Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
微かに燻る戦禍の火種:4

見開き   最大化      


 「ちょ、ちょっと待ってください!」
 ラナタたちの登場はロンドにさらなる衝撃を与えた。彼が最も恐れたのはアルペジオの着ていた甲皇国の軍服である。
 だが、その衝撃で荒療治ながらある程度落ち着きを取り戻すことができた。
 そしてロンドは叫んだのである。
 「子供たちは帰してください!この子たちは関係ない!」
 彼は必死に願った。
 対するラナタはロンドの足元で脅える子供たちを見下ろした。
 そして残酷にも言い放ったのである。
 
 「――亜人がいるな」
 
 冷たい言葉を突き刺された亜人の子はびくりと肩を震わせた。
 ロンドは愕然として子供とラナタを交互に見る。絶望的な表情をラナタが意に介することはない。
 犬の子は顔を真っ青にして息苦しそうに必死に立っている。
 ラナタを見ることはおろか、フリオたちの顔すら見ることができず、俯いてしまう。
 非情な女剣士は無表情で続ける。
 「子供とはいえ亜人は信用できんな。アルフヘイムの間者の可能性もある」
 「そんな!この子たちはそんなこととは無関係です!」
 「それを判断するのは我々だ」
 ラナタは剣を抜きロンドに突き付けた。恐怖に立ち向かい、やっとのことで叫んだロンドであったが、気力は武力に気圧された。
 「それともこの場で全員殺されたいか?」
 「…っ」
 ロンドは悔しげに顔を歪めた。下手をすれば子供たちが危ない。彼はのろのろと手をあげた。
 ロンドが剣を向けられるのを見た亜人の子の目から涙がこぼれた。
 恐ろしい女剣士が言い放った「亜人」という言葉は彼の心臓を凍らせた。そこに含まれる嫌悪も侮蔑も全て理解してしまった。
 あり得ないと思っていた。きっと自分は大丈夫だろうとも考えていた。
 しかし、現実はそんな幼心を非情にも握りつぶしてした。
 悔しくて悔しくて、それでもどうしようもできなくて。
 犬の子はしゃくりあげながら両手をあげた。

 だがラナタはそれが真実で、常識で、正義だと信じているのだ。
 その言動に何の間違いがあろうか。
 ただ、真実は固執され、常識は差別を生み、正義は敵意へ裏返る。
 そうして、この世界は紡がれてきたのだ。


 ロンドに守られるようにして立っている子供たちはしかし、泣きじゃくりながら弱弱しく手をあげていた。
 無理もなかろうとアルペジオは無感動に子供らを見下ろした。だがそれに同情するわけではない。ラナタが、しいては甲皇国が正しいのだと彼女も信じているからだ。
 だが、それなら何故、と心が疼く理由をアルペジオは考えようとした。その時だ。
 赤毛の子供が泣きながらもその手をそろりと下ろし、
 「っ!ラナタさん!!」
 短剣に手を伸ばしたのを見た。
 「うぁあああぁああああああああああっ!!」
 アルペジオの鋭い声がした直後にはフリオが絶叫しながらラナタへと駆けだしていた。
 だが、ラナタはそのような児戯など歯牙にもかけぬと、無表情のまま動きもしない。
 フリオが顔をぐちゃぐちゃにしたまま吠え、短剣を振り上げた。
 だが、その剣が振り下ろされるよりも早く、ラナタの蹴りが彼の腹を直撃した。
 フリオはうめき声を少し漏らし、ロンドたちが立っているよりもはるか後方へと飛ばされ、地面にたたきつけられた。そのままピクリとも動かない。
 「フリオ君っ!!」
 ロンドが絶叫するが、すぐさまラナタに剣を突き付けられ大事な生徒のもとへ駆け寄ることかなわない。
 その様子をみてアルペジオはさすがラナタさんだなぁ、と感心するのであった。

 「…自棄になった敵を何度も見てきた。奴らには迷いも恐れもない」
 ラナタはつかつかと抵抗を試みた子供に歩み寄る。
 それをロンドは懇願するような目つきで見ていることしかできなかった。
 「だが、理性もまた失われている」
 そんな視線を背中に浴びているなど考えもせず、彼女は剣を倒れ伏すフリオに向けた。
 

