Neetel Inside ニートノベル
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――――


 「小隊長殿、いいのですか?勝手に駐屯所を抜け出したりして」
 例によって甕を背負ったビャクグンが困り果てた様子でそう尋ねるのだが、ウルフバードは我関せずという体で森を進む。
 先日の騒動が原因で自室謹慎を命じられた身である。本来なら無断で出歩こうものなら更なる処罰が下されるのであるが。
 ウルフバードはビャクグンを顧みた。
 「老いぼれ爺は部下を連れて今頃海の上だ。誰が俺を咎める?」
 「まだヤーヒム副指令やスズカ参謀幕僚殿が残っているでしょうに」
 ウルフバードはせせら笑った。
 「奴らは口うるさく言及なんぞしない。老いぼれに報告したところで面倒なことになるのは自分だとわかってるしな」
 「成程」
 ビャクグンの脳裏に口うるさく言及をする人物の姿が浮かぶ。
 「ゲル大佐が将軍と同行していたのが幸運でした」
 「幸運なんかじゃねぇ。奴が爺に引っ付いていくのは必然だ。あの野郎は自分を爺の右腕だと信じきってるからな」
 辛辣な言いぶりにビャクグンは苦笑した。
 「それでも、将軍は大佐を傍に置いているのですから、信頼しているのでしょう?」
 「忠犬と鋏は使いようってな。丙家の人間なんて部下を駒としか見てねぇ様な奴らばかりさ」
 道なき道を乱暴に進むウルフバードの背後でビャクグンの表情がすっと元に戻った。
 「では小隊長殿は私も便利な駒だと?」
 「……さぁな」
 一瞬の間。
 ビャクグンはその沈黙を信じ、ウルフバードの後を追った。
 
 甲皇国の調査団も未だ脚を踏み入れたことのない森の奥。
 濃い緑が視界を覆い、心細さがいや増す。
 辺りを見回しても取り立てて目立つ物はない。虫や獣の鳴き声が耳障りなだけだ。
 ウルフバードは懐からアルキオナの宝玉を取り出した。
 ミシュガルドの玉座への鍵たる宝玉は変わらず輝きを放っているが、何か変化があるわけではない。
 「アルドバランは一体どこにあるのかね…」
 不服そうにこぼすウルフバードにビャクグンは言葉を添える。
 「そう簡単に見つかることはありますまい。なにせこの大陸を掌握するかもしれない力ですから」
 無言でうなずいて返す。
 そもそもアルドバランとは何か。それさえもウルフバード達には見当がつかない。
 広大な大陸の中で正体不明の物を探しているのだ。雲を掴むような話といっても過言ではない。
 と、そこでビャクグンが思い出したように口を開いた。
 「小隊長殿、交易所には調査報告所があります。そこに何か手がかりがあるかもしれませんよ」
 「あぁ、乙家の奴らがしきってるって所か」
 確かに報告所に行けば怪しげな遺跡や宝物が持ち込まれているかもしれない。
 そう思案したウルフバードはしかし、同時に浮かんだ疑問をビャクグンにぶつけた。
 「…お前、交易所に行ったことあったのか?」
 「……少し前、休暇をいただいたので」
 「…お前、ものすごく目が泳いでるぞ」
 「恐れながら、小隊長殿の気のせいではないかと」
 そう冷や汗をかくビャクグンの頭にウルフバードとは別の声が響く。
 (うわわっ!ごめんビャクグン!そういえばビャクグンは駐屯所から出てなかったんだ!失念してたわぁ)
(いや、正直にハナバの言うことを口にしてしまったのも悪いよ)
 2人の会話は他者には決して聞こえない。
 ウルフバードは胡乱気に目を細めていたが、気にしないことにしたのか再び歩み始めた。
 「…兎に角、報告所というのはいい考えだな。…だが、俺が直接出向くと怪しまれそうだな」
 どうやら次の懸案事項に移ったらしい。
 ほっと一息ついてビャクグンは彼の後に続いた。


