Neetel Inside ニートノベル
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 酒場から出たケーゴとアンネリエ。
 真昼間の大通りは人の行き来が激しく、すぐにはぐれてしまいそうだ。
 さて、まずはどこの宿屋に行こうかとケーゴが思案している間にアンネリエはすたすたと歩いて行ってしまう。
 「って、ちょっと待ってよ!」
 慌てて彼女の腕を掴むが振り払われてしまった。
 その顔は嫌悪に満ちていて、全くそんな敵意を向けられる覚えがないケーゴは戸惑う。
 「…な、なんだよ」
 そう身構えて聞くが、アンネリエは何も言わずにまた歩を進める。
 「だからなんなんだよ!?何か言ってくれよ!」
 納得がいかずケーゴはアンネリエを追いかける。
 若干その歩調が速いのは彼女が自分を振り払おうとしているからなのだろうか。
 必死にアンネリエの横を歩きながら尋ねる。
「なぁ、アンネリエ…って言ったっけ?何で無視するんだよ?おばちゃんも言ってただろ?女の子1人じゃ危ないって。そりゃあ俺なんかじゃ頼りないかもしれないけどさぁ…」
 そんなに信用ないかなぁ、俺。それとも他に原因があるのか?
 いよいよ競歩じみてきた歩調にしっかりと食いつきながらケーゴは考える。
 まさか、顔か。俺の顔が気に入らないのか。
 そんな突拍子のない解答を思いついた時だ。
 アンネリエはくるりと振り返り、無表情にケーゴを睨んだ。
 「何だよ、何か言う気になったのか?」
 「…」
 喧嘩腰のケーゴに対してあくまで何も言わないアンネリエ。
 そして彼女はごそごそと鞄から何かを取り出した。
 「あ――――」
 ケーゴは絶句した。
 それは黒板だった。
 鞄に入る程度の小さな黒板に、これまた鞄から取り出した白墨で何か書いていく。
 ミーリスが言っていたのはこういうことだったのか、と合点がいった。
 アンネリエは言葉を失うケーゴに書いた文字を見せた。
 『ついてこないでください。人間は嫌いです』
 「っ…!?」
 さらに衝撃を受けた。
 あぁ、そうだ。知ってたはずじゃないか。
 ケーゴは力なく頷いてしまった。
 自分は人間で相手はエルフで。そこには大きな種族の壁があるのだ。
 とは言え、初めてだった。こんなあからさまに差別されるのは。
 それでもめげずにケーゴは言い返した。
 「で、でもそれじゃあ危ねーよ!しゃべれないなんて…」
 するとアンネリエはまた何かを書き始める。
 その間にもケーゴは必死に説得を試みる。
 「ほら、こうやって会話もしにくいしさ。不便だろ?」
 期待するようにアンネリエを見つめる。
 だが彼女の答えは非情なもので、
 『気持ち悪いのでそれ以上近寄らないでください』
 「んなっ…!?」
 何も言えなくなってしまったケーゴを放ってアンネリエはすたすたと人込みの中に消えて行った。


 何となく、最近は女難の相が出ているのではないか。
 衝撃の発言に打ちのめされ、交易所の広場で呆然と座り込むケーゴはぼんやりとそんなことを考えていた。
 大通りが交差する広場には小さな噴水が作られていて、周りを囲むようにベンチが設置されているのだ。
 憩いの場として作られた場所なのだそうだが、ケーゴの纏う雰囲気はその真逆。
 シンチーにたしなめられヒュドールにからかわれ挙句アンネリエに嫌われて。
 「…俺が何をしたというんだ」
 話せない相手に会話を続けたことにデリカシーがなかったことは認めよう。
 だが、人間が嫌いとは一体どういうことだ。もはやどうしようもないではないか。
 その上気持ち悪いとまで言われてしまった。なんというか、もう立ち直れない気がする。
 「はぁ…」
 ため息。
 この前種族の差別なんてするもんかと心に決めたばかりなのだ。それが今度は差別されてしまった。
 前途多難である。
 「あー!もう!何なんだよあいつ!」
 今度は一気に感情を爆発させる。
 「エルフか!?エルフだからあんなに偉そうなのか!?やっぱりエルフってそういう種族なのか!?」
 が、こんなところで喚き散らしてもしょうがない。怒鳴ったところで虚しさが去来するだけだ。
 頭にあのエルフの顔が浮かぶ。
 頭を振ってそれを消し去ろうとしたのだが、それが出来ない。
 
