55話 受け継がれる思い

55話 受け継がれる思い






 ほぎゃあああ、ほぎゃあああ……。
 赤子の泣く声がボルニア要塞の一角に響きわたっていた。
 アルフヘイムの英雄クラウスと、その妻ミーシャとの間に産まれた赤子だ。きっかりと十月十日かけて産まれた赤子は、肉付きも程よくふっくらとしており、エルフ的特徴を備えた長い耳もまだそんなに長くはなく、一般的な人間の赤子とそう変わりはない。
「おお、よしよし」
 女神のような慈愛の笑みを浮かべ、ミーシャが赤子をあやしている。
「お腹が空いているのかしら? おしめも濡れていないし…」
「不安なんじゃないか? ここは戦うための要塞だ。周りは常に殺気立っている…」
 ミーシャの傍に寝台を置いて臥せっていたクラウスがそう声をかける。
「そうなの? 大丈夫よ、ママもパパもここにいるから」
「ああ、家族三人一緒だ…」
 クラウスの声に力は無い。息も絶え絶えで、力強く泣く赤子よりも弱弱しい。だが、母子を守ろうとしてか、もはや体裁は取り繕わず、衰弱しきった姿を隠そうとはせず、母子と同じ部屋で寝食を共にしていた。
 アルフヘイムの精霊樹に宿るという夫婦神・夫神ウコン妻神ゴフンもかくや。
 仲睦まじい暖かい空気が三人のいる部屋には流れていた。
「ねぇ、クラウス」
 ミーシャはしんみりと呟く。
「実は、私、あなたがもう戦えないって知って、少しほっとしているんだよ」
「……それは、俺が」
「ええ。あなたはずっと戦ってきた。もう十分すぎるぐらいに。元々、あなたはエルフ族でも平民だし、私たちと同じ貧しい村で慎ましく暮らしてきた、ただの大工だったじゃない。戦争はずっと続いていたけど、コースニャ村は平和だったし、私はあの生活がずっとこの先も続いていくんだと思っていた」
「ああ、コースニャ村で過ごしていた頃が懐かしいな」
「でも、甲皇軍が攻めてきて、クラウスがみんなから担がれて英雄って言われて戦っていたのを見て、私は誇らしかったけれど……物凄く不安だったわ。いつかあなたが死んじゃうんじゃないかって。戦いに行くあなたは立派だけど、あの心優しいクラウスがなぜ戦わなければならないの?って。平和を取り戻すためには誰かが戦わなければならないんでしょうけど、何もあなたが戦わなくてもって。いつも思っていたのよ」
「……」
「でも、もういいの。あなたはもう戦えない。これからはずっと私とこの子だけの英雄でいてね……」
 クラウスは頷き、赤子を抱くミーシャを包み込むように抱きしめる。
「今まで寂しい思いをさせて、済まなかったな…」



 二人の赤子は次代のアルフヘイムを担うであろう希望の光だ。
 昼夜問わず部屋の外まで鳴り響く赤子の泣き声に、廊下を行き交う人々もうるさがったりはしておらず、いずれも明るく穏やかな表情をしていた。
「変わりないか」
 凛とした低音アルトが響く。
「ハッ、アメティスタ隊長! 異常ありません」
 緑色の軍服をまとった親衛隊の者たちがきびきびと答える。
「ならよし。だが警戒は怠るな」
 親衛隊の緑のスカートから伸びる竜尾の鱗が逆立っていた。クリスタル造成の堅牢な廊下が、アメティスタの竜尾によってざりざりと削り取られてしまっている。要塞を築き上げたウッドピクス族らが見ればさぞや驚いたことだろう。
(嫌な予感がする)
 口には出さないが、アメティスタの胸中は不安で渦巻いていた。戦女神のように端正な表情に迷いはないが、疲れと緊張感が見て取れる。ここのところずっと寝不足で、浅黒い肌のおかげでそう目立たないが、目の下はうっすらと黒ずんでいた。
「我々の英雄は……残念ながらもう戦うことはできない。何かあれば、すぐに私に知らせるのだ」
「はっ」
 警備の者らは表情を引き締めて答える。かつて千名を超えるほどいたクラウス親衛隊も今や精鋭の百名を残すばかりだが、彼女らの士気は相変わらず高かった。
 敵は、ボルニア要塞を包囲する甲皇軍だけではなく、内部にもいるかもしれないのだ。
「失礼いたします」
 アメティスタがクラウスとミーシャの部屋に入ると、濃密な乳臭さが香った。
 ちょうど、ミーシャが赤子に乳をふくませているところだった。
「あっ、これは…本当に失礼を」
「大丈夫です。アメティスタさん。もう終わったから」
「はっ、申し訳ありません」
 とんとん、とミーシャが赤子の背中を叩いている。程なくして赤子は元気にげっぷをする。まだ二十歳と若いミーシャだが、すっかり母親が板についてきていた。
