Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
【喪失】の断片集:1

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――【喪失】が綴られた聖典の頁。それを悲劇と呼ぶならば。



――――


 声が聞こえる。
 どこか懐かしい声。自分を慕う声。

 ――ぇ…ちゃん

 それは誰の声だっただろうか。
 もう覚えていない。
 自分を呼ぶその相手の顔も影になっていてよく見えない。
 大切な、誰か。
 自分たちを囲むように、いくつかの影が躍る。
 あぁ、そうか。そうだった。
 私はみんなと一緒に静かな日々を―…
 
 眼前にあぶくが躍った。

 情景が急転し、黒い潮が辺りを覆う。
 悲鳴が荒波のごとく寄せては引いていく。
 声が聞こえる。
 脅えた声が。自分を求める声が。
 
 守ろうとした。助けようとした。
 しかしその黒は2人を絶望的なまでに引き離す。

 ――…ちゃ……助け……

 叫んだ声は、伸ばした手は、決して届かない。
 黒い世界が回る。
 視界が泡沫かで溢れ、いつしか白へ成り変わる――


 「……は…のせいだろ!?」
 「そ……とないわよ!あ…があの罠……らお宝の場所もわ………じゃない!」
 深く深く沈んでいた意識を罵り合いが引き上げた。
 とろんと目を開く。口から洩れた吐息が1つ、泡となって目の前を通過していく。
 視界は黒でも白でも、蒼でもない。柘榴色だ。
 どうしてこんなに赤いのだろう。不思議に思って身をくねらせようとしたら窮屈だ。
 そうしてようやくここが酒樽の中で、この赤色は葡萄酒のそれだとわかった。
 ヒュドールは合点がいったようにざぱりと顔を水面から出した。
 葡萄酒を通して緩和されていた喧騒がいや増し耳障りに感じた。
 頭をふらふらと大儀そうに動かして眠気を覚まそうとする。
 だが頭が思いのほか重く、傾けるたびに均衡を崩してくらりと沈む。
 脳がとろけているようだ。
 しかし、心だけが何かを訴えて焦っている。
 いけない。このままではいけない。
 何か大切なものを【喪失】なくしてしまった気がする。気のせいだろうか。

 ぼんやりと天井を見上げる人魚をよそにケーゴとベルウッドの舌戦は続く。
 「しかも何で調査所の報奨金お前の取り分が一番多いんだよ!!」
 「あの緑色の宝石がついた首飾りを最初に触ったのがあたしだからよ!」
 「はぁ!?それマジで言ってんの!?俺があの転がって来た大岩破壊したり変な触手倒したりしたんだろうが!」
 「助けてくれてありがとう」
 「むっ」
 「でもそれとこれとは別!あんたはあたしとアンネリエのボディーガードに徹してなさい!分け前があるだけでもいいでしょ!!」
 ケーゴとベルウッドの言い合いもこれで何度目だろうか。
 アンネリエはふぅと疲れたように息をついた。彼女の周りを飛ぶピクシーは興味深そうに2人の応酬を聞いている。
 
 偶然見つけた洞窟に勢いで乗り込んだのが一昨日の事。
 魔物に襲われたり絡繰り仕掛けに苦心したりと色々あったなぁと思う。よく生きて帰れたなぁとも思う。
 魔物はケーゴが傷つきながらも倒してくれた。仕掛けはアンネリエが頭をしぼった。
 一番怖かったのはあの機械人形だ。あの憎むべき甲皇国の甲冑を彷彿させる錆色の機械兵士にアンネリエは危うく殺されるところだったのだ。
 しかしケーゴが身を呈し庇ってくれた。
 そして魔法でなんとか機械兵士を破壊することができたのだ。一体だけしか機械兵士がいなかったからよかったものの、あれが大量にいるような遺跡があったら自分たちは確実に死んでいた。
 そこまではいい。
 そこまではケーゴとアンネリエの美しい冒険譚で済んだ。
 問題は傷つき疲労困憊のケーゴの身をアンネリエが案じている間に隠れていたベルウッドが翡翠色の宝石がついた首飾りをちゃっかり手に入れていたことである。
 これにはさしものアンネリエも抗議をした。
 するとベルウッドはさも当然と言わんばかりにこう返した。
 「え?こういうのは早い者勝ちでしょ?」
 その時アンネリエは膝枕をしてあげていたケーゴの中で何かがぷつんと切れる音を確かに聞いた。
 彼の荒れっぷりは酷いもので、人間とも化け物とも判断のつかない叫びでそこら中に魔法弾をぶち放って暴れた。それが原因で洞窟が崩壊するのではないかと思ったくらいだ。
 恐らく自らに残された最低限の理性がここでベルウッドに怪我させるのはマズいだろうと判断したのだと思われる。
 が、いずれにせよこのままでは危ない。
 アンネリエがケーゴを杖でぽかぽか叩いてようやく彼は落ち着きを取り戻した。
 ちなみにこの間ベルウッドは既にその場から逃走していた。
 憤怒の形相で疲れも出血も無視してベルウッドに追いついたケーゴは持てるすべての語彙を用いて彼女を罵倒した。
 さすがに悪いと思ったのか、ベルウッドはひきつった顔でこのネックレスを報告所に持って行って情報料を払ってもらうと確約した。ただし山分けとは言わなかった。
 かくして、今度は情報料の分け前を巡って2人は大喧嘩しているのだ。
 アンネリエはため息をついた。それで何が解決するわけではないけれども。
 苦楽を共にしたのだ。もっと絆とか、信頼とか、お互い色々生まれてもいいではないか。
 それどころか、欠片ばかりのチームワークすら【喪失】うしなってしまった。
 命がけで戦って、最後の最後にあの仕打ち。ケーゴが怒るのも無理はない。
 ただ、そういう喧嘩はやめてほしいなぁとも思うのだ。
 なんというか、ものすごく俗っぽい。有体に言って見苦しい。
 いい加減このパーティ抜けた方がいいのではないだろうか。最近真剣にそう考えている。
 目当ての人物は見つからないし、自分はトレジャーハントに興味はないのだから毎回毎回危険に巻き込まれていてはたまらない。
 だけど。
 アンネリエは唇をへの字に曲げた。