――――

「やっちゃったよぉ~…」
 交易所に建つ調査報告所の一室でビャクグンにハナバと呼ばれた少女は頭を抱えた。
 アルドバランとやらの手がかりをビャクグンが探しているようだったから、軽い助言のつもりだったのだが完全に裏目に出た。
 「自分ももうちょっと慎重にならないといけないなー」
 顔を歪めたままため息をつく。これでビャクグンが警戒されて任務を完遂できなくなったら自分のせいだろうか。
 「丙家監視部隊なのに丙家に監視されるようになったりして…」
 笑えない冗談だ、とハナバと呼ばれたその少女は一人ごちた。
 山吹色の髪は短めに整えられ、服は動きやすさを重視した市井の人のそれだ。
 いつもは不敵な笑みを浮かべるその顔が今は焦りに染まっている。
 若い少女の見た目だが、彼女は丙家監視部隊の伝令役としてミシュガルドに上陸したれっきとした妖である。
 普段は交易所で待機し、伝心の力を用いて監視部隊と乙家、アルフヘイム間の伝令役となっているのだ。
 そして隠れ蓑として、乙家の主導で運営を行う調査報告所が利用されている。
 その関係上、報告所にはアルフヘイムと乙家の関係を少なからず知る者が常駐しているのだが、ハナバに呆れた目を向ける女性のエルフもその一人の様だ。
 「何悶えてるのよ、ハナバ」
 女性の問いにハナバはがばりと頭を振り上げた。
 「フロストさぁん!」
 そのまま勢いに任せてフロストと呼んだ女性の胸に飛び込もうとしたハナバはしかし、氷の障壁によってそれを阻まれた。
 「あんたは何がしたいのッ!」
 壁を作り出したらしいフロストは素っ頓狂な声でハナバを叱る。
 緑色を基調とした装飾に満ちた繊細な服に身を包んでいる。髪は露草色で胸元には雪の結晶を思わせるタリスマンが光る。
優しげな顔つきに反して声を荒げるフロストに対してハナバは脅えた風でもなく言い切った。
 「ちょっとまずったからフロストさんに慰めてもらおうと思って」
 「その歪んだ欲情ごと凍りつかせるわよッ!」
 思い切り怒鳴ったところでフロストは表情を一転引き締めた。
 「…ビャクグンさんに何か起きたの?」
 「……いや、なんとか今はなってる。大丈夫。…ただ、ビャクグンたちがこっちに来るかもしれない」
 フロストの目が軽く開かれた。
 「まさか、丙家はアルフヘイムに攻め入るだけじゃなくて、この交易所も手中に収めようとしてる訳ッ!?」
 慌ててハナバは首を横に振った。
 「いや、それとは別にウルフバード・フォビアは目的があるみたい。ビャクグンはこのミシュガルドを支配する力だって言ってたけど…」
 「ミシュガルドを支配する力?何それ」
 「わからない。とにかく、明日あたりには交易所に到着するんじゃないかな」
 思案気に呟きながらハナバは俯いた。
 甲皇国の強引な領海侵入に引き続き、何やら怪しげな思惑が蠢いている。
 妖といえども全能ではない。未来は見えず、不安は募る。
 「…」
 少しだけ。少しだけハナバの顔が歪んだ。
 心に不安の影が差した時、いつも脳裏によぎるのはあの禁断魔法。
 あの魔法が遺した穢れのように、不安が心を黒に染めていくようだ。
 フロストはそれに気づかない。
 不服そうに腕組みをしながら言い放ってみせる。
 「ウルフバード・フォビア…残虐な水魔法を使う悪魔のような男…。同じ魔法の使い手として許せないわね。私が直々に鉄槌を下してやるわ…」
 曖昧に返事をしながらハナバは窓の外に目を向けた。
 大通りを行きかう入植者。エルフもいれば獣人もいる。当然人間もいる。
 種族を越えて手を取り合い、この交易所は発展してきた。
 では、世界は平和だろうか。
 何の気なしにそう思う。
 いけない、こんな柄にもないこと考えるな自分。
 ハナバは必死に頭を振った。
 不安だと思うから変なことを考えてしまうのだ、と無理やり笑顔を作ってみる。
 明日はビャクグンが来るかもしれない。だのにこんな顔をしていたら余計な心配をかけてしまう。


