Neetel Inside ニートノベル
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 いつからそこに立っていたか、もう覚えていない。
 
 とにかく、森には泣き声が響いていた。
 しゃがみこんで涙を流し続けるシンチー。傍で慰めるゼトセも目に涙を浮かべている。
 ロビンは茫然と空を見上げたまま動かない。
 どうにか無事であったピクシーも今は黙ったまま彼らを見守っている。
 
 全てが嘘のようだった。
 昨日であったばかりの若者が。自分と年も近く会話も弾んだあの男が。
 魔法とも何とも判断の付かないものに巻き込まれ、全く見知らぬ場所に飛ばされて。
 そして、シンチーを、助けて。

 何もかもが消え去ってしまった。
 あの渓谷に行くのは困難だし、そもそも塔自体が崩壊してしまった。
 得たものは何もなかった。
 ただただ、喪失が彼らの胸に重くのしかかっていた。
 
 死とはかくもあっけないものなのだ。
 
 一瞬で大切な者が奪われる。

 遺された痛みは、悼みは、いつまでも心の最奥で彼らを苛み続けるというのに。


 「シンチー殿…」
 肩を優しくたたくゼトセに礼を言ってシンチーは立ち上がった。
 その先にいるロビンがのろのろと彼女に顔を向けた。
 「……ロビン」
 泣き続けて目が充血している。
 声も枯れている。
 体力も気力も限界で、彼の元へ進む足取りは頼りない。
 それでもシンチーは進んだ。
 手を伸ばした。
 「……私は…また、守れなかった」
 ロビンが痛みに耐えるような表情をみせた。
 「ヒザーニャも…あなたも…私がもっと強ければ…こんなことにはならなかったのに…」
 浮かんでは消えていく二日間の光景。
 シンチーはしゃくりあげた。
 「…私は…従者失格です……」
 ゼトセが息をのむ。
 ロビンも何かを言おうとしたが、やめた。
 シンチーがまだ何かを言おうとしたからだ。
 「あなたは約束してくれましたね…争いのないように世界をかたむけると。私が笑顔になれるような世界にしてみせると」
 「あぁ…」
 2人を繋ぐ大切な約束。2人の原点。
 その誓いがある限り、2人は。
 「私は言いました。ならばそれを手伝おうと。あなたを守ってみせようと。…私にはそうしなければ生きている意味がなかった」
 「あぁ…」
 本当はあの時死んでいた。
 それを助けてくれたのがロビンだ。
 ようやくみつけた生きる意味を、シンチーは失いたくなかった。
 だから彼に、誓いに、使命にすがった。
 「だから私は、あなたを守るべきだと、それが使命だと…自分に言い聞かせてきた。それ以上の我が儘は、言わなかった。最低限の使命を…果たしてきた」
 シンチーがまた一歩、ロビンに近づいた。
 涙を流す彼女の顔からどうして目を背けることができようか。
 「ミシュガルドに来て以来…あなたに助けられてばかりで…私は何もできていない……」
 シンチーが手を握り返せる位置まで近づいてきた。


 「…それでも…っ、それでも私は…あなたの傍にいたい…!」


 想いは響き、心の一番大事な場所に刻まれる。

 「守るべきとか、存在意義とか、そういうことじゃないの!私は…私はロビン、あなたと一緒にいたいの…っ」
 必死に言葉を紡いだシンチーの手が不意に乱暴に引っ張られた。
 ロビンがシンチーの手を取り抱き寄せていた。
 もう離さないとばかりにきつくきつく抱きしめる。

 「…ありがとう」
 ロビンの声は震えていた。
 「……うん」
 なされるがままに、ロビンの体温を感じる。
 自分を受け入れてくれる彼の優しさはどこまでも深く、どこまでも温かい。

 越えてはならない一線なんてはじめからなかった。
 大切なのは自分の気持ちで、欲しかったのはきっと使命とか存在意義なんかじゃなくて。


 願ったものはずっとそこにあったのだ。
 今はその温もりに甘えていたい。
 悲しみで凍てついた心が優しさを取り戻すまで。



 大切なことを教えてもらった。きっと、この出会いは一生胸に抱き続ける。
 されど愛しきこの腕よ。
 ずっと傍にいたい。いつまでもこの人と一緒に過ごしていたい。
 されど愛しきあの腕よ。





