Neetel Inside ニートノベル
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 轟音が響く。
 「うわっ…」
 ロビンはシンチーを抱えたままよろめいた。
 シンチーはロビンから飛び降り、剣を無理やり鞘にしまった。
 元の剣にも愛着はあるが、こちらの剣の方が強そうだ。
 と、その時恐ろしいほどの振動が襲った。
 再び轟音が響く。
 もはや塔の限界であった。
 床が崩れ、さらに傾きだしている。
 「こっ…これでは…!」
 薙刀を支えにゼトセは均衡を保つ。
 なんとか、瓦礫から身を守り、ロビンたちとの合流を図る。
 一歩踏み出した瞬間、床が崩れた。
 危うく落下しかけた彼女の腕を掴んだのはビャクグンだ。
 「かたじけじないのである」
 「いえいえ」
 ゼトセを引っ張り上げたのを確認してウルフバードはロビンたちに合流した。
 表情には疲労と焦燥が入り混じる。
 「まずいな…あの化け物が暴れたせいか…別の原因か知らねぇがこのままじゃ生き埋めだ」
 もう限界なのだろう。言葉もとぎれとぎれのウルフバードを見てロビンはそう察する。
 見れば脚も震えているし、顔色も蒼白だ。
 ロビンは焦りを隠さずに叫んだ。
 「とにかく、下へ急がないと…!」
 と、そこでシンチーが弾かれたように走り出した。
 駆ける先、身動きの取れないあの男がいる。
 「ヒザーニャ!」
 彼女の悲痛な叫びとゼトセの驚きの声があがったのはほぼ同時。
 「あそこ、霧が発生しているである!!」
 「何!?」
 驚き叫んだウルフバードの目にも、階下につながるその穴から濃霧が、自分たちをこの場所に導いたあの濃霧が湧き上がっているのが見えた。
 しかし、誰もが呆けてそれに対して何をすればいいのかわからなかった。
 一瞬の間の後、ロビンが怒鳴った。
 「全員あの霧に向かって走れええええっ!!!!」
 弾かれたように全員が駆けだした。
 床は崩壊を続け瓦礫もひっきりなしに落下してくる。
 振動に足をとられ、轟音に身をすくませながらも皆懸命に走った。
 中には落下していく者や落下物に潰される者もいた。
 ロビンは皆を先導するように走った。ゼトセとビャクグンは降りかかる瓦礫を弾いて安全な道を確保する。
 シンチーだけが流れに逆らってヒザーニャのもとへ走っていた。
 
 その中で。
 「っ…!」
 ウルフバードは肺が焼けるように痛むのを無視してよろめいていた。
 霧に向かって走れない。
 生死のかかった戦いの中で、もはや体があそこまで動いた方が不思議だった。
 柄にもなく、皆が生き残るために魔法を行使しすぎたようだ。
 もう魔法は使えないと、これ以上使ったら動けなくなるとわかっていたではないか。
 どうして見ず知らずの女のために魔法を使ったのだ。
 自嘲気味の自問。自重交じりの自答。
 あぁ、そういえばガキの頃はそれで軍人に相応しくないだなんてどやされたんだったな。
 が、どうしても自分はそういう気性だったのだから仕方ない。
 目が霞む。呼吸の仕方を忘れる。
 せき込むと血霧が辺りに散った。
 痛みを抑えるように胸を掴む。
 生きるために必死に前に進んだ。
 毒に苦しみながらももがいたあの時のように、手を伸ばし生を掴もうと足掻いた。
 霧があの時の杯と重なった。
 その時だ。
 瓦礫が身体を直撃した。纏う毛皮がその衝撃を最低限抑え込むが、ウルフバードはその場に倒れこんだ。
 「ぐうっ…!」
 また血を吐いた。脂汗がにじむ。
 もはや起き上がる力も残されていないかのように、立ち上がろうとしてはまろび、膝をつき、それでも前に進もうとした時だ。

