Neetel Inside ニートノベル
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ミシュガルド冒険譚
されど愛しきその腕よ:4

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 「では今日はどこかで一夜を過ごすことになるであるか?」
 「あぁ…シンチーの回復を待たないと移動もままならないし、それには時間がかかるかもしれないからね。この森のどこかでキャンプということになりそうだ」
 「…申し訳ないのである」
 背後でゼトセがうなだれたのがわかる。
 ロビンは苦笑して振り返った。
 「…何度も言うけども、あれは君のせいじゃない。俺だってうかつだった」
 「だが…っ」
 ゼトセはなおもロビンに反論した。
 だがこれまでの噛みつき方とは違う。
 責めるのは、自分自身。
 唇を噛んで彼女は悔しさを漏らす。
 「…小生があの蜘蛛を……」
 「自分を追い詰めるんじゃなくて、今はシンチーの無事を祈ろう」
 見えてきた。毒消しの効果がある木の実。
 親指の爪くらいの大きさの赤く丸い実が大樹の中で控えめな自己主張をしている。
 ゼトセは小走りでその樹に近づいた。
 「どれくらい必要であるか?」
 「一粒で十分な効能がある。だけど今回は少しばかり大目にいただくとしよう」
 「了解である」
 ロビンはリュックから空の小瓶を取り出した。
 媚薬が入っていたあの小瓶だ。
 「この瓶に詰めていこう。で、小川で水を汲んで早く帰ろう」
 「そうであるな」
 ロビンの顔をようやく正面から見たゼトセは気づいた。
 シンチーが怪我を負って一番焦っているのが誰であるのか。
 それは不手際があったゼトセ自身でも、シンチーを気に入っているらしいヒザーニャでもない。
 冷静なふりをしているが、実はこの男が一番彼女のことを案じている。思えば先ほどからずっと早歩きだ。
 木の実を採取し終えて小川への道すがらゼトセはぽつりと呟いた。
 「…ロビン殿」
 呼称が変わったことに気づいたロビンは何だい、と穏やかに聞き返す。
 「小生にも、昔侍従がいたのである。…諸々の事情故今は離れ離れになっているが…だからわかるのである。彼女が傷ついたら…小生はいても立ってもいられない」
 しかし、とゼトセは続ける。
 「そうやって焦るのはそれだけ相手が大切だからである。相手のことを思っているからである。…貴殿は、SHWの中でもいい人なのである」
 そう言って振り返る。泣き笑いのような表情だった。
 「今までの小生の所業を許していただきたい。小生もまだ鍛錬が足りないのである。為人を見誤るようでは。貴殿は信頼できる人間だとようやく気付くことができた。…意固地になって1人で戦おうとしたのがそもそもの発端である。…申し訳ない。…シンチー殿にもしものことがあったら小生は…っ」
 言葉に詰まる。
 頭を下げたまま固まるゼトセに対して、ロビンはゆっくりと言い聞かせるように答えた。
 「いいさ、SHWの人間が信用されないのは今に始まったことじゃない。君が俺への考えを改めてくれるだけでもうれしいよ。…間違いを認めることができるのはとても素晴らしいことだと思う。大丈夫だ。シンチーはあんな蜘蛛の毒なんかにやられやしないさ」
 「そうであるか…そう言ってもらえると助かるのである」
 ほっとした表情でゼトセはそう返した。

