54話 平和のための代償は

54話 平和のための代償は







 ボルニア要塞手前の平野は小高い丘となっており、そこにユリウスとゲル・グリップが率いる甲皇軍最精鋭三千の軍団が陣取っていた。足の速い騎兵と空軍のエース乙空が率いる竜戦車部隊のみを連れてきただけあって、丘の上に鉄条網や塹壕などで野戦築城をしてはいない。騎兵部隊は突撃槍を構えて馬上のまま待機しており、その上空を竜戦車部隊が旋回している。抜き身の剣のように、今にも切りかからんとする構えであった。
 一方、アルフヘイム軍は甲皇軍から距離を置き、森の中に潜んでいた。既に居場所は甲皇軍に知られているし、隠蔽する様子も無い。森の中から白刃の輝きが幾つも煌いている。こちらもいつでも突撃してやるぞという殺気を放っていた。
 そんな両軍から等距離に離れた中央に、粗末な天幕が設営されていた。
 天幕が開き、片方からは甲皇軍のゲル・グリップ大佐が。
 もう片方からはアルフヘイム軍のクラウス親衛隊主席アメティスタが現れる。
 かつて南方戦線で激突した因縁のある二人だが、両者は一度も互いを振り返る事なく、すたすたと自軍の方へと徒歩で戻っていく。
「撤収だ!」
「ボルニアへ帰還するぞ!」
 二人の叫びに、両軍からは安堵の溜息、もしくは悔しさを滲ませた罵声が響き渡った。
 ゲル・グリップが間近まで戻ってくるのを見て、馬上のユリウスが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「おのれ。ここまで来て引き下がらねばならんとはな…」
「不本意ですが、やむを得ないでしょう」
「分かっておる。くそっ、丙武め。へまをしおって…!」
 ユリウスの憤りも無理はない。あてにしていた丙武軍団五千が一向にアルフヘイム軍の後背を突く気配がなかった。この時、丙武は小要塞を落とせずに足止めを食らっているが、アルフヘイム軍が迫っている以上はもう待てなかった。
 ユリウスとゲル・グリップ率いる三千のみでアルフヘイム軍と激突した場合、それは流石に犠牲が大きいと思われた。アルフヘイム軍も満身創痍とはいえまだ一万五千ほどの兵が残っているうえ、死に物狂いで突破を図ってくるだろう。また、アルフヘイム軍には予備兵力としてニコロ将軍が率いるB軍集団がおり、それは甲皇軍要塞群を抑えつつもクラウスに援軍をよこしてくる可能性が高い。ぐずぐずしていれば逆包囲されて全滅の憂き目となるだろう。ユリウス自身は自分が死ぬなどとは微塵も思っていないが、幾ら甲皇軍最精鋭が揃っていても多くの部下は死ぬ。そうやって無理に攻めてもクラウスを確実に討てるという保証も無い。ここは一時撤退し、大軍でもって正攻法でボルニアを攻めるのが無難だった。
(これ以上、皇国の赤子せきしを殺すわけにはいかんしな…)
 ユリウスは戦後を見据えていた。アリューザで大きな打撃を負ったアルフヘイム軍はもはや敵ではない。余裕をもって攻めれば勝ちが見えているこの戦争で大きな犠牲を払えば、本国でのユリウスの人気が落ちることとなるのだ。それは、次期皇帝の座を伺うユリウスとしては得策ではなかった。
 アメティスタが戻ってくると、クラウスは寝台に横たわったまま僅かに表情をほころばせた。
「ナタイシ・オークトーン将軍の捕虜交換を条件に、交戦を回避できたか…」
「はい。ですがそれはまぁ付録のようなものですね。向こうとしても寡兵で戦う危険は避けたかっただけでしょう」
「すべてはサイファのおかげだな」
「はっ……」
「ともかくボルニアには辿り着けたか。春の目覚めとはならなかったが……」
「再起は可能です。まだ終わった訳ではありません」
「そうだな」
