Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
16話 傭兵王

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16話 傭兵王







 月の高い夜だった。
 月明かりが帝都マンシュタインの汚れきった街並みを暴き立てる。
 マンシュタイン市街を縦断するデーニッツ河は、月影を水面に映し出すこともできない。糞尿や腐乱死体が浮かび、人体に有害な工業排水まで流され、真っ黒なヘドロの流れとなっているからだ。
 自然環境が破壊されつくした甲皇国において、農村部は過疎化が進み、都市部にばかり人口が集まっている。この国内最大人口100万の大都市は、ひしめき合うように高層住宅が建ち並び、汚染された自然から逃れるように身を寄せ合いながら人々が暮らしている。
 それでも貴族が住んでいる「上町」はそれなりに清潔さが保たれているが…平民や下層民がうごめく「下町」では、上下水道も整備されておらず、糞尿は窓から路地へ投げ捨てられ、悪臭に満ちている。
 ホロヴィズの屋敷から脱出したゲオルクは、街並みが一望できる郊外の小高い丘に寝転がり、そんな故郷の姿を眺めていた。
 これが見納めになるかもしれない。文字通りクソったれた故郷だが、青春時代を過ごした街でもある。思い入れがまったくないと言えば嘘になる。
 あそこの路地でゴキブリの揚げ物を売っていた親父には、よく盗み食いをするなと怒鳴られて蹴飛ばされたものだ。
 あっちの崩れかけた廃墟には、童貞を捨てた娼婦の家があった。あの娼婦は、衛生状態が悪い貧民街で体を売り続けたせいで、梅毒に侵され、体中に赤い発疹ができて血を吐いて死んでいった。
 その近くには、初めて行った戦争で戦果を挙げ、得た報酬で酒盛りをした安酒場がある。酒場の傭兵仲間どもはまだ生きているだろうか。
 甲皇国においては、軍人は甲・乙・丙家の貴族達が士官となり…平民やゲオルクのような下層民は殆どが下士官や兵どまりだ。
 特に下層民は傭兵になることを選び、権力に媚びないことを誇りにしていた。
「俺たちゃ傭兵♪ 己の命をチップとして♪ 命知らずの勇者達さ♪ 宮仕えなんてクソ食らえだ♪ 権力には屈しないぜ♪」
 肩を組み合い、酒盛りをしたあの傭兵どもは、1~2年ですぐに顔ぶれが変わっていった。どう言いつくろっても戦場は地獄だ。
 たった19年余りだが…いや、そういえばもう20歳になったのだったか。
 ゲオルクは自分の誕生日をはっきりと知らない。ゲオルクを拾った育ての親の傭兵ガラハドいわく、ゲオルクを拾ったのが冬だったので冬生まれということになっている。
 傭兵の道を選んだのは、ガラハドがそうだったというのもあるが、下層民だったからだ。
 甲・乙・丙家が治める領地以外で生まれ育った甲皇国民は、すべて下層民とされている。かつて甲皇国が成立する以前、幾つもの小国が群雄割拠していた。甲家に滅ぼされた小国は数多く、それら小国に属していたというだけで差別される下層民達に愛国心など無い。甲家に対する不満から、かつて滅んだ小国の王家の係累なんだと自称する者も多い。そうでも思わなければやっていられない、実に惨めな生活だから。
 ゲオルクは、ぎゅっと愛剣の柄を握り締めた。
 ホロヴィズの屋敷の倉庫を漁り、ゲオルクは己の愛剣、アルドバランで手に入れた宝玉と指輪も取り戻していた。
 すらり、と愛剣を鞘から抜いて確かめる。
 柄には特に飾り気は無いが、数々の戦いを潜り抜けてきたというのに、刀身はまだ傷一つつかずに鈍い鋼の輝きを放っていた。
 ───これは王の剣なのだ。
 育ての親であり、剣の師でもある傭兵ガラハドはそう言った。
 ガラハドが気まぐれにその剣を譲ってくれた時、甲家に滅ぼされた諸王国王家の忘れ形見だと称していた。
 虐げられ、差別されてきた傭兵達の、慰みの法螺話だと思っていたが…。
 改めてその剣を見ると、確かにどことなく不思議な力を持っているような気がする。
 ひょっとすると、本当に王の剣なのかもしれない。
「ゲオルク」
 と、大剣持ちの傭兵ダンディ・ハーシェルが近づき声をかけてきた。
「どうしても行くというのか」
 ああ、と短くゲオルクは答えてから、剣を鞘に収めてすっくと立ち上がる。
「愛のために」
「あ、愛だと?」
 意外な単語に、ダンディは思わず聞き返してしまう。
「愛する女を奪いに行く。傭兵なら、その腕で、欲しいものは勝ち取るまでだ」
「…だが、相手は甲皇国皇帝。簡単な話じゃない」
 ふっとゲオルクは鼻で笑う。
「傭兵は権力には屈しない」
「……」
 腕組みをして、ダンディは難しい顔をした。彼もまた、妻子を故郷に置いてきており、愛のために戦う戦士だった。少し話しただけだが、ゲオルクの人となりを見て、単なるちんぴらではない一本気の通った男だと認めていた。
(───だが、それなら尚更、死なせる訳には…)
「ゲオルクよ。お前は既に、単なる一介の傭兵という存在ではないのだぞ…」
 ダンディが語ったところによると、SHWではストライア兄弟の出資による「傭兵国家」の建設の話が持ち上がっているという。
 アルドバランの浮上により、ハイランドの大地には地獄まで通じているかのような大穴が空き、そこから恐るべき魔物達が湧き出ているという。その駆除をSHWは莫大なコストをかけてせねばならないのを嫌がっている。そのため、周辺住民への被害は広まる一方。
「お前がアルドバランなんぞを浮上させてしまったばかりにな」
「……俺の責任だというのか」
「すべてとは言わぬが、一端の責任はある。そして、“傭兵国家ハイランド”を建設し、魔物の駆除と治安維持を一挙に成し遂げようという訳だ。その傭兵達の王として、お前が推挙されている」
「俺が……王、だと!?」
「そうだ。まぁ、ストライア兄弟による傀儡国家だがな。SHW周辺にはそうした小国家が数多く成立している。知っての通り、SHWは甲皇国やアルフヘイムからの亡命者が多く集まってできた国だ。しかし、余りSHWだけが大きくなってしまっては目をつけられてしまうし、稀に亡命者を返還せよと要求が来ることもある。そうした要求をかわすため、独立した主権国家を別に作ろうという訳さ」
「なるほどな」
「世界中の傭兵が、お前を待ち望んでいる。あのハイランドの迷宮をたった一振りの剣だけをもって攻略し、伝説の天空城アルドバランを復活させたお前を」
「……」
「お前こそが、“傭兵王”を名乗るに相応しい男なのだ!」
 唾を飛ばし熱っぽく語るダンディに、ゲオルクは背を向けた。
「王ならば、后が必要だ」
「こいつめ…!」
 上手いこと言ったつもりか! 罵声を浴びせつつも、ダンディはゲオルクの背を追った。
 向かうは皇居グデーリアン城。
 浚われた王妃エレオノーラを救出するのだ。 



 

       

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