15話 絶望

15話 絶望








 結婚しよう、とその若いちんぴらのような傭兵は言った。
 金貨がたくさん詰まっているらしき袋を手に、庭から自分の名を大声で叫び、愛してるんだ、顔を見せてくれと。
 男どころか恋も知らない生娘は、どう反応して良いか分からないまでも、女として求められる喜びもあり、嬉しいような誇らしいような気分である。
「でも、現実的じゃないわ」
 娘は大貴族の令嬢である。親からの惜しみない愛を受け、親が用意した人生設計にも疑問を挟むことなく受け入れてきた。恋だの愛だのといった不確かなものは、彼女の人生に入り込む隙は無かった。
 だからごめんなさい、あなたの申し出を受けることはできないわ。
 はっきりした拒絶の言葉を言うことはなかったが、その代わりに娘は窓を閉め、庭から呼びかけ続ける傭兵の前から姿を消した。
 これでいいんだ、身分違いだし、結婚しようにも障害は多いだろう。彼にそんな苦労をさせる訳にもいかないわ。そう自分に言い聞かせて。
「あなたに良縁を持ってきました」
 だが、母親が告げた結婚相手を知らされ、娘は膝が震えるのを抑え切れなかった。
 そんな、あんまりだわ。この国で最も尊い御方、皇帝陛下、でも60も過ぎたおじいちゃんだなんて。
 今更だし、身勝手かもしれないが、それなら情熱的に自分を求めてきた傭兵の方が良かった。
「はっきり言うわ。これは政治的な結婚よ」
 柔和で優しく、何でも自分のワガママに答えてくれていた母親が、この時ばかりは見た事もない冷たい表情で言った。
 これは、親の言いなりの人生を受け入れ、何も自分で決めてこなかった報いかもしれない。
 娘の意志はまったく無視され、慌しく嫁入りの準備が整えられた。
 だが結婚式というのも特に開かれることはなかった。皇帝の第9夫人として妻の末席に加えられるだけだからだった。
 初夜となり、緊張と涙でぼろぼろの顔で、薄絹の肌着一枚だけとなった娘は寝台で夫を待った。
 結婚前の顔合わせも何も無く、夫と初めて会うのが初夜となったのだ。
「胸も尻もでかいな」
 ぶしつけな目で自分を一瞥した夫は、初対面だというのに愛想の欠片もなく、不満そうに呟いた。
「無駄に肉がついている豚のような女は好かぬ。体つきは痩せて骨ばったものこそ美しい。幼い少年のような娘であったならまだ愛せるのだがな…」
 第8夫人までいて子供も多く残しているというのに、実のところ皇帝は男児性愛家だった。
「気はすすまんが、夫婦の義務は果たさねばならん」
 夫は寝台に仰向けに寝そべり、娘に向きあって、茂みに覆われた股間の部分を指差した。
 何をどうすれば良いか分からない生娘に、舐めて立たせろと、夫はぶっきらぼうに言い放った。
 溢れる涙を抑え切れないだけでなく、娘はその場で嘔吐しそうになった。
 ああ、何と不幸で、おぞましく、呪われた結婚だ。
 助けて、誰か助け…ゲオルク!───
 救いを求める白魚のような手が、絶望の闇に沈んだ。
 




