Neetel Inside ニートノベル
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――――


 「海に行きたいわ」
 「行けばいいじゃん」
 いつもの酒場。今日も今日とて真昼間から客があふれ、酔っぱらいの歓声が絶えない。
 そんな中での発言。それに対して端的に返された言葉に、灰色の髪を長く伸ばした靴磨き屋の少女、ベルウッドは牙をむいた。
 「何よその気のない返事は!」
 「俺はこの大陸に遊びに来たんじゃないんだよ!」
 「トレジャーハンターなんて半分お遊びみたいなもんじゃない!!」
 黒髪は肩につかない程度で、運動のしやすそうな衣服。腰にさげるは荷物と短剣。矜持をさらりと逆撫でされたケーゴは吠えた。
 「他にも宿代稼いだり食事代工面したりと色々忙しいんだよ!文句があるなら俺に食事代を払わせるなーっ!!」
 「いつもごちそうさま」
 「どういたしまして」
 互いに一礼。
 そして一瞬で再点火。
 「でもそれとこれとは話が別ぅ!SHWがついに海水浴場を整備したっていうのよ!これは行くっきゃないでしょ!?」
 「何でそんなに行きたいんだよ。お前さ、海水浴場では靴磨きなんてできないんだぞ。みんな水着だろ?」
 「…あんたねぇ、そこまで自分で言っておいて本当に海に行きたくない訳?」
 「え?」
 ケーゴは素直にベルウッドの視線を追う。
 「……あ」
 そして間抜けに口を開けて一言。
 そこにいたのは。
 「ア、アンネリエ、さん」
 アンネリエさんと何故かかしこまって呼ばれた少女は呆れ顔でケーゴを見つめ返す。
 金髪の髪を程よくのばし、緑色のひらひらした服は涼しげだ。顔に浮かべる表情はさらに涼しげで、手には背丈以上にもなりそうな杖を持っている。一見おしとやかな印象を与える彼女の顔に浮かぶ呆れ顔はしかし、不思議とよく似合う。
 一方普段は呼び捨てにしているにも関わらず、思わずさん付けをしてしまったケーゴは要するに、と頭の中を整理した。
 海に遊びに行く。
 それはつまり、アンネリエも水着姿になるということではないだろうか。
 健全な妄想をしてしまい、ケーゴはぴきっと音を立てて固まってしまった。
 みるみるうちに顔が赤くなる思春期の少年の考えが分からないでもないアンネリエはしかし、彼の頭を杖で思い切り叩いた。
 「い゛っ…!」
 煩悩退散。むすりと顔をしかめたアンネリエの前でケーゴは痛そうに頭をさする。
 彼が涙を浮かべている間にアンネリエはさらさらと携帯型黒板に文字を書いていく。
 『仮に海に行ったとしても水着は着ない』
 「…何で…?」
 瘤になっていないだろうかと両手で頭をおさえるケーゴがのろのろと尋ねる。
 『そもそも水着を持っていない』
 「……あー」
 それもそうだ。
 言われてみれば自分だって水着を持っていない。
 トレジャーハンティングをしに来たのであって、泳ぎに来た訳ではないのだから。
 一連の会話を静観していたベルウッドはここで不満げな声を漏らした。
 「いいじゃないのよ!水着ぐらいその辺の店で売ってるでしょ!?」
 「で、それを誰が買うんだよ」
 「あんた水着買うくらいの甲斐性もない訳?」
 「こんの…っ!」
 「マスターケーゴ」
 危うく殴りかかりそうになるケーゴの袖をピクシーが引っ張った。
 手の平程度の大きさの妖精だ。しかし、体の各部が機械化されている。ピクシーは甲皇国が独自に作り上げた人工妖精なのである。
 話の腰を折られたケーゴはむすりとピクシーに目をやる。
 「何だよ」
 「私が地図を投影しながらマスターに案内するに、この地点に服飾店があります」
 「だからいかないって!」
 「それともう一点」
 「何」
 「私が自身を防水性であると誇りながら尋ねるに、私用の水着はあるのでしょうか」
 「知るかーーーーーっ!!!!」


 4人のやり取りを見ていたロビンとシンチーはくすりと笑みを浮かべた。
 「なんと言うか、微笑ましいなぁ」
 大きな荷物はさすがに傍に下ろしている。手元には原稿用紙とペン。濃い青色の髪はこの大陸の滞在期間中にずいぶんと伸びた。そろそろ切ってもらわなければ。はて、この大陸に床屋はあっただろうか。