 「――だから、一番殺しやすい」
 「やめろぉおおおおおおおおおおお!!」

 ついにロンドが吠え、走り出した。
 だがアルペジオが今度は冷静に対処を下した。
 「機械兵、拘束せよ!!」
 命令を受けた瞬間、1体の機械兵が銃剣をロンドに向けた。
 乾いた音が響いた。
 その音が耳に届いた時にはロンドの脚は弾丸に射抜かれ、無様に転がり倒れていた。
 「あ゛ああああ゛あああっ、あ゛あ゛ああ゛ああああ゛あああああ゛あ゛あああああ゛あああああっ!!」
 ロンドは絶叫した。それは撃ち抜かれた痛み故か、もはや子供を救えないという絶望故か。

 そして、全てに目を背けて逃げ出し、今や全てを失おうとしている男が見たものは、

 「貴様…っ!」
 「…」
 女剣士の剣からフリオを守る、半亜人の姿だった。

 ロンドがその光景に安堵とも驚嘆ともとれない表情を見せているうちにも機械兵が彼の腕を掴み拘束する。
  だが、その命令を取り消すように新たな命令をアルペジオが下した。
 「そこの亜人!抵抗するのか!?機械兵、あの女を捕えよ!!」
 途端に機械兵たちはシンチーの方へと歩を進め始める。
 「いい、アルペジオ。…機械兵たちも止まれ」
 それを止めたのは他ならぬラナタであった。
 「機械兵とお前で他の者が逃げ出さないように拘束しておいてくれ」
 そうニヤリと笑う。その笑みは戦場の狂気を感じさせるにふさわしいものであった。
 鍔迫り合いを続けるラナタとシンチー。両者の力は拮抗しているように見えた。
 だからこそ、彼女は笑ったのだ。
 「おい、亜人」
 「…」
 シンチーは無言のままだ。ラナタは相手の反応などもとから無視する気であったかのように続けた。
 「このまま抵抗を続けるのなら私は貴様の四肢を切り刻んででも任務を遂行するぞ」
 シンチーの瞳が剣呑さを増した。一方でその言葉を聞いたアルペジオは小さくため息をついた。
 要はあの亜人と斬り合いがしたいだけなのだ。事態が事態故にここは迅速に任務を遂行してほしい。
 だが、ラナタさんに限ってもしものこともおきまいと、アルペジオは機械兵に女亜人以外の者を拘束するように言った。

 一方のシンチーは、ラナタと戦うことを是とし、纏う闘気を増した。
 ぞわり、と鳥肌が立つのをラナタは感じた。
 あぁ、大戦以来久しく感じていなかったこの感覚。殺しあうことへの緊張と快感が己の内で燃え上がる。
 「はぁああああぁああああっ!!!」
 歓喜の雄叫びをあげながらラナタは剣を振り払った。
 シンチーは後ろへ跳躍し、間合いを取る。
 だが、すぐさまラナタの方へと踏み込み剣を叩きつける。
 その剣撃を彼女は容易く受け止めた。
 両者の殺意が交錯する。シンチーは再び剣を振り下ろそうとしたがその隙をついてラナタが彼女の腹を狙って剣を横に振る。
 すぐさまシンチーは身を引き、剣を逆手に持ち替えてラナタの攻撃を止めた。
 「はっ!」
 気合一閃、再びラナタが攻勢に転じた。激しい連撃をしかしシンチーは正確に防ぎきる。
 それに満足するかのような表情を見せた女剣士にシンチーは眉をひそめた。ラナタもシンチーの表情に気付いたらしく、答える。
 「ふふ、亜人。貴様強いな。私は嬉しいよ、そこらの有象無象とは違う」
 「呑気なことを!!」
 相手から一度間合いを取り、一気に詰める。思い切り剣を横に払うが、ラナタはそれをも受け止めた。
 彼女の挑発に軽々と乗るシンチーではない。だが、ラナタの発言が虚勢ではないこともわかっていた。
 何度目になるだろうか。剣と剣がぶつかり合い、2人が睨み合う。ラナタの瞳は燃えていた。シンチーの瞳は凍てついていた。