「ゲオルクよ、よくぞ戻った…」
 仮面の奥の目が冷ややかに傭兵を見ていた。
 丙家将軍ホロヴィズの屋敷に、ハイランド探索の成果を報告するゲオルクだったが、待ち構えていたのは歓迎されざる空気だった。
 ホロヴィズの傍らに立つバーンブリッツ中尉を含め、室内だというのに黒い外套をまとった騎士が30人ばかり控えていた。ホロヴィズと同じような不気味な骨仮面を被った近衛兵だ。黒い外套の下から僅かに金属が擦れる音が聞こえた。鎖帷子や長剣で武装しているのは明らかだった。
(……ふん)
 屋敷に入る際に、貴人に会うための礼儀として、武器は預けねばならなかった。それでもいざという時の為に、皮のブーツの中に投げ刀子を1本忍ばせているが、これだけでは心もとないだろう。
 最も頼りにする愛剣こそ無いが、それでもゲオルクは傲岸不遜な表情を崩さなかった。
 気配で分かる。こいつらは“素人”だ。物々しい雰囲気を出しているが、そんなものをあからさまに見せてくるのは素人だ。プロなら何食わぬ顔で、武装も何も見せずに普段着で接してきて、警告もなくいきなり殺しにかかってくる。
 これは分かりやすい脅しなのだ。
 この程度、ゲオルクならば切り抜けるのも可能だが、さすがに血は見ないでは済まされない。この場にいる人間全て皆殺しにせねばならない。そして、この場にいる兵が全てでもないだろう。物陰に潜む弓兵も必ずどこかにいる。恐らくホロヴィズの本命はそちらだ。
「天空城アルドバラン──」
 ホロヴィズが呟き、ゲオルクの目が警戒の色を強める。
「かの城は、かつて我々甲皇国人が所有していたものなのだ。古代ミシュガルド文明の滅亡で、かの地から逃れてきたミシュガルドびとが我らの先祖。失われたミシュガルド文明の復活こそ、我らの悲願だ」
「……」
「わしはお前が羨ましいぞ、ゲオルク。その目で、その耳で、ミシュガルドの記憶に触れてきたのであろう!?」
「そうだ!」
 ゲオルクは答え、懐から赤いアスタローペの宝玉を取り出して見せる。
「だが、かの城について知りたければ、先に報酬を頂こう」
「…ほっほっほっ、良かろう。何を望む? 領地か、爵位か」
 領地、爵位。確かにそれを得たなら、エレオノーラに近づくことはできるだろう。
 だが、気にいらないのはこの歓迎されざる空気だ。手柄を称え、褒美をやろうという雰囲気ではない。何かを望んだとしても、言いくるめられ、反故にされてしまいそうだ。 
「俺の望みは──」
 言いかけて、ゲオルクは言いよどむ。
 どうせなら一番の目的だけを伝えた方が良いだろうと。
「───いや、俺が望むのはただ一つ。乙家伯爵令嬢エレオノーラ嬢だ。ホロヴィズ閣下の力添えでそれが成し遂げられないなら、この宝玉を持ってジーン伯爵の元へ行き、ミシュガルドの秘密を買ってもらうとしよう」
「エレオノーラ嬢だと?」
 骨仮面の下からでも分かるほど、ホロヴィズは爆笑した。
「何を望むかと思えば、たかが女一人…だが、残念だな」
 さっと手を振り上げるホロヴィズ。
 それに呼応して、30人の近衛兵がゲオルクに襲い掛かった。
「なっ…!」
 虚を突かれたものの、ゲオルクは応戦する。最初の1人を蹴り飛ばし、こぼれた長剣を拾おうとする。
 だが、石弓の矢が足元に飛んでくる。ゲオルクは長剣に近づくこともできない。
 徒手空拳だとしても、相手は素人だ。長剣を手に襲い掛かってくる近衛を片っ端から殴って蹴って叩き潰していく。たちまち5~6人ばかりの近衛の死体が積み上がる。
 手近な近衛の死体をわしづかみにして人間の盾としながら、石弓の矢も防ぐ。
 だが、奮戦は長くはもたなかった。
 ゲオルクの僅かな隙を突いて、他の近衛の影に潜んでいたバーンブリッツ中尉がゲオルクの眼前に現れる。鮮やかな右ストレートがゲオルクの顔面に吸い込まれていた。
「悪いな、小僧」
 バーンブリッツの動きだけ別格に速かった。彼だけが素人の中に混じった“プロ”だったという訳だ。
 たじろいだゲオルクは、後はもう殺到する近衛に揉みくちゃにされるがままだった。こうなっては素人だとか力量の差も関係ない。殴られ、蹴られ、散々である。
 魔物なんぞより、人間の方が恐ろしい───
 ハイランドの迷宮でボルトリックに語っていた自身の言葉を思い出す。
 まったくその通りである。
「それにしても、エレオノーラ嬢か……」
 ホロヴィズがゲオルクから奪った赤い宝玉を手に、くっくっと尚も笑っている。
「残念だが、その女は永遠に手に入らない。先週、皇帝陛下へ捧げられたばかりだ」
「……!!」
 頭を踏みつけられながらも、ゲオルクは目をカッと見開き、手を虚空へ伸ばした。
「返せ!!」
 それは何に対してなのか。
「返せ! クソ野郎が!!」
 獣のように、ゲオルクは吼えた。
 アスタローペの宝玉、または失われたエレオノーラを求めてのものか。
 だが無情にも、その手は近衛の革靴によって踏みつけられ、怒りの血だまりに沈んだ。





