その顔をどうして記憶から
翡翠のような長い髪を横で束ねている。赤いリボンは未だに特徴的だ。以前は険しく光を失っていた目はしかし、今では可愛らしい少女のそれだ。
アレク書店のエプロンを着用していると、軍服とはまた違った印象を与えるのだが、ロビンとシンチーはそんな外見には騙されない。
「お前!!」
シンチーが声を荒げて剣を抜いた。
刀身が赤く煌めくその剣はヒザーニャと過ごした時間が本物であった証。
ロビンも眼光を険に染めてローロを止めた。
「ローロさん、どうしてこの軍人を…!?」
「えっ、何で――」
ローロが戸惑う間にもシンチーはアルペジオに詰め寄る。
容赦なく剣を突き付け、睨む。
一方のアルペジオは顔を真っ青にして震えている。息も荒く、今にも泣きだしそうな表情でかすれ声を出した。
「違…私…嫌……」
その様子に違和感を覚えたロビンは一度シンチーを退かせた。
だがアルペジオは壊れてしまったかのように震え続け、ついに頭を抱えうずくまり、悲鳴を上げた。
「嫌…嫌…っ!……嫌ぁあああああああああああああああああああああ!!」
「アルペジオ!」
ローロがロビンの制止を振り切って彼女の元へと駆け寄った。
狂乱に陥るアルペジオを抱きしめ、大丈夫、と何度も言い聞かせる。
その様子にロビンとシンチーは再び唖然とした表情を見せる。
これは一体どういうことだ。
嗚咽を漏らすアルペジオを落ち着かせながらローロはきっと二人を睨む。
「ロビンさん、シンチーさん。どういうことですか」
うってかわって彼女の声は固い。むしろ敵意に近いものがある。
ロビンも語気を強めた。
「どういうことって、それはこちらが聞きたいですよ。ローロさん、その子は甲皇国の軍人だ。それも、俺たちの命を狙った――」
「違うっ!!」
アルペジオの金切り声がそれを阻んだ。
「私は違う!軍人なんかじゃ!軍人なんかじゃ…っ!!」
再び頭を抱えて震えだした彼女をローロが優しく抱きしめる。
なおもアルペジオは悲鳴をあげた。
必死にローロは語りかけた。何度も、彼女を受け止めようと。
「わかってる。わかってるわ、アルペジオ。大丈夫、ね?」
「違うの…私…私は……」
それだけ呟き、アルペジオはがくりと意識を手放した。
何も言うことができないロビンとシンチーの方を睨み、ローロはゆらりと立ち上がる。
「……何でですか」
静かな声。だが内に激情を秘めたその言葉はじわりじわりと2人を刺す。
「最近は落ち着いてきていたんです。前は夜に急に泣き出したり、軍服を見るだけで悲鳴をあげたりしてて…。ようやく、1人でもお店で待っていられるようになったのに…何でまた…っ!」
目には涙が浮かんでいる。ぐったりしたまま動かないアルペジオを抱きながらローロは責めたてた。
「答えてください、ロビンさん。この子が本当にあなたたちの命を狙うように見えますか?こんなに弱弱しい女の子が、軍人なわけがありますか?」
狭い店内に痛いほど冷たい空気が漂う。
「それは」
ロビンは答えに詰まった。
確かに目の前の少女はあの時の軍人と同一人物だとは思えないほどの豹変を果たしている。
とは言えどもこちらが殺されかけたのは事実なのだ。
「…一度落ち着きましょう」
そこにシンチーが助け舟を出した。
ロビンは目で礼を言いながらローロに持ちかけた。
「…ローロさん、説明がお互いに必要なようです。彼女を混乱させてしまったのは申し訳ありませんでした。ですが、こちらの事情も聞いていただきたい」
もともとロビンに好感を抱いていたローロは彼の真摯な態度に少しだけ敵意を緩めた。
ぎゅっ、とアルペジオを抱く手に力がこもる。
「…わかりました。奥に行きましょう」
前に訪れた時、こんなに事務室は冷えていたかなぁとロビンはぎこちなく椅子に座った。
向かいにはローロ。
以前座ったソファには今アルペジオが横たわっている。どうやら普段からベッド代わりに使っているようだ。
「…もう2週間ほど前になるかな。私、竜を連れた男の子に虫除けの効果がある薬草を教えてもらって、森に探しに行ったんです」
当然あのカミクイムシ対策である。
森に近づくのはあまり得策とは思っていなかったが、背は腹に変えられないとローロは一大決心して森へ足を踏み入れた。