 ケーゴと離れてしまうのはいかがなものか。

 ほんのり顔に熱を感じる。
 しゃべることのできない自分を一生懸命助けようとしてくれる。意見も尊重してくれる。そして、自分のことを守ってくれる。
 ただ、と未だに口喧嘩を続けるケーゴをちらと見る。
 それが恐ろしいと思う時がある。守られれば守られるほど、怖い。
 ケーゴが傷つくのが怖い。ケーゴがどこかに行ってしまうのが怖い。
 安らかに続く日々が一瞬で砕け散ってしまわないか、それがアンネリエの心に影を落とす。
 当のケーゴの舌戦は終わる様子がない。
 そういえば私は彼と口喧嘩、できないんだなぁと今更のように気づいた。
 試しにその名前を呼んでみようとしたが、口を開けてその後何をすればいいのかわからなかった。声ってどうやって出してたんだっけ。
 別に喧嘩をしたいわけではない。
 ただ、ベルウッドのように自分の言葉を思い切り彼にぶつけてみたい。
 その方がお互いの気持ちを理解しあえる気がする。
 ケーゴが自分の声を知ることはきっと一生ないだろう。
 それがなんだか寂しくて、彼への想いもしょんぼりと胸の奥でわだかまる。
 そんな彼らはというと、今は近くの酒樽に入っている人魚と話をしている。
 アンネリエの不満げな表情がより一層深くなった。
 自分を気遣ってくれるのは分かるけど、自分を助けてくれるのは嬉しいけど。
 それだけじゃ、足りない。
 改めて【喪失】なくしたものの大切さに気付いた。


――【喪失】を、取り戻したい。

     


――――


 「…そうか、彼は逝ってしまったのか」
 ゲオルクの表情に苦いものが混じる。
 ゼトセも辛そうに目を伏せた。
 ここは交易所のバー。ヒュドールのいる酒場ばかりが取り沙汰されるが、他にも様々な飲食店がミシュガルド大陸には存在している。
 賑やかな酒場で酔いどれに囲まれるのも悪くはないが、ゲオルクは町外れにある静かなバーで一人酒を呷る方が好きだ。
 店の隅では楽団が静かな曲を奏でている。
 隠れた名店の雰囲気にぴったりだ、とゼトセは思った。さすがゲオルク殿、凡人では辿り着かない粋の境地である。
 いつもなら口に出して賞賛していたのだけれど、今はその気力がわかない。
 自らの心の重たさにゼトセはただただ黙り込んだ。
 ゲオルクはそんな彼女にかける言葉を探した。

