Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
36話 喧騒のアリューザ

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36話 喧騒のアリューザ









 がらがら、がらがら。
 瓦礫と共に、焼け焦げた死体がゴミのように片付けられていく。
 エルカイダの竜騎士たちが投下した焼夷弾によって焼き払われた家々からは、それが人間なのか亜人なのかすら判別できないほど焼けただれた大量の焼死体が出てきていた。
 甲皇国では、葬送の風習が、死者を送り感傷に浸るという文化が徐々に廃れている。裕福な貴族なら別だが、貧しい平民では墓を建てることもままならない。戦争が長引きすぎたからかもしれない。いちいち人の死を悲しんでなどいられなくなり…。かつては、遺体からひとかけらの骨を取り、遺骨として遺族へ渡すというのがせめてもの死者を送る風習といえたのだが…。
 人間も亜人も死ねば等しくただの骨に過ぎない。街の外へ無造作に捨てられる。遺体から伝染病が起きてはいけないので、消毒の為に郊外で瓦礫ごと再度焼かれる。立ち上る黒煙だけが、死者への葬送となるだろう。
 死は平等であり、死者を焼く黒煙の中で、憎しみ合っていた人間も亜人も初めて一つとなるのだ。
 焼死体は、黒焦げとなって表情は読み取れないが、水を求めて伸ばされた手や、喉をかきむしるような仕草をしていたりと、苦痛や恐怖や絶望といった感情が伝わってくる。
 が、生きている甲皇国の第四軍兵士たちのほうは、何の感情も感慨もない様子で黙々とその作業にあたっている。生きている兵士に、感情は、仲間達の死を悲しんでいる暇などはなかった。
 奇襲には対処できなかったものの、その後の第四軍の反撃と鎮火の動きは適切であり、被害は思ったほど少なく、死傷者の数は数百人程度に収まっている。
 ───そう、「死傷者数百人」終わってみれば、たったそれだけのこと。そんな小さな出来事は、本国には数字として軍部に上がってくるだけで、国民には知らされもしないだろう。本国では連戦連勝という大本営発表しかされないのだから。
「……俺は」
 メゼツは、うつろな目で寝台に寝そべり、宿屋の窓越しにそんな第四軍の兵士たちを見つめていた。
 末端の兵士たちでも精力的に働いているというのに、自分の不甲斐なさが悔しかった。
 腰を抜かして動けなくなっていたメゼツと黒騎士にやられて気絶したヨハンを助けたのは、後から追いかけてきたロメオ、ウォルト、ガロンたちである。
 ロメオに抱えられながら宿屋に戻ったメゼツは、どこにも怪我はなかったが、それからずっとふさぎこんでいた。
(俺は弱い……)
 そう思い知らされながら、メゼツの表情は青ざめてひどく弱弱しく、今にも消えいってしまいそうなほど儚かった。
(───小僧、その骨の紋章を背負い、剣を持ってここに立つということは、我々に殺されても文句は言えない。覚悟はできているのだろうな)
 黒騎士の言葉が頭をよぎる。
 覚悟はしていたつもりだったが、まだ現実の戦場を知らず、自分は戦えるといきがっていただけだった。
 なぜあの時、まったく体が動かなかったのか。まるで自分ではないかのような恐れを感じてしまった。
 亜人、エルフの怨念を背負った黒騎士に呑まれてしまったのか…。
 メゼツは、屈辱を感じるとともに、思うように動けなかった自分に苛立ちを覚えていた。
 思うように戦えなかった原因。それは、彼自身も気づいていないが、メゼツは心優しかった亡き義母トレーネの影響を受けていた。ホロヴィズや丙家の英才教育を受け、表面的には亜人憎しの思想を持ち、彼自身も丙家の戦士らしくあろうとはしている。だがそれを取っ払ってしまえば、後に残ったのは妹思いの心優しい少年という素顔だったのだ。
「──だから、彼はまだ……」