「この子ったら、とても元気なのよ。エルフと人間のハーフは生命力が弱いって言われてるんだけど、この子にかぎってはそんなことはないみたい」
「ああ。きっと将来は大物になるぞ」
 クラウスとミーシャはさっそくの親馬鹿ぶりを見せていて、将来、我が子がどうなるかの夢を熱く語っていた。
「……」
 その様子を、アメティスタは笑顔を張り付かせて聞いていた。
(───将軍の命は、もってあと半年というところでしょう)
 ボルニア要塞の治癒魔術師エタノールが、そう辛そうに語っていたのを、アメティスタは思い出していた。
(───あのアリューザへの爆撃の時に発生した黒い雨、あれに打たれた者たちに共通する症状として。原因不明の身体を蝕んでいく病魔が将軍にも見られます。一見するとどこにも外傷や内臓疾患は見られない。気を張っていれば日常生活を営むこともできる。ですが病が進行すると徐々に身体機能が全体的に低下していき、やがて寿命が尽きるかのように衰弱死していく…。我々はそれを〝黒蓮病”と呼んでおります。黒い雨にはほぼすべてのアルフヘイム将兵が打たれてはいましたが、その時に衰弱していた者だけがこの病に蝕まれています。そして、完治することは決してない───)
 だからもう、クラウスは赤子の成長を見守ることはできないのだ。
 ただ、最後に、私があなたにしてあげられることは……。
「大事な、お話があります」
 遂にこらえきれず、溜息を吐き出すように、アメティスタは話し出す。 
 クラウスは黙って聞いていたが、咀嚼するように答える。
「……SHWに?」
「はい。クラウス将軍と奥方様、お子様は、もはやこの最前線たるボルニアにおわすのは危険です。いつ命を狙われるか分かりません。英雄クラウスという名前には、それだけの価値はある」
「それは分かるが、なぜSHWなのだ?」
「アルフヘイムの治癒魔術師では御身の快気は望めません。ここは、先進医療の進んだSHWの高名な医者にかかるのがよろしいかと思われます」
 嘘である。
 SHWの先進医療にかかったとしても、回復の見込みはない。
「……あてはあるのか」
「はい。亡命にあたっては、アルフヘイムの魔術研究機関アカデミアのガイバル・キルデリック師にお願い申し上げました。ボルニアは要塞である前にボルニア公国という国です。多くの非戦闘民がいます。要塞が落とされてしまえば、彼らの命も危ない。そこで師の保有するいくつかの高等魔道技術と引き換えに、SHWに非戦闘民の亡命受け入れを求めるという算段が整っております」
「なるほど。ボルニアのウッドピクス族は了解しているのか?」
「はい。アッシュ大公もやむを得ないだろうと許可されました。・・・・・・万が一のことを考え、今のうちに脱出をと。将軍と奥様とお子様は、ガイバル師と共に落ち伸びて頂きたい」
 嘘である。
 ウッドピクス族のアッシュ大公はそのようなことは許可していない。
 すべてアメティスタの独断だ。
「そうか」
 クラウスはふっと笑った。
「もう、俺の名前を使う必要もないということだな?」
「……そうです。英雄クラウスという名前には価値があると言いましたが、あなたの再起が難しいというのは徐々に知れわたってしまっている。もう名前だけではボルニアの士気を維持する程度の力も無い。はっきり言ってあなたはもう足手まといだ。だが、アルフヘイムの恩人であるあなたを死なすわけにはいかない。ですから、今のうちに」
「ありがたいことだな。分かった」
「ご理解頂けて何よりです」
 それだけ言うと、アメティスタはクラウスらの部屋を辞していく。
 二度と見えることはないだろうに、遂に彼女は一度も振り返ることはなかった。
「なぁに、あの言いぐさ! クラウスのおかげでここまで戦ってこれたというのに…!」
 憤然とするミーシャだが、クラウスはまぁまぁと宥める。
「彼女は正しいよ。ただ、ああいう言い方しかできないのだ…」
 ミーシャの前では笑みを浮かべていたが、クラウスは表情を引き締めた。
 さすがに共に戦ってきただけあって、アメティスタが嘘をついているのは見抜いている。
 クラウスには、アメティスタが死にに行こうとしているように見えた。
(……済まない。ありがとう)
 だが、アメティスタの気持ちに応えるためにも。
 妻子を守るためにも。
 クラウスは嘘を信じるしかない。



