Neetel Inside 文芸新都
表紙

ミシュガルド戦記
65話 鬼火

見開き   最大化      

65話 鬼火






 薄暗くじめじめした地下牢獄が、フェデリコの死によって一段と冷え冷えとしたように感じられた。
「こ、殺してしまったのであるか」
 血だまりに沈むフェデリコに気づき、金貨を数えるのに没頭していたダスティが困惑した表情で突っ立っている。
 フェデリコを殺したサイファは、血刀をフェデリコの衣服で拭いながら、にやりと凄惨な笑みを浮かべる。
「こいつを痛めつけていたようだが、殺せとは言われていなかったのだろう? もし死なせてしまったのが露見すれば、お前はどうなる?」
「……ううっ、どうしよう」
 サイファは不敵な笑みを浮かべながら、親し気にダスティの肩に手を回した。ダスティは完全に怯え、されるがままで、足をがくがくと震わせていた。
「まぁ、気にするな。たかがエルフの捕虜の一人じゃないか。どうせ甲皇国人は亜人を絶滅させるつもりなのだろう?」
「そ、そうかもしれないけど、利用価値のあるかもしれない捕虜を勝手に処刑したとなれば、吾輩の立場は拙くなりそうである…」
「そんなことを気にするとは、呑気なものだ」
 サイファはダスティの肩に回していた手で彼女の首根っこを掴んだ。女とは思えない怪力で、ダスティは自分の足元が地面についていないのに気づく。小柄な彼女とはいえ、軽々と猫のように片手で持ちあげられてしまっていた。
「ひ、ひいい」
 息をのむダスティ。
「騒ぐな」
 どすの利いた声でサイファは脅した。数々の死線を潜り抜け、経験を積んだサイファの力量は、新兵のダスティなど小動物のように容易く命を奪える域に達している。
「こ、殺さないで欲しいである」
「ならば吐け。ミーシャさんはどこだ?」
 ダスティは卑屈に笑い、あっさりとミーシャが囚われている牢獄の場所をサイファに教えた。
「嘘ではないだろうな?」
「命がかかっているのに嘘はつかないである。さ、さっさと行くである」
「ふん」
 サイファはダスティの腹を軍刀の柄で殴る。簡単に口を割ったので、最初は情報だけ聞き出せば殺すつもりだったが、約束通り殺さずに気絶させるにとどめた。
(ダガーが四本。ハンドガンが二丁。軍刀が一振り。手榴弾が一つ。魔力の残弾は…中級火炎魔法が三発ほど放てるぐらいか)
 装備を確認する。敵要塞内でどれだけの数の敵を相手にすることになるかはまだ分からないが、そのすべてを使い倒すまでは死ぬつもりは無い。彼女はたった一人で最後の戦いに臨もうとしていた。
「何だ何だ!」
 早速、敵が現れる。もう異変を聞きつけたのか。牢獄が幾つもひしめく地下通路を、バタバタと騒がしく幾つかの足音が近づいてくる。幸い、ミーシャがいるという牢獄はそれほど遠くはない。ダスティの情報通りならばだが。狭い通路なら敵とは一人一人対峙し、囲まれることもないだろう。強行突破する。
「死にたいやつからかかってこい」
 狭い通路では長剣を振り回すことは難しい。このためにダガーを多く持ってきたのは幸いした。ドワーフの刀工が鍛えたアルフヘイムの精霊の加護を得た特別製のダガーだ。切れ味は並ではない。両手にダガーを持ち、サイファはぞっとする笑みを浮かべながら悠然と歩きだす。かつての緩そうな口調や柔和な表情はどこにもなかった。甲皇軍の兵士らは近づいてくる女エルフが死神のように見えたことだろう。
 数十分後。
 喉を掻き切られ、目や足の付け根や心臓といった急所を突かれ、甲皇軍兵士らが血まみれとなって幾人も倒れている。殆ど死んでいるが、死んでいなくてももう立ち上がれない。
「はぁ、はぁ、はぁーーーっ……」
