「ケーゴ君ってぇ~ほんとぉに彼女いないのぉ~」
「いないって」
酔っぱらいの相手とはここまで疲れるものかとケーゴは頭を抱えた。
髪を耳が隠れる程度に伸ばしており、動きやすい服装をしているが腰に下げた荷物と宝剣が重そうである。
いつもの酒場、いつもの喧騒。いつもの炭酸水をいつものごとく飲んでいる。
ただ一つ違うのは隣に酒樽があり、それにすっぽりと入り込んでいる人魚が絡んでくる点だ。
人魚の名前はヒュドールという。
やや癖のある薄い群青の髪は肩まで伸びている。下半身が魚、上半身が人間の女性の姿をしている彼女は多くの人魚がそうであるように一糸まとわぬ姿だが、真っ赤な葡萄酒に浸かっているために隠す場所は隠せている。
四六時中酒に浸り続けたその顔は妖艶に歪んでいる。
そんな彼女、普段は客寄せのために外にいて、今日は珍しく店内にいたのであるが。
「かわいい顔してるのになぁ~。おねぇさんが可愛がってあげようかぁ~?」
「べ、別にいいって!」
その相手が面倒でたまらないのである。
というか。
「ヒュ、ヒュドール、もっと中入ってろって!」
「えぇ~なんでぇ~?」
ともすれば酒樽から身を乗り出して裸体を露わにしようとする彼女をまともに相手にできない。
先日命の恩人の胸を盗み見してとんでもない目にあってしまったケーゴである。
今回は徹底的に回避を試みる所存なのだ。
もちろんそんなことは無理で、うっすらと葡萄酒のたまったヒュドールの胸の谷間に視線が吸い寄せられてしまうのが思春期の悲しい性である。
そして相手はそんな目線には慣れきっている客寄せ人魚なものだから、ケーゴの頑張りは当の昔に見抜かれている。
「ケーゴくんはえっちだなぁ」
「のなっ!?」
ケーゴの顔が爆発した。
思い切りのけぞり背中を椅子で打った。
「ななな何をおっしゃりますか人魚さん!?」
「ん~?何となく言ってみただけぇ」
かまをかけたのか、本当に気まぐれなのか。ケーゴは顔を真っ赤にしながら無駄と知りつつ抗議をしようとした。
「ほら、ヒュドール…ケーゴ君も困ってるんだから…」
そんなケーゴに手を差し伸べるようにブルーが会話に入って来た。
中肉中世の青年であるがその肌は青い。質素な服で手にはデッキブラシを持っている。
「というか今日は店内なんだね。外で客寄せしないの?」
ヒュドールは大仰にしかめ面をしてみせた。
「ブッ君は黙っててぇ。おそーじは終わったのぉ~?」
「だ、黙っ!?」
衝撃を受けるブルーを見て、ケーゴはいちいち酔っぱらいの言うことを真に受けなくてもいいのにと思った。
律儀なもので彼は毎日のように酒場にやって来ては無償で掃除をしているのだ。
今日も今日とてヒュドールの樽を洗いに来たのだろう。
いやぁ、良い亜人もいるものだよなぁ、とケーゴは1人でうんうんと頷いた。
その間にもブルーとヒュドールの応酬は続く。
「ブッ君はぁ、私が邪魔だって言いたいのぉ?」
「そ、そんなわけじゃないよ。ただお客さんも多いしさ…」
酒が飲める店内で裸のままいるのはいかがなものか、と言いたいのだがそこまではっきり言えないブルーである。
そんな逡巡など知る由もなくヒュドールは甘えた声でケーゴの頬をなでた。
「ケーゴ君も困ってなんかないわよねぇ~」
「あー、うん、まぁね」
「いや、ケーゴ君もそこで頷かないで」
とぎまぎするケーゴからヒュドールの手を除ける。
「もぉ~、ブッ君は話に入ってこないでよぅ。ほら、私の樽を大人しく洗ってて」
ぷくーっと頬を膨らませヒュドールはゆらりとそっぽを向いてしまった。
こうなったらもう敵わないと、ブルーは寂しげに樽の掃除を始めた。
「そんな仲間外れにしなくてもいいんじゃ…」
ケーゴは苦笑いしながらヒュドールをなだめようとした。
「いいのよん、ブッ君なんて毎日話せるんだし」
何気ない言葉がぐさぐさとブルーを貫く。だがこれ以上怒られたくないから彼は無言で掃除を続ける。
ヒュドールは満足げににへらと笑った。
「もちろんお外でいろんな人見てるのも楽しいのよん?」
だけどぉ、と人魚は意地悪っぽく付け加える。
「お店の中だとぉ、ケーゴ君と話せちゃうからもっと好きぃ~」
ガン、とブルーが樽に頭をぶつけた。
「ちょっとぉ、何してるのよぅ」
「ご、ごめん」
あたふたするブルーに対してヒュドールは不満げにため息をついてみせた。