 大空を仰ぐ。
 どこまでも広がる空には雲一つなくて、どうやら自分の心とは正反対のようだ。
 怒りがしぼんでまた鬱々としたもやが心にかかり始める。
 ああいう手合いとは関わらない方がいいのだろうか。
 それもなんだか違う気がする。
 「あー、おねーさん元気かなー…」
 とりとめのないことを考えつつ再びため息。
 と、そこで自分と何者かのため息が重なったことに気づいた。
 隣を見ると、犬の頭をした亜人が浮かない顔で座っているではないか。
 まだ子供だ。一体何故こんなため息をついているのだろうか。
 ケーゴが子供を見つめていると、彼もその視線に気づいたらしく困ったように口を開いた。
 「えぇと…何ですか?」
 「あ、いや、その、何だか困ってそうだなぁと思って」
 笑ってごまかそうとしたが、亜人の子の表情はなお暗い。
 これはどうやら財布を落とした程度の問題ではなさそうだ。
 ケーゴは子供の近くにしゃがみ込んだ。
 「どうしたんだよ、なんならにーちゃんが話を聞くぜ?」


――――

 荷物は全てまとめ終わった。持っている荷物が少ないというのもこういう時には助かる。
 後やり残したことは何かあっただろうか。
 ロンドはそう考え、ぼんやりと後ろめたさを抱いた。
 
 ――あぁ、子供たちにもお別れを言わなければ。
 
 甲皇国の軍人とトラブルを起こしてから数日。
 子供の親に頭を下げたり、フリオを看病したりと忙しい日々が続いたが、ようやくミシュガルドを出ていく準備が整った。
 もうしばらく青空教室にも顔を出せていなかったが、子供たちはまだあの空き地にいるだろうか。
 交易所の西に目をやる。
 今までと同じ、それでももう見ることすら躊躇われる大きな森が交易所を囲む城壁ごしに見える。
 ロンドの脳裏に診療所での会話がよみがえった。



 「…それではあの軍人たちは…」
 「…ええ、保障はまったくできませんが…恐らくはもう大丈夫かと」
 「そう…ですか」
 胸をなでおろしたが、それすら場違いであるかのようにロビンの顔は暗かった。
 まだあって数日の仲だが、こんなに悲嘆にくれる彼の顔は初めて見た。
 ロンドは横たわるシンチーに目をやった。
 魔法を用いてなお生死の狭間をさまよっているらしい。
 いつもはすぐに目をそらしてしまう亜人相手であるが、その時ばかりはロンドも彼女のために祈った。そしてロビンのためにも。
 話によると彼女がいなければあの場は切り抜けられなかったそうだ。
 「……ロビンさん、申し訳ありません。私が子供たちをもっとしっかり躾けていればこんなことには」
 「…今さら、どうしようもない話ですよ。謝らないでください」
 「それともう1つ…私はもうこの大陸を出ようと思います」
 「……そう、ですか」
 「ええ…せっかく学校を建てる話をいただいたにも関わらず、すみません」
 「……」
 沈黙が返ってきた。
 無理もない、と思いつつもロンドは続けた。続けたかった。
 「ロンドさん、あなたは立派な人だ。亜人であろうと人間であろうと分け隔てなく接し、それを伝えるためなら戦場にも立つような凄い人だ」
 ロビンが微かに反応した。
 「あなたの本をもっと早く読んでいたら…私も変わっていたのかもしれませんね。私の母国ではあなたの本は読めなかったものですから…。……もう気づいていると思いますが…私は甲皇国の人間です。甲皇国で兵器を開発していた人間です。亜人で…実験をしていた人間です。あなたとは真逆の人間なのです」
 暗い部屋の中、ロンドの声は淡々と響く。ロビンは何も言わず、話の続きを待った。
 「何もかもが手遅れになり始めたころようやく私は逃げ出すことができた。逃げるにしても、もっといい時分があった筈なのに…。今もそうです。何をすればいいのかわからず、子供たちを危険に晒してようやくここを発つことを思い立った」
 ロンドは自嘲気味に笑った。
 「ハハ…まったく、駄目な人間だ私は。だから、あなたには失敗してほしくない。辛いことがあってもあなたには自分を貫いてほしい」
 

――――


 それでは、と言ってロンドは部屋を出て行った。
 再び部屋に静寂が訪れる。
 シンチーを見つめるロビンの顔はどこか泣いているようで、どこか笑っているようで。
 「……俺も逃げてばかりですよ」
 漏れた声は誰に聞かれることもない。


 何も得られなかった。
 何も貫けなかった。
 何も変えられなかった。
 何も伝えられなかった。

       

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