Neetel Inside ニートノベル
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ミシュガルド冒険譚
されど愛しきその腕よ:2

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 ビャクグンは自分の力に自信がある。甲皇国の兵士の中でもその能力は随一のものであるだろうと過信ではなく確信している。
 だから、全く関わりのない小隊長の荷物持ちに抜擢されても特に問題はなかった。
 恐らく、フォビア隊長は自分の体躯で使えそうだと判断したのだろう。
 だが、とビャクグンは目を眇めた。
 背中の背負子しょいこにしっかりと固定されているのは大量の水が入った甕だ。
 この水が何に使われるのか。それを考えると嫌な予感がしてならない。
 関わりがないとしても、狭い駐屯所の中でウルフバード・フォビアという人間の噂はかねがね聞いているのだ。
 彼は水、厳密には水を触媒にした水溶液らしいのだが、を操る魔法が扱えるのだという。特に長けているのは水を爆発させる魔法で、部下に水を飲ませて爆弾のように彼らを使い捨てるのだとか。
 まったく、人間が魔法をるだけでも大したものなのにそこまで使いこなすか、とビャクグンは顔を歪めたものである。

 魔法とは世界中に漂う魔力と呼ばれる力を操るすべである。魔力を体内に吸収し、それを自らの望む形に変換、そしてそれを具現化させる。
 魔力に炎の性質を持たせるように変換させ、手の平に火を出現させたり、ウルフバードのように魔力そのものを物体に、彼の場合は水溶液に、干渉させるよう性質を変化させ水を操るという形でそれを具現化させることもできる。
 種族によって魔力の吸収、変換には得手不得手があり、得意な魔法も異なる。
 個人差も大きく、魔法を扱うイメージの大きい亜人といえども魔法を全く使えないものは多くいる。
 魔法の捉え方も様々であり、エルフなどは「精霊の加護」が「魔法」という術を可能にしているとみなす。実際に精霊がエルフの魔法に手を貸しているかは精霊のみぞしる、というところなのだが。
 また、魔力の吸収フェイズに精神の集中をはかるため呪文の詠唱、エルフ流に言えば精霊との交信、を行うのも彼らの特徴である。逆に言えば、魔法に詠唱を用いる者たちはエルフ流の魔法術の系譜を持つと言える。
 竜人族は様々な変換を可能とするエルフ族と違い、炎の扱いのみに特化した者が多いし、魔法を「妖術」とみなす「影の一族」と呼ばれる者たちも存在する。
 その中で、人間は魔力の扱いに劣る種族であった。それでも魔法を望む者たちはこの身1つで魔法を使えないのであれば、と魔法を使える者たちとの共同で補助道具を作ることに成功した。
 つまり、人間ができない吸収、変換、具現化を道具に行わせようというのである。
 例えばケーゴの剣がそうだ。剣そのものが空気中の魔法を吸収し、持ち主の意思を感知することで魔力を変換、具現化させる。
 しかし、戦時中、特に甲皇国の人間はアルフヘイムの民を、魔法を行使する亜人を忌み嫌い、魔法を捨て去った。
 故にただでさえ希少だった魔法を扱う人間は激減してしまった。
 人間のために作られたはずの魔法道具も、今では魔法が不得手な亜人たちの補助具として扱われている。
 
 そんな魔法を手足のように使いこなすのだ。天性の才能があったのかはたまた血のにじむような努力をしたのか。
 いずれにせよ、もう少し平和的な使い方をしてほしいものだ、とビャクグンはため息をついた。
 要するに、ビャクグンは爆弾を背負わされているようなものなのである。

