63話 愛ゆえに

63話 愛ゆえに





 ボルニア要塞から西方僅か四キロメートル。
 そこに、ボルニア攻略のために甲皇軍が築いた中規模要塞ゲーリングがあった。ボルニア攻略は長期戦になることが予想され、要塞には大軍を支える糧食、燃料、武器などが運び込まれ、その周囲にも無数の小要塞が築かれている。
 かつて、ゲーリング要塞は、ボルニア要塞攻略にあたっていた甲皇軍第三軍クンニバル少将が居城としていたが、そのクンニバルも戦死して今はいない。
 その後、アリューザの戦いと呼ばれるアルフヘイム軍の大攻勢があり、ゲーリング要塞とその周辺の小要塞は、アルフヘイムのニコロ将軍率いるB軍集団によって攻略され破壊されていた。
 だがそれから三か月後。甲皇軍はユリウス皇太子率いる七万の軍勢となってアルフヘイムに再上陸し、勢いを取り戻し、前線をアリューザからまたボルニアまで押し戻した。ゲーリング要塞も周辺の小要塞ともども、甲皇軍に奪回され修復されていた。
 ゲーリング要塞には甲皇軍本陣が置かれ、総司令のユリウス皇太子が全面的に改修を行い、彼好みのバロック調建築でグロテスクなまでに華美な装飾を施され、玉座へふんぞり返りながら全軍へ指令を伝達している。
 着々とボルニア包囲戦の準備は整いつつあり、アルフヘイムが頼りにする英雄クラウスも病床にあって余命僅かという情報も密偵によってもたらされていた。
 更に、アルフヘイム政府を司る高位貴族ラギルゥー族らへ接触を図り、彼らが降伏へ傾くように工作もした。ボルニア要塞内でもラギルゥー族の係累のシャロフスキーとフェデリコに工作を続けさせていた。
 例えボルニアが難攻不落と言われていても、これだけの材料が揃っていれば、形勢は明らか……のはずであった。
(───おのれ……)
 ぎりぎりとユリウスは歯噛みし、凶暴に目をぎらつかせていた。
 先月、北方戦線で快進撃を続けていたはずの丙武軍団が突如敗れ去ったという情報がもたらされ、それが傭兵王ゲオルク率いるハイランド軍のしわざであるということが分かった。ゲオルク軍はセントヴェリアを根城にしていたが、程なくこの西方戦線にも姿を見せるのではないかと予想されていた。
 ぐずぐずしてはいられない。そう考えたユリウスは、まだ完全に準備は整っていなかったが、ボルニアへの総攻撃を命じた。が、その第一回総攻撃の最中、予想より遥かに早く参戦してきたゲオルクによって出鼻を挫かれてしまう。奇襲を受けた甲皇軍は、前衛部隊二千もの兵を失う痛手を被っていた。
「くそっ! 忌々しいじじいめ!」
 怒りの余り、ユリウスは執務室の豪奢なテーブルを蹴り飛ばした。テーブルの上にあった葡萄酒の杯が砕け散り、絨毯に赤い染みを作っていく。黒く艶やかな長髪に黒で統一された軍服をまとうユリウスは、さながら黒衣の死神のようないでたちだ。それが、憤怒の表情を見せ、いっそう禍々しいものに見える。
「きゃつは、どこまでも俺を苦しめるという訳か……!」
 喉奥から絞り出したその怒声は、戦局での小さな敗北以上の何かが──ユリウスにとっては二千の前衛部隊など、しょせんは将棋の「歩」を一枚失ったに過ぎないのだから。尋常ではない恨みがこもっていた。
 皇太子と呼ばれるユリウスには出生にあたっての重大な瑕疵がある。その瑕疵は、公然には明らかになっておらず、彼は皇帝クノッヘンと乙家の姫エレオノーラとの間に産まれた皇子とされてきた。が、その実は、ユリウスの本当の父は、今現在彼の頭を悩ませている張本人、ハイランドの傭兵王ゲオルクであるのだ。
