41話 クンニバルの野望

41話 クンニバルの野望








「ひぃぃぃ……」
 “化物”の体表面にハゲワシの顔だけがぽっこりと浮き出て、か細く悲鳴をあげていた。よく見ると、ハゲワシ以外にも様々な顔がボツボツと並び、斑点のような模様となっている。甲皇軍兵士もいれば、エルフやオークといった亜人たちの様々な顔も。それら精気を吸い取られて死んでいった犠牲者たちは、死後も成仏できずに死霊のようになり、浮かばれない怨嗟の声をあげているのだ。そしてまた一段と、化物は嵩を増してむくむくとペニスのようにおぞましく肥大化する。もはや生物という定義を逸脱した何か、生命への冒涜すら感じさせる物体だった。
「くははははぁ……!」
「おーほほほほ……!」
 高笑いするクンニバル・オーボカ。
 クンニバルとローバーだけであればこのような肥大化はなかっただろう。そこに魔女オーボカが自身で開発投与していたSTAP細胞という訳の分からない因子が上手い具合に作用していた。おかげで今やその体長はおよそ5メートル超に達し、化物を通り越し、魔王の風格すら漂わせるに至ったのだ。
「げげげげぇ……閣下」
 化物の足元から声をかけるのはドクター・ゲコ。身長132センチメートルしかなくヒキガエルのように醜い顔をしたちっぽけな男が、このおぞましい化物を生み出した悪魔の生物学者である。
「分析結果が出ましたぞ。やはり精気を吸収した時、最もエネルギー効率の良いのは長寿を誇るエルフ族のようです。ボルニアにこもるアルフヘイム正規軍の主力はエルフです。奴らをすべて吸収した時、閣下はこのアルフヘイムを支配する王者となることでしょう」
「そうかそうか」
 邪悪な笑みを浮かべ、クンニバルはカッと目を光らせる。精気が体中にみなぎったことで、人間部分の彼は五十代のしょぼくれた老体ではなく、艶々と色合いも良くて筋骨隆々な肉体となっていた。
「もはや甲皇国もアルフヘイムもどうでも良い。余はこの豊穣の大地を支配し、永遠の楽土を築くのだ! その暁には、ありとあらゆる人種の人間牧場を作り、この世の快楽のすべてを手にする!」
「もちろんショタっ子も思いのままよね? クンニバルさ~ん」
「当たり前だ。ショタだろうがロリだろうがケモノだろうが、余は平等に犯しつくしてやるぞ」
 ローパーを触媒としたことで、頭の中まで無尽蔵の性欲を持つローパーに浸食されてしまったのかもしれない。クンニバルは自分勝手な誇大妄想に取りつかれていた。
「よし、ドクター・ゲコよ。第三軍の将校らに余の命令を伝えよ。ボルニアに総攻撃をかけるのだ。その勢いに乗じて余も攻め込み、やつらを喰らいつくしてくれよう」
「げげげげぇ……仰せのままに!」
 これまでの数々の戦いで第三軍の主要な幕僚は戦死している。バルザックもザキーネもハゲワシもいない。化物となったクンニバルの横暴を止められるような者はもういなかった。いや、彼らが生きていたとしても止められるものではないが…。第三軍の将校たちは、クンニバルの姿に恐れおののき、絶望しつつも彼の言う通りに無謀な突撃命令に従うしかなかったのである。