「軍曹。こんな調子じゃ先が思いやられると言っている!」
 扉の外で言い争う声が響いた。
 と思うと、けたたましく扉が開かれる。
「ち。まだそんなふうに呆けているのか」
 荒々しい様子で怒りをにじませる声の主は。
「ヨハンの兄貴……」
 黒騎士との戦いで、全身に電流を受けて麻痺状態となっていたヨハンだが、一夜明けるとすっかり元気に動いていた。
「情けないぞメゼツ。指揮官のお前がそんなでは、下に示しがつかない! お前はそれでも丙家の男子か」
「兵長、彼はまだ少年だ。初めての戦場でこうなってしまうのはありがちなことだろう」
 ヨハンをいさめようと、彼の肩を掴むのはロメオ軍曹だった。
「甘い。みたらし団子より甘いぞ、軍曹」
 なおも、ヨハンは言いつのった。
「なぁ、メゼツ。俺だって怖いさ。俺はお前より早くこの土地で、アルフヘイム軍と戦ってきたが…亜人の身体能力というのは非常に高い。人間の限界ってやつをいやというほど知らされてきた。だが、お前は違うだろう。肉体改造手術を受け、奴らの中でもエリートの精霊戦士にすら立ち向かえるだけの力を手にしたはずだ。後は、恐れを振り払い、その力を思う存分に振るえばいいだけだ!」
「……」
「深く考えるな! 頭を空っぽにして、暴れてやればいいだけだ!」
「兵長!」
 ロメオが叱責するので、ヨハンは舌打ちをし、部屋を出ていこうとして。
「……戦いは、お前が子供だとか、未熟だからとか、そういう事情を汲んではくれない。立ち上がれないならさっさと国へ帰るんだな」
 辛辣に言い残し、ヨハンは扉を乱暴に閉めて出て行った。
 やれやれと嘆息し、ロメオは肩をすくめる。
「……お怪我は無いようですが、顔色がすぐれないようですね……」
 ロメオは優しく声を掛け、寝台のかたわらの椅子に腰をおろした。メゼツはぐったりとかすかに首を回してロメオの方を見ようとする。
「何日も放置して青カビのついた大福みたいな顔色をしておいでだ」
「なんだその例えは……」
 思わず吹き出しそうになり、メゼツはやっと苦笑いを見せる。
「ははは、まだ言い返す元気はおありのようだ」
 からかうように笑いつつ、ロメオは優しく言った。
 この短期間で、ロメオはメゼツという少年をよく理解し、どう扱えば良いのかも大体わかってきていた。
「……誰でも、十六歳のときには、十六歳のようにしか生きられない。私が十六歳のころなんて鼻を垂らした小僧っこに過ぎなくて……それに比べれば、あなたは良くやっている」
「どこがだよ。あんな醜態をさらしておいて…」
「十六歳などそれで当たり前なのです。だが若さというのはいい。傷ついてもすぐに回復する。あなたは若いんだ。すぐにまた立ち上がれるでしょう」
「…ああ、立ち上がってやるとも」
「急ぐことはありません。あなたは指揮官なんだ。まずは我々を上手く使ってください。先頭に立って戦うことはない」
「……」
 兵士としてはまだ半人前だと言われた気がして、メゼツはむっとして押し黙る。
 それからロメオはてきぱきと事務的なことを報告した。アリューザで補給は既に終えているが、ボルニア潜入にあたっての案内人の手配がもう少しかかりそうだということで、出発は明日となったということなど。
「では、どうかご自愛くださいね。若様」
 部屋を出る前にかけられたロメオの言葉は、どこか突き放したところがあった。
「……ああ」
 悄然として、メゼツは気の無い返事をする。
 メゼツはまた一段と自分がいかに未熟で──子供に過ぎないのだということを思い知らされていた。
「くっ……」
 歯ぎしりをして、メゼツは拳を握りしめる。
 うつろだった目は、次第に輝きを取り戻していた。
 







「あの少年についていって大丈夫なんだろうか……」
 がやがやと騒がしいアリューザの大衆酒場にて。
 麦酒の杯をあおりながらウォルト二等兵は呟いた。