 ゲオルクがハイランド王となったのは今より30年前、僅か20歳の頃のことだ。ゲオルクの姿は、外交ルートを通じて肖像画となって世界各国へもたらされ、各国の支配層には知れ渡っている。その若かりし頃のゲオルクの肖像画を初めて見た時、ユリウスは非常に衝撃を受けた。
(───余りに自分に似すぎている)
 当時15歳のユリウスは、ゲオルクとは一度もまみえたことはなかったが、それですべてを理解してしまった。
 甲皇国の皇位継承権争いは苛烈だった。
 少しでも落ち度があれば、立太子しても容赦なく蹴落とされていくか、暗殺された。少年期のユリウスにも幾度となく命の危険はあった。その時、暗殺者の一人は確信をこめて言ったものだ。「貴様には甲家の血筋など一滴も流れてはいないのだ!」…と。暗殺者の刃は幾度も首元をかすめた。だが、誰も助けてはくれなかった。ユリウスを寵愛していたはずの皇帝も、息子のように可愛がってくれたホロヴィズも。まるで、自分一人の力で生き残れといわんばかりに。
 少年ユリウスには何の落ち度もない。
 例え、その手が、自身を殺しにかかった暗殺者どもの血でべっとりと汚れ切っていたとしても……。
 生き延びるためには仕方がなかったのだ。
 いっそ、本当にハイランドの第一王子として産まれていた方が、どれだけ幸せだっただろうか……。
 ユリウスにとっては兄にあたる皇子も何人かいた。れっきとした甲家の血筋を引く皇子たちだが、それらも悉く……ユリウス自身が剣で斃した者もいる。血で血を洗う地獄のような陰謀劇の末に、生き残ったのはユリウスだった。生きるためには殺さねばならない。そこには、野生動物のような弱肉強食の論理しかなかった。
(人間もまた動物に過ぎないのだ)
 幼少期に丙家のホロヴィズから叩きこまれた人類こそがすべての種族の頂点に君臨すべきという亜人絶滅論も、この経験が元になって醸成された。
 もうとっくに、自身の生い立ちについては理解している。が、そんなことで皇帝の地位を諦めるユリウスではなかった。出生に瑕疵があるゆえに、誰よりも皇帝の地位にはこだわった。
 エントヴァイエン、ガデンツァ、ミゲル…。
 それらの皇位継承権者に先んじて、立太子して皇太子となった。
(本当は、甲家の血筋など一滴たりとも引いておらん俺がな!)
 皮肉たっぷりの笑みを浮かべ、高笑いするユリウスは、今やすっかりこの世の誰よりも強くなった気分だった。
 だが、そんなユリウスが恐れる者があるとすれば……。
 実父ゲオルクである。
 ユリウスの実父がゲオルクであろうというのは、周囲の者達も表立って口にすることはないが、何となく疑われているような状況。
 皇帝クノッヘンが何を考えているかは分からない。ユリウスも幼少期には皇帝の寵愛を受けていたが、青年になってだんだんとゲオルクに似てくると、まったく顧みられることはなくなった。代わりに、クノッヘンが寵愛するのは孫のミゲル皇子だ。その寵愛ぶりは、かつて自分が受けていた時よりも深い。皇帝自身も、やはりユリウスが自らの血を受け継いでいないことを察しており、ミゲルは受け継いでいるからこそ寵愛しているのかもしれない。
(散々、俺の体を弄んでおきながら、か)
 皇帝のショタコン趣味の犠牲になり、女よりも男の味を先に知って、反吐が出そうな屈辱の幼少期だったが、それも今となってはどうでもいいことだ。
 それよりも、そういうことならば、やはり安穏とはしていられない。証拠のあいまいな出生の瑕疵だけでは皇太子の座を蹴落とされることはないだろうが、断言はできない。何かユリウスに少しでも他の落ち度があれば、あっさりと廃嫡だってされかねない。己はしょせんは托卵の忌み子なのだ。