 歩いているうちに水の流れる音が聞こえてきた。
 どうやらもうすぐのようだ。
 水をくみながらゼトセは誰ともなしに口を開いた。
 「…従者というのは、どうして我らのために命をかけるのだろう」
 その瞳には愁いが揺れている。
 清涼な川の流れはしかし、彼女の心に沈殿した思いを洗い流すことはできない。
 「小生は、本当はそんなことしてほしくないのである。戦って傷つくのは小生だけで十分である」
 「…きっと彼女らも同じ思いなんだろう。俺たちのことを大切に思っていてくれるからこそその身を盾にしようとする。何が何でも主のことを第一に考えようとする」
 それはきっとそれだけ主が従者を大切に想っていて、従者はそれに報いようとしているのだけど。
 それはきっとそれだけ従者が主を大切に想っていて、主はそれを受け止めたいのだけれど。
 強く想いあう二人は時として反作用を起こすものだ。
 傷ついてほしくないという想いは互いに本物なのだから。
 「まったく、こちらの身にもなってほしいのである」
 まったく同感だ、というようにロビンは頷いた。
 あの日かわした約束、そしてシンチーの願い。全てが2人の今を紡いでいる。
 シンチーはロビンを守ると言った。それが自分の存在意義だと胸に刻み込んだ。
 本当は無理をするな、と言いたい。だが、それを言うと彼女を傷つけてしまう。優しさは時として矜持を打ち砕いてしまう。
 だから言えない。ありがとう、としか言えない。
 それが歯がゆい時もある。悔しい時もある。
 シンチーが凶弾に倒れた時、本当にこのままでいいのだろうかと何度も悩んだ。
 しかし、目を覚ましたシンチーはやはり、それでいいと言い切ってしまったのである。そうでなければ生きている意味がないと。
 それに甘えてしまうのは、主失格だろうか。
 許されたいと思うのは、罪だろうか。
 ロビンはふっと息をついた。気持ちが伝わったかのようにゼトセも憂いを吐き出した。
 水もくみ終えた。後は帰るだけだ。あの頑なな従者のいる場所へ。
 と、そこで何かを思いついた。
 「…もし俺たちが従者の立場だったら」
 何の気なしの呟きにしかし、ゼトセはすぐさま反応した。
 「命を賭して戦うであろうな。例え何を言われようとも」
 結局そういうことなのだ。
 答えのない問いに悩みながら2人は帰路を急いだ。
 