 それに対し、テーブルの向かい側に座るガロン一等兵は答えず、黙々とローストチキンにかぶりついていた。
「ついてないよな。こんな少人数で激戦地のボルニアに潜入する任務だなんて。死ねと言われているようなもんじゃないか」
「ああ」
 無口なガロンは「ああ」とか「そうだな」とか時折相槌をうつだけで、酒の勢いに任せてウォルトがずっとぐちぐちと言っているだけの構図である。
「おい、何を愚痴っていやがる!」
 そこを見咎めたのは、先程メゼツを散々叱っていたヨハンであった。
「兵長!?」
「貴様ら、俺の従兄弟を侮辱するのは許さんぞ」
 先程まで本人の目の前で激しくメゼツを罵っていたはずのヨハンだが、メゼツが見ていないこの場では擁護するのだった。
「……とはいえ、お前らの不安ももっともだ。だが兵隊に上官は選べない。せめて俺たちだけでもしっかりやっていこうじゃないか」
「まぁ、仕方ありませんよね…。あのお坊ちゃんは使えないかもしれないが、悪い子ではないよね。俺たちで支えてやればいいか」
「そうだな」
 ヨハン、ウォルト、ガロンらはまだ年若く素直な青年たちだった。丙家らしい思想を持つヨハンとて、軍の同僚たちと話す分には気さくで気持ちの良い性格をしているのだ。
「お、ウォルト。お前、帝都のアインス地区出身なのか。奇遇だな、俺はその隣のツヴァイ地区だぜ」
「え、ヨハン兵長はウルフェルト領の方なのでは?」
「父方がそうなだけで、母方は帝都の丙家の末流出身なんだよ。へー、じゃあアインス地区ならさ…」
 などと、上官のメゼツやロメオらがいないということもあり、三人は和やかな雰囲気となって意気投合していた。
「だからよ、同郷じゃねぇか。もう敬語はやめろよウォルト!」
「えーいいんですか? じゃあヨハン、そっちの麦酒取ってくれよ」
「わはは、この野郎、童貞のくせになまいきだぞ!」
「どどどど、ど、童貞ちゃうわ!」
「じゃあ素人童貞…?」
「俺はそういうことは好きな人としかやらないの!」
 二時間ぐらいだろうか、三人は他愛ない話で盛り上がっていて、徐々に周囲のテーブルから人がぽつりぽつりと消えているのに気づいていなかった。
「盛り上がっているようだな」
 そこへ、メゼツを部屋に残してきたロメオが現れる。
「お、ロメオ軍曹だ。軍曹もこっちきて盛り上がりましょうよ」
「せっかくだが」
 油断のない目つきで、ロメオは周囲を睥睨する。
「……お前たち、周囲の様子には気づいているのか」
 声をひそめるロメオに、ヨハンも目つきが変わる。
「え、え。何のこと…?」
「……む」
 狼狽えるウォルトに、食べる手を止めるガロン。
 いつの間にか、酒場からは客がすっかりいなくなっており、ロメオたち四人の他には一組が残っているだけであった。
 そしてその一組が、異様な風体や雰囲気を発している。
「あいつらは…?」
「甲皇軍のようだが、第四軍のものたちとは明らかに様子が違う」
「ということは……」
「第三軍クンニバル少将配下のものたちだろうな」
 その連中はロメオたちと同じく四人連れだった。
 一人は、四人の中では一番年上、おそらく五十歳前後だろうか、禿げ頭だが軍服はきっちりと着ている。階級章を見る限り、中尉。
 一人は、頭の先から足の爪先まで鎧で覆っているが、その素材は明らかに亜人の爪や牙などを材料としている鎧騎士。
 一人は、目つきがとても悪く、性格や柄の悪さが滲み出ている。左足と左腕を欠損しており、左足に義足をつけている中年の男。
 一人は、体格は良い。四人の中でも大柄で逞しい体つきをしている。だがけばけばしく化粧をして女性的な服装をしており、男なのか女なのか分からない。
 ……と、何とも異様な連中であった。
「へっへっへ、だからよぉ! あのクソッタレなオークをこう豚切りにしてやったのよ! あとは焼き豚にして食っちまった」
 義足の男がそう威勢よく叫ぶ。
「正気とは思えませんね、ベルトランド?」