 クラウスは力なく呟く。その言葉には、アルフヘイム軍総司令官としての責任感や今後の作戦計画への見通しといったものは何も無いように感じられた。
 そうなってしまうのも無理はなく、一時は持ち直したように見えたが、クラウスの容体は明らかにおかしかった。どんどん衰弱していき、もはや立ち上がることすらできない。目の方もまだ霞んでろくに見えないという。
 ユリウスと甲皇軍との決戦は避けられ、かろうじて命だけは助かった。
 しかし、またも辛い冬ごもりとなるのだ。






 ダヴ歴455年6月、クラウス義勇軍の結成と蜂起。
 455年12月、ホタル谷の戦い。
 456年6月、ナルヴィア大河の戦い。
 456年10月、アリューザの戦い。
 などなど、他にも知られていないだけで、小さな戦いはいくつもあった。
 およそ一年半に渡って甲皇軍と激戦を繰り広げてきたクラウス・サンティだが、彼の苦難に満ちた戦いもようやく終わりを告げようとしていた。
 ボルニアへ帰還したアルフヘイム軍は再編成が行われる。
 そこに「総司令官クラウス」の名前はあったが、軍議にクラウスの姿は無い。代わりにアルフヘイム正規軍の生え抜きであるアーウィン将軍が総司令官補佐として軍議を仕切っていた。つまり、英雄クラウスは完全に名前だけのお飾りとなっているのだった。
 クラウス親衛隊も次席のサイファが戦死、数を多く減らしたということもあって再編成された結果、アメティスタを主席とする僅か百名だけの親衛隊となっていた。元の隊員の多くは正規軍に吸収されていった。たった百名ではろくに独立した作戦行動はとれないし、それが親衛隊のあるべき姿だが、本当にクラウスの警護しかできることがなくなった。
 敵前逃亡したフェデリコとシャフロスキーの黄金騎士団はちゃっかりボルニアに帰還していた。アルフヘイム政府の実権を担うラギルゥー族とつながっている彼らを処罰することは誰にもできず、多くの兵の不評を買いつつも彼らはのうのうとボルニアで大きな顔をしている。
 このことに白けてしまった竜人族のレドフィンや、ドワーフ族のフメツ、サラマンドル族のトーチ、オウガ族のベルクェットなどなど。名だたる戦士たちがボルニアを去り、アルフヘイム各地へ散っていった。中には甲皇軍との戦争はこりごりだと、SHWへ亡命した者もいるようだった。
 アリューザでの戦いで負傷した兵士は多数に及び、あの黒い雨を浴びた者の中にはクラウスのように体力をどんどん衰弱していく後遺症に苦しむ者が多くいた。ボルニアにいる治癒魔術師だけでは手当てが間に合わないため、多くの負傷兵が後方のセントヴェリアへと逃れていった。傭兵集団ペンシルズの副隊長クルトガや、ナルヴィアで負傷した傷が中々治らないダンディなども。
 ボルニアの守備を担うのはアーウィン将軍率いるアルフヘイム正規軍、メラルダの僧兵隊、精霊戦士アリアンナを隊長とする傭兵集団ペンシルズ、ルーラ・ルイーズの竜騎士隊、クラウスの代わりにニコロとビビが率いる義勇軍、フェデリコとシャフロスキーの黄金騎士団、元々ボルニアを領地とするアイン大公率いるウッドピクス族などが主力となっていた。要はほぼエルフ族とウッドピクス族しか残っていない。総勢三万余り。しかしこれだけでは守るのは何とかなっても攻めるのは難しい。もはやボルニア要塞にこもって守勢に徹するしかない。
 時をおかずしてユリウスとゲル・グリップ率いる甲皇軍の七万にも及ぶ大部隊がボルニアを包囲するが、すぐに攻勢を仕掛けてくることはなかった。ニコロによって潰されたボルニア周囲の小要塞を再び築きだし、塹壕を掘り、長期戦の構えを取っていた。無用な犠牲を抑えるために万全を期そうというのだ。
 年が明けて457年1月。