 「大丈夫かい?体に他に異変はないかい?」
 ヒザーニャに尋ねられてシンチーは不機嫌に首を横に振った。
 まさかこの男と残されるとは。最悪だ。
 そう思われているとは知らずヒザーニャは心配そうにシンチーの顔を覗き込む。
 「レディー、まさかしゃべることもできないのか?」
 「…いえ」
 むすりと返す。
 なぜこの男にこんなに心配されているのだ私は。
 主のロビンならまだしもこんな輩に。
 シンチーの憮然とした表情にヒザーニャは首をひねった。
 「君は一体何を苛立っているんだい?」
 「…」
 苛立っている、か。
 ぼんやりと頭でその言葉を繰り返す。
 そんなことはない。
 ただ、自分に失望しているのだ。きっと。
 「……また私は迷惑をかけてしまった。主を守るべきなのに」
 口にしてみてもあまり苦しさは変わらなかった。
 そんなシンチーの物言いにヒザーニャは肩をすくめた。
 「おいおいレディー、自分をそんなに責めるなよ。冒険にリスクは付き物さ。命があるだけラッキーだったと思おう」
 木陰で横になるシンチーは首だけ動かしてヒザーニャを見た。
 その目は剣呑に煌めいている。
 不真面目な男だ。言外にそう伝えている。
 出会った時からずっとそうなのだ。冗談なのかなんなのか判断しかねる勢いでアプローチをかけてくる。
 冗談だったらそんな軽薄な男と行動を共にしたくないし、本気だったとしても冗談めいて気持ちを伝えてくるような男などお断りだ。
 まだ馬鹿正直に叫ぶケーゴの方がマシだ。
 …マシなだけだ。
 そこでふとゲオルクの言葉が脳裏に蘇る。
 愛する?何を馬鹿なことを言っているのだ。
 自分は従者だ。自分は半亜人だ。
 そんな関係を求めて彼と行動を共にしているわけではない。
 ただロビンは自分に生きる場所を、価値を与えてくれた。それだけだ。
 と、そこでシンチーは苛立ちを隠さずに舌打ちに変えた。体が動かず舌打ちすらうまくできなかったが、気持ちの上では最大限の舌打ちのつもりだ。
 何をくだらないことを考えているんだ私は。こんなことを考えているから蜘蛛なんかに後れを取るんだ。
 いったい誰だこんなことを考えさせる輩は。
 半ば八つ当たりのようにヒザーニャを睨む。
 切れ長の瞳孔を正面から見据えた彼はしかし、臆することなく笑う。
 「迷惑をかけたとか誰の責任だとか、固いこと考えなさんな。時には甘えればいい。時にはわがままを言ってもいいじゃないか」
 「…そんな従者が」
 ため息と共に反論を吐き出す。
 本当にくだらないことを言ってくれる。
 まるで悪魔の誘惑をはねのけるようにシンチーは身をこわばらせた。
 身体は未だに動かないが、先ほどよりは楽になってきた。
 既に毒は全身に回っていたのだから、きっと毒抜きは意味をなさなかっただろう。というか噛まれた傷は既に塞がっている。
 なるほど、毒蛇に噛まれたときにはこの体質は悪い方向に働くのか。いや、この力があってこそ蜘蛛の毒を抑え込めているのかもしれない。
 会話を打ち切り詮無いことを考え出したシンチーに向かってヒザーニャはなおも笑いかけた。
 「生真面目だねぇ。守るべきとか、従うべき、とか義務みたいに考えなくてもいいじゃないか。レディー、君は何がしたいんだい?義務だけに忠実に生きたいかい?譲れない想いはそれだけかい?ロビン君を守りたいのは…従者だからかい?」
 「……当然」
 そう答えたシンチーはしかし、一瞬虚を突かれたかのような表情をしていた。
 ミシュガルドに来て以来、何気ない一言に揺れ動いてばかりだ。
 そのまま何かを考えるようにしていたが、やがてのろのろと首を横に振った。
 このまましゃべっていると必要ないことまで口にしてしまいそうで、シンチーは話題を変えた。
 「………いい加減、その呼び方は」
 「お、ならシンチー嬢とでも呼ぼうかな」
 きざな言いぶりだ。本当に腹が立つ。
 それでも仕方なく、シンチーはその言葉を紡いだ。
 「……それと、先ほどは助かりました。ありがとうございます」
 「気になさるな。惚れた女を守るのが男の務めだからね」
 「…」
 やっぱりこの男は駄目だ。なぜこんな輩に自分は助けられてしまったのだろうか。
 シンチーは浅くため息をついた。
 強くなりたい。
 もっと、もっと強く。

 大切な主を守るために、前に進むために、絶対的な力が欲しい。


 「シンチー殿、具合はどうであるか?」
 戻ってきたロビンとゼトセが横たわるシンチーの傍に座り込む。
 その間にロビンはピクシーに尋ねた。
 「あの2人何もなかったかい」
 「私が心穏やかに報告するに、彼らの間に不和は生じませんでした」
 そうか、とほっとした口ぶりでロビンが見やったシンチーはだいぶましになってきたとだけ言って目を少し開けた。
 ぼやけているがロビンの姿だと確認し、少しだけ表情が和らいだようだ。
 身を起こそうとしたが、難しい。ゼトセに手を貸してもらってようやく上半身を起こすことができた。
 どうやら完全な回復はしていないようだ。
 ゼトセはもどかしそうに小瓶の蓋をあけ、木の実を1つシンチーの口に押し込む。
 「毒消しの実である。食べてほしいのである」
 「ん…」
 もごもごと口を動かしたシンチーを見てゼトセは安堵したような表情を見せた。 
 汲んできた水に布を浸し、噛まれた首を拭く。
 「大丈夫であるか?痛くないであるか?」
 うってかわって心配そうな表情をみせてくるゼトセの様子がおかしくてシンチーは仄かに微笑んだ。
 「えぇ…大丈夫。…ありがとう」
 ヒザーニャとロビンも顔を見合わせて笑った。
災い転じて、という訳ではないが雪解けはなんとか果たせそうだ。
 見回せば辺りはもう薄暗い。蜘蛛との戦闘や木の実採集で思いのほか時間をとってしまったらしい。
 まだシンチーは動けそうにない。今日はここで野営をして、明日になってもまだ具合が悪いようなら探索を中断して交易所に戻る方向でいこう。なに、報告するべきことはあるのだ。何一つ得られなかった訳ではない。
 そう考えてロビンが今後の予定を口にしようとした時だ。
 