 それに、鎧騎士が返す。
「だってよぉ……仕方ねぇだろ? 逃げるのに必死だったんだからよ」
「亜人を食べるなんて! せっかく素材として利用できる部分があるというのに! オークだって食材だけじゃない。彼らの骨はあの分厚い脂肪を支えられるだけの太さがある。武器として使えばそれなりに高機能なんですよ」
「素材って……」
 斜め上の回答にきょとんとして、口をあんぐりと開ける義足の男。殺して食べたことを批判されたのかと思ったので、思わず爆笑してしまう。
「ぎゃははは! そういう使い方があるたぁね。悪かった。次からはそうするよ、ドイール」
 義足の男はベルトランド。残虐な性格のようだ。口ぶりからして、アルフヘイム軍を脱走して甲皇軍に寝返ったらしい。
 そして鎧騎士の方はドイール。真面目そうで丁寧な口調だが亜人を素材としてしか見ていない。
「それにね、殺すのはもったいないわ。高く売れるのに。亜人狩りをするならエルフが一番価値があるけれど、もっと珍しい亜人もいるはずよ。あいつら無節操に色んな種族で交配しちゃってるんだもの」
「珍しい亜人ってどんなのだよ、ポルポローロ?」
「そうね、例えば魚類の亜人と哺乳類の亜人の混血とか見てみたいわね。兎人族とか性欲旺盛だから色んな亜人と交配してるし可能性ありそうだわ」
「マジか。さすがケダモノどもだな! ぎゃははは」
「そういう珍しい亜人を見たら教えてちょうだいよ。高く買い取ってあげるわ」
 女性のような服装をしているが声は野太い。このオカマ男はポルポローロというらしい。彼は軍人ではなく商人のようだ。良く見ると身に着けた衣服は高価そうなものであり、成金趣味をうかがわせる。口ぶりからして亜人の人身売買で儲けているようだ。
「わしのところに来た以上、亜人狩りの仕方を覚えてもらわねばな。励めよ、ベルトランド」
「へへっ、分かってまさぁ。ハゲワシの旦那。もうアルフヘイム軍なんかまっぴらさ! これからは甲皇軍の時代だ!」
 そして、禿げ頭の中尉は本名かどうか分からないがハゲワシというらしい。五十歳前後にになろうというのに中尉程度の階級で留まっているということは、それほど有能な軍人ではないようだが…。かえってそれぐらいの階級の立場の方が、現場で旨い汁を吸えるのかもしれない。
 どうやら、彼らは典型的なクンニバル配下のならず者集団のようだった。
 クンニバルが率いる第三軍は、性質が悪いほうの甲皇軍なのだ。略奪・強姦・亜人食い・人身売買で私服を肥やす…などなど、なんでもありと言われてる。そういう方針を取ることで、末端の兵士の士気を高く保っている。彼らは略奪という見返りがあるため、熱心に戦争にも取り組むのだ。
 酒場の客らは、素行の良い第四軍の兵士たちや、アリューザにもともと住んでいた亜人たちばかりだったので、そんな第三軍の連中の物騒な会話に気分を害して出て行ったのだった。
「……我々も出ましょう」
 ロメオがそう促し、ヨハンたちも頷いて酒場を出ていこうとする。
 が、時すでに遅かった。
「おう、待ちな! そこの兄ちゃんたちよ」
 酒場の客が減っていっていたあたりから目をつけていたのだろう。ベルトランドが声をかけた。
 席を立ち、馴れ馴れしい様子で彼は義足ながら器用に歩き、ロメオたちに近づいてきた。
「……ふん、どいつもこいつもヒヨッコじゃねぇか。いつこっちに来たんだ?」
 値踏みするような目つきで、ベルトランドはロメオたちをじろじろと見まわした。確かに二十代前半ばかりのロメオたちは若い連中ばかりだ。対して、ハゲワシたちはいずれもおっさんくさい。社会に出たての若年者を馬鹿にするおっさん特有の舐めくさった雰囲気をベルトランドは放っていた。
「どうでもいいだろ。行くぞ、みんな」
 ロメオがそう言ってヨハンやウォルトの肩を持って酒場を出ようとするが、ふいにロメオの頭に麦酒が入った杯が飛んでくる。
 がしゃん!