 何があってもその中身をこぼすんじゃない、と厳命されたのが一時間ほど前。
 森の中、彼は行軍の中心、ウルフバードの隣を歩いていた。
 「にしても、あの耄碌ジジィも頑張るもんだよなぁ。大方ミシュガルドを手中に収めて世界征服の足掛かりにでもしようとしてるんだろう」
 ま、丙家傍流の俺には関係ない話だがな、と自嘲気味に付け加えたウルフバードに、ビャクグンは控えめに応えた。
 「世界征服、ですか…」
 なんとも壮大な話だ。
 苦笑の気配を感じ取ったらしくウルフバードはからからと笑った。
 「くだらねぇガキの妄想みてぇだろ?だがあのジジィ…いや、甲皇国全体がそれを夢見ていやがる。武人の国、軍人の国。あぁ、嫌だ嫌だ」
 本気で故国を嫌っているようだ。苦虫を噛み潰したような表情を見てビャクグンは苦笑する。
 「小隊長殿、それ以上は不敬罪になりかねませぬ」
 「いいじゃねぇかよ。どうせここには俺とお前しかいねぇんだ」
 周りにこれだけの兵士がいるではないか、とビャクグンは思ったが、フォビア小隊長にとって彼らは代えのきく爆弾としか映っていないのだろうと考えなおした。
 部下の扱いが扱いだけにウルフバードのもとには練度の低い兵が送られてくる。
 兵士からすればフォビア隊に組み込まれるということは殺されたも同然で、隊列を組む彼らの表情は一様に陰鬱なものだ。
 ウルフバードは続ける。
 「じゃあ聞くがな、ビャクグン。お前、アルフヘイムの奴らと俺たち人間のどちらが強いと思うんだ」
 「それは…」
 ビャクグンは逡巡した。はたして正直に答えていいものか。
 「……アルフヘイムが勝つでしょう」
 「…何故だ?」
 ウルフバードはより一層唇を釣り上げ囁くように尋ねる。
 あまりいい気分ではない。
 ビャクグンは小隊長の機嫌を損ねないように慎重に言葉を選んだ。
 「人間は…彼らに比べてあまりにも脆いものです。アルフヘイムは最後まで一枚岩になれずに本土上陸を許し…実質的な敗北を喫しました。ですがあの禁断魔法が甲皇国に向けて発動されていたら…」
 「クハハ、お前、まるで自分がアルフヘイムの民のような口ぶりだな」
 ウルフバードの笑みにビャクグンは瞠目した。
 「…そのように聞こえましたか。申し訳ありません。小隊長殿には寛大な御心をもってお許しいただきたく」
 「堅苦しいことはいわねぇでいい。お前の言うことはあってるしな」
 ふっと息をつき、ウルフバードの視線が空をきる。
 「あの戦争、俺はアルフヘイムに上陸した。丙家ゆかりの軍人どもはそこで好き勝手やったようだな。…まぁ俺も生き残るためだ。綺麗事を言うつもりはねぇよ。食糧は必要だったし…兵の不満を解消させるためにも女を襲うなとは言えねぇさ」
 ウルフバードはそこでいったん言葉を切った。
 自嘲的な笑みはもはや彼の顔に刻み込まれているものであると言ってもいい。
 ビャクグンは悼むような表情で続きを促した。その顔を見てウルフバードの目がぎらりと光る。
 「だがなぁ…あの虐殺が可能だったのは、あの地をすでにアルフヘイムが捨てていたからなんだろうと俺は思っている。阿呆軍人どもはあの地で亜人恐るるに足らずと勘違いしたみてぇだが、俺はそこまで馬鹿じゃねぇぞ。殺された亜人のほとんどが非戦闘員だったじゃねぇか。戦う力のない女子供を殺して勝者気取りなんてするものか。殺された戦士は…つまり、あの場に留まって戦った奴らは、死体の山の中のほんの一握りよ」
 その通りだ、と言わんばかりに頷くビャクグンを面白そうに眺める。
 さて、こいつは俺と同じ考えを持つ皇国人なのか、それとも。
 ウルフバードは試すように話を続けた。
 「で、だ。その殺された戦士をよく見てみるとこれまた面白いことが分かるわけだ」
 飄々と話す内容はしかし、なかなかに壮絶だ。
 ビャクグンはそれを拒むことができない。
 「なんと、ほとんどの戦士が非エルフなわけよ。兎の耳生やした奴らとか、魚の顔した奴らとかな。ところで、アルフヘイムの首長はエルフ族だったな。それに攻め込んできた皇国軍をアルフヘイムの土地ごと滅ぼしたあの禁断魔法を発動したのもエルフ族っていうじゃねぇか。おまけに後から調べてみりゃ禁断魔法で不毛の土地になっちまった場所、あそこはあまりエルフが住んでいなかった場所らしいな?」
 ビャクグンは無意識のうちにその問いかけに首肯してしまっていた。
 「要するに、だ。奴らはエルフ族以外の種族を、あの土地を捨て駒にした。恐らくは一番安全な位置から高みの見物をしていたんだろうな。そして禁断魔法で皇国軍の戦力をそぎ落としてから一気に形勢逆転を狙うつもりが思いのほか魔法の力が強く、アルフヘイム自身も疲弊してしまったのだろうさ。お前が言う一枚岩になれなかったってのは確実だろうぜ。……そうでなかったら、俺たちが勝てる訳ねぇ。エルフが保身に走らず上陸してきた軍をアルフヘイム一丸となって迎え撃っていたら確実に俺たちは撤退を余儀なくされていた。ミシュガルドに来て亜人共をよく見かけるようになったからな。思い知らされるぜ…奴らは強い。俺たちの何倍も。あんな国の中にいるだけじゃ錯覚しちまうけどな、お前もたまには交易所なんかに行ってみると良いさ」
 「はぁ…ありがとうございます」
 ビャクグンは正しい返答を見つけることができず、のろのろとそう応えた。
 冷酷な人物とだけイメージが先行していたが、なかなかどうして切れ者らしい。己を過信せず、戦況を見極めることができるようだ。そしてそれを堂々と言い切れる豪胆さもある。
 「ところで、お前……」
 ウルフバードがビャクグンに向かって口を開いた時だ。
 「っ!?」
 ビャクグンの表情が警戒色を帯びた。
 それに遅れてウルフバードも周囲の状況の激変に気づく。
 「全員、止まれ!」
 咄嗟にそう叫び、立ち止まる。
 「小隊長殿…」
 「どうなってやがる…?」
 彼らはいつの間にか濃霧に包まれていた。
 視界が白く濁り、口に含む空気は湿っている。当然先も後も見えない。
 そんな兆候はまったくなかった。
 しかし突然霧が発生したのである。
 突然視界を奪われた兵士たちは騒然となる。
 「全員落ち着けっ!!」
 ウルフバードが一喝した。
 恐怖に支配されている部下たちはすぐさま大人しくなった。
 再びウルフバードの声が響いた。
 「各自周囲の警戒にあたれ!!ただしその場を極力動くな!!」
 状況が状況だけに前に進むのは愚の骨頂。
 自然発生した霧だとは考えにくい。
 ともすればアルフヘイムの輩の魔法の可能性もある。呼吸すら本当はしない方がいい。
 ともかく、この霧地帯を抜けなければ。
 と、そこで最悪のシナリオが頭に弾けた。
 否、そんなはずはない、とウルフバードはその仮説を否定する。
 なぜなら、あいつは俺が今日偶然連れ出した。怪しい気もするが、こんなことをする奴でもない気がする。
 「ビャクグン!どこにいる!?ビャクグン!!」
 ウルフバードは若干苛立ちの混じる声でそう叫びつつ、己の魔法で周囲の霧に干渉を始めた。
 水を操るこの魔法だ。霧は大気中の水分が飽和し空中に浮かんでいるもの。ならば霧を操ることも理論上は可能だ。
 ただし、目に見えてこれが「水」であるという対象把握が難しい。
 霧払いを行おうとしていると、落ち着いた声が近くから聞こえてきた。
 「小隊長殿、私は隣です」
 「待て、動くな」
 視界が限られている以上その言葉にどこまでの拘束力があるのかはわからないが、そう言いつけてウルフバードは自分の周囲の霧に干渉を行った。
 やはり、と言うべきか、この場を覆う霧全体を除くことは難しかったが、ぼんやりと霧に浮かぶビャクグンの顔を見つけることに成功した。
 「小隊長殿…」
 「…突然の濃霧にしては落ち着いた顔をしているな」
 ニヤリと笑うウルフバードに対してビャクグンは今度は落ち着き払って言い返すことができた。
 「こんな時こそ落ち着かねば。斯様な超常現象私も経験したことはありません」
 「なるほど、魔法ではないのか?」
 「……っ、私には魔法の素養がありませぬ故」
 「あぁ、そうだったか」
 霞んではいるが明らかにウルフバードの笑いはこちらを陥れようとするものであった。
 まったく隙がない男だ。一瞬でも気を抜けば鎌にかけられる。
 すまし顔に努めるビャクグンはしかし、若干の焦りを内に含んでいた。
 当然原因はこの濃霧である。何者かの魔法であるというのは考えにくい。霧を発生させる魔法の発動ないしその痕跡はまったく感じなかったし、この霧自体にも魔力は感じない。
 ビャクグンはウルフバード以上にその察知が可能であるのだ。
 しかし、何かもっと違う力が、己の心の臓を掴まれるような感覚が、この霧に宿っているような気がする。
 それが恐ろしく、不気味で、不可解で、ビャクグンは混乱していたのだ。
 あと少し冷静さを欠いていたら、彼はウルフバードの質問に対し、魔法ではないと断言していただろう。
 
 「さて…どうするべきか」
 ウルフバードは周囲を睨んだ。
 未だ疑念は晴れぬが、とりあえずビャクグンは確保できた。
 これの背負う甕さえ無事なら身を守る術はある。
 「全員、今来た道を戻るぞ」
 そう命令して身を翻した時である。
 「なっ!?」
 「…っ!!」
 ウルフバードとビャクグンは、否、その場にいた誰もが息をのんだ。
 あれだけ立ち込めていた霧が嘘のように消え去り、眼前には切り立った崖がそびえ立っていた。
 森の中を移動しているはずが、渓谷の中にいたのだ。
 瞬きの内に世界が変わり、今度こそ2人は動揺を隠しきることができなかった。

       

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