 突如、五千の丙武軍団がアルフヘイム北方に上陸し、破竹の勢いで兎人族の領地への侵攻を始めた。だが、手負いのアルフヘイム軍に北方戦線まで増援を出す余裕はない。兎人族独自の軍隊に任せるしかなかった。だが丙武軍団は手強く、兎人族は連戦連敗。僅か五千の丙武軍団に行動の自由を許してしまっていた。
 北方戦線を見捨てるアルフヘイム政府に対し、アルフヘイムの民の反感が高まっていた。やはりエルフ中心主義なのか。エルフに次いで人口が多い兎人族を目障りと思って見捨てるというのか。
 残虐で知られる丙武軍団は暴虐を振るい、あちこちで略奪や虐殺が行われていた。その惨禍はかなり衝撃的な内容も含んでおり、「甲皇軍非道なり」と第三国のSHWにも報道されていた。だが、旗色の悪いアルフヘイムを救おうという国は現れない…。甲皇国がアルフヘイムを支配してしまった場合、その勢力は世界最強となるだろうし、そんな国に対抗しようという国はないのだ。
 そんな中、SHWに属する小国家ハイランドの王ゲオルクだけが名乗りを上げる。ゲオルク率いるハイランド軍百名はアルフヘイムに上陸し、北方戦線への救援に乗り出した。だが僅か百名の小勢にどれほどの戦果が期待できるというのだろうか……。
 



「もはやクラウスは終わりだ」
「まったく役立たずめが。英雄だと? 笑わせる。しょせんは平民か!」
「うむ。戦いに勝ってこの戦争を終わらせることは最早不可能に近い」
「ならば…どうするという? 降伏か?」
「馬鹿な。亜人絶滅をうたう連中だぞ? 負けを認めたところで、皆殺しにされるだけだ」
 セントヴェリアの中心にそびえる世界樹ヴェリア城にて、ラギルゥー族の兄弟たちが会話していた。アルフヘイム最大民族であるエルフ族を抑えるスグウ、マタウ、ソクウの三人。彼らこそが実質上のアルフヘイムの支配者である。ミスリルで覆われた玄室で会話する彼らに、アルフヘイムの下々の者たちの声などは届かない。また、クラウスがどれほどの苦難を乗り越えて戦ってきたかも見てはいない。ただ、己たちの権力が維持されることだけを考えている。
「こちらに僅かでも有利な和平交渉をしようにも、甲皇国における和平派、乙家の勢いは陰りを見せているというしな…」
「そのようだ。丙家監視部隊のトクサまでが奴らに捕まり、ジーン伯爵や当主のルーカス伯爵をはじめとする主だった乙家の貴族たちは、防諜部隊のカール皇子によって動きを抑えられてしまっている」
「うむ。話が通じそうな相手とのルートは閉ざされておるな…」
 意気消沈するラギルゥー族だが、そこにヴェリア城の守備隊長ヤーヒム・モツェピが面会を申し出てくる。
「失礼いたします。SHWより密使が訪れております。例のボルニア要塞の建設にも協力していたという商人で…」
「何、もしやそやつは……」
「失礼するぜ」
 面会の許可を受ける前に、ヤーヒムを押しのけて姿を現したのは果たして、悪徳商人ボルトリック・マラー。
「やはり貴様か、ボルトリック! よくもぬけぬけと顔を見せられたものだな!」
「貴様が甲皇国ともつながっているというのは周知のことだぞ」
「この二重スパイめが!」
 罵声を浴びせるラギルゥー族に対し、ボルトリックは耳クソをほじってどこ吹く風というていでニヤニヤと笑う。
「俺っちにそんな偉そうな口を叩けるのかい? あんたらこそ自分たちの権力が維持されることだけを願い、散々甲皇国と内通していたじゃねーかよ。同じ穴のムジナだろ?」
「うぐぐ……!」
 歯噛みするラギルゥー族。ボルトリックの言葉を肯定している。
 これに、ヤーヒム・モツェピは物凄い表情となった。
 彼はエルフ族に対して強い誇りを持っている。だからこそ今までエルフ族のために働いてきたつもりだが、まさか自分たちの主であるラギルゥー族自ら裏切り行為をしていたとは…!
「わ、我々はエルフ族全体のことを考えているのだ」
「そうだ。自分たちのことばかりではない」
「エルフ族でも最高の貴族である我々が安泰であれば、アルフヘイムの誇りは守られるのだ」 
 抗弁するラギルゥー族だが、その言葉は空虚だ。
 ヤーヒムは何も語らなかったが、自分の耳をちぎり取ってしまいたくなる衝動にかられた。それほど、ラギルゥー族の言葉は耳障りで腹立たしかった。
「けっけっけ。分かってるぜ。だからお前たちを守ってやるナイスアイデアを持ってきたんだよ」
 ボルトリックは、紅顔の美少年を伴っていた。
 何とその者は、ボルニアで捕虜とされているはずの甲皇軍のスパイであり…。ゲオルクの息子でありながら、兄ユリウスを慕って出奔したアーベルことアウグストであった。アウグストは何を考えているのか、冷たい視線でラギルゥー族やボルトリックを見ているだけだった。
「こいつは甲皇国の皇太子であり、次期皇帝と言われるユリウスの実の弟のアウグストだ。その彼が保証するんだから間違いはない。これは確かな情報さ」
「ううむ……良かろう。話してみよ、ボルトリック」
 警戒しつつも、ラギルゥー族は藁にもすがる思いで話を促した。
「知っての通り、甲皇国は皇位継承権争いが過熱している。ユリウスが最有力で皇太子となっているが、他にも有力な皇位継承権者はいる。特に現皇帝クノッヘンに気に入られているのが第三皇位継承権者ミゲルだ。兄のユリウスよりもな」
「うむ…」
「ユリウスとしては余程の手柄を立てなければ、下手をすれば皇太子の地位を下ろされ、ミゲルにとってかわられかねない。だからユリウスは皇帝になることが第一の目的であり、アルフヘイムを滅ぼそうってのは二の次さ。手柄を挙げて勝利者になれば十分なんだ」
「なるほど」
「つまり、ユリウスにスムーズに皇帝になってもらうため、やつに手柄を与えればいい。実は、アウグストからユリウスに渡りをつけてもらっていてな。ユリウスはこの戦争で確かな勝利者となりたい。それも皇帝から預かった兵士どもをなるべく死なせたくもない。完璧な勝利が欲しいのさ」
「だが、我が方にはボルニアがある。あそこはこちらが守りに徹すればまだ何年も持つぞ」
「それでいいのかい? このまま何年もじり貧の戦いを続けることが、お前らの望みか? それならそれでもいいが、アルフヘイムはもう敗色濃厚だ。何年後かに何もかも失って負けるより、財産なり権力なりを維持したまま負けた方がいいんじゃねぇのか?」
「そうだな……確かにそうだ」
「けっけっけ。じゃあ良かったじゃねぇか。ユリウスは、アルフヘイム政府およびラギルゥー族の権力維持は許すつもりだってよ。だが、それにはこちら側のしかるべき人物を生贄にすることが求められる。甲皇国の勝利を決定づけるような、大戦果として報じられるような生贄だ」
「なんと、あのユリウスがそのようなことを…!? しかし、生贄だと」
「言うまでもねぇよな。うってつけの人物がいるじゃねーか」
「ああ……そうか、なるほど」
「くくく。平和への代償だ。英雄一人の命ぐらい、安いもんだろ?」
 オークより醜悪と言われるボルトリックは、にやりと悪辣に笑った。



 暗雲垂れこめるアルフヘイム。
 だが明るい兆しも僅かに見え始めていた。
 457年2月。
 ボルニア要塞のとある一室にて、クラウスとミーシャの子が産声をあげたのだった。全身で世界へ助けを求めて泣き叫ぶ赤子。いがみあうエルフと人間の間にできたハーフエルフ。この赤子はある種、平和への象徴となるかもしれない。
 ミーシャはこれまでの人生で最高の笑顔を見せ、赤子を抱いていた。
「クラウス……私、頑張ったよ」
「ああ。ああ……ミーシャ。良く頑張ったな」
 クラウスは殆ど見えない目で、愛する我が子とミーシャを包み込むように抱いた。
 アリューザでの死闘から四か月が経つが、一向にクラウスの容体は回復しない。それどころかますます彼は衰弱していく一方で、親衛隊の者たちの介護がなければ日常生活もままならない。それでもミーシャには心配をさせまいと、普段通りに振舞っていた。げっそりと痩せた顔も化粧でごまかし、あばら骨が浮かぶ痩せこけた体を隠すために服の中に綿を詰めていた。
 それでも声は隠しようもなく衰えていて、ミーシャもクラウスの異変には気づいている。だが二人とも不安を口にしたり暗い顔は一切見せなかった。軍からは干され、体調は最悪。それでもクラウスはミーシャだけの英雄であろうとしていた。
 自身に、最期の時が迫っていることも知らずに。




つづく
sage