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「だからエルフの将など相応しくないと私はホロヴィズ様に進言したんだがね」
「が、その言葉は黙殺されたわけだな。俺は未だに皇国の将だ」
「ふん、無能エルフが。貴様のせいで将軍様がどれだけ失望したと思っている。未だ新大陸のこれだけの土地しか掌握できてないのか?これからは将軍様とその令嬢であるメルタ様がこの駐屯所にお住みになるのだぞ?将軍様のお心の痛みたるやなんとしたことか」
「相変わらずのご執心ぶりだな、ゲル・クリップ大佐。私としてはこの駐屯所からこの3年間甲家乙家の方々を遠ざけ続けたことについて将軍からお褒めの言葉をいただいたことをお前さんに思い出していただきたいのだが」
「その程度私でもできることよ。いっそ、ガイシも交易所も我ら丙家の支配下に置いてくれるわ。知っているぞ、ヤーヒム・モツェピ。我ら丙家が主導で建設した入植地に関わらず、現在ガイシでは甲家の輩が実質的な指導権を握っていると。挙句、亜人共ものうのうと暮らしているらしいではないか。さらに大交易所では乙家が中心となって物事が進んでいると。これはどう考えても怠慢ではないのか?最低限この大陸の西側が甲皇国、いや、丙家に染まっているべきだ。ミシュガルドが発見されて、貴様ら先遣隊が上陸して、3年が経ったのだぞ?」
「これだから脳筋の軍人は。押すことしか知らないと見える。最低限の譲歩もできぬようではこの駐屯所も乙家の坊ちゃんに掠め取られてしまうぞ。それともお前さんは顔が半分髑髏のように、頭の中も半分空洞なのか?1から思い出させてやるが、このミシュガルドは建前上アルフヘイムとSHWの2国と共に探索・調査を行うことになっている。そして我らに与えられた土地はこの区画。アルフヘイムには真反対側の区画、そしてSHWは後に大交易所と呼ばれるに至ったあの土地を所有し、過度な領土拡大をしないように互いに監視しながら探索を行っていたのだ。勝手なことができると思っているのか?それに名目上ホロヴィズ将軍は皇国の最高司令官としてこのミシュガルド探索を任されているが、ここには乙家と甲家の者もいるのだ。それをわきまえろ。その後SHWだけがその国家の特性上自分たちの土地を他国にも開放し発展をとげた。乙家は直接交易所に出向いたが、SHWが商売を隠れ蓑に不穏な動きをしないか監視すると同時に表面上ではあるが3国の、とくにアルフヘイムとの友好を各国に知らしめるという目的あってのことだ。これには乙家が適任であるし、これで乙家の方々を交易所に縛り付けることに成功した。さらに入植地ガイシを建設する際に発見した遺跡の調査、管理権を甲家に移譲することで彼らの目もまた、ここからそらすことができた。もとより甲家の方々は派遣されてきた人数が少ないからな。軍関係の事務も全てこちらに任せていただいた。それ故、我ら丙家はこの駐屯所の全権を掴むことができたし、亜人の生体実験も他国や乙家にその情報が漏れずにいるのだ。それでもお前さんが更なる領土の掌握を望むならそれでもいい。全方位からの圧力で侵攻は中止され、乙家や甲家、もしくはアルフヘイム、SHWの監視部隊がここに常駐することになるぞ」
「ふん、耳だけに飽き足らず話も長いのか、エルフというやつは。言うだけ言っていろ。いずれにせよ貴様は現状維持しかできなかったのだ。ホロヴィズ様にかかればこんな土地など…。やはりスズカをここにやったのは失敗だったな。貴様の腑抜けっぷりが伝染っていなければいいが」
「スズカ参謀幕僚は最高の仕事をしてくれたさ。貴公のように感情的になることもなく淡々と仕事をこなしてくれた。私こそ彼女にお前さんの低能ぶりが染み付いていなくて安心していた」
