Neetel Inside ニートノベル
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 「ったく、話は聞いていたけどとんでもない化け物だ」
 「全くだね。逃げ切れてよかった。シンチー嬢も大丈夫かい?」
 シンチーはヒザーニャに首を縦に振って見せた。
 それを確認したロビンはピクシーに尋ねた。
 「ここの座標は」
 「座標位置北緯69度34分1722秒東経11度12分1657秒です」
 あの森とは全く違う座標だ。どうやらもっと北東に今来ているらしい
 つまり、この渓谷そのものが移動しているということになる。
 「私が推測するに、もしくは別の渓谷かもしれません」
 「…なるほど。…濃霧発生時、霧が発生する条件は」
 「皆無でした。私が補足するところによると、魔法が使用されたということもありませんでした」
 「…おいビャクグン、お前の言うことも聞くものだな。こいつら役に立ちそうだ」
 「そもそもこの状況で皇国民だからとか、亜人だから、とか言ってる場合ではないですからね」
 ロビンたちのやり取りを眺めていたウルフバードとビャクグンがこそこそ話し合う。
 それに気づいたロビンが笑顔を作る。
 「情報の共有は惜しみませんよ。いくら皇国の軍人さん方といえども、ここは一緒に生き残ることが大事でしょうから」
 ロビンの口ぶりにウルフバードは苦笑する。
 肩をすくめ、大げさに首を振った。
 「おいおい、甲皇国ってのはどうにも悪の帝国ってみなされてるみてぇだな。言っとくが、いくら俺達でも無関係な一般市民にてはださねぇさ。今は戦争中でも何でもないんだからな」
 「いやぁ、甲皇国の軍人さんには酷い目に遭わされているからね」
 ウルフバードの言葉を反対解釈し、ロビンは冷え冷えと笑って見せた。

――――

 霧に包まれたと思ったらいつの間にか渓谷に立っていた。
 大量の竜にも似た化け物たちが襲い掛かってきたが、近くに入り口を発見し、それが塔の入り口であることを認めたロビンたちはすぐさまそこへ逃げ込んだ。
 突然の闖入者に驚いたウルフバード隊は、特にロビンたちが抱えるシンチーに対して不審げな目つきを見せた。
 ウルフバードも当初はロビンたちを拘束してしまおうと考えたのだが、ビャクグンがそれを止めたのだ。
 かくして彼らは現在ピクシーが床に投影した地図を中心に額を合わせている。
 「つまり、このピクシー曰く、あの霧は魔法でもなければ自然発生したものでもない、と」
 「えぇ、それともう1つ」
 ロビンはこの渓谷に関する仮説を説明した。
 ウルフバードとビャクグンは互いに顔を見合わせ感心した。
 本当に役立つ人間がやってきたものだ。
 一方ロビンとヒザーニャは目くばせでやりとりをしつつウルフバードが勧めた飲み物には口をつけていない。
 ウルフバード・フォビアという者の名はロビンも知っている。
 水の魔法を繰る丙家の人間ということで、あまり接したくはなかったのだがこんなところで一蓮托生とは。
 渋い顔のロビンたちにウルフバードは自身の状況を説明した。
 「…という訳でこの塔の最上階を目指しているってところさ」
 「なるほど…」
 ロビンは思案顔で頷いた。
 塔の全容を解明しつつ最上階からこの場所の位置を確かめる。ウルフバードの言っていることは間違っていない。
 ただし、現在位置の確認はピクシーのおかげで可能になった。
 後は、とロビンは先ほどからの懸案事項を思い出し、入り口に立っている兵士を顧みた。
 「もし、薙刀を持った灰色の髪の少女が来たら俺たちの仲間だ。迎え入れてくれないかい」
 兵士はあからさまに嫌そうな顔をした。
 ただでさえ未知の場所に飛ばされて気が立っているというのに何故こんな男に指示を受けないといけないのか、というところだろう。
 ロビンがどうしたものかと口をへの字に曲げているとウルフバードが低く唸った。
 「おい」
 兵士はびくりと背筋を伸ばした。顔が青ざめている。
 「貴重な情報を持った客人だ。丁重にな」
 そう言って歯を見せるのだが、笑顔ではないことは一目瞭然だ。
 兵士はがくがくと首を縦に振り、慌てて外に注意を向けた。
 ロビンは一応の礼をウルフバードに言う。
 「助かったよ。…ピクシーがいて助かったというべきかな」
 「クハハ、そう斜に構えるなよ。お前の所有物には変わりないんだからな。…奴らの事も許してやってくれ。お前らが人間だけだったらこんなにピリピリもしないんだろうが」
 そう言って横たわるシンチーに目をやる。
 つられてロビンもそちらを向く。
 「…あの女は何があった」
 「森で蜘蛛に噛まれた」
 「あぁ…あの毛深い蜘蛛野郎か。神経毒で相手を動けなくする。下手すりゃあの女一生寝たきりだったはずだが…なかなかどうして丈夫だな。やはり亜人だからか」
 その言葉には侮蔑も嫌味も感じられない。
 本当に亜人であることを羨んでいるようである。
 ロビンの心中を見透かしたかのようにウルフバードは笑った。
 「兄ちゃんよぉ、人間とかいう種族は一体何の価値があるのかって思うことはないか?生命は脆いし、力も弱い。空も飛べなきゃ深海まで泳いでもいけねぇ」
 「確かに…そうですね」
 だろう、と彼はビャクグンを視界の隅に捉える。
 視線を感じたビャクグンはしかし、気づいていないふりをして地図とにらめっこを続けた。
 「アルフヘイムって国はエルフがあの地を国として束ねているということだが、それはなぜかわかるか?」
 「…聞いたことがありますよ。エルフは全てにおいて平均的に秀でた種族であるからだと」
 力も知恵も魔法も、全てを持ち合わせている。
 力だけに特化した種族や頭脳労働が得意な種族と多種多様な中で、エルフ族は全てが平均以上の能力を誇るのだ。
 「そうかい。…なら、人間はどうなんだろうな」
 「人間は…」
 全てにおいて、劣っている。
 言い差したロビンを見たウルフバードは大儀そうにため息をついた。肩をすくめ滔々と語りだす。
 「エルフのように魔力があるわけでもなく、だがエルフのように高慢で。オークのように力があるわけでもなく、しかしオークのように醜悪だ。兎族のようにけた外れな身体能力があるわけでもない癖に性欲だけは兎族くらい持て余していやがる。ゴブリンのような器用さはないが奴らのように狡猾だ。…なぁ、人間ってのはもしかしたらすべての種族の出がらしなのかもな。“亜人”なんて言葉からもわかるように全ての種族は人間に準じるなんていう説を皇国内では未だに偉そうに言う馬鹿学者がいるが、違うんじゃねぇかな。すべての種族の秀でた特徴を取り払った残り物の体を動かしているのが人間なんだろうよ。…その中でも軍人ってのは高慢さと醜悪さと淫乱さと狡猾さを煮詰めたようなアホが多くてな。……少なくとも俺はこのご時世に軍の威光を盾に誰かに手を出そうなんたぁ考えねぇが…あの女、ちゃんと見ておけよ」
 その警告が意味することを正確に理解し、ロビンは頷いた。
 一通りの会話が終わった時、ビャクグンがロビンに尋ねた。
 「ロビン殿、つまり話に出てくる少年はいつの間にか元の位置に戻っていたということですが…何故我々はここに留まっているのでしょうか」
 「ケーゴ君はいつの間にかと言っていたけど…何か条件がいるんだろうね」
 「ピクシー君、当時の彼らの行動を再現できるかい?」
 「ヒザーニャ様、私が首をかしげるに、私には性別がないので、“君”という敬称はあまりふさわしくないでしょう。…当時のマスター・ケーゴの行動を記録した映像を投影します」
 ピクシーのバイザーから照らし出された光が床に映る。
 ピクシー視点の映像のようだ。飛び回っているピクシーの見ている景色を見ていると気持ち悪くなってくる。
 それをこらえて彼らは映像を凝視した。

