34話 理想と現実

34話 理想と現実









「行ったか……」
 自身の屋敷の書斎で寛ぎながら、丙家総大将ホロヴィズは少し疲れたようにため息をつく。
 骨仮面で隠された顔をしかめさせているのは、やはりつい先日にアルフヘイムへと出征した息子メゼツのことである。
 初陣には早すぎたかもしれないが、ホロヴィズ自身も若かりし頃からアルフヘイムとの戦争に身を投じてきた。将軍でありながら直接この手で剣を振るって亜人どもの首を刈り取ってきたのだ。その通過儀礼は、近い将来に甲皇国将軍になるであろう息子にも乗り越えてもらわねばならない。
 もはや何が原因で始まったのかも分からないこの聖戦は、およそ七十年近く続いている。
 齢九十に届こうかというホロヴィズや皇帝クノッヘンなど、ごく少数の老人しか戦争の原因など覚えてはいないだろう。
 ───老人が始めた戦争の始末を若者に押し付けるか。
 そこに痛痒を感じないわけではないが、それ以上に骨髄にまで染みているのだ。
 エルフを始めとする亜人へ対する恨みが。憤りが。憎しみが。呪いが。
 負の感情で国政を壟断しているとそしりを受けても構わない。
 今や、同志のはずだった皇帝クノッヘンはあてにならない。末の皇子ミゲルが誕生してからというもの骨抜きとなっている。もしミゲルが頼めば、アルフヘイムと和平でもしてしまいかねないほどに。
「儂がやらねば、誰がやるというのだ」
 この聖戦を遂行するためには、鬼畜生にも、死神にもなろう。
 だが、そんな鬼も人の親だ。
 子を思わない親などいない。
 例え、戦いのための道具として育ててきたとしても。
 メゼツは儂の剣として育ててきたのだ。
 亜人への憎しみを込め、迷いはなく、その剣は振るわれるはずだ。
「トレーネよ……」
 ホロヴィズは呟く。最後の妻の名を。
「儂とお前のどちらが正しいかは、メゼツが決めるだろう」






「───ですからぁ! おかしいと思いませんかぁ、大佐!」
「お前もおかしいぞ、スズカ」
 丙家総大将ホロヴィズの屋敷は広く、敷地内に建てられた別棟にゲル・グリップ大佐が住処とする離れもあった。軍で大佐といえば高給取りだが、その離れは驚くほど質素で狭い。ベッド、テーブル、椅子、同じ軍服が数着、義手などの軍用品、あとはスズカの目の届かないようなところに隠している甘いお菓子ぐらいしか置いていない。風呂と便所は本宅のを借りている。いかにも独身男性が寝るだけといった一人暮らしの家。幼少期にゲルが過ごしてきた離れをそのまま使っているのだ。言わば実家暮らし。質実剛健な彼らしい住処であった。
 そこに、部下のスズカ・バーンブリッツ大尉が軍服を着乱して訪ねてきたのはつい先程のこと。
 彼女は目を潤ませ、顔を上気させていた。
「何を言っているんですか!」
 ばん! と、テーブルを叩くスズカ。至近距離でゲルの目と突き合わせるその目は完全に座っている。
 妙齢の女性──しかも豊満な胸がこぼれそうに着乱した──に間近で熱っぽく見つめられていて、ゲルはそれでも仏頂面だった。
「……だから、酔っぱらってるだろ?」
「はははは! ……酔ってますよぉ! でも、これが飲まずにいられますかぁ!?」
「分かった分かった。だから唾を飛ばさんでくれ」
 テーブルを挟んで座るゲルに、スズカが詰め寄ってぎゃあぎゃあとがなり立てていた。凄い剣幕だ。普段は冷徹な参謀という体で、澄ました顔をしているだけに余計にギャップがある。
「こういう時だけ、都合よく俺に絡むなよな……」
 ぼそり、とゲルは不平そうに呟く。
 まぁ、いい。喚きたてていればそのうち疲れて気も晴れるだろう。
 戦場では“独眼鉄拳”と恐れられる勇猛な武人であるゲルも、こうやって女に喚き立てられては肩をすくめるしかない。
 スズカはゲルにとって妹のような存在だ。
 幼少期に弟ともども戦災孤児としてホロヴィズに拾われ、この屋敷で育てられてきた。ホロヴィズの側には常にスズカの父バーンブリッツがいた。ゲルはバーンブリッツから多くのことを教えられ、軍事的才能も見出された。全ては大恩ある丙家の殿、ホロヴィズ様のためにと──。