 ゆえに、ユリウスは大きな力を欲した。確固たる戦果を欲した。邪魔者はすべて排除してきた。
 そう、あと一息だ。
 あと一息で、アルフヘイムの生命線たるボルニアは陥落する。
 さすれば、揺るぎない皇帝への道が見えてくるのだ。
「心中お察しいたします。あに……いえ、殿下」
 ユリウスの側で跪くは、金モールと灰色の生地の軍服に身を包んだ金髪の優男。クラウス暗殺の任務からようやく戻ったユリウスの実弟アウグストだった。
「ふん」
 ユリウスは忌々しそうにアウグストの顔を睨みつけた。その母親似の顔が気に入らない。俺だって母親の方に似ていれば、少なくともゲオルクの子ではないかという疑いを持たずに済んだものを……。ハイランドの王子としてぬくぬくと育ったお前などに、俺の気持ちが分かってたまるものか。が、こやつは哀れなほどに俺を慕う。ならば利用するだけ利用してやればいい。こやつもそれが本望であろう。
「クラウス暗殺には失敗したようだな」
 冷たい声で言うと、アウグストはますます恐縮したように頭を下げる。
「も、申し訳ございません。ですが、代わりにクラウスをおびき寄せるための餌は手に入れました」
「ふっ、そのようだな」
 ずっと不機嫌そうだったユリウスの表情がようやくほころんだのを見て、アウグストは内心安堵し、自信を深めて力強く言った。
「はい。例のアルフヘイムの裏切り者を操り、クラウスの妻ミーシャを確保いたしました。必ずや、クラウスは妻を取り戻すためにこのゲーリング要塞へおびき出されることでしょう」
「ふん、本当はクラウス本人をそうしたかったのだが、仕方あるまい。よし、さっそくその女を火あぶりの刑にするのだ。そう、ボルニアへ見せつけるようにな!」
「仰せのままに」
 どんどん悪辣にして歪な方向へ歪んでいくユリウスに対し、アウグストは複雑な面持ちだった。かつては、愛を知らずに育った兄を救いたいと願ったこともあった。が、もう兄の幸せは、他のどんなことでも満たすことはできず、皇帝の座につくことでしか得られないのかもしれない。
(それでも私は……)
 皇位継承権争いで骨肉の争いを繰り返し、愛を信じられず知ることもない兄のために、ただ一人の弟として、無償の愛を捧げよう。
 ハイランドの王子アーベルではなく、傭兵騎士アウグスト忠実な下僕として。




 ハッ、ハッ、ハッ……。
 荒い息遣いでプレーリードラゴンが赤い舌を出して喘いでいる。
 ボルニア要塞から一頭を拝借してここまで休みなく駆けてきたが、そろそろ限界かもしれない。
「どう、よし、よし」
 ドラゴンの背には、銀髪の涼やかな顔をしたエルフ族の男、クラウスがいた。あれほど彼の体を蝕んでいた〝黒蓮病”と名づけられた謎の病魔は、なぜか症状が現れることがなかった。フェデリコによってミーシャが攫われた時、黄金騎士団の兵士を相手に戦えたのも理由が分からないが……。あの時よりも軽快に体は動く。エタノールが最後にかけてくれた治癒魔法が効いたのか?
(もしくは、アルフヘイムの精霊が俺に最後の力を与えてくれているのかもな)
 クラウスはもう深く考えることはなく、ただ愛する女を救うため、ゲーリング要塞へと向かっている。ただ、正面から行ったのでは何もできず捕らえられるだけだ。ゲーリング要塞の背後にある山中まで回り込み、そこから一気に要塞内部へ侵入する腹積もりで、崖だらけの険しい山中へドラゴンを走らせていたのだ。
(───行くのか?)