 それだけは、嫌なのだ。


――――


 夜間、交易所は灯に包まれる。
 外壁はもちろん、街の至る所で松明がたかれ、店という店から笑い声が漏れる。
 夜の黒色は暖かな橙色で上書きされるのだ。
 大陸の原生生物から交易所を守るという目的もあるのだろう。
 しかし、それ以外にもきっと理由があるのだろう、とケーゴは最近考えている。
 黒は、冷たい色だ。
 ミシュガルド大陸に1人で来て、初めてそう感じた。
 それはまるで明日を隠しているようで。
 それはまるで自分を孤立させているようで。
 何もかも覆ってしまうような、その色に包まれてきっとみんな寂しいんだろう。
 だからそれをごまかそうと灯をたくし、酒場にも集まってくるんだ。
 背中越しに感じる温かさに、そんな予想を組み立ててみる。
 そうしてふと顔をあげる。酒場の玄関口で、頬を夜風が慰めるように撫でた。
 気配を感じて目をやると、入り口からアンネリエが姿を見せていた。
 おずおずと、ケーゴの様子を窺っている。
 彼が拒絶の意思を見せていないとわかるとアンネリエはそろそろと歩を進めた。
 そのまま彼女はケーゴの隣に落ち着く。
 と、そこでケーゴは困り果てた。
 何を言えばいいかわからない。何を言うべきかわからない。
 できるだけ右を見ないようにして、ケーゴは向かいの店の明かりを見つめ続けた。
 しかし次第に視線は下がっていき、やがて俯き彼の顔には影が差す。
 逃げ出すわけにはいかず、されどアンネリエから声がかけられるはずがなく、気まずさを十分堪能した後にケーゴはようやく顔を彼女の方へ向けた。
 いつも通りのすまし顔のはずなのに、そこにはどこか影があるようで。そこにはどこか寂しさがあるようで。
 ケーゴが喉から言葉を無理やりしぼりだそうとした時だ。
 「お2人さーん、なぁに話してるのん?」
 その場の雰囲気を崩すような間の抜けた声が2人の間に割って入った。
 文句を言いたい反面、ほっとした表情も垣間見せつつケーゴは声の主に返事をした。
 「ヒュドール…それにブルーも一緒か」
 ブルーがヒュドールの入った酒樽を手押し車にのせてきたようだ。
 彼はおずおずと頭を下げた。
 「ごめんね、邪魔しちゃったかな」
 「いや…そんなことはないよ」
 ケーゴの言葉とは裏腹にアンネリエはついと店の中に歩いて行ってしまった。
 追いかけたいと思いつつも脚は重い。
 逡巡を見せたケーゴに対してヒュドールはふらりと笑いかける。
 「どうしたのん?もしかして喧嘩でもした?」
 「喧嘩って訳じゃないんだけど…」
 悩みつつもむすりと意固地にも見えるその表情が可愛くてヒュドールはふわりと笑いかけた。
 「仕方ないわねぇ。ここはおねぇさんが歌を歌って癒してあげるわん」
 言うが早いかヒュドールは歌いだす。
 酔っているせいなのか元からなのか、お世辞にも上手いとは言えないその歌声にケーゴは何を言えばいいか悩む。
 それが表情に出たのか、ヒュドールは歌うのを中断して口をとがらせた。
 「なによぅ、何が不満なのよぅ」
 「いやぁ、何と言われても」
 苦笑いとも困惑ともつかない表情でケーゴはブルーの方を見る。
 ブルーもヒュドールのことを悪くいう訳にもいかず、目をそらした。
 その反応が不服らしく、ヒュドールは頬を膨らませてみせた。
 「2人とも聞く耳がないのねぇ。昔はこうやって子守唄を歌ってあげたものよん」
 「いや、誰に?」
 「…誰だったかしらぁ」
 なんだそりゃ、と拍子抜けするケーゴにヒュドールは気を取り直して尋ねた。
 「…で、結局何があったのん?」
 「…それが分かれば苦労しないんだけどさ」
 渋面のままケーゴはブルーに尋ねた。
 「……例えばブルーが誰かと戦ってる時にヒュドールがやってきたらどうする?」
 唐突過ぎてブルーは面食らったようだ。
 「え?僕が?そりゃあ…え?ヒュドが敵って訳じゃないんだよね?…それなら、ヒュドを、えー、守りたいとは思うけど」
 本人が目の前にいるからか歯切れが悪い。
 どうやらそれなりに酷な質問だったようだ、とケーゴは苦笑いしながら頷いた。