目当ての薬草はどこだろうかと探していたところで、アルペジオが木陰で膝を抱えて震えていたのを発見したのだ。
アルペジオの様子に尋常ならざるものを感じたローロは慌てて彼女に駆け寄った。
「ねぇ、あなた!大丈夫!?」
アルペジオはローロなど見えていないかのように脅え、呪文のように「違う」と言い続けた。
強く体を揺さぶってようやくアルペジオはローロに気づいた。だが、ローロの姿を見るや否や狂乱に陥った。
大暴れするアルペジオを抑えきれずにローロはしりもちをつく。
顔面蒼白で立ち上がったアルペジオはその隙に逃げ出そうとぐらりと振り返り、そのまま倒れてしまった。
放っておくわけにもいかないとローロはアルペジオをえっちらおっちら抱えて運んだ。正直あの時の自分の様子は不審者に間違われても仕方がなかったと思う。
「…それで、お店まで何とか運んだんですけど…」
介抱しようとして、アルペジオがしている腕章が甲皇国のものだと気付いた。
ということは交易所の皇国関係者に連絡した方がいいのだろうか。
そう思案していたところでアルペジオが目を覚ました。
のろのろと目を開け、そして弾かれたように起き上がった。
脅えた表情で辺りを見回す。
ようやくそこが恐れるべき場所ではないと認識し落ち着いたのか、アルペジオはいまさらのようにローロに気づいた。
「……ここ…は……?」
捨てられた子犬のような眼でそう尋ねた。
ローロはできる限り彼女を落ち着かせようと試みた。
「ここは交易所にある私のお店。あなたが森で倒れてしまったから連れてきたの。えっと…あなたは甲皇国の軍人さん?一度――」
「違っ…!違う!!」
そして見事に失敗した。
「私は軍人なんかじゃっ…!違う!違うの!」
アルペジオはローロにすがりついた。
強い力で肌に爪が食い込む。痛い。
ローロは無理やりアルペジオを引きはがす。
「分かった、分かったわ。あなたは軍人じゃない。軍人じゃないのね」
確認するように、言い聞かせるようにそう何度も繰り返しようやくアルペジオは落ち着きを取り戻した。
まだ息が荒い。
こんな少女に一体何があったというのだろう。
「ねぇ、一体何があったの?大丈夫、私はあなたの味方よ」
情が移ってしまい思わずそう言ってしまった。これで味方になれなかったらどうしよう。
ローロの真剣な眼差しにアルペジオは逡巡を見せながらもぽつりぽつりと話し始めた。
その内容はにわかには信じられないものであった。
ローロの話を聞いたロビンとシンチーも唖然として聞き返す。
「…丙家に攫われた?」
「そんな…」
が、否定しきれないところが恐ろしい。丙家といえば甲皇国の中でも戦争推進派の危険な輩だ。その非道っぷりはロビンもシンチーもよく知っている。
「それであんなに脅えていたのか…」
とはいえロビンたちにも事情はあるのである。
2人はローロに西の森での出来事を伝えた。
媚薬を使ったというのはさすがに憚られたのでうまくごまかした。
「…そうですか、そんなことが」
ローロはソファで眠るアルペジオに目を向けた。あの子がそんな残虐なことをしていたなんて。
それでも、とロビンを必死にみやる。
「それはあの子が望んだことじゃないはずです…」
悲しそうに頭を横に振る。そんな彼女をロビンも無下にはできない。ぎこちなくローロに賛同した。
「…えぇ、そう思いますよ」
だからといって確執が消えたわけではないのだが。
3つの視線が1人の少女に向けられる。
そのまま、気まずい時間をたっぷり堪能した後、ロビンは先ほどのローロの言葉を思い出した。
このまま針のむしろも嫌なので、それを訪ねてみる。
「…そういえばローロさん。先ほど何か話したいことがあると言ってませんでしたか?」
ローロはあっ、と声に出して慌てて事務机を探った。
「そう、そうなんですよロビンさん!忘れてました。実はロビンさんにお願いがあったんです」
「お願い、ですか」
まさか、霧に包まれたら謎の場所に到達していました。その場所を探索してください、だなんて言わないだろうな。
身構えるロビンの前に一枚の紙が差し出された。
何かの計画書のようだ。目を通すロビンの顔が苦笑に歪んでいく。彼の後ろでシンチーも渋面を作る。
すなわち。
「ロビンさん、サイン会をしましょう」
笑顔でローロは提案した。
――【喪失】のその先、新たな【喪失】は逢着によって。