 再びラナタが剣を振り上げた。より高く、より力強く。表情は愉悦に歪んでいた。
 「私は戦いが好きだ」
 一撃。
 「斬り合いが好きだ」
 一撃。
 「一騎打ちが好きだ」
 一撃。
 一太刀一太刀が重くなっている。否、それだけではない。闘志が殺意が気迫が、全てが視認できるがごとくに増している。
 「戦いの中で生きてきた!喜びも快楽も、全てが命のやり合いの中にある‼」
 激しい音を立ててぶつかった剣から火花が散る。
 シンチーは顔を歪めた。
 「そして!強い相手とやりあって!」
 ラナタの闘気が爆発した。
 「命を奪う!!!!」
 最大の一撃が振り下ろされた。激しい殺意と衝撃がシンチーを襲う。
 受け止めはしたが腕が痺れ、感覚を失う。重い攻撃にがくりと膝をつきかける。
 「それこそが至高の喜び‼」
 体勢を崩したその隙を狙い、ラナタはとどめとばかりに斬撃を放った。
 シンチーはすんでのところで体をひねり、肩の防具でそれを受け止めた。反撃の穿刺がラナタを狙う。それをも上手く躱し、傭兵は笑った。
 「ははははははっ‼」
 それは嘲りでも驕りでもない。
 純粋に戦闘を楽しんでいるのだ。
 「やるなぁ、亜人」
 じりじりと互いに間合いを見極めながら、口角を吊り上げる。
 「戦場でも滅多にお目にかかれない、最高だよ」
 高揚感が全身を駆け巡っていた。
 甘美な殺意が快感を伴って身体の深奥に凝縮されている。
 あぁ、四肢を切り刻むなど、なんとつまらぬことを言ってしまったものか。
 きっとこの亜人を殺した時の恍惚は、凝縮されたものが弾けた時の法悦は、きっとこの上ない。


 そうだ、殺してしまおう。
 

 ラナタは低く、囁いた。
 「――本気でいかせてもらうぞ」
 シンチーの背筋をぞくりと悪寒が駆けた。
 刹那、ラナタが眼前に迫っていた。
 「っ!?」
 その攻撃を防ぐことができたのは、ひとえに本能の賜物だろう。
 「はぁあああああああっ!!!!」
 だが、防いだはずの剣は弾かれ、剣の切っ先がシンチーの頬をかすめていく。
 斬撃は続いた。
 シンチーは間一髪のところで剣を受け止め続けるが、今度は剣ごと弾き飛ばされた。
 うまく着地したがその間にもラナタはシンチーへとの間合いを狭める。
 シンチーが苦し紛れに放った剣撃も易々とかわされてしまう。
 返しに勢いよくラナタが振り下ろした剣を辛うじて受け止めたが、左手で剣を支えることを強いられた。
 それだけではない。その攻撃の重さに膝をついてしまう。
 「…っ」
 先ほどの一撃が彼女の全力であると思っていたが、違うようだ。シンチーは忌々しげにラナタを睨んだ。
 自分と変わらないくらいの年齢の人間の剣士。だが、その能力は半亜人を圧倒するほど。
 「この…っ」
 表情を歪めるシンチーの視界に一瞬守るべき主の姿が映る。
 彼らはいわば人質なのだ。一騎打ちといえば聞こえがいいがその実態のなんと不利なことか。
 だが、それでも戦わなければならない。
 シンチーは全身の力を振り絞ってラナタを押し返した。
 「ここから巻き返すか!」
 「当然だ…!」
 完全に立ち上がり、ラナタの剣を弾き返す。そして切りかかった。
 その斬撃を受け流し、「蛇の剣」はシンチーの首を狙う。
 「はぁっ!」
 「ぐぅ…っ」
 それを剣で受け止めたシンチーの身体はラナタに勢いよく押され、地面に抵抗の跡が残る。
 シンチーの腕はすでに悲鳴を上げていた。

