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その一報がヤーの耳に入ったのはもう夜も更けようとしたころ。
眠りに就こうとした頭をたたき起こして彼は通信魔法陣の向こう側にいる女性に尋ね返した。
「ホロヴィズ将軍の船団が黒い海に接近しているというのは本当なのですか」
彼女は重々しく頷いた。
「本当です。先ほど第一艦隊から通信が入り、皇国の先遣部隊に続かずホロヴィズ将軍が指揮すると思われる船団は東へ進行。このままでは黒い海海域に突入してしまいます」
「そこまでして…?」
強引に黒い海を突破してでもアルフヘイム領に近づきたいということなのだろうか。
思案を巡らせるヤーの前にもう一つの魔法陣が展開された。
「ヤー・ウィリー殿、これはどういうことか。丙家の輩が黒い海を横断するつもりのようだと騎竜隊から連絡があったぞ」
言葉には怒気がこもっている。
ヤーはとりなすように口を開いた。
「安心してください、黒い海の突破は一筋縄ではいきません。それにいざともなれば陣形を変更して彼らに対抗することも可能です」
甲皇国の最新鋭の蒸気船のことを知らないヤーではない。
むしろ、SHWという国家の特性上そのような技術に関してはともすればこちらの方が上だ。
戦禍を逃れた商人が種族の枠を超えて立ち上げた商人国家。それ故に各国の技術や知識が分け隔てなく集まってくる。
それは停戦協定が結ばれて数年経過した今でも同じことで、疲弊した大国から逃れてくる技術者は多くいるのだ。
故にある程度大国の手札は分かっているつもりだ。
そして、現在の技術ではあの甲皇国であっても黒い海を容易に航行できるほどの船は作りだせない。
「ホロヴィズ将軍といえどもそれくらいは分かっているはずだ…」
ならば何故、と疑問が一周した。
確かに皇国が黒い海を突破しようとした時のことも計画の内に入れていた。
しかし、本当にそんなルートを選択されるとは思っていなかったのだ。なによりうまみがない。
「先遣隊に続いて公海側から回り込むルートを選んでいれば少なくともマイナスにはならなかったはずなのに…」
と、そこでヤーはSHWの船員に尋ねた。
「皇国の先遣隊はどうしている?」
「公海上で停止しています。どうやらこちらの動きを警戒してこちらの領海にも入ってこないようです」
「あちらはなかなか慎重なようだね…。……挟撃…いや、囮か?だとすればどちらが…」
「少なくともホロヴィズ将軍は自ら囮を買って出るようなお人ではありませんわ」
新しい声だ。ヤーはアルフヘイム側の魔法陣に目をやった。
魔法陣を介して出現している像がダートから女性の者へと変わっている。
「…あなたは確か、乙家の」
「あら、あの時の式典で少し挨拶しただけでしたのに覚えていてくださったの?嬉しいですわ」
ジュリアはそう言って微笑む。
なるほど、現在アルフヘイム側には乙家がついてるのか。
ヤーは内心にそれをとどめつつジュリアに尋ねた。
「ではあくまで皇国の中心はホロヴィズ将軍の艦隊で間違いないと?」
「あるいは、我々にそう思わせるための行動…それにしては危険すぎますわね」
「…ホロヴィズ将軍がその艦隊にいることは間違いないわけですね?」
「……信頼できる情報筋からですわ」
ジュリアは言葉を濁した。丙家監視部隊の事は安易に漏らすべきではない。
ただし、ジュリアたちにもたらされた情報はホロヴィズが戦艦に乗り込んだ、という所までだ。
ビャクグンはホロヴィズと同行することができなかったため、本隊の内情までは知ることができない。
しかし、もう一人の監視部隊の者が報告したところによれば、その後ホロヴィズが戻ってきた様子は見られないということだから、その点は安心していいのだろう。
と、そこまで考えたジュリアはあることに気づき、通信魔法を終わらせるように近くのエルフに目で訴えた。
ヤーも魔法陣越しにジュリアの顔色が変化したことを認めた。が、それ以上は追及しない。
「申し訳ありませんが、こちらも懸案事項ができたようですので、一度席を外させていただきますわね」
「ええ、分かりました。また状況が変わり次第お知らせします」
「こちらも協力は惜しみませんわ。では」
ヤーの像が消え通信魔法陣が消失したことを認めると、ジュリアはダートとニフィルの方をやおら振り向き、詰問に近い語調で迫った。
「丙家監視部隊伝令役ハナバの報告を受けたのはダートさんでしたわね?」
彼女の様子にダートはたじろぎつつもそうじゃ、と首を縦に振った。
「どのみち報告を受けるべき人間はこの艦にそろっているのでな、儂が代表して報告を受けた。その内容は乙家のそなたらにも、もちろんニフィルにも伝えたはずじゃが?」
「えぇ、それは覚えています。ただ、一つ確認したいことがあるのです」
「なんじゃそれは」
尋ね返したダートに対してジュリアは固い表情で答えた。
「…ホロヴィズ将軍本人であることの証明、ですわ」
一瞬その場の全員が虚を突かれたかのような顔をした。
始めに反応を見せたのはオツベルグだ。
「…成程、記号論のような話ですねジュリアさん」
合点がいかない様子でダートが乙家の2人を見る。
「証明も何も、あの男を見紛うはずもなかろうて。人違いを起こすような外見ではないではないか」