 息を荒げ、サイファも多少の手傷を負ってはいたが、幸いにも致命傷は受けずに立っていた。足元には何百リットルもの敵の血が溢れ返り、ブーツの中にまで染みこんでくる。が、その中に入り込む血に自分の血も混じっていることにサイファは気づいた。足に激痛が走る。足元を見ると、いつの間にか右足のふくらはぎにサイファが落とした折れたダガーの刃が突き刺さっていた。倒れて死んだと思っていた兵士が、そのダガーの刃を掴み、サイファの足に突き刺したのだ。
「ひゅーっ…化物め…ひゅーっ…」
 小さく呪う声。瀕死の兵士はそれでも戦意を失わずサイファを睨みつけていた。心臓を突いたつもりが逸れて肺を貫いたようで、吐血しながら呟いたその声は空気が混じっている。
 サイファは舌打ちすると、新しいダガーを抜き、その兵士の頭髪を引きちぎるような強さで鷲掴みにした。
「私には貴様らの方こそ化物に見える。甲皇軍に捕らえられた女エルフがどのような目に遭ってきたか、貴様も知っているだろう?」
 サイファはその兵士の喉を切り裂く。
「慈悲だ」
 動けない兵士をそのままにしていても多分死んだろうが、サイファはすべての兵士に慈悲を与えていった。ただ慈悲と言いつつ、そこには執拗さがあった。
 地下牢獄に現れた甲皇軍兵士は全滅したようで、サイファ以外に息をしている者はいない。
 戦闘の興奮が冷め、サイファは耳を澄ましてみる。エルフの象徴たる長耳は拷問の末に失われていたが、聴覚はそこまで損なわれていない。
 微かな女の息遣いが聞こえた。
 ミーシャである。
 ダガーを握りしめながら、サイファは唇をかみしめた。美しいエルフの女でなくても、囚われたミーシャがどのような目に遭っているのかは想像がつく。彼女は強い女性だが、絶望して死を選んでいないことを祈った。
 傷ついた右足を引きずりながらミーシャのいる独房へと近づいていくと、その独房だけ照明が灯されているらしく、仄かな光がサイファの目に飛び込んできた。
 久しぶりに見えたミーシャの顔は、サイファには太陽のように眩しく見えた。
「サイファ!?」
 ミーシャの戸惑いながらも、元気そうな声。
「…ご無事で何よりです」
 サイファは心底安堵した。
「あなたこそ大丈夫なの!?」
 ミーシャは心配そうにサイファに手を差し伸べる。柔らかで暖かい手がサイファの頬を撫でる。
 ミーシャの独房は、フェデリコが囚われていたような簡素で何もない牢獄とは違い、少しだけ調度品が整えられており、快適に過ごせるように配慮がなされていた。甲皇軍が意外にも優しかったのは、ミーシャがクラウスの妻とはいえ、彼らと人種的に同じ人間族だったからというのもあるが、地下牢獄を守っていたのはアウグストの部隊だからだった。幸いにも、アウグストは捕虜を虐待するような趣味は無かった。
「貴女が来てくれなければ、私はここで死のうと思っていたの」
「なぜですか」
「甲皇軍の企みを聞いたの。私をクラウスをおびき寄せるための餌にしようと……」
「きゃつらの考えそうなことだ」
 サイファは忌々しそうに唾を吐く。
「では、早々に脱出しましょう」
「でも、鍵が無いのにどうやって」
「私にお任せください」
 サイファは開錠の魔法を使った。彼女は剣も魔法もそこそこ使える器用さを持っているが、このような鍵開けの特殊魔法も使えた。地獄のような丙武軍団から逃れられたのも、この技能のおかげだった。
「ああ、信じられない。クラウスの元へ帰れるの…?」
 嬉しそうに顔をほころばせるミーシャだが、すぐにその表情は絶望に染まっていく。
「サイファ……!」
 言われずともサイファには気配で分かっていた。背後にアウグスト率いる新手の兵士らが大挙して銃を構えている。先程、サイファが屠った兵士らの一団らと同等かそれ以上の数。右足のふくらはぎを引きずっているような今の状態では、切り抜けるのは…。
「そこまでだ。アルフヘイム兵よ、こんなところにまで侵入したのは見事だが、逃げ場は無いぞ。大人しく…」
 指揮官さえ殺せば!