 強い。驚嘆が半分、恐怖が半分。
 人間を侮っていたわけではない。ただ、規格外。それだけだ。
 だが、とシンチーは戦闘狂の顔を見る。
 戦いに魅入られた女の顔は、どこか秘めた思いが見え隠れする。それに何故か親近感を覚えた。
 しかしそれが何かを考える余裕は当然ない。
 ラナタの攻撃は止まらないのだ。鋭さを速さを増して敵の命を狙う。全身を潤す忘我の境地、消耗など微塵も感じない。
 一方のシンチーは防戦を強いられた。疲労が蛇のように彼女の身体を這う。
 彼女の動きが鈍重になってきたことにラナタも気づいていた。
 ――もうすぐだ、もうすぐこの亜人を貫いて、命を奪える。
 「はぁああああっ!!」
 次第に亜人の踏み込みが甘くなり、ついには後退の一手のみとなった。
 ようやく、ここまで追い詰めたのだ。
 この亜人は強い。この私が本気で挑むなどいつぶりだろうか。
 ラナタはとどめを与えんとばかりに剣を振り下ろす。
 それをうまく避けたシンチーは返しの一閃を放つ。
 劣勢に立たされながらも彼女は諦めない。無謀な攻撃もしない。それがまた好ましい。
 この亜人は強い。だからこそ殺すのが楽しみでたまらない。そしてそれ以上に。
 ラナタの笑みに柔らかさが一瞬混じった。
 
 一騎打ち。自分と相手という二人だけの命の奪い合いの世界。

 だが、私は今一人ではない。そう、私の愉悦のその先。



 ――アルペジオ、お前の脅威を一つでも排除してやる。


     

シンチーとラナタが戦っている間、ロビンたちは機械兵に銃剣を突き付けられ、その戦いの行方を見守ることしかできなかった。
 機械兵はロンドたちを囲むように立っている。少しでも動けば撃たれるだろう。
 アルペジオは最も厄介であろうと判断したロビンの荷物を取り上げた。
 「そのまま立っていろ。身体検査を行う」
 言われるがまま、ロビンは手をあげて、しかし視線は足を撃ち抜かれて未だに倒れたままのロンドに向けていた。
 その間にもアルペジオは彼のナイフを回収していく。
 これでロビンの武器は失われた。彼は苦い表情を見せた。
 「他に何か隠しているものはないか?」
 ナイフを忌々しげに眺めながらアルペジオがそう聞いた時だ。
 フリオの口からうめき声が漏れた。
 「フリオ君!うぅっ…!」
 ロンドがそれに反応したが、足の痛みが邪魔をする。
 「お前!動くなと言っているだろう!」
 アルペジオがロビンの身体検査を中断してロンドの撃ち抜かれた足を踏みつけた。
 教師の悲鳴に生徒たちの泣き声が増し、彼女を苛立たせる。
 いったい何をしているのだ自分は。ラナタさんの分までこの不審人物たちを見張っておかなければならないというのに、情けない。

 ――本当に、どうしてこんなことをしているの?

 「っ…!?」
 誰かが己の内でささやいた。その声はどこか悲しそうで、どこか自分を責めるようで。
 アルペジオは頭をおさえた。
 今のは誰だ。ラナタさんじゃない。参謀幕僚殿でもない。他の誰か。
 その時一瞬焦燥感のようなものが胸を刺し、アルペジオはそれが何であったかを考えようとした。たが、今はそれどころじゃない、と自制が働いた。
 白髪の男に少しでも近づこうとする子供たちを目で威嚇しながらアルペジオは剣を抜いた。
 「お前を殺すわけにはいかない。…だが、それ以上私の命令に刃向うというのなら・・・」
 「や゛めでよぉ!!」
 「いやだぁっ!」
 子供がキンキンと高い声で泣き叫ぶ。
 彼らは怖いのを我慢して大好きな先生を守ろうとしているのだ。先ほどのフリオも同じだ。
 「黙れ!」
 そんな健気な子供らを一喝してアルペジオは続けた。いい考えを思いついたのである。
 彼女は剣を脅すように子供らに向けた。
 泣き叫んでいた子供たちは一転息をのむ。
 「…そうだな、この子供たちが痛い目を見るぞ」
 「…!!そ、それだけはやめてくれ!」
 それまでアルペジオの言葉を無視してフリオだけを見ていたロンドがようやく恐怖に顔を歪めて彼女の方を見やった。
 我ながら妙案だと自画自賛したその発言は、実際有効であったのだ。アルペジオは勝ち誇った顔でロンドを見下ろした。
 ロンドは藁にも縋るかのように頭を垂れた。
 「お願いです。子供たちに罪はないんだ。…私ならどうなっても構わない。だから、傷つけるなら私だけに…。機械兵たちも、撃つなら…私を撃て…っ!」
 膝立ちの状態から立ち上がるのが難しいロンドは、そのまま頭を下げ続けた。
 そんな彼の頭に言われた通り機械兵たちは照準を合わせる。
 さすがにその光景にロビンも肝を冷やしたが、アルペジオがそれを止めた。
 「やめろ!機械兵、やめろ!この男は殺すな!」
 ポンコツめ、と毒づきながらアルペジオはロンドに吐き捨てた。
 「いずれにせよ今は大人しくしていろ」
 そしてチラとラナタとシンチーの戦いに目をやる。
 「じきに決着がつく」
 もちろん信頼する彼女の朋友の勝利という形で。
 アルペジオは気を引き締めるべく、作業の続きに向かった。


