Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
森深く、獣は嘯く:4

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 馬鹿な子だ。シンチーは諦めのような溜息をついた。
 結局最後まで意地を張って、大口をたたいて。
 その結果がこれか。いっそヌルヌットを殺して逃げてほしかった。
 勝ち目があるようには見えない。ケーゴのは心身ともにもうぼろぼろのはずだ。
 シンチーは必死に体をゆすった。幸い大蜘蛛はまだ戻ってきそうにない。今のうちに好機を見つけるのだ。

 馬鹿な人間だ。ヌルヌットは最大級の嗤いを見せた。
 シェルギルは群れをなして行動する。アヘグニーは巣を張り獲物を待つ。そして自分自身は人間の言葉を話し獲物にありつく。
 この森では知性が、知略がものをいう。まさに愚肉智食の世界。そんな中で今の行動はどうだ。今まで騙してきた人間に輪をかけて無様だ。自ら助かる機会を捨てるなど。
 
 「――愚かしいにもほどがあるわっ!!それがウヌの望みだというのなら、今度こそ屠ってくれる!!」
 ヌルヌットが吠えた。体中から電気がほとばしる。その気迫にケーゴは吹き飛ばされそうな錯覚さえ覚えた。
 負けじと一歩踏み出す。足の痛みは無視した。
 もう手元には何も残っていない。崖から落ちて傷だらけになった体があるだけだ。
 ヌルヌットが駆けだした。体中から迸る電撃の音と獣の咆哮がケーゴに迫る。
 それでもまだケーゴは強がって、噛みつかれても殴り返してやろうと身構えた。

 ふと、家族の顔が脳裏に浮かんだ。
 
 …あんなショボい村で生きていくのはうんざりだったけど、こんなところで死ぬのも、ショボいよなぁ。父さんの言う通り、母さんが提案する通り、フツーの人生を送ればよかったのかなぁ。
 
 「死ねぇい!!」

 獣、牙、雷、眼光、雄叫び。
 
 「ケーゴ!!」
 
 冷静を欠いた声。
 
 あ、おねーさん。初めて俺の名前、呼んでくれたじゃん…
 




 もはや勝利の美酒、いや美肉は目前だった。
 さすがにこれ以上何かを忍ばせてはいまいと、ヌルヌットはケーゴの喉元めがけて大口を開けた。
 まさに首を噛みちぎろうとしたその瞬間、腹に重い衝撃が打ち込まれた。

 「なぁっ!?」
 驚きと共に吹き飛ばされた。
 着地もままならず、地面にたたきつけられ、転がる。
 いつかのケーゴのように呼吸ができない。ヌルヌットは痙攣のごとくもがきながら立ち上がろうとした。

 「いやぁー、今の蹴りタイミングばっちりだったね」
 みると、知らない男が子供の前に割り込んでいるではないか。
 がっしりした体に大きな荷物。手には剣を握っている。
 不敵な笑みだ。ヌルヌットは体勢を立て直し、その男を睨んだ。
 「…おっさん!?何で!?」
 その緊張の中ケーゴが叫んだ。今しがた走馬灯を頭の中で走らせていたというのに、いったいなんだこの状況は。
 シンチーも同様に唖然としていたが、やがて悔しそうに眼をそむけた。
 ロビンは常のようにニヤリと笑って振り向いた。
 「この剣がさ、教えてくれたんだよね」
 そう言ってケーゴに握っていた剣を見せる。
 月明かりとヌルヌットの放電でその剣がぼうっと浮かび上がる。
 所々に装飾が施されている、短めの剣だ。どこかで見たことがある。
 「って、それ俺の剣じゃん!!…いってぇ!!」
 慌ててロビンのもとへ駆け寄ろうとしたが、足に激痛が走った。その姿を見てロビンは笑いながら語りかけた。
 「この剣、魔力が込められてるんだね。ケーゴ君の居場所、感じ取ることができたよ。きっと持ち主のもとに戻りたがってたんだろうねぇ」

 数刻前に話はさかのぼる。
 シンチーとケーゴを探して町中を走り回ってとうとう探し出せなかったロビンは、話に聞いた通り西の森へ向かうことにした。
 しかし、例のごとく門番に追い返された。しかし、ただ追い返されたわけではない。そこでケーゴの登録証が提出されていることを把握したのだ。
 確信した。ケーゴは交易所の外だ。そしてそれを追ってシンチーも何らかの手段で外へと出た可能性が高い。
 ではどうするべきか。ロビンは一計を案じた。そして思い出した。露店を開いていた薬屋がいたことに。
 急いで薬屋のもとへと走り、聞いた。
 「兄ちゃん、眠り薬とかない?」