 クラウスたちの部屋を出たアメティスタは、ボルニア要塞の廊下を歩き、まずは亡命の引率をすることとなったガイバル師の元を訪れた。
「ああ、アメティスタ嬢。ご苦労様」
「はい。準備は整っておりますか?」
「無論だ。SHWまでの道のりは遠いからな…」
 青い法衣をまとったエルフの老魔導士ガイバル・キルデリックは、亡命の旅程において必要な物資の確認、旅程に耐えられるかどうか亡命者の健康診断を行っていた。
「……」
 ガイバルの傍には、無言でテキパキと事務的な仕事をする小柄で痩せたエルフの少女の姿があった。
「この子が手伝ってくれておるおかげで、滞りなく準備も進んでおるよ」
「確か…クラウス将軍の奥方ミーシャさんが保護されたという子供ですね」
「そう。レダという子だ。とても優秀な子だよ。魔術の習得が異様に早い。将来はわしなど足元にも及ばないような、とんでもない大魔導士になるやもしれん」
 ほくほくとガイバルは穏やかに笑う。
 魔術研究機関でも一流の人材で貴族の称号も賜っているガイバルだが、平民らの群れに交じって精力的に仕事をしていた。アメティスタもこのボルニア要塞で信用がおける数少ない人物の一人として見ており、だから亡命者の引率を頼むことにしたのだ。
 それにしても…。
 アメティスタも久々に穏やかに笑みを浮かべ、目を細める。
 戦争は長く続き、多くのかけがえのない若い命が散っていった。
 だが、まだアルフヘイムは大丈夫だ。
 クラウスとミーシャの赤子や、このレダのような未来への希望がある。
 未来へ思いを託すためにも……。
「そういえば、アメティスタ嬢。ハイランドのゲオルク王の話は聞いておるか?」
「ええ…北方戦線で、あの丙武を打ち破ったと、もっぱらの評判ですね」
「そうだ。そのゲオルク王のおかげで、随分とボルニアより東の道のりの治安は回復している。非戦闘民を多く連れて行くこととなるが、護衛はそれほど割かずとも大丈夫だろう」
「かもしれませんが、親衛隊のすべては亡命者たちの護衛にあたります。これがクラウス親衛隊最後の任務となるでしょうから」
「最後とな? 親衛隊は前線に戻らないのか?」
「ええ。SHWに亡命した先でも、クラウスの命を狙う輩はいるでしょう。親衛隊はSHWにおいてもそのまま任務を続行するのです」
「なるほど…。それはありがたいが」
 ガイバルは白い眉を吊り上げる。
「おぬしはどうするのだ? その他人事のような口ぶり……親衛隊を率いるのはおぬしではないのか?」
「私は……」
「アメティスタ嬢、おぬし…」
 伊達に長く生きてきた訳ではない。ガイバルにはアメティスタが何か思いつめている様子であるとすぐに察せられ、口を開こうとした時だった。
「これはどういうことだ!?」
 亡命者たちの群れの中で、ヒステリックな声が響き渡った。その叫んだ者から離れようとして、人垣が分けられていく。現れたのは、卑怯者フェデリコだった。
 無能なだけならまだしも。アリューザでの戦いで、他の部隊を見捨てて自分たちだけ逃げだしたフェデリコの黄金騎士団の醜態は、ここボルニアでも広く知られるところだった。敵前逃亡をしながらも、アルフヘイムでもっとも高貴な一族であるラギルゥー族の係累である彼を弾劾できる者はいない。が、人々は影でフェデリコを卑怯者と呼んで馬鹿にしていた。
「ガイバル師よ。これはどういうことだ。貴様らはボルニアを捨て、どこかへ逃げようというのか。アルフヘイムの興廃はこのボルニアの防衛にかかっているというのに、何と言う恥知らずなやつらだ! この…非国民めが!」
 お前が言うか。
 誰もがそう思ったが口にはしない。
 ただ軽蔑しきった視線だけがフェデリコに注がれる。
 ガイバルは人々の意を汲み、抗弁することにした。
「……お言葉ですが、フェデリコ将軍。ここにいるのは戦うことのできない女子供ばかりです。むしろこのままボルニアに非戦闘員を抱えていては、前線で戦う軍の方々の足手まといになってしまうことでしょう」
 だが、フェデリコは馬鹿にしきったような笑みを浮かべる。誰もが無能で卑怯者と軽蔑する男から、馬鹿にしたような目を向けられる訳で、それがまた人々の感情を逆なでしていた。
「ふんっ、愚か者め。確かに女子供ばかりかもしれんが、それだけではあるまい。逃げ出す者どものために食料や資材や護衛する兵士まで割こうというのだろう? 今は一兵たりともボルニアから出すことは許されない。それほど状況は逼迫しておる。無駄、無駄、無駄だ! そんなことも分からぬのか!」