「せっかくブッ君のおそーじ見にお店の中に来たのになぁ」
「うぇええっ!?」
素っ頓狂な声を上げるブルー。表情も顔色も目に見えて混乱している。
しかしヒュドールは我関せずと言わんばかりにケーゴに葡萄酒をケーゴにかけはじめるのであった。
しばらくそうしてからかわれていただろうか。ケーゴたちのもとに酒場の店主が近づいてきた。
「あぁ、ケーゴちゃん、ちょうどよかった。今いいかい?」
「ミーリスさん?何かあったんすか?」
ミーリスと呼ばれた小太りの中年女性は困り顔で言った。
「実はね、二階の宿屋に泊りたいっていう子が来たんだけどね」
「はぁ」
この酒場は二階を宿屋として利用しており、ケーゴもその部屋に泊まっているのである。
ミーリスは続けた。
「できれば泊めてあげたいんだけど…ウチももう空き部屋がなくてねぇ、困ってるのよ」
「断ればいいじゃないですか」
まさか出てけと言うつもりじゃないだろうな。お金はちゃんと払ってるぞ。
身構えるケーゴを女主人は笑って安心させる。
「違う違う、ケーゴちゃんに出て行けって言ってるんじゃないのよ、ただ…」
チラ、とミーリスが振り返った。
その時ようやくケーゴは彼女の後ろに隠れるようにして1人の少女がいることに気づいた。
同い年、あるいは少し年下に見えるエルフの少女だった。
薄い金髪を肩にふれるくらいまで伸ばし、前髪は左右に分けている。
若葉色の服はひらひらとして涼しそうだ。手には背丈を超えるほどの杖を持っている。
あどけない顔はしかし、どこかそっけない。
それでいて綺麗だ。
思わずケーゴがぽけぇと見つめてしまうと彼女は顔をそらした。
そんなエルフの少女の肩を叩きながらミーリスは言う。
「アンネリエちゃんって言うのよ、この子。空き部屋がないからってこの子をそのまま追い出すってのも気が引けてねぇ。ほら、こういう子を見てると若いころの自分を思い出しちゃってサ」
今のミーリスを見てもエルフの美少女とは似ても似つかないためそれには頷きかねるケーゴである。
「そうは言っても…俺、空いてる宿屋なんて知らないしなぁ」
もちろん部屋を出ていくなんてもってのほかだ。
ミーリスは違うのよ、と首を横に振った。
「ケーゴちゃん、あんたアンネリエちゃんが部屋を探すの手伝ってやってくれないかい?」
「俺が!?」
何故。
何だか顔が熱くなってくる。これも何故。
食って掛かろうとしたケーゴにミーリスはずいっと顔を近づけた。
「だってこんな可愛い女の子一人じゃ危ないだろう?そう思わないのかい!?」
「ま、まぁ…」
「アンネリエちゃんはねぇ、1人じゃ何かと大変なのよ!」
何が、と聞こうとしたがミーリスは止まらない。
「ケーゴちゃんはここにきてしばらく経つんだし、交易所の案内もできるじゃないか」
「そ、そう…かな…?」
その気迫にケーゴは頷くことしかできない。
最後にミーリスは意地悪気に笑い、付け加えた。
「それに、こういうのは若い者同士の方がいいだろう?」
「仲人かよ」
彼女のセリフに故郷の世話焼きおばさんの面影を重ねたケーゴである。
確かにこの子と二人きりというのは悪い気はしない…って何考えてるんだ俺。
とにかく、そこまで言われたら断るわけにはいかない。
「わかりましたよ。ボディーガードでもなんでもやりますよ」
「じゃあ、任せたよ!」
「いだっ!!」
大儀そうに立ち上がったケーゴの背中をミーリスが勢いよく叩いた。
バランスを崩した少々情けない形で少女と目が合う。照れ隠しに笑うと彼女はついと目をそらしてしまった。
ケーゴが何かを言おうとした時だ。ヒュドールが樽から身を乗り出した。
「ケーゴ君、いってらっしゃーい!」
「うわっ!?」
ともすれば胸を隠している右手を振ろうとしかねないヒュドールを慌ててミーリアが樽に戻す。
反射的に目を覆ったケーゴはなんとか事なきを得たのであるが。
「…ヒュドールっていつもこんな感じなのかな」
「…」
そんな素朴な疑問が嫌でも飛び出す。
その時こそ胸がざわついて黙り込んでしまったブルーであったが、いつか彼女のために水着を買おうと心に決めた。
それはまた別の話(http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=18295&story=41)である。