 たった一人の男に門番が眠らされて、まったくの無防備になる門。ミシュガルド大交易所の未来は明るい。
 「そういう訳で俺はあのダークエルフを見つけたのさ」
 手遊びのように宝剣をくるくると回す。ロビンが見据える先、ヌルヌットは唸っている。
 「そんな簡単に見つけたのかよ!?」
 「あの細い獣道を進んでいっただけなんだけどね」
 「あっ…」
 思えばケーゴ自身、わざわざ獣道を外れて森を探索し始めたのだった。あの時素直に道に従っていればこんなことにはならなかったのか。
 自分の体たらくを呪いかけたケーゴをしり目に、ロビンははっと目を見開いた。そして目にもとまらぬ速さでナイフを投げた。
 狙いはまたヌルヌットではない。
 ぐちゃり、と嫌な音を立ててナイフが二本大蜘蛛の頭に刺さった。ケーゴとロビンとヌルヌットがにらみ合う中で、ようやく巨体を持ち上げ、自らの巣へと戻ろうとしていたのだ。
 三本ものナイフが頭に突き刺さり、蜘蛛は痙攣をしばらく続けた後についに息絶えた。足元の脅威が倒れ、シンチーは長めに息をついた。
 その様子を見てヌルヌットはロビンを睨む。
 「…何者じゃ、ウヌは」
 「さぁね。今はちょっとした冒険家さ」
 やはり不敵な笑みは絶やさない。ケーゴは一連の動きを呆然として見ていることしかできなかった。
 警戒するヌルヌットを睨み続けながらも、ロビンはケーゴに宝剣を差し出した。慌ててそれを受け取る。
 「おっさん…」
 「さ、頼んだぞ。ケーゴ君」
 ぽかんとしていた顔が、その言葉を聞いて一転した。顔つきが戦士のそれに似る。力強く敵を睨んだ。
 剣を強く握る。剣から魔力を感じた。戦えと言われているようだ

     

 「…そんな小童に何ができる。ウヌに何ができる」
 ヌルヌットが静かに呟いた。
 「この森から生きては帰さぬわ!わからぬか、ワシの有利が!!」
 突如、放電が消えた。
 明りに慣れていた目は順応が遅れる。
 月明かりは雲に阻まれていた。森の夜は闇に包まれ、何一つ見ることができない。何一つ聞くこともできない。
  
 「右!」
 鋭い声が響いた。
 ロビンはケーゴを抱えて右へ跳んだ。
 抱えられつつ何かが左を駆けた気配を感じた。
 一方、攻撃をかわされたヌルヌットは頭上を見た。暗闇の中確実にものを見ることができる者がいたのだ。
 「半亜人め…」
 蜘蛛の巣にかかった女は動くことができない。だが、それを狙うこともできない。下手に頭上を狙おうものなら自分までも蜘蛛の巣にかかりかねない。ヌルヌットは小さく舌打ちした。
 だが有利なことに変わりはないはずだ。小娘がどれだけ指示を出そうとも、その声はこちらにも聞こえる。そして、こちらは相手のことが見えるのだから。
 
 ヌルヌットは吠え、駆けた。
 「左に!」
 頭上で声がした。それに従いロビンは左へ跳ねた。しかし、予想済みだ。
 獣は跳躍し、右へと体を回転させた。その動きにシンチーの声は遅れ、もちろんロビンたちはそれを見ることすらかなわない。
 尾がロビンの顔に直撃した。相手がひるんだ気配をとらえ、ヌルヌットはすかさず食らいつこうと跳んだ。
 しかし、ロビンもその場で体を回転させて獣の攻撃を寸でのところでかわし、体勢を戻す。
 その応酬に抱えられたまま振り回されるケーゴはたまったものではない。
 夜の森に指示が飛ぶ。右、左、後ろ、とこだまする。
 もう何度目かの攻撃の応酬だろうか。さすがのロビンも少し息が切れ始めるが、それでもナイフを逆手に構えたその時だ。
 唐突な刺激が爆発した。
 世界が真っ白に染まったのだ。
 暗闇にようやく慣れてきたにも関わらず、こんどは放電による光で視界がつぶされたのだ。
 ロビンはもちろん、シンチーもその閃光に目がくらんだ。
 ロビンは反射的に目を細めたが、その間にもヌルヌットが飛び掛かってくる。
 牙がロビンの首に迫る。
 だが、後ろにひとっとび、辛くもその噛みつきを避けた。
 その勢いをつけたまま左へとジャンプした。
 ヌルヌットは着地し、目の前の男に体の正面を合わせた。
 目をくらませたにもかかわらず、ひるむことなくしっかりと避けたか。本当に厄介な男だ。もはやこの策すら通用しないとなると、このまま逃げてしまう方が得策だろう。もともとイレギュラーが介入した時点で退くべきだった。これ以上の深追いは危険だとヌルヌットは判断した。
 その時である。
 シンチーの叫び声が響いた。
 「ケーゴ!今!正面!!」
 「あぁっ!!」
 ケーゴも呼応して叫んだ。ヌルヌットのちょうど真後ろから声がする。
 「…まさかっ!?」
 ヌルヌットの脳裏に一つの可能性が弾けた。
 そうだ、あの男ナイフをいつの間にか構えていた。代わりに抱えていたあの子供がいなかったのだ。それでも意に介しなかったのは、男の方が脅威だったからだ。
 娘の指示を聞いた男は今までずっとその言葉通り動いてきた。だからこそ自分もそれを予想して攻撃をすることができたのだ。娘の指示を誘導するようにフェイントをかけつつ、何度もその牙は男をかすめた。だが、それは違った。誘導されていたのだ。子供がワシの背後を確実にとらえられるように。あの男はそのためのおとりだったのだ。
 「だがぁっ!!あんな小童の剣をワシが避けられぬと思うてか!!」
 相手は足をくじいた子供だ。それに気配も近くにあるわけではない。ならば、その剣をかわすなど造作もない。
 ヌルヌットが振り返った。
 するとその眼前で、炎が燃え盛った。
 「ま――」
 すかさず理解した。この子供は魔法が使えるのだと。
 だが、どれだけ頭の回転が速くとも、どれだけ知略を巡らせることができようとも、体の反応はそれに追いつくことができない。
 闇の中、赤い炎。ケーゴの顔が浮かび上がる。