 ボルニアの厩舎へクラウスが訪れた時、待っていたのは義勇軍結成当初からいた小柄な人間の老人ドバだった。
(───わかっておるよ。ミーシャさんを助けに行くんじゃろう? ああ、止めはせんよ。どうせ止めたって行ってしまうんじゃろう? おぬしはそういう男だ)
 クラウスは思い出して、ポケットをまさぐる。そこにフローリアチーズが少しだけ残っていた。ドバじいさんが厨房からくすねてきたチーズを袋いっぱいに詰めて持たせてくれたのだ。ただ、ボルニアからドラゴンに乗って三日ほど駆けてきたので、そのチーズも残りはこれだけになってしまった。
「これが最後の食料だが…」
 クラウスは少し考えて、それを惜しみなくドラゴンに食べさせてやり、それからドラゴンを解放した。どのみちもうへとへとになっていて走れそうもなかった。まぁ、運が良ければ山中から降りて行って生き延びるだろう。
「さて、ここからは一人だ」
 ゲーリング要塞までは山中を死ぬ気で駆け下りれば裏手に出る。どうにかしてそこで敵兵の一人でも殺して甲皇兵の軍服を奪い、ミーシャが囚われているところまで侵入できれば……。我ながら何と稚拙で大雑把な作戦かと思うが、もう時間も無い。早く行かねばミーシャがどんな目に遭うか分からない。
「総司令!」
 と、その時だった。
 バサバサと羽音と共に、クラウスの頭上に影がさす。
 紫色の短髪に褐色の肌、緑色の鮮やかなクラウス親衛隊の軍服をまとった竜人の女、いうまでもなくそれはアメティスタであった。
「アメティスタ…!?」
 驚くクラウスだが、もっと驚いたことに、アメティスタは空から舞い降りながら、クラウスを抱きかかえるようにしがみついてきたのだった。
「うおおっ」
 勢いのついたアメティスタの体を受け止めきれず、クラウスはよろめいて尻もちをつくような形で倒れる。
「総司令! 総司令!」
 目元を潤ませ、アメティスタはクラウスにしがみつく。
「お、落ち着け、アメティスタ」
 クラウスに諭され、アメティスタはクラウスを押しつぶすように抱き着いていることに気が付き、慌てて体を離した。褐色の肌のために分かりにくいが、明らかに顔が赤かった。
「はっ、申し訳ありません…!」
 アメティスタはそう恐縮しつつも、熱っぽい視線でクラウスを見つめる。もう二度と会えないかもしれないと思っていた。恐らくゲーリング要塞へ向かったのだろうと考え、クラウスならば正面からではなく裏の山中から行くのではないかと予測した。それが的中したことと、生きて再び会うことができた感動の方が大きかった。
「……来てしまったものは仕方がないが」
 ふぅっとクラウスは溜息をつく。
「お前らしくもない。どうしたというのだ。ボルニア要塞の親衛隊の部下達を放ってきてしまったのか?」
「総司令こそ、お一人でこんなところまで来てしまっているではないですか」
「総司令と呼ぶな。俺にはもうその資格はない」
 クラウスは立ち上がり、ゲーリング要塞を睨みつけながら言った。
「……今の俺は、アルフヘイム軍総司令としてではなく、ただ愛する妻を取り戻すためにあがいている一人の男にすぎんからな。そんな私情で動いている者に、軍を率いる資格などない」
「総司令……いえ、クラウス。水臭いではありませんか!」
 アメティスタも立ち上がり、その紫色の瞳をクラウスの眼前に近づける。
「私はあなたがアルフヘイム軍の総司令だから命を賭けているのではない。あなた個人へ忠誠を誓った。ゆえの親衛隊主席。私は、あなたに賭けたのです。クラウス! だから……あなたが何と言おうと、もう私はあなたの側から離れません!」
 そう言い、アメティスタは腰の長剣を抜き放つ。
 剣の刃を自らの喉元へ向け、柄をクラウスへ差し出し、ひざまずく。
「我が忠誠をお疑いとあらば、いつなりともこの剣を我が喉元へ突き出したまえ」
「アメティスタ……」
 アルフヘイム騎士道に則った剣の誓いである。既にアメティスタはクラウスの親衛隊主席となった時にこうした儀式はすましていたが、改めてクラウス個人に忠誠を誓おうとしていた。
 クラウスは目を閉じ、しばしの沈黙の後に、アメティスタの瞳を見つめ返し頷いた。
「分かった。お前の思い、お前の剣、ありがたく受け取ることとしよう」
 クラウスは、アメティスタの差し出した剣の柄に軽く口づけをし、刃を自分に向けて彼女へ返した。
「ありがたき幸せ」
 アメティスタは微笑む。
 クラウスは妻を愛しており、アメティスタの想いが報われることはない。そんなことは彼女も百も承知だ。それでも、彼女は無償の愛を彼に捧げようとしていた。
 それが彼女、アメティスタという女の愛であり、生きざまだった。







つづく