 ケーゴとアンネリエとベルウッドの3人があたふたしながら岩陰に隠れたところだ。
 3人で何事か話している。表情には必死さと混乱が入り混じっている。
 ケーゴが岩から顔をのぞかせ、すぐに引っ込める。
 そして首を横に振る。
 そこでピクシーが回転したらしく後ろの光景が目に入る。
 ちょうど岩に囲まれた場所に逃げ込んだようで背後の化け物にも気取られていないようだ。
 下の方にベルウッドの頭が映りこんだ。
 彼女が指さす先にはこの塔がある。
 ベルウッドが何かをケーゴに言っている。
 「この時彼女は財宝はいただきよ、と言っていました」
 「正直な奴だなぁ」
 ウルフバードがカラリと笑っている間に、ケーゴとベルウッドが言い合いを始めたようだ。
 2人の言い合いを呆れ顔で眺めていたアンネリエの顔が突然青ざめた。
 持っていた杖でケーゴを何度もつつき、彼が抗議の声を上げる前に録画者であるピクシーの背後を指さす。
 ケーゴとベルウッドが振り返り、ピクシーの視点も回転した。
 化け物があぎとをくわりと開いて眼前に迫っていた。
 3人は勢いよく岩影から飛び出し走り出した。ピクシーもそれに続く。
 黒、金、灰の頭が眼下を駆けている。
 そして突然視界が白く染まった。

