Neetel Inside 文芸新都
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「……ボーン・ダヴ!」
「……ボーン・クノッヘン!」
 音声管を伝い、鳴り響く歓呼の雄たけび。
 帝都マンシュタインの下町の酒場。
「フン…」
 不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、ゲオルクは麦酒をあおる。
 今年もアルフヘイム麦は中々甲皇国まで出回らない。
 庶民の酒と言われる麦酒でさえ高嶺の花となり、工業用アルコールや靴磨き用クリームや接着剤まで代用酒として摂取する者も現れているという。
 その中で、傭兵騎士として稼ぎは良いゲオルクは、何とかまともな麦酒にありつくことができていた。
 甲皇国の庶民の生活は、実に厳しい。
(ミシュガルドだの、ダヴの神の教えだの。くだらねぇ)
 口には出さないが、内心そう毒づく。
 クノッヘン皇帝の演説は、概ね甲皇民に支持されているが、それはミシュガルドや神の教えについてではない。
 豊かなアルフヘイムへ侵攻・植民地化することで、その富を収奪し、今の底辺な生活を楽にしたい。
 庶民はそれを期待しているから戦争を支持しているのだ。誰もミシュガルドやダヴの神など信じてやいないし、戦争の大義名分だろうと思っている。
 そしてゲオルクのような傭兵は、戦争が続けば続くほど、成り上がって富を築く機会も増える。
 ゲオルクが皇軍兵士ではなく、傭兵という道を選んだのにも理由がある。
 甲乙丙という貴族階級の下に存在する平民階級…即ち「丁民」にも序列があった。
 それを説明するには、甲乙丙家の成り立ちについても語らねばなるまい。
 数百年前、甲皇国がまだその名前になっていなかった頃、甲皇国のある西方大陸は幾つもの王家によって分裂していた。
 それらをまとめあげたのが甲家一族だが、最後まで覇権を巡って争ったのが乙家と丙家だった。
 乙家と丙家はそれぞれ甲家に降伏し、臣下となる。
 甲皇国に多額の税を納めねばならないが、乙家も丙家も広大な領地を保有したままだ。
 世が世がであれば、乙家と丙家の当主は一国の王だったのだ。
 つまり、甲家から一目置かれている存在である。
 それに引き換え、乙丙以外の弱小国は完全に滅び去った。
 それら弱小国は、甲家に併合されていく過程で次々と奴隷化され、蔑視されるようになる。
 ゆえに、「丁民」にも序列ができたのだ。
 甲乙丙家が支配する領地の丁民は、甲皇国臣民として貴族や士官になれる。
 だが、それ以外の弱小国の丁民は、殆どが下層民として差別され、軍隊に入れても下士官までにしかなれないし、殆ど一般兵卒で終わることが多い。傭兵か娼婦にでもなった方が、マシな生活ができるのだ。
 ゲオルクもまた下層民出身であった。
 そこから19歳にして傭兵騎士として成り上がるまで、文字通り何度も血反吐を吐く思いをして、死線を潜り抜けてきた。
 貴族の最下級の騎士身分、領地も持たない平の騎士。
 それでも下層民出身としては破格の出世なのだ。
 だが根底では、「俺は下層民だ。己の腕一本だけが信じるものだ」という思いは抱えたままだ。
 貴族など上流階級に対して鬱屈した劣等感を持ち、決して信用していない。
(────エレオノーラに近づくな、薄汚い傭兵め!)
 ヒステリックな女の叫びが、ゲオルクの耳朶にこびりついていた。
「……クソババアめ」
 エレオノーラの母である乙家の重鎮ジーン女伯爵。
 ジーンの家系は典型的な女系一族であり、代々女性が家の当主となってきた。
 エレオノーラも将来は家督を継いで女伯爵となる可能性が高い。
 傭兵と伯爵ではそれこそ虫と人間ほどの差がある。
 だが、平騎士と伯爵でも獣と人間ほどの差がある。
 ゲオルクはエレオノーラに強く惚れていたが、現状では正面から近寄ることもできずにいた。
「どうすればいい。どうすれば…」
 ゲオルクは焦っていた。
 一ヶ月ほど前のことだ。
 ゲオルクは海軍のペリソン提督の傭兵として雇われており、海上戦で活躍した戦功によって傭兵騎士として取り立てられたばかりだった。
 海軍は乙家の影響力が強く、ペリソン提督はジーン女伯爵の元にも夜会に招かれたりしていた。
 丁民出身のペリソン提督は、ゲオルクに何かと目をかけてくれ、その夜会にも護衛と称して同行させたのだ。
 そこで、ゲオルクはエレオノーラに出会い、一目ぼれをする。
(────何といっても胸がでかいのがいい)
 気品があり、胸も尻も豊満で、柔らかそうな肉。
 ゲオルクが戦場で相手してきた娼婦などとは比べ物にならない。
 ゲオルクとは何もかも正反対の生まれ育ちで、本物のお嬢様だ。
 ゲオルクはエレオノーラを楽しませようと、庶民の暮らしぶりや傭兵生活について大いに語った。
 エレオノーラは驚きつつも、好意的にとらえ、ゲオルクとの会話を楽しんでいた。
 その時は、ゲオルクも上手くいくと思っていたのだが……。
「やっぱあの時、強引にいったのがまずかったか」
 ゲオルクは深々と嘆息した。
 花も恥らう17歳の乙女エレオノーラは本当に見目麗しい。
 そのため、彼女に言い寄る年頃の貴族は数多い。
 ゲオルクはその言い寄る貴族らと衝突してしまう。
「決闘だ!」
 貴族のボンボンがいきり立ってゲオルクに剣を向けた。
 ゲオルクはせせら笑い、その剣を素手で掴む。
 そいつが剣を引こうとするが、ゲオルクは強く剣を掴んでびくともしない。
「へなちょこが」
 ゲオルクはばしん!と一発、そいつの頬を平手打ちしてやった。
 だがその衝撃で、そいつは目玉が一個飛び出て顎が外れていた。
 とんでもない流血沙汰を起こしてしまったゲオルクは、即座に夜会を追い出されてしまったのだ。
 追い出されていく際に、エレオノーラの悲しそうな表情が目に焼き付いて離れない。
「……あああ、やっちまったなぁ……」
 項垂れるゲオルク。 
 若さゆえのあやまち。血気盛んなのも問題である。
「くそっ!」
 やけになって麦酒をあおろうとして、その杯を掴む手を止められた。
「そのへんにしておけ」
 驚くゲオルク。
 酒場で一人で飲んでいたが、すぐ隣に人が座るのに気がつかないとは。
「何だ、てめぇ」
「小僧。口の利き方に気をつけろ」
 ゲオルクはその男が軍人であることに気がつく。
(────中尉か)
 ばつが悪そうにしつつも、ゲオルクは舐められないようにと悪態をついてみせる。
「お、俺なんかに…何の用だよ!?」
「私ではない」
 紙巻煙草を胸ポケットから取り出し、マッチで火を点ける。
 そのマッチ箱には、丙家の紋章。
「ふー」
 煙草をふかす中尉。
 傭兵騎士など見下しているのだろう。
 ゲオルクの顔を見もしない。
「────私などより、もっと上の御方が、貴様に用があるのさ」

       

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