 詮無いことを考え始めたロビンに向かってシンチーは律儀に頷いて返す。
 「そうですね」
 普段は後ろで一つにまとめている紫がかった髪を今はおろしている。どうやら彼女なりにリラックスしているようだ。褐色の肌に三本の角。半亜人たる従者は主の男を眺めた。
 机に原稿を広げてにらめっこの最中だ。どうやら行き詰っているらしい。
 一体何を書いているのやら、と覗き込んでみるとあの渓谷での出来事が書かれていた。
 思わず身を固くしたシンチーにロビンは穏やかに返した。
 「辛い出来事だったけど…俺は何かの形で彼がいたことを残したい」
 「…」
 答えは返ってこなかった。
 しかし、それが拒絶ではないとロビンは考え再び筆を執った。
 問題はウルフバードに彼らの存在は公にしないように頼まれたという点だ。
 さて、どうやってあの機械兵士たちを倒したことにしようか。この際匿名希望のUさんにしてしまおうか。
 いや、魔法が使える人間など限られている。種族不明匿名希望のUさんにしなければ。
 変なところで悩んでいるロビンから離れて、シンチーはふと初めてヒザーニャと出会ったテーブルを眺めた。
 今は髑髏を被った男が奇声を発している。こんな酔いどれだらけの場所で感傷に浸る方が無理な話か。
 シンチーは寂しげに席に戻った。
 と、そこでケーゴ達がこちらを見ていることに気づいた。
 「…何ですか」
 そっけなく聞く。
 慣れているケーゴはともかく、その物言いにベルウッドたちは少し緊張してしまう。
 仕方なく代表でケーゴが口を開いた。
 「なんかベルウッドがさ、おねーさんとおっさんの距離感が前よりも近い気がするって」
 何かあったの?
 ともすれば顔が噴火するかのごとき質問にしかし、シンチーは平然を何とか保った。
 恐らく気恥ずかしさよりもヒザーニャへの哀悼が勝っていたからだろう。
 「……何でもないです」
 「ふーん」
 「なんでもないねぇ…」
ケーゴとベルウッドはこんな時ばかりは息を合わせてシンチーに詰め寄る。
 逃げ道を探そうとシンチーが振り返ると、先ほどまではなかった酒樽が彼女の行く手を阻んだ。
 「何だか楽しそうな話してるわねん」
 酒樽に浸かっているのは酔っぱらってふらりふらりと均衡を崩しながら機嫌よく鼻歌を歌う人魚だ。
 「おや、ヒュドール。いらっしゃい」
 頭をかきむしっていたロビンも彼女に気づいたらしく挨拶をする。
 ヒュドールはケラケラ笑いながら体を揺らした。
 「いらっしゃいはわたしのセリフよぉ~?わたしはここのお店の人魚なんだからぁん」
 「違いないね」
 へらへら笑いあう二人をよそにそろそろとシンチーは移動を試みるが、すかさずヒュドールが彼女の腕を掴んだ。
 「…で、何の話?」
 「…関係ないです」
 「え~」
 口をとがらせるヒュドールを見ていたベルウッドが、あ、と何かに気づいたように声を漏らした。
 6つの視線が彼女に向かう。
 それに少し戸惑いながらもベルウッドはヒュドールを指さした。
 「水着着てる!」
 えっ、とケーゴが意識的に見ないようにしていたヒュドールの胸に目をやると、確かに貝殻を模した形の水着をつけている。
 ほぇえと眺めていると再びアンネリエに杖で叩かれた。煩悩退散。
 ヒュドールは嬉しそうにその水着を見やった。
 「これねぇ、ブルーがプレゼントしてくれたのよ」
 「ブルーが?」
 ケーゴが頭をおさえながら聞き返す。
 誕生日プレゼントだろうか。
 彼の考えを見透かしたようにベルウッドがため息をついた。
 「バーカ。誕生日じゃなくてもプレゼントはするでしょ?」
 「そうなの?」
 「男は好きな女に貢いでなんぼよ」
 「だからそんなに質素な服着てるのか」
 「どういう意味よぉっ!!」
 再び勃発した小戦争を無視してヒュドールはにへらと笑った。
 「この前ぇ、ブルーが買ってきてくれたの。緊張しっぱなしで可愛かったなぁ」
 彼のことだ。それはもうぎこちなくプレゼントしたのだろうと容易に想像がつく。
 それにしても、とロビンは思った。
 大の男が女性用の水着のしかも上だけ買っていくというのはどことなく狂気的だ。
 通報されなかったのだろうか。
 一方アンネリエは未だに舌戦を繰り広げるケーゴをちらと見た。どうやらこちらの視線には気づいていないようだ。腹立たしいことに。