 派手な音を立てて杯が壊れ、ロメオは頭から麦酒をかぶってしまう。
「おう、男前な面になったじゃねぇか。ぎゃははは!」
 ベルトランドが爆笑する。彼が麦酒の杯を投げつけたのだった。
 ぽたり、ぽたりと麦酒の水滴がロメオの髪の毛から滴り落ちる。
「野郎…!」
 仲間への攻撃に、ヨハンがかっとなって拳を握りしめる。
 ウォルト、ガロンらもさっとおもてを引き締めた。
 乱闘も辞さないという構えで、その場に緊張が走った。
「相手にするな」
 が、被害を受けたロメオは冷静であり、むしろ怒るヨハンの肩を握りしめ制止する。
「しかし…!」
「我々は秘密任務中だ。騒ぎを起こしてはならん」
 かわそうと思えばかわせたと思うが、ロメオは彼らからの侮辱を黙って受けたのだった。
「おう。やめてやれや、ベルトランド」
 第三軍の彼らの中で一番階級が高いとみられるハゲワシが声をかける。
「へい、旦那」
 ベルトランドが下がり、ハゲワシが前に出る。
 ベルトランドを制止したといっても、ハゲワシがこれ以上の騒ぎを望んでいないかといえばまったくそんな様子はない。彼は、にたりにたりと嫌らしい笑みを浮かべている。
「中々、見どころがある青年たちじゃないか。だが、向こうっ気が強いのは良いが、上官と話すときはもう少し礼儀ってもんを知ることだ」
 そう、ロメオでも下士官の軍曹に過ぎず、ハゲワシが中尉であるなら上官にあたる。
 軍の所属が違うから直接の上官ではないが、この場ではハゲワシに敬礼が必要だった。
「…失礼しました。中尉殿」
 ロメオが肘をピンと張って敬礼をする。
「今更遅ぇんだよ」
 ハゲワシは手刀でびしっとロメオの顔をはたいた。
 顔をしかめるロメオに、ハゲワシは尚もロメオの胸倉をつかむ。
「怪しい連中だな。所属と姓名を言え。本当に甲皇軍の兵士どもか? 何の任務を帯びてこの町に来ている?」
 どうも拙い展開になってきた。自分たちにやましいところはないが、同じ甲皇軍の同胞が相手とはいえ、秘密任務を帯びている。バーナード少将のような信用の置ける将軍になら話しても良いが、このちんぴら同然の第三軍の者どもに話すのは危険だと思われた。
「───どうした。口がきけねぇのか? 答えられねぇってことは、後ろ暗いところでもあるのか?」
 ロメオが黙っているので、ハゲワシはやや挑発的に詰めてくる。
「なぁ、後ろ暗いところがあるなら、むしろその方が俺には都合がいいんだぜ?」
 ハゲワシがにやりと笑う。
「……どういうことですか」
「まぁ、聞け。俺たちはお察しの通り、第三軍の者達だ。そして、我々の司令官クンニバル少将閣下は、出自や種族にこだわらず、忠誠を誓う者は受け入れる。つまり、お前たちのような怪しいヒヨッコどもでも、我々は受け入れると言っているんだ」
「……我々に、あなた方の指揮下に入れと?」
「そうだ。いいじゃねぇか。どうせ第四軍の所属なんだろ? つまんねぇぞ第四軍は。そのうち前線に出されて無駄死にするのがおちだ。その点、第三軍は楽しいぞ! 亜人どもを狩って一儲けできるし、亜人のメスどもを犯したい放題よ。エルフの女の肌の柔らかさといったら極上だぜ?」
「……」
 どうやらロメオたちを第四軍の兵士たちと誤認しているようだが、それならそれでいい。
 しかし、どうこの場を切り抜けたものか。
(軍曹…)
 こそっとヨハンが背後から声をかける。
(───ふいを突いて逃げるぞ)
 そうヨハンが言うのを、ロメオはひそかに同意したというふうに拳を握った。
「───ロメオ軍曹、何をしているのか」
 まさか。
 その声がした方を、ロメオは驚いて見る。
 メゼツが、ロメオたちを探して部屋から出て酒場まで来ていたのだった!