 一方そのころ。
 メゼツとビビの死闘は互いに一歩も譲らず長引いていた。
 幾度、大剣とハルバードを交差させたことだろうか。
 幾度、殴り合い、文字通り火花を散らしたことだろうか。
 二人ともこれほど長い間戦闘を継続したことはなかった。圧倒的な力を持つ両者は、敵が多数であったとしても個人の武勇で切り抜けてきて、苦戦したことなどなかったのだ。剣を振るえばそれで敵は脆くも斬り伏せられ、自分は血を流さず、敵の返り血ばかり浴びていた。
 それが今。目の前の相手をどうしても切り崩せない。大剣とハルバードの刃は刃こぼれし、まとう衣服や鎧はボロボロに汚れ、無尽蔵の体力を持つと思われた彼ら強化兵と精霊戦士でも息を荒げて疲労感を滲ませていた。
「ぜぇっ…ぜぇっ…や、やるじゃねぇか……」
「そっちこそ…はぁっ、はぁっ……」
 死闘を重ね、意地を張り合ってきた彼らの間には、もはや憎しみや殺意といったものは些細なことになりつつあった。純粋な戦士同士の戦いとは、相手を好敵手として認め、正々堂々と戦うだろうという奇妙な連帯感、信頼感が芽生えるものなのだ。今、彼らの頭の中は、相手が次はどう動くのか、どんな技を隠し持っているのか、血沸き肉躍る戦いができるのか。そうした闘争本能だけがあった。
「はあぁぁぁ!!!!」
 一際大きく、ビビが吠える。
「魔導の十五、デュランダルの刃!」
 ハルバードの刃が赤く輝き、業火をまとった。炎の精霊が斬った相手を燃やし尽くす加護を与えていた。
 次だ、次こそ。この一撃で止めを刺してやる。
 そう、ビビは決意して渾身の一撃を叩きこもうと──。
(───ビビ!)
 だが、その時であった。
 ビビの脳内に、親友であり妹のように思っているレダからの声が届いた。それは疲れからくる幻聴ではなく、れっきとしたテレパス…精神感応。ビビは頭を押さえ、攻撃にかかろうとしていた足を止める。
(───どうしたの、レダ…。邪魔をしないで!)
(───危険が迫っているわ。ビビ!今すぐそこを離れて!ボルニアに帰ってきて!)
(───どういうこと。危険とは…。今、この目の前にいる強化兵のことじゃないの!?)
(───それよりも、大きな脅威が迫っている。ああ、ビビ、早く…早く!)
 それだけ言うと、レダの声はぷつりと途絶えた。
 まだ幼いながら、レダには類まれな魔法の才能がある。未来予知、精神感応といった努力や勉強だけでは身に着かないような芸当ができるのも精霊に愛されているがゆえだ。そのレダが言うことに間違いはない。そう判断すると、ビビの切り替えは早かった。
 ふっ、と刃の炎が消え失せ、ビビはハルバードを下ろした。
「…この勝負、預けた」
「何だと…? 逃げるのか?」
 怪訝そうな顔をするメゼツに、ビビは母親から晩御飯だから帰ってきなさい!と叱られた子供のように、口惜しそうなふくれっ面を見せる。
「違う…妹が呼んでいるんだ」
「妹だと?」
「そうだ、妹」
「ふむ、妹か…。ならしょうがねぇな」
 存外あっさりと、メゼツは大剣を持つ手を緩め、剣を下した。
 ほんの一瞬のことながら、メゼツとビビは互いに笑みを見せる。
 その時、確かに二人は分かり合えたのだった。