 一方、犬型亜人の子は俯き続けていた。周りで様々な応酬が繰り返されている中で一人虚ろな目。
 声が遠く聞こえる。頭の中で繰り返されるのは自身を責める彼の声。
 ――全部僕が悪い。
 大好きな先生が撃たれ、友達も恐ろしい目に合っている。
 それは全て僕が亜人だからだ。
 もし自分が獣人ではなかったら、もし自分がこの場にいなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
 僕のせいだ。僕が悪いんだ。
 こんな姿だから。人間じゃないから。
 僕さえいなければ…――

 繰り返される自責はより一層強い呵責となり彼を苛む。
 
 それを誰が否定できようか。

 それを誰が肯定できようか。

     

ロビンも彼の従者の不利を悟っていた。
 こちらもナイフを取り上げられてしまい、ほぼ丸腰状態。
 それでも機械兵さえどうにかできればまだ勝機はあるのではないだろうか、とロビンは考えていた。
 勝機といえども、それは綱渡りの連続で実行するのは正気の沙汰ではない。それでも何もしないよりはましだ。
 周りに目をやる。機械兵たちは相変わらず銃剣を構えたまま自分たちの周りに立っている。そう、この機械兵が、そして銃が厄介なのだ。
 ロンドは記憶を辿り、推理を組み立てる。
 
 ――ヌルヌットの言葉。
 ――あの軍人の言葉。
 ――今シンチーと戦っている女剣士の言葉。

 ――そして何よりも先ほどのロンドの言葉。

 
 間違っているかもしれない。だが、それに賭けるしかないのだ。
 アルペジオがロンドを黙らせ、こちらに向かってくる。
 予想外の時間稼ぎであったが、それがロビンの仮説の立証に一役買った。
 とはいえどももうあの軍人がこちらの身体検査の続きをしに戻ってくる。
 だから、この一瞬。この一瞬が最後のチャンス。
 ロビンの強い意志を秘めた目つきにアルペジオは違和感を抱いた。
 しかし、杞憂だろうと前進を続けた。確かにまだ武器を隠し持っているかもしれないが、こちらは既に剣を抜いている。何か不審な動きをしたらすぐに斬りつけてやる。
 それに機械兵たちもいる。案ずるな、自分。ラナタさんに言われたことをしっかりとやり遂げてみせるんだ。
 「何だその目つきは」
 威嚇と共にアルペジオはその一歩を踏み出し、ロビンの目の前に立った。
 その時だ。

 「機械兵!!」
 ロビンが叫んだ。
 

 『機械兵を撃て!!』
 

 叫ぶが早いか、ロビンは子供たちの方へと横っ飛びに駆け、彼らを地面に抱き倒した。
 軍人が自分の目の前に来たその時こそ、彼女に邪魔されず子供らのもとへと飛び込める一瞬であったのだ。
 頭上を弾丸が掠めていく。
 命令に従い機械兵たちは銃でお互いを撃ち始めていたのだ。甲皇国の技術と魔法が銃剣の連射を可能としているために、弾丸は飛び交い続ける。
 「なっ!?」
 突然の事態にアルペジオは狼狽え、しかし身の安全のためにまずは身を伏せた。
 「アルペジオ!?」
 鳴り響いた銃声にラナタも反応する。そこでシンチーが反撃に転じた。
 「ちぃ…っ!!そこをどけぇっ!!」
 2人の剣が激しくぶつかる。
 一騎打ち。確かにラナタはそう言った。
 2人だけの命のやり取りの世界。確かにラナタはそう思っていた。
 だがアルペジオの存在が彼女を揺るがせた。
 彼女は知らなかったのである。誰かを守ろうとして戦ったその時点で、それはもはや自分と敵だけの問題ではないということを。
 初めてだったのだ。誰かを守ろうと試みたのは。
 最初の一撃をシンチーが受け止めたその時からラナタは彼女の実力を感じ取っていた。
 だからこそ率先して戦おうとした。もちろん、戦える喜びはあったけれども。
 結果として彼女はその動揺の隙を突かれ、一気にシンチーに攻め込まれることになった。
 「亜人、邪魔をするなぁっ!!」
 怒りに任せて剣をふるうラナタのその太刀筋はつい先ほどまでとは違い、乱れている。
 だが力負けはしていない。両者は剣を交え、にらみ合いを続けた。
 「私は…私はアルペジオのもとに行かなければならないんだっ!!」
 そのラナタの叫びにシンチーはようやく合点がいった。
 あぁ、親近感の正体はこれか。