 「じゃあさ、もし敵がどうしようもなく強かったら?例えば…んー…しゃべりながら放電する犬とかが襲い掛かってきたとか」
 ヒュドールは興味深そうに2人の会話を聞いている。
 居心地の悪さを感じつつもブルーは答えた。
 「そしたら…一緒に逃げるとか?」
 「…まぁ、そうなるか」
 釈然としないケーゴの表情を見てヒュドールはゆらりと尋ねた。
 「ケーゴ君、何を言ってほしいの?さすがのブルーも困ってるわよん?」
 「言ってほしい…?」
 「自分を正当化する言葉を待ってるんでしょぉ?でも、そんな回りくどいことするよりも自分の気持ちをぶつけた方が早いわよん」
 核心をつかれたかのように目を開いた。
 確かに、ブルーに自分と同じ意見を望んだところでどうにもならない。
 深呼吸2回分程の時間をかけて、ようやくケーゴは思いを吐き出した。
 「…強くなりたいって、そう思った」
 「…どうして?」
 「……守りたいんだ。どうしてだかわからないけど、どうしても、どうしようもなく、大切なんだ」
 誰を、とは言わなかったが想像に難くない。
 ヒュドールはケーゴに寄り添おうとしては難しい顔で反対方向に体を動かす少女の顔を思い浮かべながら頷いた。
 「…守るって、とっても難しいことよん」
 わかってる、という風にケーゴは腰の短剣に目をやった。
 魔力の込められた不思議な宝剣だ。
 アマリ曰く、この剣だけではなくケーゴ自身の力で戦うことが出来なければならないという。
 確かに剣に頼りっぱなしでは危うい。それはこの剣を盗られた時によくわかった。
 まだまだ自分は弱いのだ、と再確認したケーゴに対してしかし、ヒュドールは首を横に振る。
 「そういう話じゃないわ~」
 怪訝な顔を見せるケーゴにヒュドールは柔らかく語りかける。
 「大切な人を守るのに必要なのは力だけじゃないんじゃない?ケーゴ君の守りたいって本当にそういうことなのぉ?」
 「それって…」
 どういうことだ、と尋ねようとしたケーゴをヒュドールは笑顔で制した。
 「ケーゴ君の守りたいってそれ以上の気持ちがあるべきだと私は思うわん。そうじゃなきゃ、アンネリエちゃんだってあんな顔しないもの。…でも答えは自分で出さないとだーめ。私が言った言葉もケーゴ君の答えにはならないしねぇ」
 年の少し離れた少年にヒュドールは優しく微笑む。まるでそれが当然であったかのように。
 しかしケーゴの混乱は増すばかりだ。
 否、言いたいことは分かる。おぼろげながらも見えようとしている。
 だが、はっきりと言葉にすることができない。
 昔は見えていた筈なのに。昔はその答えをすぐに言えたはずなのに。
 どうしてだろう、アンネリエと一緒にいればいるほどわからなくなっている気がする。
 泣きそうな気持でケーゴはのろのろと目の前の人魚に尋ねた。
 「…ヒュドールは、誰かを守りたいって、思う?」
 自分の声は思った以上に弱弱しく、奇妙に響いて夜の闇に溶けた。
 赤みがかった頬をした人魚はゆっくりと目を閉じた。
 そして祈るように、願うように、呟いた。
 「……手を握り返したいと思うことはある…かな」
 「……手を…?」
 酒樽にもたれかかるようにしてヒュドールは気持ちをこぼした。
 「誰だかわからないけど、どうしてなのかわからないけど、それでもたまに思う時があるのよん。手を伸ばさなきゃって」
 夢を見る。
 酒樽の中で酔いどれながら溺れ沈む夢だ。それでも、その夢の中でヒュドールは何度も手を伸ばし、それでも小さなあの手を掴むことができず、そうして意識は後悔に浮上する。
 ただの夢。
 とりたてて騒ぐことのないような些細な夢。
 ヒュドールにはその相手が誰なのかわからない。否、思い出せない。
 それでも、予感のような夢の中でヒュドールは何度でも思うのだ。


 今度こそ、差し出されたその手を握り返してみせると。


       

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Neetsha