 ずしん、ずしん。

 “それ”が動くことで、地鳴りがしていた。
 声をあげられない森の木々がざわざわと葉を揺らす。タカやワシのような大きな鳥までが木々から羽ばたき、クマやオオカミまでが慌てふためいて逃げ出している。騒然となる森の向こう側で、青々と茂っていた緑が枯れていく。まるで洪水のように、死と灰色が迫っていた。
「……!」
「な……なに……あれは!?」
 メゼツとビビは、地鳴りがした方角を見て、目を疑った。
 全長5メートル超の巨大な物体が更に肥大化を続けながら、森の生き物たちから精気を奪い取りながら、こちらへ迫っているではないか!
「大きな脅威って……あれのこと……!?」
 ビビは戦慄する。
 確かに、アルフヘイムには化物のような亜人はいる。かの高名な竜人族の戦士レドフィンなど、一人でエルフ千人分と称される強さを誇り、そのブレスは大軍団でも頭上から焼き尽くす。ただ、そんな人の要素が見当たらないような姿の亜人でも、それでも“人”なのだ。言葉が通じ、知性があり、その体からは瑞々しい“正”の生命力や魂といったものを感じることができる。
 だが目の前にいるのは、“人”などでは決してない。
 言葉など通じず、知性も感じず、禍々しい死の臭いだけを撒き散らす。“負”のオーラだけが……正真正銘の“化物”が、そこにいた。
「久しいな、メゼツ公子……!」
「ああああ、可愛らしいボウヤじゃない…!」
 クンニバル・オーボカであったものは、殆ど爆音のような大音量で叫んだ。体が肥大化したことで、その声量は常人を遥かに凌駕しているのだ。
 右上半身は五十代の威厳のある中年男性が筋肉を見せつけ、左上半身は三十代の妖艶な中年女性が豊満な乳房を露わにし、下半身は巨大ローパー。ローパー部分の体表面には、数々の死霊の顔が斑点の模様のように彩り、怨嗟の声をあげている。更には成人男性の太ももほどもある太さの触手が足元からうねり、性器を連想させる先端をくねらせ、獲物を求めて乱舞していた。
「まさか……クンニバル少将なのか……?」
 さしものメゼツも、声を失った。
「そうだ。余はクンニバル・バルカなり!」
「私はオーボカ・ターよ!」
 びりびりと空気を裂く声。確かにそれは人間の言葉を発しているし意味も分かる。だが、どんな博愛主義者や平和主義者であったとしても、“これ”と会話をしようという気にはなれないだろう。そういう響きを孕んでいた。
 メゼツは大剣を握る手に力を込める。
 ビビもハルバードを握る手に力を込める。
 甲皇国の強化兵、アルフヘイムの精霊戦士、立場の違いはあれど、今ここでこの化物を倒さねばならない。少し前まで互いに互いを化物と罵りあいながら戦っていた二人だが、正真正銘の真の化物を前に、思いは一つであった。
「───これはこれは。クンニバル閣下、ご機嫌うるわしゅう」
 だから、そこでボルトリックが化物に話しかけたことに、二人は心底驚かされたのだった。






「ほう、貴様はSHWの──そう、マラー家のボルトリックではないか」
「ご記憶に預かりまして恐悦至極。さようでございます。あの下賤なるペニスの商人一族マラー家のボルトリックでございます。バルカ家には代々御贔屓に預かり、大変ありがたく存じ上げます」
「なぁに、貴様らの奴隷交易ルートがなければ、甲皇国で我がバルカ家が独占市場的な一大風俗産業を営むこともできなかったのだ。お互い様というものだろう」
 まるでボルトリックは……。
 クンニバルが異様な化物に変貌したのが見えていないかのように、あくまで人間同士の親しみを込めた会話を試みていた。その顔に焦りも恐れも無い。余裕の笑みすら浮かべ、この展開をまるで待ち構えていたかのようであった。
「単刀直入に。閣下、遂にその時が来たという訳ですな…?」
 意味ありげなボルトリックの言葉。
 なんだ、何を言おうとしている…?
 この様子を観察していたメゼツはどうしようもなく不吉な予感がしていた。
「そうだ。時はきた。我が軍団はボルニアを攻略するであろう。そしてボルニアを制圧した暁には……ボルトリックよ」
「ははっ。お任せください。我がSHW上層部は、全力で閣下にお力添えをいたしましょう。この地に、閣下の帝国を……」
 その言葉に、メゼツははたと気づく。
(ちっ……筋書きが読めてきたぜ)
 このボルトリックは、SHW上層部の息がかかった二重スパイなのだ。
 一方クンニバルは、甲皇軍の要職にありながらSHWともつながりの深い人物であり、潤沢な資産と独自の領地を持ち、甲家が帝国主義的に支配する甲皇国の体制をあまり快く思ってはいない。
 甲皇国・アルフヘイム間の戦争は長く続き、その両国からは多くの亡命者が第三国であるSHWへと流出した。SHWは今や甲皇国とアルフヘイム両国と並ぶ規模の第三勢力にまで成長している。
 そして、SHWの巧みなところは、彼らはゲオルク王のハイランド王国のような小国家を傀儡として次々と誕生させていることだ。甲皇国やアルフヘイムから亡命したいと願っている者は多く、SHWに単純に亡命するのではなく、ゲオルクのように独立した小国家を建設することで、容易に手出しできなくさせるのだ。独立した小国家に相応の武力があれば、それは可能であった。
「余は、このアルフヘイム・ボルニアのこの地を支配する新国家・ボルチオ帝国を建設することを、ここに宣言しよう───」
 そして、クンニバルはそう高らかに、誇らしく宣言するのだった。







つづく