 彼女もまた、誰かを守りたかったのだ。

 だから強いのかもしれない。だから弱いのかもしれない。
 それは自嘲でもあるのだけれども。

 一方拮抗する力比べの中でラナタは残念そうに、しかし興奮冷めやらぬ様子で舌打ちをした。
 ここまで激しくぶつかり合った相手だ。不意打ちで勝負を決するというのはなんとも味気ない。
 
 だが、事態が事態だ。

 「死ねぇっ!!」
 ラナタの叫びと共に彼女の剣の切っ先から赤い刀身が飛び出した。
 「蛇の剣」の真骨頂、自在に動く第二の刀身である。
 さすがのシンチーもこれを回避することはできず、剣先は彼女の左目を刺し貫いた。
 「あ゛ぁあ゛あ゛っ!!」
 濁流のごとく左目から血が流れる。シンチーは苦痛にのた打ち回りそうになったが、精神力でそれを持ちこたえ、死角となった左からの攻撃に備えた。
 果たしてラナタはシンチーの左側から切りかかって来た。これで首を斬り落とそうと一閃が放たれる。
 それを受け止め再び膠着状態に一瞬陥りかけたが、シンチーはすぐさま敵から間合いを取った。同じ轍は踏まない。
 予想通りラナタの剣の先から再び赤い剣筋が伸びていた。あのまま鍔迫り合いを続けていれば今度は右目を失っていた。
 「ちぃ…」
 とっておきだったのだが、とラナタは忌々しげに顔を歪めた。

 2人の間を弾丸が掠めていく。
 シンチーは今この瞬間彼女の主が何を考えているかを読み取っていた。
 すなわち、この2人の兵士の分断。
 今戦っている剣士がロビンの方へ合流してしまうと彼が劣勢に立たされる。
 恐らく彼の仕業であろうが、どういう訳か機械兵が同士討ちを始めたのである。それでロビンの相手は実質的にあの1人なのだから。
 「だから、お前をロビンのもとへは…っ」
 「亜人風情がぁっ!!」
 ラナタが剣をふるった。シンチーからは十分に間合いが取れていたはずが、彼女めがけて赤い刀身が鞭のようにしなり襲い掛かってくる。
 跳躍してそれを回避した隙にラナタが懐に潜り込んだ。再び左から斬りかかる。
 シンチーはそれを肩の防具で防いだ。防いだはずが骨折しそうなほどの衝撃を与えられる。
 加えて出血がひどく、彼女は眩暈がした。だが、ここで倒れる訳にはいかない。
 激昂するラナタはなおも激しい攻撃を続けた。
 「どけ!!どけぇっ!!私は朋友(とも)を助けなければならない!!」
 鞭声。
 回避。
 「それは、こちらも…っ!!」
 衝突。
 間合。
 「同じだとでも言いたいのか!?亜人ごときが!!」
 一閃。
 旋回。
 防御。

 そして。
 
 「お前は、あの男に飼われているだけだろうがぁああああっ!!」
 「…っ!」
 何度目かの剣と剣のぶつかり合い。
 怒鳴り声が火花と共に弾けた。
 半亜人は瞠目した。女傭兵の言葉は本気だった。
 どくん、と何かが胸の内で脈打った。思考が、理性が、何かに染められていく。
 
 常時の彼女ならそんな言葉は無視した。
 人間なんて、亜人なんて、そんなものだろうと。半ば諦め気味に受け流していた。
 
 「………お前たちが…っ」

 だが、子供たちは種族にこだわらず遊びまわっていて。
 誰もが仲良く笑っていて。
 彼らの言葉に嘘はなくて。

 「お前たちみたいなのが…っ」

 そして、何よりも、


 ――種族は関係ないだろっ!?