 最初に異変に気付いたのはシンチーだった。
 安静にして閉じていた目がすっと開かれ、眼球を動かす。
 目が霞んでいてうまく見えないが、今眼前に映っているものが、それまでこの場所にはなかった光景であることに間違いはなかった。
 「…っ」
 白い。
 白い煙が蠢いている、
 否、煙ではない。これは。
 「なっ!?」
 次に気づいたのはゼトセだった。
 足元にたちこめるそれを凝視している。
 同時にヒザーニャとロビンも緊迫した表情でシンチーに駆け寄った。
 「ロビ…ン」
 「移動するぞ!ヒザーニャ、足を持ってくれ!」

 霧。
 足元に霧が広がっているのだ。
 乱暴にシンチーを抱え、急いでその場から離脱しようとする。
 もしこの霧が件の霧であるならば、動けないシンチーを渓谷に連れて行くわけにはいかない。
 探すべき霧から逃げなければならないというのは皮肉なものである。
 ロビンたちは小走りで移動を始めた。
 だが、みるみるうちに濃霧は広がり、次第に視界が染まっていく。
 「だめである、こっちはもう…っ」
 先頭を走っていたゼトセが振り返り言葉を失う。
 すでにロビンたちの姿が見えないのだ。
 「ロビン殿!?シンチー殿!?」
 色を失って叫ぶ。
 「ゼトセ!今は霧を抜けることを考えろ!」
 声が聞こえる。しかし何も見えない。
 ゼトセはもどかしげに辺りを見回した。どうしてもシンチーが心配なのだ。
 音を頼りに進もうとするが、すでに方向感覚が失われ今までどこを向いて走っていたのかも、どこから来たのかもわからない。
 真っ白な世界に一人取り残された気分でさまようゼトセの眼前が突然開けた。

 白色から突然茶色に切り替わった光景にゼトセは混乱した。
 それまであったのは緑、そして白。
 今立っているのはみずみずしさを失った乾いた大地だ。
 切り立った崖、遠くには塔が見える。
 荒い呼吸4つほどでようやくここが例の渓谷なのだと察した。
 と、そこでゼトセははっと何かに気づいたかのように身を岩陰に隠す。
 そろそろと見上げると、蝙蝠と獣を足したような化け物が滑空していた。
 そのまま化け物は崖につかまり、周囲を見回したのちに再び空へと舞いあがった。
 獲物を探しているかのようだ。
 獲物、という単語に我ながらうすら寒さを覚える。
 つまりそれは、自分のようにこの渓谷に迷い込んできた者のことを指すのではないだろうか。
 今のところ化け物は自分の存在に気づいていない。
 安堵したところでようやく他のことに気が回った。
 「…シンチー殿、ロビン殿…」
 シンチーはロビンとヒザーニャが運んでいた。ならば3人は一緒だろう。きっとロビンを暫定的なマスターとして認証していたピクシーも彼の元を離れていないに違いない。
 ならば、とゼトセは辺りを見回す。
 どこかにいるはずだ。探さねば。
 しかし、太陽は西に大きく傾いていて、赤と青が交わり鮮やかなグラデーションを空に描いている。
 もう間もなくこの地にも夜の帳が下ろされる
 それまでに彼らが見つからなかった場合1人で夜を明かせるだろうか。
 見知らぬ土地、見知らぬ化け物に囲まれながら。
 それは無理だろう。そもそも火すら起こせる状態ではないのだ。
 つまり。
 「ミシュガルドの秘境から帰れないである…!」
 ゼトセは大真面目にそう呟き、そろそろと見つからないように移動を開始した。

       

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