 ホロヴィズのことは仕えるべき殿様であり養父として尊敬しているが、同時にバーンブリッツも師匠として敬愛している。
 だから、バーンブリッツの大切にする娘スズカのことも家族同然、妹のように考えている。それも、下級貴族とはいえ貴族の令嬢であり、上司の娘だ。今は部下ではあるが、“お嬢様”扱いで、大切に見守ってきた。
 ───つくづく、あの件が悔やまれる……。
 竜人レドフィンによる帝都襲撃事件“竜の牙”により、優しかったスズカは変わってしまった。
 邪悪な牙からスズカを守りきれなかった俺にも責任はある。
 良く言えば軍人らしくなったスズカだが、時々、ゲルにさえ抑えきれないほどの狂気をはらむことがある。
 この前など、南方戦線で捕虜とした竜人を見て、喜々としてその両目を潰す虐待を加えていた。竜人によって左目を潰された恨みを晴らすかのように…。
 心優しかったスズカがそれほどまで憎しみに駆られるとは、戦争とは恐ろしいものだ。
「ユリウス殿下もおかしいですよ!」
「……あ、ああ。それは、そうだな……」
 その名に、ゲルも言葉を選びつつ心動かされる。
 ナルヴィア大河の戦いで、多くの部下を無駄に死なせてしまった。その時の怒りが冷めやらない。
「あの方は、結局は自身が皇帝になることだけしか考えていない。戦い方も、それを優先させてしまう。損害なんて気にしていないんだ。あんな人に、人の上に立つ資格など───」
「よせ」
 ゲルは口に人差し指を立てる。静かにしろというジェスチャー。
 こんな世の中だ。誰が聞いているか分かったものではない…。
「……でも、大佐もそう思いますよね!?」
「ううむ……」
 涙ながらに訴えるスズカに、ゲルも腕組みをして唸った。
 ユリウス皇子の人間至上主義という思想は丙家にとって都合が良く、ホロヴィズは熱烈に支持している。
 ゲルもスズカも軍人である前に、丙家のホロヴィズの家臣なのだ。
 例えユリウスのやり方が気にくわなかったとしても、ユリウスを支持しないとなれば、大恩ある殿を裏切ることになってしまう。
「……だが、だからといって、メゼツ様を皇太子へ推挙するというのは……物凄く無理があるだろう……」
「そうですね」
 スズカもそこは冷静に頷く。
 丙家の御曹司が皇帝となるのだ。丙家の家臣たちとしては、状況が許すならそれが最上の手と思えた。
 メゼツは皇帝一族である甲家の姫リヒャルタの息子でもある。
 ただしリヒャルタは丙家のホロヴィズに嫁入りする際、甲家の人間ではなくなったので皇位継承権は放棄している。 
 メゼツにも甲家の血が流れているというだけで皇位継承権はない。
 ホロヴィズが公爵にあたるので、その地位を継ぐ者として、メゼツは貴族としては公子と呼ばれるだけだ。
 つまり、メゼツに皇位継承権を与えるには、現在の皇位継承権者をすべて亡き者とせねばならない。万が一そうなれば、残された甲家の血筋を引く者として、メゼツの名が挙がることだろう。
「第一、メゼツ様はユリウス殿下以上に、“無い”と思いますよ」
「何がだ」
「何としてでも戦争に勝利しようとする気概が。メゼツ様は、妹のメルタ様のことしか考えていない」
「確かにな……」
 ゲルは苦笑する。俺はスズカを妹のように思っているが、メゼツがメルタを思うほどの激情は無い。
「坊ちゃんはシスコンだからなぁ」
「キモッ…って思いますよ! なーにがメルター!ですか。お嬢様が目覚めないからって拗らせすぎです。そんな甘ちゃんに、戦いで非情になることなんてできますか!」
「な、なるほど。スズカは厳しいな……」
 何だかスズカを妹のように大切に見守ってきた自身をちくりとされたかのように感じ、ゲルはちょっとだけ悲しくなった。
 そういえばまだ少女のメルタと違い、このスズカは二十代半ばの立派な成人女性だ。妹扱いは失礼かもしれない。
「だから、ガデンツァ皇女か……」
「はい! ホロヴィズ様にも、ユリウス皇子からガデンツァ皇女に乗り換えるべきだと、大佐から進言してくださいよ!」
