7話 流血の山河

7話 流血の山河








 血みどろの戦場が各所で見られていた。
 フローリア全域を覆う密林。
 尋常でない暑さと湿気で、鉄の鎧を着込んで行軍するだけで汗が噴き出てくる。
 まるで蒸し風呂のようだが、そのような気持ち良いものではない。
 べたついた汗は鎧の下の衣服をずぶ濡れにして更に重たくし、体力を奪い取る。
 一方、これだけ湿気が凄いのに、川や湧き水はどこにも見当たらない。
 いや、厳密にはあるのだが、毒が投げ入れられていたのだ。
 川を見つけた兵士が、我慢できずに水を飲めば、たちまち喉をかきむしって血を吐いて死んでいった。
 地面は泥でぬかるんで歩きにくい。
 疲労はとっくに限界を超えており、足の皮はべりべりに剥けて、骨まで飛び出てきそうだ。
 では重たい鉄鎧など脱ぎ捨てればと思うがそうもいかない。
 これもフローリアの農業魔道士どものせいか、その泥のような地面からは腐った土の臭いが鼻につく。
 落葉が地面を覆い隠しているところなど、細心の注意が必要だった。
 落とし穴が掘られている。落ちれば糞が塗りたくられた竹槍があり、即死するか死なないまでも病原菌に犯されてしまう。
 更に、足元だけに気を配ってもいられない。
 死をも恐れず立ち向かってくるヤタレッタ族。
 音も無く忍び寄り、凶刃で首を撥ねてくる黒兎人族兵。
 木々の間を縫って狙撃してくるエルフ弓兵。
 伏兵が突如として襲ってくるのだ。
 丙武軍団5千は、今になってようやく、今回の敵がいつもと違うことに気づき始めていた。
 彼らの頭の中は、狩る側から狩られる側へとされた恐怖が支配していた。 






 丙武軍団に限らず、甲皇軍の兵士は大体3つの系統がある。
 ウォルトやヨハンのように完全に生身の人間の兵士。
 丙武やガロンのように機械甲冑を着込んだり、何らかの機械の補助や肉体改造を受けた兵士。
 そして完全に機械の兵士である。人工知能で動き、命も意志も持たない木偶人形。
 ヴァルグランデは、寡黙ながらも一応は意志を持っているし、丙武のように身体半分が機械というだけの兵士のように見える。
 しかしながら、重装備の全身鎧に身を包んだその素顔を見た者はおらず、完全に機械の兵士だったとしても誰も分からないだろう。
「蒸し暑いなぁ、ヴァルグランデ」
「御意」
「他の部隊ではこの密林に阻まれ、大苦戦してるって噂だぜ」
「御意」
「俺達も気をつけて行軍しねぇとな。妹の元気な顔見るまでは、俺も死にたくねぇからよぉ」
「御意」
「……今朝は何食ったんだ? ヴァルグランデ」
「御意」
 やがてメゼツは諦めて口をつぐんだ。
 丙武軍団の中でも、メゼツは特別扱いされている存在だ。
 軍での地位は少尉に過ぎないが、やはりホロヴィズ将軍の息子という部分が大きい。
 一般兵に混ざって戦うと、普通の人間の兵士だと気遣いするし嫉妬もする。まだ子供なのに親の七光りで上官というのは何かと難しいのだ。
 という訳で、メゼツはヴァルグランデと共に、機械兵ばかりの部隊を指揮していた。
 甲皇軍が開発した機械兵は、大量生産の弊害か、戦闘力は生身の人間兵よりも著しく低い。せいぜい亜人でも雑魚中の雑魚と言われるゴブリン兵程度だ。しかし数は多いし、飯も食べず、まったく文句も言わず、耐久性能にも優れている。何かと便利な機械兵は今や甲皇軍でもかなりの割合を占めていた。丙武軍団でもその2割にあたる1千がメゼツとヴァルグランデ率いる機械兵であった。
「先ニ行軍シテイル部隊ガ遅延シテイルヨウデス」
