Neetel Inside 文芸新都
表紙

ミシュガルド戦記
27話 暗殺計画

見開き   最大化      

27話 暗殺計画








 目を覚ますと見慣れない天井だった。寒々しく、落ち着かない鏡張りのようなクリスタル造りの病室。私のような高貴なエルフの為には暖かな暖炉もある石造りの屋敷が別に建てられているから、そちらに運べば良いものを、オープンテラスで倒れたからと平民どもが使うような病室に運ばれたらしい。クリスタル造りの部屋は容易に造成や増築が可能で、蟻の巣のように複雑な構造をしており、感染症を防ぐ為にも病室は個室が基本となっている。個室といっても狭苦しいもので、この高貴なる私をこんなところに押し込んだことに腹立たしさを覚える。
 のみならず、まだ毒が抜けきっていないのか、吐き気がした。
「くそっ……忌々しい人間どもめ」
 私に毒を盛ったのは、水差しを持ってきた金髪の人間族の少年だった。
 これだから人間族など信用できない。エルフこそが至高にして高貴な存在。悪趣味にも人間を恋人としているクラウスなどは、エルフといってもしょせん下賤な平民だ。そんなやつにこのボルニアを任せることはできない。一刻も早く私がこのボルニアの指揮権を取り、アルフヘイムに平和を取り戻すために甲皇軍を撃退せねばならん。そうだ、あの地べたを這いずり回っていた平民ではなく、この高貴なる(四回目)私こそが英雄と呼ばれる資格のある存在であり…。
「やっと目覚めたか」
 ゾッとする冷たい声。気配がまったく感じられなかった。こんな狭い個室のいったいどこに潜んでいたのか。金髪の人間の少年…!
「貴様は!……むぐっ」
 声を出そうとしたが、乱暴に口を鷲掴みにされ、そのままベッドに押し倒された。華奢そうに見えるのに何という力強さだ。
「静かにしろ。フェデリコ・ゴールドウィン。本当に殺されたくなければ」
「……!」
 薄暗い病室の中、少年の金髪と青い瞳が煌々と輝いている。
 魔物。そう、見た目こそあどけない表情の少年だが、何か得体の知れない恐ろしさを覚える。ただの人間とは思えないような…。
 額に脂汗をにじませ、私は少年を刺激しないようゆっくりと頷く。
「…そう怯えるな。信じられないだろうが私はお前の味方だよ」
「味方ふぁと!?」
 口を抑えられたままだったので間抜けな声を出してしまう。
 少年は懐から書状を取り出して私に見せる。そこには確かに黄金色の蛇の紋章、即ちラギルゥー族の家紋が押されてあった。
 書状の内容を読み、私は愕然としてしまう。
 何ということだ…。
 これがアルフヘイムを代表する大貴族ラギルゥー族の選択だというのか…。
 ゴールドウィン家はラギルゥー族の一派だから、この命令に私は逆らうことはできない。
「エルフは優れた種族なのだろう?」
 嫌味ったらしく少年はせせら笑った。
「ならば、その内容が理解できぬほど、愚かではあるまい。それがアルフヘイムを救う唯一の方法だということも…」
  







「なんだぁ!? 人間ごときとは一緒にメシも食えねぇってのかよ!」
「当たり前だ! フェデリコ将軍のように毒を盛られかねないからな!」
 ここ最近というもの、ボルニア城内のオープンテラスでは言い争いの声が絶えない。
 それもすべて人間族と他の亜人族との争いだった。
 人間至上主義がまかり通る甲皇軍では、亜人兵というのは奴隷かアルフヘイムの裏切者であり、蔑視され区別されている。食事も同じ席では食べない。だがそれで軍内部の統制は取れている。
 アルフヘイム軍でも、エルフだけはエルフ至上主義的な考えはあるが、そのエルフ達にしても内心はともかく表向きは人種平等をうたっている。エルフも人間も混在する軍でも、基本的に兵卒の扱いに人種の差はない。食事も同じ席で取る。だがそれが軋轢を生み、軍の統制を妨げていた。
 リベラルは国を滅ぼす……という言葉がある。
 人種平等の理想をうたうほどには、アルフヘイムびとは成熟してはいないのだ。 
 侵略してくる甲皇軍が人間至上主義をうたっていることもあり、それに反発する意味でもアルフヘイム軍内での亜人達の結束や人種平等は必要なスローガンだった。
 だが、甲皇軍によるアルフヘイム大陸上陸侵攻が始まって四年ほどが経ち、その暴虐は激しさを増している。
 アルフヘイムびとは、表向き人種平等を叫びつつも、内心では人間族への怒りをふつふつと煮えたぎらせている。
 それが、エルフの将軍フェデリコ・ゴールドウィンを人間が毒殺しようとしたという事件が起きて以来、表に目立つようになってきていた。
 フェデリコという人物にはまったく人望は無い。全身を悪趣味な金ぴかの鎧で身を固め、無能で馬鹿げた作戦ばかり立案しては軍議を躍らせていた。だから彼が毒殺されかけても、殆どの人々は「いい気味だ」としか思わない。
 しかしながら、フェデリコはゴールドウィン家という、アルフヘイムではラギルゥー族と呼ばれる高位貴族たちの一派なのだ。
 その権勢におもねる人々も多く、特に貴族のエルフ達はラギルゥー族のおかげで立場を守れている。
 戦争で国全体が危機に瀕している中、土地や財産を持つ貴族達は自分たちだけでも助かろうとする。
 何も持たない庶民に比べると、保守的に人間など排斥すべきだと考えるのは当然のことだった。
「お前たち人間などと、一緒にいられるものか!」
「そうだ! 甲皇軍のスパイどもめ!」
「多くの同胞が人間どもに嬲り殺された。人間め、アルフヘイムから出ていけ!」
 テラスでは次第に、保守派の声の方が大きくなってきていた。
「くそっ……」
 旗色が悪いとみて、人間のアルフヘイム兵が兜を脱いでその場に捨てる。その男はSHW経由で雇われた傭兵らしかった。
「お望み通り、出ていってやらぁ!」
 ぺっと唾を吐いて、その人間の傭兵はテラスを出ていった。
「……やれやれ。潮時かもしれんなぁ」
 そんな様子を眺めていて大きく嘆息したのは、先程出て行った人間の傭兵と同じような格好の傭兵。ただ、先程の彼よりもずっと年がいっており、男らしい口髭をたくわえている。壮年期にさしかかっているが、中年太りすることなく引き締まった体つき。背中には巨大な両手剣を背負っている。
「おヌシも出ていくのか? ダンディ」
 その壮年の傭兵と肩を並べるのは、これまた老年にさしかかったエルフ兵だった。色を失った白長髪に、隻眼で眼帯をつけ、細長いエドマチ風のカタナを背負っている。
「いや。友が来るまで、ここで持ちこたえねばならんだろう」
「傭兵王ゲオルク、か」
「そうだ。シャム殿もよくご存じの……」
 ダンディとシャム。ここ半年ほどで知り合った二人だが、両者ともハイランドの傭兵王ゲオルクと浅からぬ縁があり、意気投合していた。
「ウム。だがこんな状況では、ますますハイランド王国としての参戦は難しいのではナイか?」
「然り。そもそもアルフヘイムの貴族達は、本当に戦争に勝つ気があるのか疑問だ。俺のような一介の傭兵でさえ、SHWを通じてこのようにアルフヘイム側へ参戦するのに紹介状やら身分照会やら、煩雑な手続きが必要だった。ボルニアにはアーウィン将軍がいるが、彼はSHWでの留学経験がある。俺がボルニアに来れたのは彼の紹介のおかげだった」
「そんな手間がかかってしまうのも、すべて“蛇魔女”のせいだナ。四年前、SHWからの傭兵としてアルフヘイム軍内部に潜入、防壁魔導士達を殺し、甲皇軍の上陸を許した……あの女傭兵ラナタの苦い記憶があるために。今は、あの時とそっくり同じ状況ダ」
「ゆえに、難しいのは分かるが…」
 ダンディは髭を撫で、片目を閉じて思案顔となる。
「…指揮官も兵士も武器も足らん。亜人達は個々の身体的な戦闘能力こそ高いが、人間の戦い方というものをまるで分かっておらん。SHWはそれを教えてやれるというのに」
 ダンディは軍事顧問として、ボルニアの築城にも携わっていた。
 SHWの軍事技術とウッドピクス族の固有魔法があってこそ、初めてボルニア式築城術は完成を見て、甲皇軍にも対抗できている。
 このようにアルフヘイム全体がもっとSHWの介入を受け入れていれば、戦況がもっと楽になるのは明らかなのだが…。
「あとは、傭兵王が来れば、少しはましな戦いができるだろうナ」
「然り。我が友ゲオルクは、甲皇国との因縁もある。喜んでアルフヘイム側へ参戦すると言っていた。しかし、アルフヘイム側としては人間ばかりが主戦力のハイランド軍は受け入れがたいようだ。ゲオルクも色々と動いてはいるが…」
 口にこそしないが、ダンディにはその理由も分かっていた。
 SHWというのは国としての体裁は取っているが、実態は企業そのものだ。利益にならないことはしない。
 甲皇国とアルフヘイムの戦争が長引くことにより、貿易関連のシェアの過半をSHWが独占している状況が続いている。SHWにとっては、自分達は消耗せずに、甲皇国とアルフヘイムが潰しあってくれている方がありがたいのだ。
 だが、いよいよ甲皇軍がアルフヘイムを完全に征服してしまいかねないとなれば、その時はSHWは「戦いを長引かせるために」アルフヘイム側へ参戦する可能性は高い。
 そういう目論見で、優勢な甲皇軍ではなく、劣勢のアルフヘイムへ傭兵を派遣しようとする動きはある。
 だから現時点ではSHW全体としての参戦は難しいだろうが、SHWの衛星国家にしか過ぎない小国ハイランドとしてならばアルフヘイム側へ参戦することは可能だった。
「ゲオルクは、他のSHWの小国家にも呼びかけ、アルフヘイム側へ参戦しようとしている。だが、多くの国々は劣勢のアルフヘイムへ与することに消極的だ。中立を保った方が通商交易上では有利というのもある…。せめて、アルフヘイム側が大金をはたいて傭兵を雇い入れるという受け入れ態勢さえ整えば良いのだが…」
「今の状況では難しいナ」
「背に腹は代えられぬだろうに…」
 ────ダンディ。息子を、アーベルを頼む。
 ダンディは嘆息する。
 義を見てせざるは勇無きなり。
 そのような考えと、未だ戦列に加われない友ゲオルクの為に、立ち上がったものの…。
 存分に背中の大剣を振るうには、アルフヘイムは狭かった。





「へっへっへ、あれで良かったんですかねー?」
 卑屈に笑うのは、先程テラスから出て行った人間の傭兵だった。
「ああ、良い仕事だった」
 彼の前に、あどけない表情をした少年がいた。
 フェデリコを毒殺しようとした犯人ということでこの少年はボルニアで指名手配されていたが、蟻の巣のようなボルニア城内のいずこかへ潜伏し、行方をくらませていた。
 フェデリコは人々に嫌われているということもあって誰も真剣に犯人を探そうとはしていなかったし、この少年も目立つ金髪を黒いフードで覆い隠して給仕や雑用係に扮しているので、誰にも見咎められることはなかった。
 テラスで騒いでいた傭兵は、この少年に雇われていたのだった。
「しかし複雑ですねぇ~。ちょっとだけ甲皇国で差別される亜人達の気持ちが分かっちゃいましたよ」
「ふん。確かに人間も亜人も変わらんな。ジョニー、貴様は甲皇国では下層民だったな?」
「ええ、そうですね」
「気づいたか? 亜人でも人間を差別するのはエルフの貴族どもだ。人間でも亜人差別をするのは貴族たち。要は、金持ちというのは保守的になるものなのさ」
「金があっても心は貧しいっすね。いや、金があるから心が貧しくなるのかな?」
「ふふ、じゃあこれはいらないか?」
「いやいや、それとこれとは話が別でしょ」
「ふん、報酬は払うさ」
 ジョニーが催促すると、金髪の少年は懐から金貨袋を取り出した。
「おお、金貨袋が重たい…さっすが皇太子直属の傭兵騎士さまだ」
「今回の任務は私一人だけでは難しい。ゆえに、お前のような傭兵を多くボルニアに潜り込ませているからな…」
 フェデリコに毒を盛った少年は、やはりアーベルことアウグストであった。
 甲皇国皇太子ユリウスの配下たる彼の任務は、ボルニア攻略の要といえるクラウスの暗殺。
 ボルニアには侵入することができたものの、雑用係となってクラウスの身の回りを張っていたが、将軍となったクラウスには「親衛隊」が付き従っていて、中々隙がなかった。フェデリコと違って人望もあり、毒殺にせよ刺殺にせよ暗殺は難しいと見た。
 そこでまず、クラウスの立場を危うくすることを図ったのだ。
 平民出身のクラウスはリベラルな考えを持ち、能力次第では人間でも重用する実務主義。そして恋人は人間の女ミーシャである。
 こうしたクラウスの姿勢は、保守的なエルフ貴族には目障りだった。
 クラウスを丸裸にする為に、まずフェデリコのような保守的な貴族達を焚き付けて人間排斥の感情を呼び起こす。
 その為に、ジョニーのような人間の傭兵を使ってあちこちで騒ぎを起こさせていたのだった。
 次第に、クラウスは身の回りの人間の部下や恋人をかばい切れなくなるだろう。
(クラウス将軍、か…)
 将軍という地位にふさわしく、もうクラウスは貴族の仲間入りとなっていて、空手形ながら甲皇軍を撃退した暁には領地や財産が与えられることになっている。
 にも関わらず、貴族らしい感じは一切ない。兵卒らと食事を共にし、誰にでも分け隔てなく接する。
 保守的な貴族とは別の立場で、純粋に国、即ち人々を守るために立ち上がったという。
 金や地位の為ではなく、愛の為に戦っているのだ。
 殺すには惜しい人物だが、だからこそ敵方としては最も恐ろしい人物。
 ────戦争を終わらせる為には。
 クラウスが言った言葉を、アウグストは反芻していた。
「甲皇軍を率いる総司令官、ユリウス皇太子が目下最大の障害となるでしょう」
 クラウスがアルフヘイム正規軍のアーウィン将軍を相手に話しているところを、アウグストは近くで盗み聞きしていた。
 クラウスもアーウィンも、驚くほど正確に甲皇国の内情に精通していた。
 アウグストは知らなかったが、甲皇国にもアルフヘイム側のスパイが侵入していて、ある程度の甲皇国事情ならばアルフヘイム軍上層部は把握していたのだ。
「甲皇国皇帝クノッヘンは老齢だ。皇帝崩御となれば、ユリウス皇太子が皇帝となるだろうが……どうも近年、それが怪しくなってきた」
「ああ。“監視部隊”から得た、我々が掴んでいる情報によれば…」
 クラウスの言葉を継いで、アーウィンが続ける。
「近年、皇帝はすっかり老いて気が弱くなっているが、しきりに“ミゲルを皇帝にしたい”と呟いているそうだ。なぜ皇帝の意のままに人間至上主義を貫くユリウス皇太子ではなく、乙家の博愛主義にかぶれているという第三皇位継承権者に過ぎないミゲル皇子なのか? 調べたところ、ミゲルは甲皇国の皇子とはとても思えないほど気弱な少年というではないか」
「はい。これは極々一部の甲皇国の高位貴族の間でのみ噂されていることですが…どうもユリウスにはクノッヘンの血が流れていない疑惑があるそうです。三十年ほど前、ユリウスが生まれる前のこと、彼の母エレオノーラは別の男性と繋がっていた疑惑があり…。その別の男性というのがどうもハイランド王国のゲオルク王とのこと。事実、エレオノーラは夫やユリウスを捨ててゲオルクの元へ走っている…」
「そもそもユリウスはゲオルクの子種だったのではないか?ということだな」
「然り。ただ確証はないので、未だユリウスは皇太子のままでいる。そんな疑惑を払う為にも、ユリウスは他の皇位継承権者が口出しできないぐらいの手柄を必要としている」
「それが、アルフヘイムの完全征服か…」
「逆に、そのユリウスの野望さえ挫けば、ユリウスを支持する主戦派貴族の丙家の発言力は落ち、ミゲルを支持する和平派貴族の乙家の発言力は増す。なんとなれば、クノッヘンも和平交渉へ応じるでしょう」
「つまり戦争を終わらせるには…」
「ユリウス暗殺が最も近道」
 そうして、どうユリウスを暗殺するかで、クラウスとアーウィンがずっと語り合っていたのだった。
(やつは危険だ)
 改めて、アウグストはそう認識していた。
 まさかユリウスの出自についてまで知っているとは。兄の為にも、この事を知るものはすべて葬らねばならないというのに…。
 やはり兄ユリウスの言うことに間違いはなかったのだ。
 アウグストもまた、敬愛する兄の為に戦う男だった。
「ジョニー」
「へぇ、なんでしょう」
「ボルニアに潜入させた傭兵たちを使い、もう一仕事してもらうぞ」







 

 ダヴ歴456年6月。
 クラウスの蜂起から1年、アルフヘイムに再び冬が訪れていた。
 内陸部にあるボルニア周囲にあるナルヴィア大河は完全に凍結し、進軍を容易くさせてしまう。
 ボルニア攻略が難しいと見た甲皇軍は二手に分かれ、ボルニア包囲軍とは別に三万の大軍を渡河作戦に向かわせた。
 ナルヴィア大河を渡れば、あとはもう聖都セントヴェリアまで遮るものは何もない。
 甲皇軍渡河部隊を率いるのはユリウス皇太子、ホロヴィズ大将、そしてゲル・グリップの第一打撃軍団。つまり甲皇軍最強の部隊が動きだしていた。
 通常、甲皇軍で前線に出てくるのは大佐クラスまでで、将官が兵を直接指揮することはない。
 それが異例なことに、総司令官であるユリウス皇太子までが帯剣して軍馬に跨っているという。
「誘っているのか…」
 ボルニアに駐留する二万八千のアーウィン将軍のアルフヘイム正規軍、そして五千のクラウス騎士団。
 彼らはそのままボルニアに留まるか、ユリウスを討ちに行くかの選択を迫られる。
「ここは勝負に出て、全軍でユリウスを討ちにいくべきでは!?」
「いや、ボルニア包囲を続けている甲皇軍もおよそ四万もいる。奴らを無視することはできない」
 ボルニア軍上層部の軍議はまたも紛糾し、方針を決めかねていた。
 取れる戦略はそう多くはない。
 まずユリウス率いる三万の甲皇軍は精鋭かもしれないが、それだけで聖都セントヴェリアを攻略するのは難しいのではないか? という意見が出る。
 セントヴェリアにもアルフヘイム側の戦力はまだ残されている。ノースエルフやエンジェルエルフ族らの軍勢、まだエルフに対して非協力的な構えを見せていた亜人族の軍勢も駐留している。聖都が危機となれば、さすがに彼らも結束して戦うだろう。
 一方、ボルニア包囲を続ける甲皇軍は四万にも及び、それを無視してボルニアを離れるのもリスクは大きい。
 だが、戦争を終わらせる為には、甲皇軍総司令ユリウスを討つのが最も近道であり、今がその最大の好機というのも間違いなかった。
 ボルニア全軍であたらねば、甲皇軍の精鋭三万に守られるユリウスを討つのは至難の業だろう。
「……」
 態度を決めかねているボルニア軍幕僚らの視線がクラウスに集中し、彼の言葉を待っている。
 クラウスは腕組みをして、黙して地図を見つめている。 
 とっくに結論は出ていた。
 例え誘いだとしても、今のボルニア全軍でユリウスを討つのが最も適切な行動だと。ボルニアをもぬけの殻にする訳にはいかないが、ボルニア要塞は堅牢だ。ウッドピクス族だけでも守れるだろう。だからアルフヘイム正規軍二万八千とクラウス騎士団五千とでユリウスを討つ。
 だが、懸念もある。
 ボルニアに漂う不穏な空気。人間へ対する排斥感情。人間の部下や恋人を持つクラウスへの反発を高めるエルフ貴族達。
 この状態でまともな戦いができるのか?
 いや、戦わねばならないのだ。
「全軍でユリウスを───」
「待て待て待て!」
 言葉を発しようとしたクラウスを、いきなり部屋に飛び込んできた男が制する。
「フェデリコ将軍!?(こんな時に……)」
「もう起き上がって大丈夫なのか?(いっそ寝たきりでいてくれればよいのに)」
 軍議の場にいた人々は顔を歪めつつも、フェデリコを案じる言葉をかける。
 毒殺されかかり、それからずっと臥せっていたフェデリコは、まだ体調が悪いのか青白い肌をしているが、興奮のためか気色ばんでいる。
「スパイの裏切者の言うことなどを、諸君は信じてついていくのかね!」
 口角泡を飛ばし、激するフェデリコの告発はおよそ次のようなことだった。
 自分を毒殺しようとした人間の少年は、クラウスに雇われていた疑惑がある。
 事実、クラウスは配下に人間も多く抱えており、恋人としているのも人間だ。
 ボルニアの軍議でクラウスと対立することの多かった自分を殺し、ボルニアを意のままにしようとしていたのだ。
「根も葉もない事を」
 クラウスは静かに怒りをたたえ、フェデリコを睨み付けた。
 愚かだとは思っていたが、根拠のない妄想を口走るほどだったとは。
「…いや、フェデリコの言うことにも一理はある」
 思いかけない人物からの横やりに、クラウスは今度こそ耳を疑った。
「アーウィン将軍…!?」
 エルフの貴族連中でも最も良識派であり、有能な将軍だとクラウスも信頼していたアーウィン。
 だが彼は、別人のように冷たい目でクラウスを見据えていた。
 つい先日、いかに戦いを終わらせるかで個人的に二人で会話したところで、アルフヘイムの貴族も平民もあらゆる部族もが結束して甲皇軍に立ち向かうべきだとか、そういった考えも同じくすると思っていたところだというのに。
「私にも先日、暗殺者の手が伸びていたところでね…」
 アーウィンが語ったところによれば、フェデリコ同様に毒殺されかかったり、はっきりと人間の傭兵に剣を向けられたことも幾度かあったという。幸い、彼は護身用に即死魔法の杖を持ち歩いているので、襲い来る暗殺者をいずれも撃退してはいた。
「フッ…なんとなんと、アーウィン殿もだったか」
「アッシュ殿…!?」
 そう言ってにやりと笑うのはボルニアを領地とするウッドピクス族の戦士アッシュだった。
「私も狙われたよ。まぁ、この影を操る力により、事なきを得たがな…が、しかし」
 アッシュの目は木の洞のようになっており表情や感情が読めない。だが普段の人を食ったような冷静な雰囲気とは違う。何かを秘めているような凄みを感じさせた。
「我が父グレイは……暗殺者の手にかかり……」
「なんと」
「グレイ大公が!?」
 どよめく一同。
 父を殺されたというがアッシュに悲しむそぶりはない。怒りだけをたぎらせていた。
「父が殺されたことにより、現在のウッドピクス族の族長、ひいてはボルニア大公は私が継ぐこととなる」
「……」
「我が父グレイ、私、アーウィン将軍、フェデリコ将軍…! いずれもボルニアを代表する者たち。それらすべてが暗殺者によって狙われている中で…」
 みなの視線がクラウスに集まった。
 真っ先に狙われてもおかしくないクラウスだけが、ただの一度も狙われていない。襲ってくるのはいずれも人間の傭兵ばかり。それが意味するところとは…。
 はっきりとした証拠はないが、クラウスへの疑惑だけが高まってしまっていた。
 ボルニア軍上層部は既に互いへの不信で凝り固まっている。
 これでは戦いにならない…。
「我がウッドピクス族はボルニアを守る義務がある。軍勢を動かすことはない」
 アッシュの言葉に続き、アーウィンが頷く。
「我らアルフヘイム正規軍も同じだ。上からの指示はないゆえ、軍勢を動かすことはできない」
 クラウスは歯ぎしりをした。
 甲皇軍のスパイがこの騒動をけしかけているのだろうが、こういうやり方で来るとは。
 クラウス騎士団五千だけではユリウスを討つことは不可能だ。
 かといってユリウス率いる三万をこのまま見過ごすというのは…。
「クラウス!」
「将軍!」
 その時、軍議の場にエルフの少女にオウガの男が飛び込んでくる。ビビとニコロだった。
 緊迫した表情を見せる二人に、クラウスはいよいよ顔面蒼白となった。
「「ミーシャが!!」」











つづく

       

表紙
Tweet

Neetsha