 平和主義という乙家にかぶれたミゲル皇子よりは良いかもしれない。
 ただ、ガデンツァ皇女は余り丙家や乙家どちらにも加担しないというか、甲家こそが唯一絶対無二の至高の存在と考えているふしがある。
 丙家の家臣としてはそこが心配であり、やはり支持しきれない。
 だがここのところ、スズカや他の何人かの青年将校らが次々とガデンツァ皇女に取り込まれていた。
 ナルヴィア大河の戦いで株を落としたユリウスに対し、マルクスのクーデター“五月一日の反乱”を鎮圧して株を上げたガデンツァ。
 スズカも同じ女性というところもあってかガデンツァを熱烈に支持するようになっており、密かにガデンツァ派の勉強会などに顔を出しているというのだ。一体何を“勉強”しているのか知れたものではないが…。
「俺は軍人だ。そして軍人は、政治に口を出すべきではないと思っている」
 ゲルの答えはいつも同じだった。
 不満そうに頬を膨らませ、だがそれでもしつこく、スズカはガデンツァの素晴らしさをゲルに説いた。
(スズカめ……よほど、皇女に心酔しているのだな)
 スズカの父バーンブリッツが知れば嘆いたことだろう。大恩ある丙家の意に背くことになるかもしれんというのに、随分と軽々しく変節したものだ。少し前までは丙家と同様の人間至上主義を掲げるユリウスを素晴らしいと言っていたはずなのだが…。なまじ参謀という頭を使う種類の軍人であるためか、いらないところの頭まで働かせているのではないか。
 いや、やはり大きな目で見れば、戦争が彼女をそう変えたのだろう。
(そういえば、メゼツ坊ちゃんが初陣なさるという話をホロヴィズ様から聞いたが……)
 御曹司は、確かにスズカの言う通り、妹のことしか考えていない甘ちゃんかもしれない。
 亜人に対しては丙家の人間らしい考えは持っているが、戦場で剣を振るうのは初めてのはずだ。
(果たして、坊ちゃんは……)
 理想と現実を知り、メゼツがどう成長し変わっていくのか。楽しみであり、恐ろしくもある。
 ───ダヴ神の祝福あれ。
 ゲルはメゼツのために祈った。





「よーし! メゼツ小隊、すすめ!」
 ホロヴィズ、ゲルの思いが届いたかどうか。
 メゼツはあっけらかんとした掛け声と共に、部下達の先頭に立って行軍する。
 アルフヘイム大陸沿岸部にメゼツ小隊が上陸してから、彼らの行軍は既に十日ほどに及ぶが、目的地のボルニア要塞まではまだまだ遠かった。
 ボルニアは、甲皇軍の占領地の広がりを示すように、かなり内陸部に入ったところにある。大陸中央にあるアルフヘイムの聖都セントヴェリアに程近い西部戦線最後の砦。ボルニアさえ陥落すれば、聖都まで遮るものは何もなくなり、この戦争の帰趨も決すると言われるほどの要衝。
(ナルヴィア大河を船で進めばすぐに着くのだが……)
 メゼツの部下の一人、ロメオ・バルバリーゴは嘆息する。
 沿岸部から大陸中央へは、ナルヴィア大河がアリューザ、ボルニア、セントヴェリアと主要各都市まで伸びている。
 だが、この川幅最大四キロほどにもなる大河は曲者だった。
 アルフヘイムの亜人族は多様で、彼らは部族ごとに大陸各地を領土(ナワバリ)としている。ナルヴィア大河は蟹や人魚といった魚人族の支配領域である。
 甲皇軍も海軍を回して大河を制圧しようとしたが、魚人族の抵抗は頑強だった。
 四年前にアルフヘイム大陸を包む防壁魔法を破った際も、甲皇軍はアルフヘイム大陸へ橋頭保を築くことができたが、大陸周辺の海岸線を守っていた魚人族は大河へ撤退していっただけで、殲滅できたわけではなかった。
 大河を守る魚人族を無視して船を出そうとすると、もれなく人魚族の戦士が爆弾を抱えて特攻してくるのだ。いわゆる“人間魚雷”だ。
 何が彼らをそうまでさせるのか、人魚族は狂信的な士気をもって甲皇軍に攻撃してくる恐るべき連中だが、こちらから攻撃しなければ反撃はしてこない。
 ゆえに、大河を避けて陸路を進んだ方が安全というわけだ。