 機械音声で、その機械兵が報告してくる。
「何かあったのか?」
「不明デス」
「ふーむ……しっかりしろ! お前達は生身の兵とは耐久力が違う。こんな密林、苦でもないだろう!」
 メゼツがそう鼓舞した瞬間だった。
 爆音が響いた。
「!?」
 砲撃かと思ったが違う。 
 数秒も経たない内に、濁流が押し寄せた。
 直前までメゼツが気づかなかったのも無理はなく、そこは緩やかな坂道となっており、視界は木々に遮られていた。
 まさか森の中で水攻めに遭うとは思わない。
 その流れは竜の咆哮のようだった。
 流木や汚泥を含んだ濁った水が凄まじい勢いで押し寄せてくる。
 叫ぶ暇も無く、メゼツ達は流されてしまう。
 機械兵らは周りの木々に打ち付けられバラバラに砕け、電気系統を狂わせ機能不全に陥っていく。
「へっへーん! どんなもんだよ!」
 樹上でガッツポーズを取るのはガザミだった。
 水魔法を操る蟹の魚人であるガザミの本領発揮というところか。
 フローリアの農業魔道士達と共同で密林の中にダムを造っていたのだ。膨大な水をダムに貯めたところで、農業魔法によって土を腐らせ、一気に決壊させた。その結果がこの濁流だった。
「あらかた流れちまったかな? 自然の力ってすげーよなぁ」
 ガザミがしみじみと呟く。樹上には彼女しかいない。他の農業魔道士達はあらかじめ避難を済ませている。敵軍が流されるのを見届けようと、水中でも強いガザミが単独で前線に偵察に来ていたのだ。
「おっと、そろそろここも危ないか」
 巨大な樹だが根本が揺らいでいた。濁流は思ったより強い。魚人のガザミといえど、ここまで強い濁流に巻き込まれれば無事では済まないかもしれない。さっさと退避しようと考える。
 そう、背を向けた瞬間。
 ガザミの蟹の手が千切れた。
「グッ…!」
 濁流の中から大剣が飛び出てきたのだ。腕だけで済んで良かった。危うく、頭を貫かれて蟹味噌を散らすところだった。
 樹に突き刺さった大剣の持ち主が、濁流から飛び出してくる。
「やってくれたな」
 燃えるような赤髪の少年剣士、メゼツ。
「俺の部隊は全滅か……ヴァルグランデも流されちまったようだな……」
 怒りに歪んだ表情で、大剣の側まで近寄り、樹から引っこ抜く。大上段に構えるその姿は、狂戦士(ベルセルク)を思わせた。
「くそっ、せめて貴様だけでもブチ殺してやる。化物め」
「化物だと」
 聞き捨てならないという様子で、ガザミは吼える。
「どっちが化物だ! 女と見れば見境なしに犯し、オークや兎人族を焼いて食うわ、捕虜の手足を切ってその手足を軍用車両に飾り立てるわ……やってる事はてめぇらの方が化物だろうが!」
「ふん」
 ガザミの呪詛の言葉にも、メゼツはちっとも答えていない様子だった。
「たかが蟹ごときに言ってもしょうがないが」
 ごきごき、とメゼツは肩の凝りをほぐすように首を回す。
 体中に太い血管が浮き出ていた。隆起した筋肉が、その体がただの人間を超越した力を持つと感じさせる。
「俺は、アルフヘイム侵攻軍総司令ホロヴィズ将軍の子、メゼツ!」
 先に動いたのはメゼツだった。
 人間離れした跳躍力でガザミに向かって突進し、大剣で切りつけた。
「甲皇国には!」
 ガザミはすんでのところで回避し、水魔法で水鉄砲を放つ。
 メゼツは大剣を盾代わりにして水鉄砲を防ぐ。
「先進的な科学技術があり! 優れた統治によって民衆の生活は衛生的で豊かとなっている! 野蛮で未開の亜人どもがはびこるアルフヘイムと違ってな!
「ハッ!」
 ガザミも負けてはいない。水鉄砲で牽制をしつつ、樹上を跳躍しながら飛び回る。隙あらばメゼツに切りかかる構えだ。
「野蛮で未開な亜人どもは! 我が甲皇国の啓蒙の元、導いてやらねばならんのだ!」
「導くだと!? 殺しまくってるくせに!」
「おとなしく我々に従わないせいだ! 無知蒙昧な貴様らの指導者を呪いやがれ!」
 メゼツはホロヴィズの息子というだけあり、甲皇国の人間至上主義的な思想にしっかり染まっていた。
 本人も亜人への憎しみから、その考えを正しいものと疑わない。
 よって、その太刀筋に迷いが無かった。
 メゼツの大剣と、ガザミの鋏が交差する。
 さすがに、力ではメゼツが上回る。
 ガザミはすぐに後方へ下がり、メゼツと距離を取る。
「やるじゃないか。蟹の分際で!」
 メゼツはやたらめったらに大剣を振りかざす。木々の枝が切られ、足場が無くなっていく。
 ガザミは機動力を活かして動き回ることができず、徐々に追い詰められていく。
「アルフヘイムは平和だったんだ。お前達さえ来なければ!」
 ガザミは苦し紛れに水鉄砲を更に放つ。
 メゼツは再び大剣で防いだ。
「ははは、それで終わりか?」
「クッ…」
 もう、後が無い。
 一本の細い枝の上で、メザツはガザミを追い詰めた。
「人間の強さを見たか、亜人め。俺達にできないことはない。このアルフヘイムは俺達のものだ!」
 大上段に大剣を振りかぶるメゼツ。
 ガザミは死を覚悟した。
 ────が、メゼツの大剣は振り下ろされない。
「ひ、卑怯者めッ……」
 メゼツの膝に矢が突き立っていた。
 メゼツは体を硬直させ、それでも大剣を離さなかったが、バランスの悪い枝の上で踏ん張るのは難しい。がくりと膝が崩れる。
「メ、メルタァーーー!」
 妹の名を叫び、メゼツは濁流に飲まれていった。
「……」
 ガザミはメゼツが消えていった濁流を呆然と見ていたが、やがてハッと我に返る。
「アナサスか?」
 少し離れた樹上から、黒兎人族兵ディオゴに抱えられたエルフの少年弓兵アナサスが現れる。
 ディオゴがアナサスを抱えて飛び回り、ガザミの救援に来たのだった。
「大丈夫か、ガザミ! 片腕が千切れてるじゃないか!?」
「あ…ああ。大丈夫だ。生えてくる。蟹だから」
「え、生えてくんの!? べ、便利だなぁ…蟹って」
 アナサスがほっとした表情を見せるが、自身の置かれている危機にも気づく。
「おい、ディオゴ! 気持ち悪いからさっさと下ろせよー!」
 アナサスが暴れるが、ディオゴはどこ吹く風でニヤニヤとアナサスを背後から抱きかかえ続けている。
 ディオゴの鼻息が、荒い。
「やめろ! さわ…るなぁ…ひゃんっ!」
 ディオゴに体をまさぐられ、アナサスは赤面する。
「き、気のせいか、さっきから硬い物がずっと俺の尻に当たってんだけど……ディオゴ、お前やっぱり…!」
 アナサスの訴えに耳を貸さず、ディオゴはガザミに手を振った。
「よーーう、ガザミの姉御。俺様に助けられた見返りは分かってんだろうなぁ?」
 好色そうに長い舌を伸ばしてアナサスの耳の穴を舐めるディオゴに、ガザミは無言で水鉄砲をぶっかけた。








 機械甲冑は煙を上げて故障し、ガロンは生身のまま汚泥に顔を埋めていた。
 そして周囲を取り囲むオーク兵達。
「嫌だ、死にたく…な……」
 だが、無慈悲にオーク兵ランブゥの戦斧が振り下ろされ、ガロンは首を撥ねられた。
 機械甲冑と火炎放射器のおかげで何とか密林を開拓し、フローリア領中枢の領主の館まで目前としていた。
 だが、領主の館周囲は、広大な畑だったものが泥のぬかるみに変わっており、機械甲冑では思うように前進できない。
 そしてあちこちに塹壕が掘られており、機械甲冑兵は威力を発揮することなく取り囲まれ、一人一人引き倒されていったのだ。
 鎧は剣の刃も通さなかったが、背後のタンクを傷つけられると機械甲冑はただの鉄屑と化した。
「進め、進めぇ!!」
 だが、丙武は止まらない。止められない。
 緒戦で大きく痛手をこうむった丙武軍団だったが、まだフローリアを攻略するのに十分な戦力はあった。密林を突破してきたボロボロの丙武軍がおよそ3千。
 それに対し、フローリアを守るゲオルク軍は僅か100余り…だが、それに難民としてフローリアに逃れていたヤタレッタ族が加勢し、そして先日の戦いで生き延びた兎人族兵有志が数100名ほど正規軍を離れて加勢。およそ1千名近くまで軍を膨らませていたのだった。