 その言葉が彼女の胸の内で響いていた。

 
 「お前たちみたいなのがいるから…っ!!」

 シンチーの3本の角が鈍い光を発した。

 「世界は!!救われないっ!!!!」
 
 激しい音を立て、シンチーの剣がラナタを弾き飛ばした。
 「ぐぅぅっ!」
 初めてシンチーに意味のある反撃を許したラナタは驚きながらも即座に体勢を立て直す。
 今の隙を狙って相手が自分の懐まで接近してくると考えたからだ。
 だが、憎むべき亜人は仁王立ちで立って自分を両目で睨み付けていた。
 金色の目は怒りに輝き、角は紅く煌めいている。
 両目。その意味を理解したラナタは吐き捨てるように言った。
 「化け物め…」
 本気で殺しにいったにもかかわらず、不意打ちまでかけたにもかかわらず、命を奪うどころか与えた傷まで再生している亜人にはぴったりな称号であった。
 背後の銃声がいつの間にか鳴りやんでいた。
 どうやら何か進展があったらしい。
 「アルペジオ…」
 小さく呟いたその言葉はしかし、彼女には届かない。
 
 
 ――――

 ヌルヌットは言った。「人間の命令に忠実に従う」と。
 女軍人は言った。「機械兵、拘束せよ」と。
 女剣士は言った。「機械兵たちも止まれ」と。
 ロンドは言った。「機械兵たちも、撃つなら私を撃て」と。

 ロビンはまず最初の3つの情報から機械兵は口頭で下された命令を遂行する機械であると考えた。
 そこまではよかった。だが、それが甲皇国の軍人の命令だけを聞くものなのか確証がなかった。だから下手に動けなかった。
 だが、ロンドが思わぬところで機械兵たちに命令を下し、女軍人はそれを慌てて止めていた。
 確信した。この機械兵たち、そこまで性能が良くない。
 かくしてロビンは機械兵たちを相打ちにまで持ち込んだのであるが、彼はどうしても機械兵に「そこの軍人を殺せ」とは命令できなかった。
 

――――


 機械兵たちの銃撃の中、アルペジオはなんとかその場を離れた。
 命令を止めようにもあの男が妨害してくるのだ。
 実力行使というわけではない。ただ、彼女の命令を妨げるように別の命令を下してくる。
 だから一度機械兵たちから、しいては拘束対象たちから離れざるを得なかった。
 機械兵の命令システムを見破ったらしい男は匍匐前進で子供たちと一緒にその場から離脱していた。
 機械兵たちは彼らなどお構いなしに銃撃を続けている。当然だ。今機械兵たちに下されている命令は「機械兵を撃て」なのだから。人間には目もくれず、機械兵を狙い続けるのだ。
 まったく、まだまだ、実践投入はできそうにない。少なくとも敵の前では使えない。
 そうアルペジオが悪態をついているうちに一体の機械兵がついに倒れた。続いて二体目と三体目の機械兵が同士討ちのようにお互いを射抜いた。
 ロビンはそれを確認するやいなやアルペジオの方へと駆けだした。
「!」
 アルペジオが剣を構える。まだ武器を隠し持っていたのか。
 だが予想外にもロビンが繰り出したのは蹴りだった。それを躱してアルペジオは剣を振った。
 まさか、この男肉弾戦を挑もうというのか。
 余程の達人…否、違う。この男、囮だ。
 アルペジオがロビンが駆けてきた方向の反対方向へ眼をやると、果たして子供たちが怪我をした大人ともう一人、意識のない子供を一生懸命運んでいる最中だった。
 彼女が信頼するラナタは何事か叫びながらいまだに亜人と戦っている。
 となればここは自分しかいないのだ、とアルペジオは彼らを追おうとするが、当然ロビンがその邪魔をする。
 「ここを通しはしないよ」
 「…通ってみせる!!」
 気合と共に剣を構えた。

       

表紙

愛葉 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha