンとシンチーがのんきなものだと彼らを眺めていると、犬頭の子供が近づいてきた。どうやらロビンたちに何か話して来いとフリオに言われてきたらしい。
「あ、あの、フリオが2人には門に近い方を探しててほしいって」
言わずもがな、森の奥に目を向けさせないためだろう。
「探してほしいって…俺たちは探し物が何かもわからないんだけど」
至極まっとうな意見をロビンが述べると亜人の子はしまったという顔つきにかわる。
少年は答えを何とかひねり出そうと四苦八苦する。その時シンチーが唐突に口を開いた。
「楽しいですか」
ロビンはなぜシンチーが自分にそんなことを聞くのか理解に苦しんだ。楽しいかとはどういうことだ。別に子供をいじめて楽しいとか、そういうことではないんだが。
そう思って彼女の方を見て、そこでようやく合点がいった。
シンチーが見ているのは犬型の亜人の子だ。質問はロビンに対してではなかった。
亜人の子は明らかに戸惑っている。当然だ。昨日彼女は子供たちと距離をとっていたのだから。
さて、どういう心境の変化だろうか。
ロビンは2人を見守る。
「楽しいですか。…人間と一緒にいて」
とうのシンチーは質問を繰り返した。1回目では足りなかったであろう部分を付け加えて。彼女の精いっぱいの努力だ。
「えっと…」
どう答えていいのかわからずもじもじする子。
しばらくそうしていただろうか。シンチーはしゃがみ、初めて彼、ひいては子供と目線を合わせた。
じっと彼女に見詰められ、犬の子はさらにまいってしまったようだ。だが、シンチーはそれに気づかない。
「本当に自分で物事を考えて行動を?あの人間の子供たちに苛められたりは。今もいやのことを押し付けられては。自分が嫌になったり、人間になりたくなったり―」
「シンチー、君質問の仕方がへたくそ」
慣れない会話を試みるシンチーに対してついにロビンが待ったをかける。亜人の子はあまりのことに目を回している。
だが、自分なりに質問を理解できたらしく、困り顔ながらも空を見上げたり地面を見たりしながらシンチーに答えた。
「いじめられては、ないよ。…本当に!みんなと仲良いし…僕は人間じゃなくて獣人だけど…学校にはエルフの友達とか、鳥人の友達とかいるよ!でね、みんな友達だよ!」
「…そう、ですか」
必死に答えを考えた割にシンチーの反応は淡白で、獣人の子はなにかマズいことを言ったんだろうかとおずおずと彼女の顔を見る。
予想に反し、その眼は優しく潤んでいた。
「いいかい、この針が10になったら絶対帰るからね」
「はーい」
昨日と同じ場所でロンドが厳しい口調を試みるが、子供たちはどこ吹く風で散り散りに駆けだす。
その顔に探し物が見つかるか、という心配は一切見えない。
予想通り、ただただ森に遊びに来たかっただけのようだ。
ロンドは腕にしている時計を見た。魔法の力で手首に巻いて扱えるまで小型化に成功したもので、ミシュガルドで路頭に迷ったら最悪これを売ってしまおうと考えている。
恐らく、甲皇国とスーパーハローワークの一部の人間しか持っていないであろう貴重品である。
そういえばあの青年も時間制限を課したということは時計を持っているということか。
と、そこまで考えたところでロンドは頭をぶんぶんと横に振った。そんな余計なこと考えている場合ではない。
帰ると言っても子供たちは駄々をこねるだろう。だがここで負けてはだめだ。絶対に交易所まで子供たちを連れ戻さなければ。
「みんな、見つかったかい」
まだ視界に収まっている子供4人にそう聞く。
帰ってくるのはうーん、えーっと、といった具合の生返事ばかりである。
物を探すにしてはふらふらと落ち着きがない。探しているふりなのだ。
5分という時間は思っているよりも短い。もうそろそろだな、とロンドは深呼吸をした。
さぁ、何が何でも交易所まで帰るぞ。
一念発起、気合を入れ直した時である。
「うわぁああっ!」
フリオが突然悲鳴をあげた。
尋常ではないその声その場の全員の視線を集める。
フリオは顔を真っ青にしてその場から逃げだし、ロンドの脚にしがみついた。
「フ、フリオ君!?」
初めての経験に戸惑うロンドはフリオの言葉にさらに衝撃を受ける。
「せ、せんっ、あそこ、死体があ…っ!!」
「死体!?」
脅え方から嘘ではないことがわかる。
すぐさまロビンとシンチーが動いた。
フリオがなくしものを探すふりをして棒を差し込んでいた茂みに向かう。
罠かもしれない、とシンチーは警戒した。例えフリオが嘘をついていないとしても、最初から過度の接近はしたくない。
シンチーはロビンに下がるように手で促した。
ロビンは気をつけろよ、と言って少し後ろに下がる。
シンチーは固く頷き、剣の柄に手をかけながら、そろりそろりと近づき、
「…っ」
軽く目を見張った。
鎧だ。
背の高い雑草の中、誰かがうつぶせに倒れている。乱雑に倒された周囲の草。その一部が道となって森の奥へと続いている。どうやら奥から這ってここまでやってきたらしい。
彼女は眼下のそれを注意深く観察する。
まず、下半身がない。それが第一の情報だ。
この森の原生生物に食いちぎられたのだろうか。無残な断裂が目に余る。
よく見ると右腕も欠損している。肘から下がないのだ。
確実にもう死んでいるだろう。
だが、何かがおかしいとシンチーの脳内で違和感が警鐘を鳴らしている。
シンチーは息遣いを整えながらのろのろと答えに気づく。
すなわち、
「血の跡がどこにもない」
いつの間にか背後にいたロビンが鋭い目つきで答えを口にした。
シンチーはまだ安全は保障されていないといいたげに主を睨むが、この男は従者の忠言を基本的に聞き流すのである。
それがわかっているからシンチーもそれ以上は何も言わず、もう一度鎧に目をやる。
仮にそれが森で原生生物に襲われてここまで逃げ延びて息絶えたとする。それならば血痕が残っているはずなのだ。
ヌルヌットの罠だろうか。ロビンの顔の険しさがいや増した。
それとも、ともう1つの可能性が頭をよぎる。その時だ。
「あの、どうなんですか?本当にこの子の言う通り死体が…?」
ロンドが2人の方へ近づいた。子供たちだけがその場に取り残される。
「ロンドさん、危な―」
ロビンが制する前に、ロンドはその鎧を見た。
それが何かを理解した瞬間、ロンドは瞠目した。
「…っ!?」
言葉にできない衝撃を彼が襲う。
そんなはずはない。そう否定してもなお最悪の予想が彼の胸を締め付ける。
忘れようとしていた光景が脳裏によみがえる。憎悪に満ちた目が彼を射抜く。恨みの声が耳朶に染み付く。死臭が鼻腔に滞留する。
過去は決して人を逃がさない。
黙り込んでしまったロンドをロビンは見つめる。その顔はフリオよりも真っ青で、ロビンは驚きながらも大丈夫か、と尋ねた。
その言葉でようやくロビンがいることを思い出したかのように、彼はロビンの顔を凝視して、言った。
「…死体じゃない」
「え?」
その言葉に一瞬理解が遅れる。
その一瞬をも惜しむかのようにロンドは叫んだ。
「逃げろ!全員!ここから逃げろ!!」
鬼気迫る表情で声を荒げるロンドを目の当たりにした生徒たちは、その言葉に反して呆然としたまま動かない。
ロンドはそれにすら苛立つかのようにフリオの腕を乱暴につかんだ。
フリオは驚いてその手を振り払おうとするが、ロンドは強引に彼を持ち上げようと腕を引っ張る。
「早く!早くしろ!!」
「ロンドさん!あなた何を…」
さすがにロビンが止めに入った。
今度はロビンに矛先が向かう。ロンドはロビンの肩を掴み言い放った。
「あれは甲皇国の機械兵なんだ!早く!早く!!」
「機械兵!?」
もう1つの可能性の方か。ロビンの心臓が跳ねた。
驚きと共にその鎧を見下ろす。血痕がないわけだ。
そうか、これが。ロビンは黙り込んでその機械兵と呼ばれたものを見下ろす。見た目にはただの鎧にも見える。
だが、ロンドの言を信じるならこれが機械の兵。つまり、ヌルヌットが言っていた自動走行する鎧。それがこの亡骸の正体なのだ。
そう思った瞬間に、急にそれが薄気味悪いものに感じた。ともすると人間の死体よりも無機物の方が恐ろしさを感じる。
初めて見る衝撃に耐え、ロビンは冷静さを取り戻そうと口を開いた。
「…つまり、襲撃された甲皇国の…」
そして同意を求めるようにシンチーの方を向くが、彼女は、機械兵がやって来たであろう森の奥を威嚇するように睨んでいる。
「シンチー?」
その様子を不審に思うロビン。その間にもロンドは喚きながら子供たちを交易所へと追い返そうとしている。
シンチーが凛と言い放った。
「隠れていても無駄です」
彼女の声が森に響く。返答はなく、彼女の声は空しく響いたかに思われた。
だが、一呼吸おいて、草を踏む音。
「面白い話をしていたな」
森の奥から数人の輪郭が現れ出てくる。言葉を発したのはその内の1人。身軽そうな装備をした女傭兵。
その隣にいるのは翡翠色の髪をした軍服の少女。そして残りの3人、いや3体は、
「機械兵…」
見た目こそ兵隊に似て、しかし目の部分に灯る無機質な赤い光が人間ではないのだと主張する皇国軍の新兵器。
一向がついに交易所の西門付近までたどり着いたのである。
ラナタは獲物を狙うかのように目を光らせる。
「確かにここにで斃れているのは我が皇国の機械兵のようだ」
信じられないくらいに森は静かで、それでいて胸の鼓動は耳障りなほどで。
息苦しさと心臓が冷える感覚。誰も逃げ出すことができなかった。
ラナタは滔々と続ける。
「だがおかしいな。まだ運用試験中の兵器をなぜ貴様が知っている」
ラナタの眼光にロンドがひっ、と悲鳴を上げる。
そして、とラナタはロビンを睨み付けた。
「貴様、なぜ先日の襲撃事件のことを知っている」
傭兵の視線程度で恐れを抱くロビンではないが、状況が完全に向かい風となっている。それが彼に冷や汗をかかせる。
ラナタは冷たく言い放った。
「全員拘束する。両手を上げて頭の後ろで組め」