 その顔は、もう弱弱しい子供の顔ではなかった。

 磨き続ければ、この少年はどこまでも強くなれる。
 ヌルヌットはケーゴの顔に強者の原石を見た。

 「うぉおおおおおお!!」
 そして宝剣から業火が放たれた。
 黒い森の中、赤が弾けた。
 「馬鹿なぁあああぁあっ!!」
 炎の渦に巻き込まれ、ヌルヌットはそのまま吹き飛ばされた。

     

 木々が燃えている。バチバチという音が耳に心地よいが、このままでは大火事になってしまう。
 しかし、ケーゴはその場にへたりこんでしまった。無理もない。
 心身共にもう限界だ。肩で息をする。
 ケーゴの放った炎はあまりにも威力が強く、その射線上にあった木々は炭と化してしまっていた。そして、シンチーを拘束していた蜘蛛の糸が溶けていた。もともと熱に弱いものだったらしい。うまく地面に着地したシンチーにロビンが駆け寄った。
 「心配かけたね」
 「いえ…私の方こそ申し訳ありません。あなたを戦わせてしまいました」
 「今回のは仕方ないよ」
 「そんなことありません」
 なだめようとするロビンに対してシンチーは語気を強めた。
 「…あなたの手を、そんなことのために使ってほしくない」
 視線の先には蜘蛛の亡骸があった。
 火が反射してナイフがきらめいている。
 「この大陸に来る時から、覚悟はしていたさ。…ありがとう」
 優しくなでられた。いつぶりだろうか。
 この角がなかったら、もっと身をゆだねることができたのに。シンチーはロビンから目をそらした。
 

 二人の会話など耳に入らず、ケーゴは茫然と座り込んでいた。今すぐ寝転がってしまいたかった。今日一日で一生分の冒険をした気分だ。
 ようやく、2人が近づいてくると、ケーゴは無理やり立ち上がった。
 手にしていた剣を鞘に戻す。半日振りくらいの感覚だ。やはりこれがないと。
 ケーゴは確認するかのように、腰の剣に目をやった。
 視線を戻すとシンチーと目があった。
 シンチーは腰に剣を携えたケーゴに向かって、
 「…その剣、よく似合っていますね」
 そう柔らかく言った。
 「そ、そうかな」
 「えぇ」
 照れたようにケーゴは笑った。
 そうか、この宝剣が自分に。
 
 夜はまだ明けないが、心に明りが灯った気がした。

 

 西の森の奥、ヌルヌットはよろよろと地面を踏みしめた。体毛が焦げて嫌なにおいがする。生き延びただけでもましな方だ。あのまま焼き殺されていてもおかしくなかった。
 息遣いも荒く獣は唸った。
 「おのれ、人間ども…!」
 この自分の知略が通用しない相手は初めてだった。狙った獲物に逃げられたのも初めてだった。
 ぎらつく眼光。その目にはそれぞれ三人の姿が映る。
 ――次こそは確実に仕留めてくれる。
 まずは体を休めようと、ヌルヌットは住処としている洞窟へと倒れこむように入っていった。 


 ロビンはシンチーたちを追う際に、ナイフで木に印をつけてきていた。それをさかのぼることで、すぐに交易所へと戻ることができた。
ケーゴと一緒に診療所へと向かう。
 その待合室で、ロビンは呟く。
 「それにしても、今回は大冒険だったね」
 「えぇ」
 ロビンの言葉にシンチーも応える。うきうきとペンを取り出してロビンは続ける。
 「『ミシュガルド冒険記』の第一章はケーゴ君の話で決まりだね」
 「…でもあなた、ほとんど出番がなかったじゃないですか」
 「…あっ」

 やがてケーゴが出てきた。椅子に座る二人を見て笑った。
 すぐに今まで通り歩けるようになるということらしい。シンチーは安堵の息を漏らした。
 

―――――――――― 
 夜が明けようとしていた。きっと今日も快晴となるだろう。
 私のミシュガルドでの第一歩は、少年の成長という形で幕を閉じたのだ。


 第一章:トレジャーハンターの少年の話

       

表紙

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Neetsha