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北門から森を抜け、登山道を登りきったその高みからは交易所の様子が一望できた。
押し寄せる波が城壁の前で荒れ狂っている。
魔法で防波壁を作っているのだろうとロビンは予想した。
空を飛んで避難する者がいる。その一方で未だ北門の辺りには人混みが蠢いている。
ぞろぞろと動くその団体は、森の住人からすれば恰好の得物だ。
森には小さな道が出来上がっているといえども、ミシュガルドの原生生物たちは人間を恐れない。道なりに進んでいたとしても危険に変わりはないのだ。
恐らくここに避難するまでに虫の群れに襲われて、多くの者が命を落としてしまうのだろう。
津波の警報が出された時、すぐに北に逃げることを思いつき襲い来る虫たちにも対応することができた自分たちの幸運を喜ぶ他ない。
ロビンは従者の方を振り返った。
「ローロさんとアルペジオ…さんは大丈夫そうかい?」
シンチーはローロさんの方は、と短く報告した。
「そうか」
避難してきた高台には交易所から逃げてきた人々が集まっているのだ。アルペジオからしては人目が恐ろしくて仕方ないに違いない。
とはいえども逃げ道がなかったのだ、仕方ない。
こればかりはローロに何とかしてもらうしかない、と結論付けてロビンは再び交易所へ、そしてその先に目を戻した。
「…それにしても、あれは何なんだろうね」
遠く離れたこの高台からもよくわかる。
海に、何かがいる。
灰白色の体をのろのろと動かし、ゆっくりと移動しているようだ。
緩慢な動きのその生物の周囲が黒い。
遠目からでも巨大だとわかるあの生物は一体何なのか。
様々な取材や探索を経験してきたロビンであったが、あんな怪物は見たことも聞いたこともない。
「…津波の方は」
シンチーは巨大な怪物よりも当面の危機の方が気にかかるようだ。
ロビンは交易所の南に展開された防御壁に目をやった。
「どうやら何とか防いでるみたいだよ。このまま何事もなければまた交易所に戻れるだろうけど…」
ロビンが言葉を切る。
シンチーは彼の懸念を正確に読み取り、怪物の方を見た。
怪物を囲むように黒く染まる海。その黒が一部こちらへ伸びてきているのだ。
津波に比べればその動きはゆっくりで、しばらく目を離していなければともすれば気づかないかもしれないほどなのだが、それでも確実に交易所の方へ向かっている。
シンチーは顔を歪めた。
あれは、よくないものだ。
たとえ魔法が使えずとも、たとえ霊感に富んでいなくとも、本能がそれを叫んでいる。
「あの、ロビンさん」
と、そこで呼び止められた。
聞き覚えのある声にロビンは振り返る。
白髪痩身の男性が立っていた。ミシュガルドで青空教室を営むロンドだ。
「ロンドさん、子供たちは大丈夫ですか?」
尋ねつつもロビンは子供が2人、ロンドの傍から離れまいとついていることに気づいた。
しかし、彼の生徒はたった2人ではない。果たして他の生徒たちは。
ロンドは緩慢に首を縦に振った。
「えぇ、なんとか…。道中2人の方に助けていただいたので…」
ただ、子供たちが不安がっているのだという。
無理もない、とロビンは海を顧みた。
黒は未だ、こちら側へ伸びてきている。