Neetel Inside ニートノベル
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ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:4

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――――


 「なんか海水浴場閉鎖しちゃったみたいなのよねー」
 朝。青々と晴れ渡った空とは対照的に曇り空のような髪をいじりながらベルウッドは口をとがらせた。
 「そりゃ、あんな化け物が出たら仕方ないだろ」
 ケーゴがパンをかじりながらそう返す。
 パリ、とよく焼かれた皮を歯で崩すのが心地よい。
 少し味に物足りなさを感じて机の上にあったジャムに手を伸ばしたら、もう一つの手と重なった。
 ビクリと手を戻す。
 ジャムを欲したアンネリエに順番を譲ったつもりだったのだが、彼女も手を引っ込めたままこちらの様子を窺っている。
 こういう時今までどうしていたのかよくわからなくなり、ケーゴは味気のないパンをかじり続けた。
 そんな2人の様子に違和感を持ちつつもベルウッドはじゃああたしが、とジャムをたっぷりとパンに塗りたくった。
 なんとなくそれを恨めしく羨ましく想いつつ、今度は水を飲もうと水差しに手を伸ばしたらまたアンネリエと手が重なりかけた。
 慌てて手を戻してパンを飲み込もうとしたら思いのほか口の中が乾いてむせた。
 「あーあー、何してんのよあんたは!」
 ベルウッドが呆れ顔で水を注ぎケーゴに渡す。
 「いつにもまして間抜けな顔してると思ったら…一体どうしたのよあんたたち」
 せき込みながらも礼を言ってケーゴはようやく落ち着いた。
 「…別に何でも」
 追及されるのも困るからとケーゴは別の話題を探した。
 「そういえばヒュドールとブルーは…今日海に遊びに行ってるんだっけ。海水浴場閉まってて大丈夫なのかな」
 「大丈夫も何も、あの2人ならべつに整備されてない海でもなんとかなるでしょ。魚なんだし」
 「魚て」
 それはあまりにも淡白な言い方ではないだろうか。
 ケーゴの隣に控えていたピクシーも会話に参加する。
 「マスター・ケーゴ、私があの告知文の内容を伝えるに、今日はロビン・クルー氏の握手会もあるようです」
 「それは興味ないからいいや」
 別におっさんに恩がない訳ではないけど、行ったら行ったで同じ本を10冊くらい買わされそうな気もする。
 さて、それなら今日はどう過ごそうか。
 自分の本来の目的であるトレジャーハンティングに乗り出してもいいのだが、アンネリエを連れていくことに躊躇いを感じた。
 どうしたものかと迷ったケーゴの目の前でベルウッドがいたずらっぽく笑った。
 「そうだ!ヒュドールとブルーの様子見に行かない?」
 「2人の?」
 「面白そうだしいいでしょ?アンネリエも問題ないわよね?」
 話題を振られたアンネリエはおずおずと首を縦に振った。
 アンネリエがいいならそれでいいか、とケーゴは軽く考えて席を立ち、ピクシーに検索を依頼する。
 「近くで泳ぐのに一番適した場所ってどこだろう」
 「私が地図を投影しながら回答するに、この港の南西部ではないかと。潮の流れが比較的穏やかなうえ、天然の砂浜が出来上がっています」
 「ならそこに行ってみましょうか」
 ベルウッドが先導する形で4人は出発した。


――――


 「海なんて久しぶりねぇ」
 波の音に混じって心地よさげな声。
 来てよかった。本来の姿を取り戻したがごとく華麗に泳ぐヒュドールを見てブルーはそう思った。
 ヒュドールの下半身を彩る鱗は深海のような深い青色だ。
 普段葡萄酒に使っているとその色が紫がかって見えてしまうのだが、改めて海で泳ぐ彼女を見ると、その濃い青色が爽涼な海の青とよく似合っているのが分かる。
 ヒュドールに呼ばれてブルーも足を浸した。
 まだ夏本番という訳ではないが、海は心地よかった。
 もしかしたらブルーの中の魚人の血がそう思わせているのかもしれない。
 彼は服が濡れることを気にせずざぱりと海に潜った。
 やはり血のおかげか、海の中でも目に映る光景ははっきりとしている。
 青の中をヒュドールが踊っている。
 近づこうとしたら彼女はいたずらっぽく笑って逃げてしまった。
 「待ってよ、ヒュド」
 口からあぶくが漏れ出す。
 それでも声は伝わるようで、ヒュドールはこちらを振り返りながらなおも泳ぎ回った。
 ブルーはそれを追いかけつつも、彼女の自由な動きに、やはりあの樽がヒュドールを窮屈にしているのではないかと考えてしまう。
 いつもの酔いどれた姿とは一転、人魚は海中を謳歌し自在に泳ぎ回る。
 ヒュドールは人魚でブルーは半魚人だ。息継ぎの必要もない。
 しばらくしてヒュドールがようやくブルーに速度を合わせる。ようやく追いついたブルーは疲れた様子で口を開いた。
 「やっぱり早いなぁ…僕じゃ追いつかないよ」
 「そりゃそうよ。私はれっきとした人魚なんだから」
 普段と違い声は涼やかではっきりとしている。恐らく酒が入っていないからだ、とブルーは思った。
 つまり、これが彼女の本当の姿なのだ。
 「ねぇ、ヒュド。これからは酒樽に入るのやめたら?」
 「なんで?私お酒大好きなのに」
 小首をかしげるヒュドールに対してブルーは勢いよく答えようとした。
 「そりゃあだって…」
 が、そこで止まってしまった。
 頬が熱いのが分かる。
 海の中にいて顔が熱いだなんていったいどういうことだ。
 「えー…と、その、今の方が僕は好きだから」
 思いの外直球なその言葉にヒュドールは目を大きく開いたが、すぐに薄い笑みを見せた。
 すいっとブルーに近づく。
 あまりにも滑らかな動きにブルーは身を引くことすらできなかった。
 「―ーじゃあね、これは私とブッ君の2人だけのヒミツ」
 するりとブルーから離れる。
 ブルーはぽかんと言い返した。
 「ヒミツ…?」
 「そうよん。この海の中で私とブッ君だけのヒミツ。それならいいでしょ?」
 「…うん」
 ヒミツ。2人だけのヒミツ。
 単純なものでその言葉でブルーの胸は飛び上がらんばかりに踊る。
 彼の心中などお見通しであるヒュドールはそんな様子がおかしくてクスリと笑う。
 海の中は静かで、ゆらゆらと陽がさしている。
 このまま水面を眺めて揺られていたら気持ちよくて眠ってしまいそうだ。
 そっとヒュドールは目を閉じてみた。
 
 ―――ぇ―ちゃん。
 
 「…っ?」
 呼ばれた気がした。
 どこでもない、自分の中からその声は響いてきた気がした。
 奇妙に体をくねらせたヒュドールの様子にブルーは首を傾げた。
 「ヒュド?どうしたの?」
 「…ううん何でもない」
 それでもこの時は、まだ訝しがりながらもそう答えることができた。


       

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