 別に一緒に行動しているだけだし、不本意だが守ってもらうことも多いから特に貢がせようなどとは思っていないが、彼が何かを贈ってくれるなら受け取ってやらないこともない。
 ただ、ケーゴが女物を選ぶセンスがあるとはとても思えないのである。というか贈り物の才能がなさそうだ。
 ま、そこが彼らしいんだけど。
 本人が聞いたら表情を二転三転させそうなことを考えながら、自分は決して加わることのない口喧嘩を眺める。
 どうやらベルウッドが再び先ほどの話題に舵を切ったようだ。
 「そうだ!あんた水着買ったら!?アンネリエに!」
 「はぁ!?」
 女物の水着なんて買えるか!と叫ぼうとしたが、ブルーが贈った水着を着ているヒュドールの手前、そう邪険にも叫べずケーゴは戸惑う。
 助けを求めようにもロビンは原稿と格闘中、ヒュドールは酔っぱらい中。アンネリエとピクシーがこういう時に助けてくれないのは経験済み。
 「えー、あー…」
 おろおろしながらケーゴはシンチーを見やる。さっと目をそらされた。
 「あー……あっ、そうだおねーさん」
 しかしケーゴは諦めない。
 結局白羽の矢を立てられたシンチーは嫌々ながらケーゴの方を向く。
 彼は苦し紛れに常の疑問を彼女にぶつけてみた。
 「おねーさんって、怪我してもすぐ治っちゃうんだよね?」
 シンチーの向かいに座るロビンが少し反応した。
 それを認めつつシンチーは答えた。
 「…まぁ、大体は」
 「ならさ、どうしてお腹の傷は痕が残ってるの?」
 今度はロビンが確実に顔をあげた。
 ケーゴの言う傷跡とはシンチーの右わき腹にのこる傷跡の事だ。肋骨から腰にかけて割と目立つ傷跡であるが、70年にわたる大戦があったこの世界では特に珍しいものではない。
 が、思えばシンチーは再生能力があるのである。眼球も再生するのだから、それはもう強力な能力なのだろう。
 それが何故。
 黙り込んでしまったシンチーを首をかしげて眺めるケーゴの頭を今度はベルウッドが叩いた。
 「いってぇ!!何すんだよ!?」
 「あんたにはデリカシーってものがないの!?女性に傷痕のことなんて聞くんじゃないわよ!」
 「うっ」
 思い返せば初対面のアンネリエに話せと言い放ったケーゴである。慌てて謝った。
 「わわ、ごめん、おねーさん。俺、気が利かなくて…」
 「…いえ、別に。ただ、良い機会だし……」
 いつもの癖で言葉を途中で省略する。
 ロビンは作業の手を止め、シンチーの話を聞く姿勢をとっている。どうやら彼女の意思を尊重するらしく、自分で語ろうとはしない。
 「…私自身、何故この傷だけ消えないのかわかりません」
 「えっ…?」
 怪訝そうにケーゴは顔を歪めた。
 ではおねーさんは一体何を話そうとしているんだ。
 ケーゴに向かって頷き、シンチーはアンネリエとベルウッドに真剣な眼差しを向けた。
 「……ただ、この傷をつけた相手は分かっています」
 ロビンと出会うより前。否、ロビンと出会うきっかけとなった、あの出来事。
 「…当時奴らは女性を攫っては売り物にして各地を転々としていて…。私も奴らに襲われ、この傷はその時に」
 忌まわしい記憶。己の内に激しい炎が燃え上がる。
 眼前に未だに浮かび上がる黒い炎。そして黒づくめのあの少年。
 どうして捕まらずに命を狙われたのかはわからない。もしかしたら半亜人だったからだろうか。
 いずれにせよその時、シンチーは致命傷を負わされ生死の狭間をさまよっていたのだ。
 「…その時私を助け、面倒をみてくれたのがロビンです」
 ケーゴ達は初めて聞くシンチーの話を半ば呆然と聞いている。
 その様子を見てロビンはやっぱり全員自分の本読んでないんだなぁとしょんぼりする。
 シンチーは目を閉じたまま続けた。
 「あなたたちも気をつけた方がいい。もしターバンを巻いた金歯の男と、その付き人の黒い布で顔を隠した男をもしこの大陸で見つけたら…絶対に逃げなさい」
 純然たる警告。睨むがごとく見つめられたベルウッドとアンネリエは生唾を飲み込みながらも頷く。
 「奴らは…悪魔です」
 苦々しくシンチーはそう吐き捨てた。

       

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Neetsha