Neetel Inside ニートノベル
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――――


 「…そうか、彼は逝ってしまったのか」
 ゲオルクの表情に苦いものが混じる。
 ゼトセも辛そうに目を伏せた。
 ここは交易所のバー。ヒュドールのいる酒場ばかりが取り沙汰されるが、他にも様々な飲食店がミシュガルド大陸には存在している。
 賑やかな酒場で酔いどれに囲まれるのも悪くはないが、ゲオルクは町外れにある静かなバーで一人酒を呷る方が好きだ。
 店の隅では楽団が静かな曲を奏でている。
 隠れた名店の雰囲気にぴったりだ、とゼトセは思った。さすがゲオルク殿、凡人では辿り着かない粋の境地である。
 いつもなら口に出して賞賛していたのだけれど、今はその気力がわかない。
 自らの心の重たさにゼトセはただただ黙り込んだ。
 ゲオルクはそんな彼女にかける言葉を探した。

 過日の探索の報告をしに来たゼトセの表情に並々ならぬものを感じた彼はは行きつけの店に彼女を誘ったのだ。
 賑やかな場所ではなく、落ち着いた静かな店だからこそ言えることもあるだろうと考えたからだ。
 果たして彼の予想は当たっていて、ゼトセの話した内容は壮絶なものだった。
 一曲が終わるほどの時間をかけて、ようやく口を開く。
 「…立派な最期だったな」
 ゆっくりとそう評する。
 慰めではない。賞賛だ。
 ジョスリー・ヒザーニャだったか。結局ほとんど言葉を交わしていない。
 軽薄そうな男だと思っていたのだが、なかなかどうして芯のある男だったらしい。
 ゲオルクは重々しく一人の戦士を悼んだ。
 「……死んで立派も何もないである…」
 酒の飲めないゼトセの手にはエドマチ由来の“茶”という緑色の飲み物が入ったグラス。そのグラスが割れるほどに強く握りしめてゼトセは苦々しく漏らした。
 「生きてこそ、高名は得られるのである…!」
 ゲオルクは孫娘ほどに年齢の離れた少女が肩を震わせるのを黙って見た。
 彼の胸に去来するのは、痛感。
 ――あの大戦中、死は身近なものだった。
 当たり前のようにそこにあったからこそ、当然のように死にも価値や意味が求められた。
 仲間のために自らを犠牲にするヒザーニャの行動は真実崇高なもので、賛美に値する。
 それが。
 ゲオルクはウイスキーをくいと呷った。
 ゼトセはなおも涙をこらえて言葉を震わせている。
 「死んでしまっては、意味がないである…」
 この子たちにとって、死とはただ忌むべきものなのだ。
 いや、本来その方が正しかったのかもしれない。もはやこの老いぼれには変えることのできない価値観だ。
 大戦は全てを歪めてしまったのだ。命の価値ですら。

 それでも、ずっと変わらないものもある。それをゲオルクは知っている。
 ぽん、と優しく彼女の頭に手を乗せる。
 「死んだら終わり…か。なら、貴殿は生きよ、ゼトセ」
 「え…?」
 見上げる彼女の目が潤んでいる。
 ゲオルクは続けた。
 「忘れるな。【喪失】の痛みを。失った者自身を。彼の言葉を、思いを、全てを忘れるな。そして彼が掴み取った今の貴殿の生、それを大切にせよ。…遺された者の責務、しかと心に刻め。」
 どれだけ死が身近であっても、それだけは【喪失】わすれない。
 彼の信条。傭兵王と称される理由だ。
 「…それでも辛いである」
 ぼんやりとゼトセは呟いた。
 ゲオルクの言わんとするところは分かる。それが今の自分の支えになるだろうとも思う。
 それでも、納得しきれないのはまだまだ自分が子供だからだろうか。
 のろのろとゲオルクのグラスに目を向ける。
 そして思い付きのように尋ねた。
 「…お酒を飲めば、辛いのは消えるであるか?」
 予想外の質問にゲオルクは目を瞠る。
 が、やがて苦笑してゼトセの額を軽く指弾した。
 「いてっ」
 「若造が。酒などまだ早いわ。……今酒で痛みを誤魔化すことを知ったら、これから更に辛いことがあった時、身を潰すことになるぞ」
 それに、とゲオルクは付け加えた。
 「消えるのは一瞬の間だけ。酔いがさめれば更に辛くなる。それでも飲まずにはいられない時が…きっと貴殿にもやってくる」
 そう諭すゲオルクの目は優しい。
 むすっとした表情のゼトセの頭を乱暴にかき回す。
 この世代の子らは、戦争が終わった新しい世界を担うこの子らは、どんな未来を紡いでいくのだろうか。
 「10年…欲を言えば20年」
 もう自分は長くない。
 きっとこの子にはこれから様々な試練が襲い掛かる。この子だけではない。あの酒場で出会った子らにもだ。それでもがむしゃらに前に進むであろう、輝く灯。若い世代。それをいつまで見守っていられるだろうか。
 この子らが道を踏み外さないように、大切なものを胸に抱き続けていられるように。
 もはや老いぼれにはそれくらいしかできないのかもしれないな。
 唸るゼトセの隣でゲオルクの目に一瞬慈しみが映りこんだ。
 一方のゼトセはヒザーニャの死を一番嘆いた彼女のことを思い出していた。
 きっと彼女は彼のことを生涯【喪失】わすれないだろう。


――【喪失】は何にも代えがたい。だからこそ、ずっと胸に刻んでいよう。

       

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