「そ、それは余りな言いよう……! 護衛に出すのはたかだか百程度のクラウス親衛隊の兵ですぞ? それすら惜しむと言われるのか!」
「待て、クラウス親衛隊だと? この亡命しようという者たちに、クラウスを紛れ込ませようというのか?」
 フェデリコの目つきが明らかに変わる。
「許さん。絶対に許さんぞ! 今更、逃げ出そうなどとは!」
「……!?」
 亡命の話は認められているものと思っていたガイバルは戸惑うばかり。
 一方、アメティスタは舌打ちをし、痛恨の表情である。ガイバルにもう少し詳しく事情を説明しておくべきだった。
 彼女はクラウス亡命の企てを秘密裏に進めていた。ガイバルには最低限のことしか言っていないし、ボルニア領主のアッシュ大公にも、アルフヘイム正規軍のアーウィン将軍にも、当然この卑怯者にも内密だった。
「ふふふ……そうかクラウスめ。あやつ、ここから逃げ出そうなどと考えていたのか」
 フェデリコは舌なずめりをし、怪しく笑った。
「もはや遠慮することはないな。者ども、出会えい!」
 フェデリコの号令と共に、ガチャガチャと騒々しく鎧の擦れる音が近づいてくる。
 完全武装した黄金騎士団の一団であった。
「こやつらは反逆者だ! ひっとらえよ! クラウス、およびアメティスタ、ガイバル。貴様らはおしまいだ! くはははははははははは!!!!」
 哄笑するフェデリコに、ガイバルは苦り切った表情となる。
「なんという愚か者だ……!」
 話にならない。
 そう判断し、ガイバルは得意とする水魔法を発動させた。
 たちまち激流がどこからともなく発生し、黄金騎士団の兵士らを押し流していく。
「水でも被って頭を冷やすがよい!」
「ぬぅぅぅ! おのれ、ガイバル!」
 激流に流されまいと、フェデリコらは必死に踏ん張って耐えている。要塞内ではそれほど大きな魔法を使うこともできず、効果は限定的だった。
「くっ……アメティスタ嬢。もはや一刻の猶予もないようだ。急ぎ、クラウス将軍や奥方様らを連れて参れ。亡命は今より直ちに行う。この場はわしが抑えておこう」
「し、しかし…! ガイバル老おひとりでは…!」
「一人じゃねぇぞ」
 背後から野太い声をかけられ、アメティスタはハッと振り向く。
 青ざめた肌に、頭部に二本の黒い角。
 厳めしい顔立ちに黒い鎧をまとったオウガ族の戦士が立っていた。
「……ニコロ将軍!?」
「水臭いぞ、アメティスタ。俺に相談もしないで…」
 そう言うや否や、ニコロは戦斧を振りかぶって突進する!
「クラウスとは俺が一番付き合いが長いんだ!」
 アメティスタの横を突っ切り、黄金騎士団の兵士におどりかかる!
 クラウス義勇軍最古参・歴戦の勇士にしてクラウスの右腕、ニコロの膂力たるや凄まじい。分厚い完全鎧をまとった重装歩兵の黄金騎士団の兵士らが、まるで紙切れのように切り裂かれていく。
「ちぃぃぃ! ニコロか! 下賤なオウガ族めが…!」
「ほざけ。フェデリコ! 前々から思っていたが、貴様は俺が一番嫌いなタイプのエルフ族だな」
「たかが一人が加わった程度で…! 者ども、取り囲んでぶち殺せ!」
「おおっと、俺よりも強いやつを忘れてないか?」
 ニコロがにやりと笑う。
 その時、爆発が起きた。
 黄金騎士団の兵士らが数十名ほどまとめて臓物をまき散らして派手にぶっ飛ばされる。
「な……なんだぁ!? 何が起きた!?」
「〝緋眼”」
 爆発の中心に、赤いビキニアーマーを着込んだ褐色の肌のエルフの少女戦士……緋眼のヴィヴィアことビビが、全金属製ハルバードを構えつつ立っていた。
「このハゲ! あたしを忘れるな!」
「はっ……! ぐっ……!」
 フェデリコは過呼吸となってしまう。
 少し前に、クラウスばかり英雄視されて自分のプライドが粉々に打ち砕かれていくストレスからか……頭髪がすっかり禿げ落ちてしまい、今やカツラを被っていることを……なぜ知っている!? と、ショックを隠し切れなかった。
「ハゲじゃったのか……このガイバルの目をもってしても……」
「うん、ハゲだよ」
「ハゲねぇ。じゃあカツラかあれ? 無様だな……」
 次々と突き刺さる言葉のナイフに、フェデリコはたちまち精神崩壊を起こしかかるが…。
「ぜったいに……ずぇったいに貴様ら、生きて帰さんぞ!」
 フェデリコは吠えた。
 それを合図に、黄金騎士団の兵士らが次々と雪崩をうって現れる。
 ボルニア要塞内は蜂の巣をつついたような騒乱となっていた。






つづく