ニフィルが首を横に振りダートを制した。
「違いますダート様。彼らの話はその前提を問題にしているのです」
「…どういうことじゃ」
訝しがるダートに対してジュリアは胸元の髑髏を基調とした飾りを指さした。
「私もオツベルグも皇国の貴族階級の人間ですから、一般の兵とは違う衣装に身を包んでいます。私たちの顔を知らないものでも、この服を見れば確実に私たちが特別な存在であると知ることができますわ。いうなれば、この服が私たちを貴族であると規定しているといってもいい」
ようやく察したダートの心臓が跳ねた。
「…ならば、まさか…!」
ジュリアは頷いた。
「見た目だけなんですわ。見た目だけで私たちは相手を判断してしまう。ホロヴィズ将軍は黒いローブで全身を覆い、仮面で顔を隠しています。私たちはそれを見てあの方がホロヴィズ将軍であると判断していますわ。…それが裏目に出た場合は、もし、何者かがホロヴィズの記号を纏っていた場合は…」
そもそも、ダートの言うように男であるかどうかすら断言はしかねるのだ。
ホロヴィズ将軍という者がいったい何者であるのか、それを知る者は甲皇国でも一握り。
渋面をつくったニフィルはその場に通信魔法陣を出現させた。
魔法陣からハナバの顔が浮かび上がった。妖たるハナバは十分な食事を摂取していれば睡眠を必要としないのだ。
「ニフィルさん?どうしたんです?こんな夜中に。もしかして自分の顔でも見たくなりました?」
冗談めかして尋ねたハナバであったがニフィルの表情の硬さからただ事ではないのだと顔を引き締めた。
ニフィルは淡々と今その場で出た推論をハナバに伝えた。
さしものハナバも色を失う。
「…じゃあ、今艦に乗り込んでるのは偽物かもしれないってことです?」
「その可能性もある、ということです。至急伝心で皇国待機班にも連絡を。小妖怪たちにも協力をしてもらって今現在ホロヴィズという者がどこにいるのか、確認をする必要があります」
「了解!すぐに伝えます!」
いうが早いか通信魔法は切れた。
ニフィルは深く息を漏らした。
「…いずれにせよ、全て憶測にすぎません。囮にしろそうでないにしろ黒い海に向かっている艦隊の動向に注意する必要がありますね」
「当然ですわ」
ジュリアは頷きつつ窓から船外を眺めた。
空には星が光り、アルフヘイム船団のともす明かりが夜の海を照らしている。
遠くには大交易所の賑わいが見える。闇に包まれたミシュガルド大陸の中で唯一の明かりの群れだ。
そうして闇夜で光が微かに灯る中、黒い海だけは依然として異質な黒さを主張していた。
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「それにしても、アルフヘイムは甲皇国に内通者を送り込んでいるという話だったけど、まさか乙家ごとそれに絡んでいたとは驚いたよ」
大して驚いた様子ではないヤーはそのまま続けた。
「で、ソウさん?うちの内通者の方はどうなんだい?アルフヘイムと甲皇国、どちらの艦にも乗り込んでいるはずだけど」
ソウと呼ばれた女性がそれに応える。
「ダート・スタンはアルフヘイム領海の内奥から全体の指揮をしているようです。現在騎竜隊約10小隊が合流、どうやら海中にも魚人部隊を潜ませているようです。その数およそ15小隊」
魚人部隊は未だ聞かされていない情報だ。ヤーは思案気に手を重ねた。
「ふぅん…。魚人といえばエルフとはあまりうまくいってないはずだけど、だからその点は言わなかったのかな?もしくは独自に魚人族が集まっているのか…」
終戦時の禁断魔法によってもっとも犠牲を被ったのは水棲の亜人であったという主張がある。
その根拠は簡単で、海岸から進行してきた甲皇国に対して放たれた禁断魔法なのだからその範囲に最も含まれていたのは彼らの暮らす土地であって当然ということだ。
実際、その禁断魔法の影響で黒い海なるものが出現したのだからその言い分もあながち間違いではないとは思われる。
もちろんエルフはそんな主張を是としない。
もしダートやニフィルに禁断魔法最大の被害者を尋ねれば、必ずあの魔法は全ての者を不幸にした。最大の被害者を敢えて言うならばそれはアルフヘイムの国土そのものだ、などというに違いない。
さらに言えば、だからこそアルフヘイムの民は皆で協力して国土の復興を目指すべきだなどと言い出すだろう。
間違いではない。が、間違いではないだけのきれいごとに価値はない。
犠牲の話をすれば、加害の話になる。エルフは過ちを起こしたことになる。
だからこそ、アルフヘイムの国土、という話にする。
そうしてアルフヘイム全体の話に責任をもっていこうとする。
そういう種族だ、と1人ごちてヤーは続きを待った。
ソウは続ける。
「甲皇国の方ですが…どうもホロヴィズ将軍の狙いは周知されていないようなんです」
「…誰も?」
「あるいは将軍の秘書や右腕のゲル・クリップなら知っているかもしれませんが、少なくとも艦長クラスの人間にも知らされていないようです。…もちろん表向きの目的は全員が共有していますけど」
「…それは困ったねぇ」
そんな様子では不信を招くだけだと思うのだが。
一体彼は何をするつもりなのだろうか。
答えなど出るはずもなく、月は西へと傾いていた。