 ゲオルクを待っていたのは凄惨なる拷問だった。
 乙家は心を読む妖を使役しているらしい───と、噂されている。
 ゆえにホロヴィズは乙家にだけはゲオルクを渡す訳にはいかなかった。
 つまり最初から、ゲオルクを自由にさせておくつもりなど……領地や爵位などやるつもりも無かったということだ。
 ミシュガルドの秘密を独占すべく、ゲオルクは乙家の手の届かないところに監禁して尋問して吐かせねばならない。
 来る日も来る日も拷問を受けるゲオルク。
 熱した鉄棒で胸を焼かれ、鞭打ちされ…。
 食事は僅かなゴキブリと汚染された水だけ…。
 常人ならばとうに発狂しているであろう拷問に、だがゲオルクは黙秘を貫いた。 
 エレオノーラは奪われてしまった。
 しかし、まだ諦めてはいない。
 いずれこの牢獄から脱して、クソ野郎どもに復讐してやるのだ。
 それまでは……。
 怒りを心にたぎらせつつも、疲れ果てたゲオルクは牢につながれたまま眠っていた。
 と、そこに。
 ばしゃあ!と、水をかけられ、ゲオルクは目を覚ました。
「よう、散々だったな」
 水をかけたのは、いつもの拷問官ではなかった。先程までゲオルクを拷問していた拷問官は、ホロヴィズの趣味だろうか、彼同様に防疫の為に医者がつける鳥っぽい骨仮面をつけている。
 だが目の前にいる男は、浅黒い肌をした黒髪の若者で、大剣を帯びている。傭兵のようだ。
「俺はダンディ!よろしくな!」
 陽気な声だった。
「……」
 ゲオルクは拷問によって口の中が切れていて、上手く話し返せない。
 ダンディの足元には、ホロヴィズの部下の拷問官が倒れていた。
「甲皇国も酷いことをするもんだな…大丈夫か? 今、助けてやるぜ」
 厳重なはずのホロヴィズの屋敷の地下牢に侵入し、ゲオルクを救い出す。そんな芸当ができるこのダンディという傭兵は、かなりの凄腕なのだろう。
 SHWから派遣されてきたという傭兵ダンディ・ハーシェルが語ったところによると、今やSHWにおいてゲオルクとボルトリックの名声と値打ちは非常に高まっているという。
 ミシュガルドやアルドバランの秘密を知りたいSHWは、まずボルトリックを捕まえようとするが、彼は闇社会ともつながっている実力者だ。容易には手中にできない。
「そこでお前さんに目がつけられてるって訳さ」
 SHWとストライア兄弟が手を組み、甲皇国に多くの傭兵やエージェントを送り出しているという。ボルトリックはSHWにいるのが分かっているから良いが、ミシュガルドの秘密を知るかもしれないゲオルクを甲皇国に渡してはおけないという訳だ。
「しかしこんな目に遭わされてるとはね。お前さん、もう潮時じゃねぇか?」
「……潮時だと?」
「亡命さ。SHWは悪いようにゃしねぇよ。手厚い待遇で迎えてくれるさ」
「そうだな……」
 同意しつつ、ゲオルクは溜息をつく。
 結局、俺がやってきたことは何だったのか。
 たった一人の女を幸せにしてやることもできず、ただ闇雲に剣を振るい、命を奪ってきただけか。
 こんなクソったれた国のために…。
「……だが、まだやることがある」
 例え絶望の闇で覆われようが。
 ゲオルクの目は、まだ輝きを失ってはいない。






つづく