「……おう、何だこの坊やは。兄ちゃんたちの仲間か?」
 ハゲワシが一層目を細め、はっきりと好色な笑みを浮かべた。
「ふん、この兄ちゃんたちもガキみてぇなもんだが、こっちは正真正銘まだおしゃぶりも取れてなさそうなチビガキじゃねぇか。なんだ、乳首なんて晒しやがって。男でも誘ってるのか? …ははぁ、さては男娼か何かか? おい、いくらなら買われるんだお前は」
「……ああ?」
 余りの侮辱に、メゼツの顔色がたちまち怒りに変わる。
「こりゃあクンニバル閣下に良い土産ができたな。閣下は最近、少年を犯すのがマイブームなんだよ」
「はぁ?」
 メゼツは怒りの余り、ぶるぶると体を震えさせた。
 恐れからではないのだが、それを恐れからのものと、ハゲワシは誤認する。
「おいおいびびっちまったか? 安心しろよ。俺たちは閣下ほど乱暴じゃねぇ。優しくしてやっからよ」
「……ち」 
 さすがに、温厚冷静なロメオも舌打ちする。どうしてこう、この少年は次から次へとトラブルに巻き込まれるのだろうか。 
 このままでは血を見る騒ぎとなるのは明らかか……。
(よし)
 ロメオは意を決した。
 唐突に、彼は前傾姿勢を取って突進し、ハゲワシに体当たりをぶちかましたのだ。
「ぐぶぁ!」
 不意を突かれたハゲワシは吹っ飛んでしまう。
「若様、この場は!」
「お、おい! 何すんだよ軍曹!」
 ロメオは豪快にメゼツの体を軽々と抱きかかえ、肩に乗せる。
 それを合図に、ロメオたちはその場から一目散に逃げだすのだった。







「畜生! 奴らどこに行きやがった!?」
「探せ! まだ遠くには行っていないはずだ!」
 アリューザの街は、夜だというのに大変な騒ぎになっている。
 酒場から飛び出したロメオたちは散り散りとなって逃げていた。
 第三軍は酒場にいた四人だけではなかった。ハゲワシは中尉であり、それなりの数の兵士を指揮していた。アリューザに密かに入り込んだ第三軍兵士らがロメオやメゼツたちを追いかけまわしていた。
 ロメオは暴れるメゼツを抱きかかえ、町中の複雑な地形の中を走っている。
「軍曹! こら、おろせ! 俺は奴らをぶったぎってやる!」
「いけません! ここは逃げるのです! こういうこともあろうかと、トラブルとなった場合、ヨハン兵長らとはどのポイントで落ち合うかは話し合っております。私に従ってください!」
「くそ、くそ! あの野郎、俺を舐めやがって…!」
「ははは、元気が出たようですな。何よりです!」
「むぐーっ」
 ロメオはメゼツの口を布でしばった。
「元気が出たところ、申し訳ないのですが少し黙っていてください。奴らに気づかれる」
 アリューザの街はそう大きくはない。酒場があった盛り場もそう広くはない。娼館や酒場が並ぶ通りもたった二本しかない。それを抜け、かなり静かな寂れた住宅街へ入り込む。小さな石造りの家が建ち並んでいる。
「あそこなら抜けられそうだ。行きますよ、若様」
 ロメオは素早く見極めると、また一本横道を選んで飛び込んでいった。
 第三軍の追手たちの声は遠ざかっている。
 ようやく、声を潜めないで会話できるあたりまで逃げおおせたらしい。
「もう一本、横に抜ければ、もう奴らには分からないでしょう」
 ふぅっと安堵して、ロメオは一息つこうとメゼツを肩から降ろした。
「もごもご」
「葉っぱで包まれた桜餅みたいな顔してますが、もう少し黙っててくださいね」
 笑顔で言うロメオに、メゼツの顔色はいよいよ桜餅どころか紅白まんじゅうめいてきた。紅い方の。
「うっ…」
 もうここなら大丈夫かと足を止めていたロメオだが、ふいにぎょっとした。