「ボルニアまではまだ遠い。適時、補給が必要です」
 ロメオの進言に、メゼツは頷く。
「沿岸部からボルニアまでのちょうど中間の位置にあたるのが要衝アリューザ。昨年、第四打撃軍司令のバーナード少将らが陥落せしめた都市があります。現在、西部戦線はバーナード少将が総司令として指揮をとっています。まずはこのアリューザを目指しましょう」
「よし、分かった! 経験豊富なロメオ軍曹の言うことに従うぜ」
 メゼツは快活に返事する。
 経験は浅くとも武人らしい豪放な性格に、ロメオは早くもメゼツを好ましい人物だと思うようになっていた。
 ところでロメオは詳しく語らなかったが、現在の西部戦線を構築する甲皇軍は複雑な指揮系統にあった。
 総司令としては第四打撃軍のバーナード少将。
 他には第三打撃軍のクンニバル少将がいた。
 最強部隊とされる第一打撃軍のみユリウス皇子と共に本土へ帰還したが、第三・第四軍は相変わらず西部戦線で踏ん張っているのだ。
 ところが、この第三軍と第四軍の仲はすこぶる悪かった。
 昨年、クンニバル少将は部下のバルザックの裏切りによって負傷し、戦線離脱した。
 その傷も癒えようかという時期だったが、ユリウスはクンニバルを信用しておらず、バーナードに総司令を任せてしまった。
 平民出身で野心も無いバーナードと違い、下級貴族だが男爵にあたるクンニバルにはこれが面白くない。何が悲しくて平民の風下に立たねばならんのだと。
 確かにクンニバルは名将とされていた。いや、性将とも言われている。一昨年、クンニバルが独断で第三軍を動かし、大陸南西部のレンヌの街を陥落せしめた手腕は見事なものだった。堅実だが凡庸な戦いぶりのバーナードより優れた指揮官という自負もある。
 だが、そのようにクンニバルが功を焦る性質であると、ユリウスに見抜かれていたのだ。
 結果、第三軍はレンヌを拠点として、第四軍はアリューザを拠点として動けずにいた。仲が悪い彼らが連携することは難しく、ボルニア要塞への本格的な侵攻は控えられている。
 やはり、第一軍とユリウス皇子が戦線復帰するまでは大規模侵攻作戦は不可能であろう。
(……問題は、戦線が膠着した現在、末端の兵たちの不満が高まってきているということだが)
 噂によれば、占領地での略奪や、亜人狩りと称される奴隷交易が盛んとなっているという。
 エルフ一人で人間十人分の価値がある。ハーフエルフでも見目麗しければ高い値がつく。
 甲皇軍でも不逞の輩が、そうした奴隷交易に手を出し、SHWの奴隷商人にエルフらを売り飛ばして私服を肥やしているらしいのだ。
(上陸作戦初期、橋頭保を築く段階ではそうした略奪も公然と行われてはいたが、アリューザ・レンヌといった都市を占領できた現在、そうした略奪をしなければならないほど補給は滞っていないはずだが……)
 ロメオは少しだけ心配だった。
 この純朴でさっぱりした性格の少年が、占領地での略奪や虐殺などを目にしたなら。
 果たして彼はどういう反応を示すのであろうかと。
 メゼツの部下として付き従うこととなった兵たち…ロメオ、ヨハン、ガロン、ウォルトの四人。
 偶然ながら、いずれも甲皇国人としてはそこまで亜人に対して差別感情を持っていない者達だった。
 ヨハンは名門貴族の係累だが平民と変わらない貧しい家出身で、他の三人も平民出身だ。甲皇国の一般的な国民といえる。
 いや、例え貴族出身で、強烈な亜人差別の教育を受けていたとしても…。
 教育で聞く亜人=恐るべき化け物どもという思想は、実際に亜人らと関わるとすぐに違うと分かる。
 亜人といえど、普通の人間と何ら変わることのない知性や良心を持っている。
 中には確かに化け物じみた強さを持つ亜人もいるが、それは強力な兵器を備えた人間も同じこと。
 教育で植え付けられた理想と、現地で目にする現実とは違うのだ。
 






 ───そして、ロメオの不安は的中する。
 アリューザ、そしてボルニアへ至る行軍。
 そこで彼らが見たのは、まさしく戦場の現実であった。










つづく 
sage