 一般的に、城砦攻略にあたり、攻撃側は防衛側の3倍の兵力を要すると言われている。
 それはやはり、防衛の方が有利だからである。
 フローリアには高い城壁も堀も無いが、農地は重い鎧での進軍を阻む泥沼と化し、水路は広げられて堀ともなった。畑は塹壕も堀りやすいから、そこに伏兵も潜みやすい。
 複雑に掘られた塹壕を突破するのは難しく、あちこちから狙撃や奇襲を受け、数的優位を活かし切れない。
 激戦は一昼夜にも及び、互角の…いや、やや丙武軍が不利か。ますます疲弊し数を減らし、思うように進撃できずにいた。
 戦地には流血の山河ができ、甲皇軍兵士の死体ばかりがうず高く積み重なっている。
「ダルマが助走してグーで殴るレベルだぜ!」
 怒りが収まらない。
 野営地にて、丙武は珍しく激昂していた。
 まさか戦いも知らないだろう弱小国と侮っていたフローリアにここまで苦戦するとは。
「ひぃぃ~~! た、助け…!」
 捕虜としたエルフの悲鳴が木霊している。
 両手両足を切られダルマとされている。
 にも関わらず、そのダルマ女エルフを兵士達は犯していた。
「ふん…」
 普段ならにこやかな笑顔でそれを眺めている丙武だが、今度ばかりはそういう気持ちにもなれない。
「やめろやめろ! 何て酷い事を!」
 突然、野営地に男か女か分からないようなカン高く甘い声が響いた。
 金髪にキラキラと輝く緑の瞳。
 オツベルグ・レイズナー、甲皇国外務省・戦地査察官だった。
 表向き平和主義者(偽善者と丙武は思ってる)の乙家の良いところのお坊ちゃんである。
「丙武少佐! これはどういうことですか」
「大佐だ」
 眼前でぎゃあぎゃあと喚くオツベルグに対し、丙武は憮然として反論した。
「大佐ですって? 笑わせないでください。貴官には上官殺し、捕虜虐待、略奪、横領、売春管理、人身売買、その他もろもろ16余りの罪で告発がなされていますよ!」
「何のことだ? 事実無根も甚だしい」
「そんな訳ないでしょう!!」
 オツベルグはぷんぷんと頬を膨らませている。
 査察官と言ってもまだ若い。メゼツと同じ年ぐらいの少年に過ぎない。
 丙武は眼鏡を外した。目元に指をあて、疲れきった表情で涙を滲ませる。
「なぁ、お坊ちゃん。ここは戦地だ。綺麗ごとじゃ済まないことだってあるだろう。理屈ばっかりで頭でっかちにならず、現実を見てみようぜ」
「それはどういう───」
「メゼツ君、知ってるよな…?」
「勿論、士官学校で同期でしたから」
「うちで突撃部隊長やってたんだが、どうもフローリアに拉致されてしまったようなんだ」
「ええっ…!」
「噂では、オークどもに性欲の捌け口にされ、酷い拷問にもかけられているという」
「そ、そんな…!」
「だがまだ生きているはずだ。俺はそう信じて、あの極悪非道のフローリアの連中を説得していたが、それにも応じないから攻撃してメゼツ君を奪回しようとしているんだ。決してフローリアに好きで侵攻してる訳じゃない。そう、兄として! 弟を救うために戦ってるのさ!」
「そ、そうだったのか…。で、でもだからって捕虜虐待とかは…」
「これも亜人どもをおびきよせる作戦さ。俺だってこんな事はしたくない。だが、兵士どもは目には目を、歯には歯だと強く言うもんでない…。ここは戦場だ。憎しみの連鎖は上官が少し言い聞かせるぐらいじゃ止められない。必要悪なのさ」
「う、う~~~ん……」
 オツベルグは腕を組んで悩ましげに細い体をくねらせる。
 女の子には受けるかもしれないが、ホモ臭いなと丙武は密かに思った。男色趣味のやつには高く売れるかもなとも思った。
「……いいでしょう。ぼくの権限で、あと1日だけ猶予を与えます。その間にフローリアを攻略し、メゼツ君を助けてください!」
 オツベルグにしては最大限の譲歩であった。
「ああ。任せてくれ。メゼツ君は必ず救出してみせる! 兄の威厳にかけてでも!」
 爽やかな笑みを見せ、丙武は立ち上がって前線に向かった。
 勿論、行方不明となったメゼツのことなど知ったことではない。
 ガチャン、ガチャン。
 機械的な足音を立てつつ、丙武の表情は徐々に悪魔的に歪んでいく。 
 ────さぁ、虐殺の時間だ。








つづく 
sage