 「っ…!」

 床が崩壊した。
 
 必死に動かした手足は宙を無意味にかき、彼は奈落の底へと吸い込まれるように落下していった。
 

 これは死であると、理解した。
 本当は一瞬の事なのであろう。だが、ウルフバードには死に向かうその瞬間が異様に長く感じられたのだ。

 ――なるほどな、結局この身体が災いする訳か。
 落下する中でウルフバードは自嘲を浮かべた。
 ――こんなところで死ぬのか、俺は。
 どうせなら死のうと思った時に死にたいものだったが。
 光が勢いよく遠のいていく。
 まったく、くだらねぇ人生だったな。
 そう結論付けた時だ。
 「小隊長殿おおおおおおお!!」
 自分を呼ぶ声がした。
 見るとビャクグンがこちらに向かって落下してきているではないか。
 唖然としてウルフバードは口を開いた。
 「…馬鹿が」
 その声色は、表情は柔らかい。
 思えば、彼の身を案じてくれる部下など今までいただろうか。
 否、自分は恐怖で人を動かすことしかできないのだ。
 あぁ、だからあいつは馬鹿だっていうのさ。
 「…こんな自分のために命を散らす奴がいるかね」
 「死ぬつもりは毛頭ありません」
 落下する瓦礫を巧みに使い、ウルフバードに追いついたビャクグンは、上官を抱きかかえ、今度は瓦礫をジャンプ台替わりに跳躍を始めた。
 みるみるうちに遠のいていた光が近づいてくる。
 そして、濃霧の中へ飛び込んだ。
 一瞬の出来事に呆然としているウルフバードに対してビャクグンは笑みを見せた。
 「…死ななかったでしょう?」
 「…やはりお前は大馬鹿者だよ」
 生の喜びをかみしめ、ウルフバードはため息をついた。
 

 シンチーはヒザーニャに肩を貸しながら必死に濃霧を目指していた。
 瓦礫に足をとられ、振動に均衡を崩しつつ、それでも着実に一歩、また一歩と進んでいた。
 「シンチー嬢、もういい。君も限界のはずだ!」
 「嫌です…っ!私は…あなたを助けたい…っ!!」
 ヒザーニャはその言葉に驚いたように目を見開いた。
 2人より先に霧にたどり着いたロビンはゼトセを先に進ませ、振り返った。
 もう残っているのはあの2人だけ。
 だが、もはや床の大半は崩れ落ちてしまい、壁も崩壊を始めている。絶え間なく瓦礫が降り、塔自体が今にも崩れてしまいそうだ。
 不思議なことに霧自体は周囲がどれだけ崩壊しようとも依然としてそこにあり続けるのだ。
 故に霧の中は安全地帯であると思われる。
 だから早く。早く来てくれ。
 「シンチィイイイイ!!」
 叫び、手を差し出した。
 もうすぐだ。もうすぐ彼女らもここまで辿り着く。
 後はこの手を握ってくれればこちらまで引き寄せられる。
 シンチーもそれに応え、手を伸ばした。
 その時瓦礫が落ちてきてシンチーの脚を砕いた。
 「あぁあああっ!!」
 絶叫が響いた。
 「シンチー!!」
 ロビンが霧から出て駆け寄ろうとする。
 しかしゼトセがその腕を掴んで引き止める。
 「駄目である!ロビン殿までも死んでしまうである!早くこの霧を抜けるである!!」
 「嫌だ!!シンチーがっ!シンチーがっ!」
 冷静さもなにもかもをかなぐり捨ててロビンは叫んだ。
 霧の効力がどこまであるのかはわからないが、今のロビンはほぼ全身を霧から出している。
 ゼトセは力及ばず彼に引きずられる。
 「この…っ、なんて固い腕であるか!」
 八つ当たりのように腕を引っ張るがびくともしない。
 「シンチー!」
 そんなことは気にもかけず、ロビンはシンチーに声をかけた。
 うずくまる彼女。足が瓦礫に挟まれている。
 ロビンはゼトセを無視して霧から飛び出そうとしたが、眼前の床が崩壊し、二の足を踏んだ。
 2人の間に生まれた大穴が2人を永久に離れ離れにする現世と冥府の境であるかのようだった。
 届かない。この手は届かないのか。
 「あ゛ぁああああ゛あ゛あああ゛ああ゛ああああああ゛あ゛あ゛ああああああっ!!」
 ロビンは絶叫した。
 その悲痛な叫びにゼトセの目から涙があふれた。
 そうだ。
 大切な者を助けることのできない無力さは、悔しさは、憤りは、その身を裂くものなのだ。
 ゼトセはそれを知っている。
 だから強くロビンを止めることができない。
 一方でシンチーとヒザーニャに、もはや後がないのもわかっている。
 それがたまらなくやるせなくて。
 「シンチー殿おおおお!ヒザーニャ殿おおおお!」
 叫ばずにはいられなかった。