 サイファは軍刀を振りかぶってアウグストに切りかかる。
 が、傭兵騎士として経験を積んできたアウグストは、かつてのゲオルクほどではないにせよ、サイファの剣をいなす程度には力をつけてきていた。サイファの一撃はアウグストの喉元めがけて突き出されるが、彼は軍刀を鞘から引き抜きざまに弾き返した。
 次の瞬間、銃声が幾つも鳴った。
 アウグストの部下達が、抵抗したサイファへ向け銃撃を浴びせかけたのだった。
「ちっ…誰が撃てと言った! 生け捕りにしたかったのに」
 アウグストは悔しそうに唾を吐く。エルフは素体としてドクターグリップへ提供すれば大きな手柄になるのだった。
「サイファ! サイファ!」
 ミーシャが泣き叫んでいる。
「どうやらこれまでのようです」
 体中に銃弾を浴びながらも、サイファにはまだ辛うじて息があった。血がとめどなく溢れ、側にいたミーシャの衣服にも血が飛び散る。素人のミーシャの目にも、サイファがもう助からないことは一目でわかった。ならば、もう脱出は不可能だ。
「サイファ、最後のお願いがあるの」
「今の私にできることならば」
「じゃあお願い。私を殺して。跡形もなく」
 サイファは息をのんだ。文字通り死ぬほどの痛みで気が遠くなりかけていたが、その言葉で意識が保たれた。
「良いのですか? まだ望みは……私が倒れたとしても、別の者が貴女を救出に」
「その可能性はとても薄いわ。だから、もういいの」
 ミーシャはとっくに覚悟ができていた。
「貴女が来るのがほんの少し遅ければ、私は自殺しようとしていたのよ。クラウスの足手まといになりたくない」
「……そんな貴女だから、クラウスは愛したのでしょうね」
 ああ、クラウス。
 できることならば、私たちはもう一度貴方に会いたかった。
 サイファの体に炎がまとわりつく。
「甲皇軍の者どもよ、我が最後の炎を見るがいい」
 サイファの最後の魔力が、暴走しようとしていた。中級火炎魔法を三発放つ程度の魔力を残していたが、それだけでは足らない。彼女はビビが使っていたような上級火炎魔法は使えないが、命を触媒にした“鬼火”ならば。ボルニア要塞の図書館で見た古代ミシュガルド人が使ったという禁断魔法。その一種。サイファは知らなかったが、それはかつてホタル谷の戦いで炎の精霊戦士エイルゥが持っていた精霊剣シェーレが放つ極大火炎魔法と同質のものであった。
「あ、あれはやばいぞ!」
 恐怖にかられた甲皇軍兵士らが銃を構えるが、アウグストが制止した。
「愚か者。そんなことよりも」
 アウグストはサイファの背後で縮こまっていたミーシャの手をとった。
「は、放して! 私はここで!」
「生憎だが、お前の死ぬところはここではない」
 アウグストはミーシャを連れ出し、地下牢獄から逃げ出していく。
「くっ…」
 サイファはそれを悔しそうに眺めながらも、一度発動した自身のレベルを大きく超えるこの極大火炎魔法をそのまま不発に終わらせずに発動させるために、それ以上の動作ができなかった。
「逃がすものか!」
 サイファの目から、口から、炎が奔流となって溢れ出す。
 次の瞬間。
 途轍もない火炎嵐が巻き起こった。
 鬼火は何もかもを焼き尽くしていく。サイファが持っていた手榴弾やハンドガン、それに甲皇軍兵士らが持っていた火器が連鎖的に爆発し、石造りの地下牢獄を超高熱によってバターのように融解させていく。
「ぐわああああ!」
 アウグストが悲鳴をあげている。
 炎に焼かれて死んでいったか?
 ミーシャを道連れに、彼女の希望通りに死なせてやることができたのか?
 鬼火と化したサイファにそれを確かめることはできなかった。







つづく

       

表紙

後藤健二 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha