Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
29話 ナルヴィア大河の決戦

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29話 ナルヴィア大河の決戦











「いや~~…あと一息というところだったのに、惜しかったですなぁ」
 背後からジョニーにそう声を掛けられるが、今は一刻を争う時であり、アウグストは短く「そうだな」とそっけなく答える。
 二人はフードで身を隠し、軍馬やプレーリードラゴンも使えない険しい山中を速足で駆けていた。
 甲皇国皇太子ユリウスの命を受け、要塞都市ボルニアに潜入した傭兵騎士アウグストの工作任務はおおむね成功していた。
 今や、鉄壁を誇ったボルニアは、突けば容易に崩れ落ちる土壁である。壁の中はなみなみと不信という雨が溜まり、あちらこちらから水が漏れ出てしまっている。
 アルフヘイム中から様々な種族や立場の軍が集ったボルニアは、“英雄”クラウスの存在により強く結びつき、甲皇軍の攻勢をよく防いでいた。鉄の統制とうたわれた甲皇軍と互角、いやそれ以上の統制でもってボルニアは鉄壁となったのである。
 クラウスさえいなければ……そう考えた皇太子ユリウスは、アウグストをボルニアに送り込んだ。しかし、主に女性兵士による親衛隊が身辺を固めるクラウスには、アウグストが容易に近づくのも難しい。
 そこでアウグストは、直接クラウスの命を狙うのではなく、ボルニアにおけるクラウスの立場をまずくする策を様々行った訳だった。
 クラウスを疎んじるプライドの高いエルフの将軍フェデリコに毒を盛り…。
 そのフェデリコとクラウスの対立を、ボルニアにくすぶる人種差別感情を煽ることで更に深め…。
 同じくクラウスの味方と目されるエルフのアーウィン将軍、ウッドピクス族のアッシュの猜疑心に火をつけ…。
 そう、あと一息というところだった。
 残念ながら時間切れである。
 この6月に入ってすぐ、ユリウスからアウグストへは何の連絡もなく、甲皇軍が動き出した。
 あと一息でボルニアに決定的な亀裂をもたらし、クラウスの暗殺にも成功したかもしれないというところだったのに、なぜユリウスは待てなかったのか。
(兄上は何を焦っておられるのだ。もしや、本国で何か…?)
 アウグストが知る限り、皇太子ユリウスは豪胆な人物であり、人間至上主義と帝国主義をとる甲皇国の皇子として申し分がない。能力的にも人格的にも思想的にも隙が無い。
 そんなユリウスが焦ることがあるとすれば、それは皇太子の地位が脅かされる時だけだ。
 エントヴァイエン皇子、ガデンツァ皇女…他の皇位継承権者たちが、次期皇帝の座を狙って暗躍している。
 一見、盤石に見える皇太子の地位だが、実はそうではない。
 特に皇帝クノッヘンが溺愛しているという第三皇位継承権者・ミゲルの存在が厄介である。
 普通に考えれば皇太子となったユリウスが次期皇帝になるのに何の障害もない。いくらクノッヘンがミゲルを溺愛しているといっても、一度決められた皇位継承権順位は覆らないと思われた。
 しかし、ユリウスには出自にまつわる弱みがある。それを突かれれば、本国での民衆の人気も高く、大貴族の丙家本筋からの支持もあり、軍士官・兵卒からも一目置かれるユリウスといえど、あっという間に立場を失う恐れがある。
(状況確認が優先だ。今は一刻も早く、兄上の元へ戻らなければ)
 ユリウスが動いたために、クラウスも軍を率いてボルニアを発つ動きを見せていた。
 兄と慕うユリウスのために動くアウグストも、このままボルニアにいても兄の役には立たないと思い、状況を把握するためにも兄の元へ駆けつけるべく急いでいた。
「がぁ…!」
「!」
 その時、背後を走るジョニーのうめき声が聞こえた。
 咄嗟に振りかえり、アウグストは腰の剣に手をかける。
 寒気が走り、額に冷や汗が流れる。
 兄の為と思って急いでボルニアを出たのがまずかったか。いくらボルニアが土壁になったといっても、それでも人の出入りは厳しく監視されていたらしい。
 アウグストとジョニーに追手がかかっていた。
 ジョニーもそれなりに戦場を潜り抜けてきた甲皇国の傭兵だ。身体能力に優れた亜人兵が相手だとしても、そうそう遅れを取ることはない。
 ───しかも、目の前にいるのは年端もいかないエルフの少女だった。
 殆ど裸のように露出度の高い軽装で、野山を駆けて二人を追いすがってきたのだろうか、武器すら持っていない。
 ジョニーはそのエルフの少女に蹴り倒され、一撃で地面に沈んでしまっている。ぴくりとも動かない。
 逃げるか、踏みとどまって戦うか。
 アウグストは長剣を横凪ぎに払うように振った。
 追いかけてきた相手はそのエルフの少女一人だ。しかも武器すら持っていない。軽装だから足は早いだろう。ならば、戦う他ないのだ。
 しかし、アウグストの剣は空を切った。
 アウグスト自身も甲皇軍で武勲をあげ、成り上がった傭兵騎士である。一兵卒のジョニーよりも遥かに腕に覚えはある。
「はぁ! とぉ!」
 裂帛の気合を込め、アウグストは剣を振るい続けるが、やはりエルフの少女にはかすりもしない。
 緋の眼が光った。ように見えた。
 首筋に衝撃を感じ、アウグストは地に沈む。
「あ…にうえ……」
 意識が混濁していく中、アウグストは兄の身を案じる。







 そんなアウグストのことなど露知らず、ユリウスは堂々たる行軍を続けていた。
 第一打撃軍を中核とした精鋭三万は、亜人からの奇襲を警戒して周囲に気を配りながら、ナルヴィア大河へと向かっていた。凍結した大河を越えて、一気にアルフヘイムの都たるセントヴェリアを陥落しようというのだ。
「進め! 進めぇい!」
 軍の先頭に立って兵卒を鼓舞するのは、第一打撃軍団長であるゲル・グリップ大佐である。
 かつて“竜の牙”事件において、甲皇国の帝都マンシュタインを襲ったレドフィンを撃退したのはユリウスとされているが、その時共に戦ったのがゲル・グリップ大佐である。その勇猛ぶりから“独眼鉄拳”とうたわれる。彼もまた甲皇軍の誇る優秀な士官だ。
「はぁ、はぁ…」
 兵士の足が鈍っている。無理もない。ろくに休息も取らない強行軍だ。
「歩け、歩け! 殴り殺されたいか!」
 ゲルの叱咤が、限界を超えた兵士をなおも突き動かす。
 近代的な軍隊といっても戦闘車両や軍馬が全ての甲皇軍人に行き渡っている訳ではなく、主力となる歩兵は文字通り徒歩で行軍する。
 甲皇軍はここ2日でおよそ100キロメートル以上もの距離を行軍していたが、これは異常な速度だった。
 万全の状態で戦闘ができる能力を保ちつつ行軍するなら、その半分の50キロメートルでも強行軍に過ぎる。
 案の定、大半の歩兵は靴底がべろべろにはがれ、血豆ができ、流血しながらも汗を噴き出しながら歩いている。
 だが歩かなければゲルの鉄拳が飛んでくる。
 敵よりも味方であるはずの上官への恐ろしさから、末端の兵卒は歯を食いしばって突き進む。
「……」
 そんな兵卒たちの姿に、叱咤するゲルも何も思うところが無いわけではない。
 ここまで急がせる上の命令に怒りも覚える。
 ───だが、ゲルは感情を殺さなければならない。
 ぎゅっと鉄拳を握りしめ、肩をいからせ、大地を踏みしめていく。
(大恩あるホロヴィズさまの命令は絶対だ!)
 上官、即ち丙家大将ホロヴィズにゲルが逆らうことはできない。幼少時代から世話になり、ホロヴィズを支えるために軍人を志したのだ。
 多くの部下を失いかねないこの行軍に激しい怒りを覚えていても、ゲルはそれを表に出すことはなかった。
 この怒りは、敵軍にぶつけるまでだ。








「兵士たちに疲れが見えています。休息を与えては…?」
「必要ない」
 戦闘車両の後部座席で足組みをしているユリウスは、隣に座るホロヴィズの助言にも耳を貸すことはない。
「功を焦るのは無理ないことですが」
 骨仮面をつけたホロヴィズの表情は窺い知れないが、その声にはユリウスをたしなめる響きがこめられている。
「仕方ない。憎い乙家の連中に好き勝手にされるわけにもいかんだろう?」
「クックック……それはそうですな」
 結局のところ、ユリウスをたしなめるホロヴィズも同類だった。
 亜人を絶滅させ、この豊かなアルフヘイムの大地を手に入れるためには…。
 アルフヘイムを制圧すれば、その功績と利益は計り知れない。甲皇国における諸問題も些細なこととなる。
「皇国は危機に瀕している」
 ユリウスがそう呟くと、ホロヴィズも大きく頷いた。
「荒廃した大地は食料生産もままならず、皇族や貴族らは豊かさを保っているが、それは多くの下層民の犠牲の上に成り立っている。長引く戦争で民衆の不満は高まり、軍の力でも抑えきれなくなるかもしれない。だがそういう問題も、アルフヘイムという果実を手に入れることで全ては解決されるのだ」
「その通りでございます。ユリウス殿下。そしてアルフヘイムを手に入れるには、邪魔な原住民どもを一掃する必要があります」
「そうだな。そしていずれは……」
「はい、ミシュガルドの後継者はアルフヘイムのエルフどもではない。我が皇国です」
 その為に、最前線で多くの皇国の赤子たちが命を落としたとしても、この男たちの顔は微動だにしないだろう。










 ナルヴィア大河はアルフヘイム大陸最大の河川である。全長2000キロメートル超、川幅は最大4キロメートルにも達する。
 大陸性気候のアルフヘイム中央部に横たわる河川は、アルフヘイムびとの喉を潤す水源であると同時に、歴史書も残っていないような古代からナルヴィア大河周辺に文明をもたらしてきた。まさに母なるナルヴィアいうべき存在。
 甲皇軍が4年前にアルフヘイムに上陸して以降、そのナルヴィア大河を渡河してくる可能性は十分に考えられており、大河の南岸にはレンガ造りのトーチカ(防御陣地)が構築されている。長大に及ぶ大河全域を防衛することは難しいので、川幅が狭くなっているところを中心にトーチカが並べられている。
 さらに渡河する岸辺は北岸より南岸の方が高く急傾斜となっており、より一層、敵軍の渡河を難しくしていた。
 ところが、ナルヴィア大河は冬季により大部分が凍結してしまっていた。
 ゆえに、ユリウスも好機と考えたのだ。歩いて渡河できると。
「攻撃開始!」
 遂に大河に辿り着いた甲皇軍は、続々と凍結した大河を踏みしめて渡っていく。
 途端に、猛烈な矢と銃弾がトーチカの銃眼から斉射された。
 対岸のトーチカには既にクラウス軍が陣取っていたのだ。
 大河に辿り着くまでに既に疲弊している甲皇軍兵士は、次々とその矢や銃弾に斃されていく。
「砲兵隊、てー!」
 ゲルの号令により、甲皇軍の野戦砲が火を噴く。
 今度はトーチカの方が爆発四散して崩壊していく。トーチカにこもっていたクラウス軍兵士は肉片をぐしゃぐしゃに飛び散らせて原型も留めていない。
 わぁっ!っと甲皇軍兵士が歓声をあげる。
 見たか、これぞ無敵皇軍の力だ。
 勇気づけられた甲皇軍兵士は、小銃を手に次々とトーチカへ取りつき、火砲支援なしでも渡河を果たして橋頭保を確保していくのだった。
 甲皇軍は長大なナルヴィア大河全域に兵力を分散させることはなく、渡河しやすいと思われる川幅が狭いポイントを狙って突撃していた。
 そのポイントを守るトーチカは、精鋭クラウス軍が防衛するものの、百に満たない。
 対する甲皇軍は三万……どう考えても多勢に無勢である。
(おかしい。こんな無駄な抵抗をする奴らだったか……?)
 最初に違和感を覚えたのは、アルフヘイム軍との戦闘経験が豊富なゲルだった。
 ゲルの知る一般的なアルフヘイム軍は士気に乏しい。
 勝ち目が無いと見るとすぐに潰走するのが常であった。
 もしくは一部の無謀な連中が勝ち目も無いのに突貫してくるぐらいで。
 おかげで、南方戦線でも士気の低いアルフヘイム正規軍と、士気はあるが頭が足らない竜人相手に、ゲルの第一打撃軍は優勢な戦いを繰り広げることができたのだった。
 トーチカからわらわらとクラウスの兵士が飛び出してくる。次の瞬間、そのトーチカが爆発四散する。甲皇軍の砲撃が直撃したのだった。
 その動きに、ゲルはまた違和感を覚えた。
 トーチカに砲撃が来るのを予測したかのような逃げっぷりだ。
 何者かが弾着観測をしているかのような…。
「!」
 ぞくりと寒気が走り、ゲルは頭上を見上げた。
 そうだ、この気配はあいつの───。
 炎の塊。
 甲皇軍の頭上に死が降り注ぐ。







 

 アルフヘイム最強と自称するレドフィンの恐ろしさは、多数の敵を相手にした時こそ発揮される。
 シャムのような剣士ではいくら凄腕といっても一個人としての戦いしかできず、その戦いの範囲は「戦術級」で小さな部隊規模に留まる。
 それに対し、レドフィンはまさに「戦略級」の軍団規模の働きを見せる。
 火竜族が口内から放つブレスは、何百何千という敵を一気に殲滅する威力を見せるのだ。
 甲皇軍も対策を日々練っており、対竜人族専用の兵器まで開発しているのも、それほど竜人族が恐れられている証左でもある。
 甲皇軍の野戦砲がバターのように溶けていた。
 あちこちから肉を焼きつくす香ばしい臭いが立ち込め、火だるまとなった兵士たちが悶絶している。
 そして足元の凍結していた大河は、レドフィンのブレスによってすっかり溶けてしまい、体を凍らせる冷たさの河川が姿を見せる。
 レドフィンのブレスを直接浴びた者は焼死していたが、浴びなかった者も次々と溺れて凍死か溺死をしていく。
「何ということだ…!」
 ゲルは川水から飛び出し、かろうじて北岸へ戻ることができた。
 全身が凍えて凍傷になりかかっているが、そんなことよりも──。
 ゲルが背後を振り返ると、自分の部下たちが次々と焼死、凍死、溺死していく地獄絵図。
「ウオオオオオオ!」
 何たることだ、何たることだ…!
 ただ時を急がせるだけで、人の命を軽んじた無謀な攻撃命令。
 これが戦争とはいえ、己の大切な部下達の命は、いったい何のために。
 再び、頭上から炎の塊が降り注ぐ。
「ユリウスーーー!」
 その炎を睨み付け、ゲルは咆哮した。













「やってくれたな……」
 軍用車両から降り、腰に長剣を下げたユリウスが大地に立つ。
「殿下、近衛兵を呼び寄せましょう」
「必要ない」
 ホロヴィズを一瞥して、ユリウスは不敵にほくそ笑んだ。
「ああ、だが……」
 しかして、その表情はみるみるうちに怒りへと変わっていく。
 作戦を潰された怒りもあるが、劣等種族の亜人どもの分際で次期甲皇国皇帝たる己の前に立ちはだかるか。
「分を弁えぬ者どもめ」
 レドフィンのブレスによって混乱に陥る甲皇軍の陣中ど真ん中に、クラウスと数名の選ばれた剣士たちが降り立っていた。
 クラウス、シャム、アリアンナ、ダンディとたった四人の精鋭。
 甲皇軍総指令のユリウスさえ討てば、この戦争は終結する。
 その為に、クラウスは全てをこの一瞬の為に戦力を集中させたのだった。
 時間は無い。指揮系統に優れる甲皇軍は、ゲル大佐がいなくてもすぐにその部下たちが体制を立て直し、ユリウスの周辺ピンポイントに降下した敵の小勢など排除しにかかるだろう。
 前線でトーチカ防衛線を死守しているニコロたち率いるクラウス軍主力も、多少混乱したとはいえ、三万の甲皇軍を相手にどこまで持ちこたえられるか分からない。
「終わりだ、ユリウス」
 ユリウスの眼前に立ちはだかったクラウスは、アルフヘイム正規軍将軍アーウィンから託された指揮杖を突きつけるのだった。
 










つづく

       

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