――――


 『へぇー…それで昨日は連絡がつかなかったんだね』
 「あぁ…それどころではなかったんだ。すまないね、ハナバ。心配をかけた」
 『まーったくだよぉー。エンジなんて駐屯所に乗り込む勢いでさぁ』
 「…あの子は、まったく。」
 『ま、許してあげてよ。エンジはエンジなりに心配だったんだからサ』
 「…それは……」
 『それにしても、何で助けたの?』
 「え?」
 『そりゃあ自分たちの使命は丙家の監視だし?ウルフバード・フォビアといったらアルフヘイムからすれば最重要人物なんだから近づけたことはすごいけどさ。でも見捨てることだって――』
 「ハナバ」
 『…っ』
 「…駄目だ。人の死を願うなんてあってはならない。助けられるなら、私は助けたい。ただそれだけだ」
 『……そっか。わかった。とにかく乙家には自分から全部伝えておくね』
 「あぁ、頼んだよ」


――――


 「…酷い目に遭った」
 森の中、ウルフバードはだらしなく地面に寝転んでいた。
近づいてくる足音の主を確認し、安堵したように目をつむる。
 「どこへ行っていた?」
 「…偵察です」
 「あぁ、そうかい…」
 渓谷からなんとか生還して、ウルフバードはそのまま数刻森の中で寝転がっていた。
 もはや歩いて帰る気力もなかったのだ。
 「…彼らはちゃんと戻れたでしょうか」
 ビャクグンが言わんとする人物たちを正確に理解し、ウルフバードは気のない返事を返した。
 「さぁな…。ま、無事だったらいいよな」
 たった一日程度の縁であったが、彼らのおかげで得たものも多くある。
 今度会うことがあったら礼をしようと思うウルフバードだ。
 「ただ、まずは駐屯所に帰らないとな…」
 そういえば、そもそもこの森にやって来たのはホロヴィズのあんちくしょうが来るから逃げ出したのがきっかけだった。
 それから一日帰還せず。
 駐屯所内で問題が発生しているかと思うとさらに帰る気が失せる。
 ビャクグンが苦笑した。
 「それでも、もう帰らないとさらに帰りにくくなりますよ」
 深くため息をついてウルフバードは諦めたかのように立ち上がった。
 確かにあれだけ休息を得たのだから、体力も魔力も戻っている。
 「…仕方ねぇな」
 共に生還した兵士たちを見回す。
 全員満身創痍で、顔も疲労一色だ。
 あれだけの死地をかいくぐってこの森に戻ってきたのはたった6人。
 ウルフバードは燃え尽きた体の、それでも生きていることの喜びをかみしめている6人の部下たちに遠くから声をかけた。
 「ご苦労だったな、お前たち。犠牲になった者も多かったが、お前らがいなかったら俺たちは生きてこの地に帰ってこれなかった。礼を言う。ゆっくりと休め」
 兵士たちは緩慢に頷き、敬礼した。まさか自分の上官が労いの言葉を書けてくるとは思いもよらず、戸惑いが見える。
 そんな彼らを見てウルフバードは口角を釣り上げ、呟いた。
 「“烈”」
 紡がれた言葉に従い、兵士たちが爆発した。
 軽い破裂音と共に森が少し揺れる。
 辺りに兵士の残骸が散らばる。
 血臭とも死臭ともとれない匂いが辺りに充満する。
 「小隊長殿!?」
 目の前の衝撃的な展開にビャクグンはさすがに声を荒げる。
 彼の抗議に臆することなく、彼はビャクグンを睨んだ。
 「…これで、秘密を知る者は俺とお前だけだ」
 懐から藍色の宝玉を取り出す。
 それを見てビャクグンは瞠目した。
 「それは…っ」
 「そうさ。ちゃんといただいてきたのさ」
 そう邪悪に口元を歪ませる。
 「…小隊長殿、まさかとは思いますがその宝玉を手にしたからあの塔の崩壊が加速したのでは…?」
 「だったらあの霧も同じ理由で現れたんだろ。文句ばかりを言われる筋合いはねぇな」
 言いよどむビャクグンに対してウルフバードは苛烈に笑った。
 「とにかく、このことを知るのは俺とお前だけだ。当然だが他言無用。ようやく手に入れた力だ…大切にさせてもらう」

 ロビンたちが知らず、ウルフバード隊だけが知っている事実。
 塔の1階の壁に壁画と文字が刻まれていた。
 それを発見したウルフバードは彼ら以外に知られないようにそれを削らせたのだ。
 ロビンたちが指摘したあの壁である。
 そこに書かれていた言葉は。
 「…アルキオナの石……」
 ビャクグンが厳かに呟いた。
 ウルフバードも凄絶な笑みをみせる。
 そして慈しむように宝玉を太陽に透かした。
 「そう。それがこの宝玉の名。…そしてこのアルキオナが導くは、ミシュガルドの玉座」
 


 その名も、アルドバラン。

       

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