 過日の探索の報告をしに来たゼトセの表情に並々ならぬものを感じた彼はは行きつけの店に彼女を誘ったのだ。
 賑やかな場所ではなく、落ち着いた静かな店だからこそ言えることもあるだろうと考えたからだ。
 果たして彼の予想は当たっていて、ゼトセの話した内容は壮絶なものだった。
 一曲が終わるほどの時間をかけて、ようやく口を開く。
 「…立派な最期だったな」
 ゆっくりとそう評する。
 慰めではない。賞賛だ。
 ジョスリー・ヒザーニャだったか。結局ほとんど言葉を交わしていない。
 軽薄そうな男だと思っていたのだが、なかなかどうして芯のある男だったらしい。
 ゲオルクは重々しく一人の戦士を悼んだ。
 「……死んで立派も何もないである…」
 酒の飲めないゼトセの手にはエドマチ由来の“茶”という緑色の飲み物が入ったグラス。そのグラスが割れるほどに強く握りしめてゼトセは苦々しく漏らした。
 「生きてこそ、高名は得られるのである…!」
 ゲオルクは孫娘ほどに年齢の離れた少女が肩を震わせるのを黙って見た。
 彼の胸に去来するのは、痛感。
 ――あの大戦中、死は身近なものだった。
 当たり前のようにそこにあったからこそ、当然のように死にも価値や意味が求められた。
 仲間のために自らを犠牲にするヒザーニャの行動は真実崇高なもので、賛美に値する。
 それが。
 ゲオルクはウイスキーをくいと呷った。
 ゼトセはなおも涙をこらえて言葉を震わせている。
 「死んでしまっては、意味がないである…」
 この子たちにとって、死とはただ忌むべきものなのだ。
 いや、本来その方が正しかったのかもしれない。もはやこの老いぼれには変えることのできない価値観だ。
 大戦は全てを歪めてしまったのだ。命の価値ですら。

 それでも、ずっと変わらないものもある。それをゲオルクは知っている。
 ぽん、と優しく彼女の頭に手を乗せる。
 「死んだら終わり…か。なら、貴殿は生きよ、ゼトセ」
 「え…?」
 見上げる彼女の目が潤んでいる。
 ゲオルクは続けた。
 「忘れるな。【喪失】の痛みを。失った者自身を。彼の言葉を、思いを、全てを忘れるな。そして彼が掴み取った今の貴殿の生、それを大切にせよ。…遺された者の責務、しかと心に刻め。」
 どれだけ死が身近であっても、それだけは【喪失】わすれない。
 彼の信条。傭兵王と称される理由だ。
 「…それでも辛いである」
 ぼんやりとゼトセは呟いた。
 ゲオルクの言わんとするところは分かる。それが今の自分の支えになるだろうとも思う。
 それでも、納得しきれないのはまだまだ自分が子供だからだろうか。
 のろのろとゲオルクのグラスに目を向ける。
 そして思い付きのように尋ねた。
 「…お酒を飲めば、辛いのは消えるであるか?」
 予想外の質問にゲオルクは目を瞠る。
 が、やがて苦笑してゼトセの額を軽く指弾した。
 「いてっ」
 「若造が。酒などまだ早いわ。……今酒で痛みを誤魔化すことを知ったら、これから更に辛いことがあった時、身を潰すことになるぞ」
 それに、とゲオルクは付け加えた。
 「消えるのは一瞬の間だけ。酔いがさめれば更に辛くなる。それでも飲まずにはいられない時が…きっと貴殿にもやってくる」
 そう諭すゲオルクの目は優しい。
 むすっとした表情のゼトセの頭を乱暴にかき回す。
 この世代の子らは、戦争が終わった新しい世界を担うこの子らは、どんな未来を紡いでいくのだろうか。
 「10年…欲を言えば20年」
 もう自分は長くない。
 きっとこの子にはこれから様々な試練が襲い掛かる。この子だけではない。あの酒場で出会った子らにもだ。それでもがむしゃらに前に進むであろう、輝く灯。若い世代。それをいつまで見守っていられるだろうか。
 この子らが道を踏み外さないように、大切なものを胸に抱き続けていられるように。
 もはや老いぼれにはそれくらいしかできないのかもしれないな。
 唸るゼトセの隣でゲオルクの目に一瞬慈しみが映りこんだ。
 一方のゼトセはヒザーニャの死を一番嘆いた彼女のことを思い出していた。
 きっと彼女は彼のことを生涯【喪失】わすれないだろう。


――【喪失】は何にも代えがたい。だからこそ、ずっと胸に刻んでいよう。

     