冷え冷えとした会話を繰り広げる2人を前にして、スズカは黙って嵐が収まるのを待った。
単なる罵りあいなら勝手にしてくれればいいのだが、できれば自分を巻き込まないでほしい。どちらの味方をしてもメリットがないではないか。
スズカの直接の上司はゲルだ。だから立場上はゲルの味方をするべきなのだが、とある理由で先遣隊としてヤーヒムと共にミシュガルドに上陸して3年。さすがにその月日を想うと彼も無下にはできない。したいけど。
しばらく2人の口論は続いたが、ようやく睨み合いの状態に落ち着いた。
そこでスズカは先ほどからの疑問を口にする。
「…で、何故お2人は私の部屋で罵倒しあっているんですか?」
自分でも驚くほどに冷めた口調である。
まぁ、それも仕方ないか、とスズカは内心肩をすくめる。
ゲル・クリップとヤーヒム・モツェピが犬猿の仲だということは有名な話で、スズカ自身このような光景はもう幾度となく見ている。
スズカの目から見ても少し異常に映るほど、ゲルはホロヴィズに傾倒している。そんなホロヴィズがあろうことかエルフを将として迎え入れたことを彼は不服に思っているのだろう。
だが、直接ホロヴィズに意を唱えることができないから、その矛先がヤーヒムに向かっているのである。
半眼になったスズカに対し、ヤーヒムは取り繕うように言った。
「私はスズカ参謀幕僚に用があって来たのだ。本日より調査隊の本隊が合流する。部隊の編成や宿舎の振り分けを全て考える必要があるからな。この男はその道すがら私につっかかってきたのだ。将軍をお迎えした時に労いの言葉をいただいたことが余程気に入らないらしい」
「あぁ、そういうことですか。いいですよ」
確かにそういうことはスズカの仕事の範疇だ。
後半の経緯は聞かなかったことにして彼女は頷いた。
ホロヴィズが上陸したことによってヤーヒムの任は司令から副指令になった。だが、さすがに将軍自らの手を煩わせるようなことでもないという雑務も彼がこなしていたため、ヤーヒムの仕事はあまり変わらないと思われる。
恐らく最終的な決定権がホロヴィズに移ったくらいだろう。実はそれが一番恐ろしいことなのだが。
「おい、スズカ。私の部屋はホロヴィズ様の隣にしてくれ」
「いっそ同衾でもしたらどうだ」
「不敬だぞ貴様!」
再びいがみ合う2人を無視してスズカが事務仕事に戻ろうとした時だ。
ドアがノックされ、外からシュエンの声がした。
「あのースズカさん?」
「入っていいわよ」
一拍置いてシュエンが姿を見せた。
「あぁ、あなたがたもここにいましたか。手間が省けた」
ゲルとヤーヒムのことだろう。スズカは尋ね返す。
「私たち全員に用があったの?」
将軍を迎えた時に顔を合わせはしたが、こうして言葉を交わすのは3年ぶりだ。
相変わらずの無機質な声で将軍の秘書は伝える。
「えぇ、先ほど伝書鳩が戻ってきて、明日総司令到着の挨拶に甲家と乙家の方々がいらっしゃるそうなので、その準備をしていただきたいのです」
「なるほど」
それを聞いたヤーヒムとゲルも身を翻し、各々の仕事につこうとした。
「あぁ、ちょっと。まだあるんですが」
出ばなをくじかれたゲルはシュエンを急かす。
「なんだ、早く言え」
「あ、あなたは多分関係ないのでそのままどうぞ」
不遜な物言いにゲルが青筋を立てた。
ただでさえ虫の居所が悪いのだ。スズカは慌ててシュエンに聞いた。
「私とヤーヒム副指令に、ということか?」
「えぇ。アルペジオさんに早く会いたいとメルタお嬢様が。彼女は今どこにいるんですか?任務で外に出ているなら出ているでそう伝えますが」
スズカとヤーヒムは無表情で顔を見合わせた。