 「以上です」
 ピクシーの言葉を最後に静寂が訪れた。
 全員考えていることは同じだ。
 あまりに会話がないため、ウルフバードが代表で口を開く。
 「…何か特別なことしてたか?」
 問いに全員が首を横に振った。
 「むしろ…俺たちが彼らと違うことをしているね」
 ヒザーニャが顎に指を添えて言った。
 「…この塔に入ったのが間違いだったと?」
 ビャクグンの確認。
 ウルフバードとロビンは顔を見合わせる。
 つまり、この塔の外にいれば時間経過で元の場所に戻れるかもしれないのだ。
 「おい、お前。そう、そこのお前だよ」
 ウルフバードが近くの兵士を呼び寄せた。
 「喜べ、ミシュガルドの秘境で“おうちかえりたぁあああい”と叫ばずに済むかもしれねぇぞ」
 「ほ、本当ですか?」
 ウルフバードに呼ばれたというだけで戦々恐々としていた兵士はその言葉で頬を緩めた。
 「あぁ、本当だ。とりあえず、外で少し立ってろ。大丈夫だ、あの化け物どもも今は眠っている」
 「え?…あ、あの…はい」
 さらりと嘘をつかれた兵士はしかし、隊長を疑う訳にもいかず、そろそろと外に出た。
 次の瞬間その兵士の絶叫と共に入り口の近くにぼとりと脚が降ってきた。
 「どうやらもう外には出られないみたいだな」
 平然と部下を実験台にしたウルフバードはあっさりとそう3人を見回す。
 ロビンもヒザーニャもビャクグンも渋面を作った。
 要するにこの男の価値判断基準は自分にとって有用かそうでないかなのだ。使えない者は手駒として命すら軽んじる。使える者はもう少し大事に扱う。
 さすがに今のはどうなんだ、という目つきに対してウルフバードは大仰にため息をついた。
 「おいおい、考えればわかるだろ?隊を率いる俺とあの冴えない奴、どっちが大事なんだ?」
 確かに隊長自らが危険を顧みず先頭を走るというのはいただけない。危険というものは隊長を守るために常に部下が負うべきのだ。
 話を横たわったまま聞いていたシンチーは少しばかりウルフバードに同意して頷く。
 その分一番大事な判断や責任は隊長が負うべきであるということはあまり考えないようにした。
 そんなシンチーをよそに4人の話し合いは進む。
 「とにかく、ここに立てこもった以上もう俺たちに進む道は限られてくるな」
 「先ほど話していた階段の先だね」
 ヒザーニャが首を回して螺旋階段の先を見る。
 「あぁ、そうだ。あの先に何かがあると信じて進むしかねぇよな」
 それが金銀財宝では意味がないのだ。
 何か、ここから抜け出す方法がなければどちらにせよあの化け物の餌食だ。
 そう言いながらウルフバードはふと、ここにいる全員を囮にして外に出たらあるいは、とも思った。
 だが、よく考えてみれば本当に塔の外に出ることが答えかはわからないのだ。確証を得るまでは手駒は大切にしなければならない。
 あるいは、とロビンたちと話すビャクグンを見やる。
 この男が本気で戦ってなんとか一騎当千といかないだろうか。
 最低限亜人とのハーフなのではないかと思っている。皇国内では亜人への差別が根強いため素性を隠しているのだろう。
 もしくはアルフヘイムの間者か。だが、間者だったとしたらあの局面で自分を助けるだろうか。それも自らの正体を明かすような真似までして。
 いずれにせよ、もう少しこの男は傍に置いておきたいと思うウルフバードだ。
 「そういえば、この1階には何か現状打破のヒントとか、この塔の由来とか何かなかったんですか?」
 ロビンたちは死に物狂いで塔に逃げ込んできてからずっとウルフバードたちと共に座り込んでいたため、塔の内部をよく見ていないのだ。
 「暗くてよく見えないがあの壁なんて表面が削られている。何かあったんじゃないのかい?」
 ウルフバードとビャクグンはヒザーニャが指差す方向に顔を向けた。
 「あぁ、あそこはもとからああなってたんだ。もしかしたら何かこの塔について壁に刻まれていたりしたのかもしれねぇが…今となっては知る由もねぇ」
 隣でビャクグンが神妙そうに頷く。
 「そうですか…もう他には何も?」
 あぁ、と生返事をして彼は大岩の破壊作業に取り組む兵士たちを見る。
 難航しているようだ。兵士の武装は土木工事には向いていないのだと良くわかる。
 螺旋階段から続く二階につながる穴を塞ぐ大岩を破壊するためには、階段から天井に向けて剣を突き上げるという動きに頼るほかない。だが、そんな動きで破壊できるほど軟なものではないのだ。
 ちなみに螺旋階段は塔の壁に手すりも何もなくつけられているだけのため、作業には危険が伴う。というか既に3人転落死している。
 かといってウルフバードに反抗もできないものだから兵士たちは細心の注意を払って作業に徹するしかないのだ。
 だが、それにしてももう少しやる気というか、覇気というかそういった気概を見せてくれてもいいのではないだろうか、などとウルフバードは勝手なことを思う。
 いったん脅してやろうか。もうこの際兵士爆発させてやろうか。それで大岩が破壊出来たら万々歳だ。
 …それでは階段まで破壊されるし、結局温存したい魔力を失うか。
 「今夜中にどうにかなるかはわかりませんが、一晩身を休めれば小隊長殿が魔法で破壊するのでしょう」
 隣でビャクグンが勝手なことを言っている。
 大胆な奴だ、と半ばあきれながらウルフバードはロビンたちに向けて目を細めた。
 「いずれにせよ、今晩はここでお泊まり会だな」
 いつの間にか差し込む光は月光に変わっていた。
 

       

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