 痛みのせいで一瞬意識が飛びかけた。
 立ち上がろうとしても、脚はびくとも動かない。
 シンチーが脚を斬りおとしてしまおうかと考えた時だ。
 「シンチー嬢…!」
 「ヒザーニャ…!あなた…っ」
 声がした。苦悶の中その方を見上げるとヒザーニャが槍を支えにして立っている。
 矢に貫かれた膝からはとめどなく血が溢れ見るだけでも痛々しい。
 それでも彼は笑った。
 「必ず、君を助けてみせるよ」
 「何を…」
 シンチーが言い終わらないうちにヒザーニャは槍を瓦礫と床の間に差し込んだ。
 てこの原理で瓦礫をどかそうというのだ。
 「そんなっ…!」
 彼の脚はそんな負担に耐えうるものではない。
 立っているだけでも難しい筈なのだ。
 果たしてヒザーニャは激痛に顔を歪めた。
 「ぐうううっ!!」
 「もうやめて…ください!ヒザーニャ!」
 何故、声が震えている。
 何故、視界が揺れている。
 頬を伝う液体。これは何だ。
 ヒザーニャは自らの体を支えにしながら瓦礫を動かした。
 「ぐぅううぁああああっ!!」
 力を込めるたびに苦悶の叫びはいや増す。
 「ヒザーニャ…」
 弱弱しいシンチーの声にヒザーニャは無理やり笑みを作って見せた。
 「そうだ、シンチー嬢、君の思いは見つかったかい?」
 場違いな質問にも思われた。
 今も瓦礫は降り注ぎ、地響きと共に2人は均衡を崩す。
 それでも、素直にシンチーは考える。
 「…わた…しの……?」
 「そう、義務でもなく、使命でもなく、君がほんとに願うことさ!」
 ヒザーニャが唸る。
 彼の足元には血だまりが出来ていた。
 シンチーはそこから目をそらした。
 ついに瓦礫が少し浮き上がった。
 脚の戒めから解かれ、シンチーは無理やり立ち上がった。
 再び霧を目指そうとするがもはやそこまで辿り着くための道は崩れ落ち、今自分たちが立っているこの場所ももう崩壊寸前だった。
 霧の向こうではロビンが必死に手を伸ばしている。
 シンチーも必死に手を伸ばした。
 しかしその手はとどかない。
 跳躍をしようにも自分もヒザーニャも脚に怪我をしているのだ。
 と、その時彼女の体が浮き上がった。
 否、ヒザーニャが最後の力を振り絞って彼女を抱き上げたのだ。
 シンチーが目を見開いてヒザーニャを見ると、彼は脂汗をにじませながら言った。
 「シンチー嬢くらい、抱えて投げ飛ばせると言っただろう?」
 「…っ!?…や…め…」
 何をするか、予想がついた。ついてしまった。
 それが恐ろしくてたまらない。
 シンチーはヒザーニャの腕にすがった。
 「やめ…てっ!ヒザーニャ、あなたも…っ!」
 「シンチー嬢」
 シンチーははっと息をつめた。
 ヒザーニャの声は驚くほどに穏やかだった。
 轟音と震動が響く中、不思議と彼らの間に静寂が広がった。
 ヒザーニャは微笑む。
 「もうわかってるはずだ。君が望むことは。最初から、君たちが出会った時からわかっていたはずだ」
 シンチーは首をぶんぶんと横に振った。
 わかりたくない。そんなのわかりたくない。
 「嫌…」
 苦笑が聞こえたような気がした。
 「ほら、向こうを見てごらん」
 「え…」
 その声に従って振り返る。
 何よりも大切な人が、こちらに向かって手を差し出していた。
 何かを叫んでいる。それを聞けるだけの余裕がなかった。
 ヒザーニャは続けた。
 「君が掴むべきは…掴みたいと願うのは、あの手だろう?」
 「………っ」
 嗚咽が漏れた。
 嫌だ。この腕も、この腕も掴んでいたい。
 我が儘を言ってもいいと言ったのはあなただ。
 だから我が儘を許して。
 お願いだから、一緒に帰ろう。
 とめどなく溢れる涙のせいでヒザーニャの顔がよく見えない。
 それでも、きっと彼はいつも通りきざったらしい表情でこちらを見ているのだろうと思った。
 「さぁ、生きてくれ、シンチー嬢。君の想いを、願いを叶えるために…!」
 そう言ってヒザーニャは最後の力を込めてシンチーを放り投げた。
 「…っ!!」
 何も言うことができずされるがままにシンチーは飛ばされ、その腕に、誰よりも彼女のことを想ってくれている彼の腕に抱きとめられた。
 ぬくもりが伝わってくる。
 苦しいほどに抱きしめられて、嗚咽が1つ漏れた。
 と、そこで振り返る。
 ヒザーニャが穏やかな表情で立っていた。
 「ヒザーニャ!跳べぇ!!」
 「ヒザーニャ殿!!」
 ロビンとゼトセの声は掠れていた。
 もう何度も自分たちの名前を呼んだのだろう。
 シンチーも彼の名を呼ぼうとした。
 だが声がうまく出ない。
 涙はこんなにも流れてくるというのに。

 ヒザーニャとシンチーの目があった。



 最期に彼は笑ったのだと思う。




 次の瞬間、瓦礫が降り注ぎ、ヒザーニャの姿は見えなくなった。
 
 「ヒザアアアアニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 ようやく叫んだシンチーのその声は塔が崩壊する轟音にかき消された。
 ロビンとゼトセが身を翻す。
 彼らを包んだ霧はそのまま霧散し、塔は跡形もなく崩れ去った。


       

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