失念、というよりあまり考えないようにしていた事実である。
だがこんなところで誤魔化したところで仕方ないだろう。
スズカはヤーヒムに、ここは上官が説明するべきだと目で訴えた。
ヤーヒムも苦々しくそこは部下が苦労してくれよ、と返すがやがて根負けし、観念したように口を開いた。
「あー…アルペジオは…」
勝ち誇ったようなゲルの顔が想像に難くなくて、ヤーヒムは苦虫を噛み潰しながら現状を伝えた。
話が進むにつれて、シュエンの顔色が悪くなっていく。
はたしてゲルはヤーヒムを罵倒した。
「貴様ぁ!メルタお嬢様にとってアルペジオがどれだけ大切なご友人であったと思っている!!」
「それまずいですよヤーヒムさん…。ホロヴィズ様ただでさえカンカンなのに、そんなこと聞いたらどうなることか…。僕は嫌ですからね。あなたがホロヴィズ様に直接言ってくださいよ?」
世の中には建前というものがある。
たとえそれがホロヴィズの思い描く通りではなくとも、一応ヤーヒムは甲家と乙家の干渉を最低限に抑え、3年間駐屯所を率いてきたのだ。それを無下にするわけにはいかないし、風当りの強い立場である彼を慮ってホロヴィズは労いの言葉を与えたのである。
しかし、こればかりは。
ホロヴィズの激昂を思い4人は震え上がった。
ともすればこちらにも不都合が起きかねない。さすがに宿敵を高みから笑っているばかりではいられないと、ヤーヒムは提案した。
「見せしめにそのついていた傭兵を処刑したらどうだ?」
「そんなことをしても何の解決にもならないだろう?大体、ラナタはアルペジオが催眠にかかっていたと知らないのだし、彼女自身も襲撃された身だ。落ち度はないのだぞ」
「落ち度とかそういう類の問題ではないだろうこれは!とにかく誰かが腹を切らなければ!」
「誰でもいいならお前さんが切ればいい。大好きな将軍様のためだろう?」
「ヤーヒムさん、馬鹿なことを言っている場合ではないですよ。…大体、どうしてアルペジオを何も事情を知らないそんな傭兵と一緒に組ませたんです。責任をとるとしたらそんなことをしたあなたかスズカさんのどちらかですよ」
「催眠術師の存在こそ明るみに出すわけにはいかないだろう!?そんなことをしたら丙家そのものの信頼に関わってくる。だからこそレイバンには兵との接触を極力避けさせたし、彼の存在を知りなおかつ直接彼と話すことのできる者としてスズカが先遣隊に加えられたのだから。それに、アルペジオと共に行動できる女となると、ラナタが一番適任だったのだ。あれの実力は耳にしたことがあるはずだが?」
む、とシュエンは黙り込んだ。確かに蛇の剣使いの話は何度も聞いたことがある。
ゲルはなおも責任の所在を明らかにしようとする。
「ではそもそもレイバンやアルペジオをこの大陸に向かわせたのは誰なのだ?リスクの伴う者共をこちらに向かわせるなど、愚の骨頂ではないか!」
空気が凍った。
嘘だろと言わんばかりにヤーヒムは瞠目している。シュエンは気まずそうに目をそらす。
仕方なく仰々しいため息をついてスズカが答えた。
「…ホロヴィズ将軍です」
「えっ」
間抜けな声を出したきり、ゲルは固まってしまった。
こともあろうに、自分が何よりも慕う将軍に対して「愚の骨頂」はないだろう。
「あの時、ちょうど乙家がアルペジオの件で調査を開始していて、丙家が真っ先に疑われてましたから。ちょうど時期が重なったので、ミシュガルド先遣隊の中に2人を紛れ込ませて外に逃がしたんです」
「そんな話私は聞いていないぞ!」
「いや、言っても意味ない話はあの人あなたにしないですよ」
「ま、政治的な思惑なんぞこの男に言っても意味をなさないだろうしな」
シュエンとヤーヒムにやりこめられ、怒りのやり場なくゲルは壁を殴った。