――――


 「さて、今日こそ宿を探そうか」
 「えぇ」
 北門をくぐり開口一番そのやりとり。これを何度繰り返しただろうか。
 1人は青い髪を好き放題に跳ねさせ、背負われるほどの荷物をしょっている。顔も声もどこか落ち着きを持った青年だ。
 もう1人は赤紫色の髪を後ろで一つに束ね、申し訳程度の鎧を身に纏っている。頭に3本の角を生やした半亜人の女性だ。
 いつも通りの朝。いつも通りの会話。
 それでも、彼らの胸には癒えぬ【喪失】が刻まれている。
 ロビンは隣にいるシンチーが今までよりも自分に身を寄せていることに気づいていた。
 今までのシンチーならそんなことはしなかった。それを望んでいたとしても決して行動に移すことはしなかった。
 これはどうしたことだろうか、と考える意味もないほどの問いがロビンの頭に浮かんだ。
 そう、考えるまでもない。
 頑ななシンチーを変えたのは1人の冒険者だ。
 ロビンはその面影を探すかのように空を見上げた。
 臙脂色の髪ときざっぽい笑いが空の青に透けて見える。
 ジョスリー・ヒザーニャ。
 その声を聞くことは二度と叶わないのだ。
 と、そこでロビンは頭を振った。
 シンチーとヒザーニャの会話をロビンはほとんど知らない。知る必要もない。
 ただ、確実に何か彼の想いがあって、今シンチーはここに立っているのだ。
 誰よりもヒザーニャの死を嘆いたシンチーがこうして毅然と彼の想いに応えようとしている。
 ならば、自分もシンチーの気持ちを受け止めなければならないだろう。いつまでも彼のことを引きずるわけにはいかない。
 
 そう思いを新たにシンチーと向き合おうとしたのだが。
 「あっ、ロビンさん!シンチーさん!」
 交易所を南北に貫く大通りで、突然声をかけられた。
 どこかで聞いた声だなあと思って振り返ると、美人が手を振っている。
 むっ、とシンチーは眉をひそめた。
 あぁ、とロビンは手を振った。
 「ローロさんじゃないですか」
 金から紫へとグラデーションのかかる髪をまとめ、「アレク書店」と書かれたエプロンをしている女性は、笑みを浮かべながら人混みをかき分けて2人に近づいた。
 そしてぺこりと一礼。
 「ご無沙汰しております」
 「そうですね、最後に会ったのがもうずいぶん前に感じますよ」
 何気取った言い方してるんだ、と内心文句の1つでも投げてやろうと思ったシンチーだ。が、その腹の立つ言い方がどこか彼を思い出させて彼女は俯いた。
 そんなシンチーの心情などいざ知らず、ローロは小首をかしげて尋ねた。
「あの、その後学校のお話はどうなったんでしょう」
 予想外の質問にロビンとシンチーは顔を見合わせる。
 そういえば、そんな話もあった。
 あの後ロビンたちもロンドもそれどころではないトラブルに巻き込まれてしまって完全に忘れていたのだ。
 ロビンは取り繕うように笑った。
 「いやぁ、そういえばまだ手紙の返信がきてませんねぇ」
 本当は通信局に自分あての手紙があったか確かめてもいない。
 ローロはしょんぼりとそうですか、とだけ返した。
 罪悪感に苛まされる前にロビンは話題を変えた。
 「えーと、今日は店は休みなんですか?」
 「いえ、違いますよ。ちょっと用向きがあって通信局へ。ただ――」
 そこでローロは顔を輝かせた。
 「お店を手伝ってくれる人が見つかったんです!その子に今は店番を任せているんです!」
 「へー、それは良かったですね!」
 「ちょうどお話したいこともあったんです!紹介しますよ、いったんお店に来ませんか?」
 言いながら既にローロはロビンの腕を引っ張っている。
 ロビンはあまり抵抗せずに引っ張られ、シンチーは黙ってそれに続いた。
 少し気に入らないが、それでもこうしてロビンの腕を引っ張ってくれる人間がいることが嬉しくもあるのだ。


 アレク書店ミシュガルド支店は交易所の一角にあるこぢんまりとした店だ。
 誰もが冒険を求めてミシュガルド大陸にやってくるのであるが、あまり本を買いに大陸にやってくる者はいないため、その売り上げは芳しくないという。
 「よく人を雇えましたよねぇ」
 若干失礼なロビンの物言いにローロは苦笑した。
 「んー、確かにそうなんですけど、なんとかなんとか。ベッドとご飯の提供の条件でお店を手伝ってもらっているので」
 「あぁ、そういうこと」
 まぁそうしなければ生きていけないということだろう。
 財布でも過去に置いてきたのだろうか。
 取り留めのないことを考えていると、もうアレク書店の前だ。
 「さ、入ってください」
 ローロが扉を開けると来客を告げる鈴が軽やかな音を立てた。
 作業をしていたらしい後姿がその音を聞いて振り返る。
 強張っていた顔がローロの姿を確認するや和らいだ。
 「…お帰りなさい、ローロさん」
 安心したようにそう微笑む。
 背後でロビンとシンチーが瞠目し言葉を失っているなど知る由もなく、ローロも笑顔で応えた。


 「ただいま、アルペジオ」



       

表紙

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Neetsha