 がしゃん、がしゃん。
 あの亜人の牙やら角やらを装飾した鎧に身を包んだドイールが目の前の路地を横切ったのだった。
 幸い、兜で顔を隠しているドイールは視界が狭いらしく、ロメオたちに気づくことなく通り過ぎていった。
「くそ、ダヴの神のけつの穴め!」
 思わず、ロメオはめったに言わないような口汚い呪いの声をあげた。
 ロメオは来た道を引き返し、別の横道を模索する。
 第三軍は、思ったよりこの街の地理に詳しいらしい。昨日来たばかりのメゼツ小隊の面々よりも。
 どこに向かっても第三軍の兵士らが複数人でうろついており、次第にロメオは行き場を失いつつあった。
(どうする……?)
 狼狽えるロメオに対し、メゼツの目は次第に座ってきていた。
「軍曹」
 口を縛っていた布を取り払い、メゼツはロメオの肩を掴む。
「……奴らにとっ捕まると危険なのはわかる。ここはもう、覚悟を決めて奴らと一戦交えて切り抜けよう」
「しかし…」
 メゼツの目はらんらんと輝いている。昨晩の黒騎士との一戦では動くことができなかった彼だが、今は明らかに違っている。
 だが、ロメオはこのまま第三軍の兵士らと戦端を開いて良いものか思い悩む。
 例え勝てたとしても、その後厄介なことになるのは目に見えている。
 と、その時だった。
「おい、あんたたち」
 ふいに、小さな家の中から呼びかける者がいた。
 野太い声、だが第三軍の者たちではない。甲皇国の人間ではない言葉の訛りがある。だがアルフヘイムの亜人でもなく、メゼツもロメオもあまり聞きなれない訛りだった。
「追われているんだろう? こっちに入れ。匿ってやる」
 家の中は真っ暗で、その中から毛深い手だけが出て彼らをさしまねいていた。
 選択の余地はない。
 ロメオはためらういとまもなく、その闇の中に体をねじこんだ。
 ばたん、と扉は閉められる。
「───畜生! あいつらどこに…!」
 間一髪だった。
 家の外で、第三軍の兵士たちがどたばたと足音を響かせている。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
「危ないところだったな」
 野太い声が言った。
「───なぁ、メゼツ公子さまよ?」
「きさまは……?」
 ロメオはごくりと生唾を飲み込む。
 この少年をメゼツと知っているという、この男はいったい……。
「! …う、うげーー」
 突然、メゼツがげろげろと嘔吐した。
「若様…!? う、うげええええ」
 つられて、ロメオも貰い嘔吐する。
 部屋の中は、とんでもない悪臭だったのだ。
「おいおい、人の家の中でいきなりゲロ吐くか? なんてやつらだまったく」
 野太い声は呆れた様子を見せる。
 やがて彼は、真っ暗だった部屋に、明かりをともして姿を見せた。実に醜悪な中年男の顔、オークのようにでっぷり太った腹が明らかになる。男は部屋の椅子にゆったりと腰かけていた。頭にはSHW風のターバンをつけ、手にはおどろおどろしい骸骨のついた杖を持っている。
「……ともかく無事で何よりだ。そして始めましてだな、メゼツ公子。俺があんたらが目指すボルニアへの案内人として雇われたボルトリックだ。よろしくな」
「そしてワイがボーちゃんや! よろしくニキー!」
 その男、SHWの奴隷商人ボルトリックは、喋る杖ボーちゃんとともに、にやりと好色そうな笑みをメゼツに向けた。








つづく

       

表紙

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