85話 終戦

85話 終戦








 ───空は裂け、海は割れ、大地は腐り、人は涙した。
 古代ミシュガルド伝説叙事詩より。






 禁断魔法によって生み出された巨大闇マンボウ。
 それを倒すために現れた光の巨人メゼツ。
 両者の戦いはごく一瞬であったし、またスケールが大きすぎて、多くの者にはただ凄まじい嵐が起きて過ぎ去っただけのようなものとしか認識できていなかった。巨獣同士の争いを、小さな虫が認識できないように。
 だが、両者の激突による余波は、アルフヘイムの光景を一変させてしまっていて、そのことは徐々に人々に認識されるであろう。
 ブウゥゥゥン。
 四発発動機が唸り、銀色の回転翼が猛烈な勢いで回転し、風を切っている。
 甲皇国空軍の巨大戦闘飛行船Z-29であった。
 その飛行音は、空飛ぶ巨大甲虫を使った虫戦車の羽音よりは安定しているが、回転翼の近くでは会話もできないほどにやかましい。
 それだけの騒音を出せば、アルフヘイムの竜人に簡単に察知されそうなものだが、追撃してくる敵はいない。 
 あの重苦しく垂れこめていた暗雲は消え去り、雲一つ見当たらず機影を隠すこともできない蒼空を、Z-29ただ一隻だけが、騒音を撒き散らし無防備な巨体を晒しながら航行していた。
「何ということだ…」
 Z-29内部の丸窓から、眼下の光景を眺めながら呻く声があった。
 戦い続けたために満身創痍。とりあえずの応急処置を受けたものの、包帯だらけでまるでミイラ男のような姿になり、苦悶の表情を浮かべながらも、ゲル・グリップは目の前に広がる光景から目が離せずにいた。
「俺たちは、いったい何のために戦ってきたのだ。この地獄のような光景を見るためだとでも言うのか…」
「喋ると傷に障りますよ、大佐」
「……スズカ」
 ゲルに話しかけたのは、以前の彼の部下であるスズカ・バーンブリッツ中尉。今は武装親衛隊という、国内の治安維持を担うガデンツァ皇女の私兵ともいわれる部隊へ所属している。
 だが彼女は、アルフヘイムとの戦争がこのような結末になると予想してか、前線の兵を救うための飛行船を、空軍と交渉して手配してくれていたのだった。
 戦闘飛行船の内部は、ホロヴィズとゲルを始めとする生き残りの兵士達が満載されており、足の踏み場もない有様だ。幸い、最新鋭の戦闘飛行船であるZ-29は、積載人数をかなりオーバーしても問題なく飛行できているが。
「空軍が良く動いてくれたな」
 甲皇国の陸軍と空軍。決して仲が悪いという訳ではないが、丙家が陸軍を掌握し、乙家が海軍を掌握している中、第三極と言われる新設の空軍は、実際には乙家寄りであった。総司令のゼット伯爵は中立的な立場だが、その配下の将校は乙家の人間が多くいた。丙家のホロヴィズやゲルを救うために動いてくれるとはゲルには予想外だった。
「ガデンツァ皇女のお力です。ユリウス皇子が身罷られたため、皇女は軍を掌握しようと動いていますから」
 スズカの表情は、これから起きる混乱を想像してか、険しかった。
「これまで甲皇軍が一つにまとまっていたのは、ユリウス皇子という絶対権力者が統制していたからにすぎません。陸、海、空それぞれの軍は、丙家や乙家などの門閥貴族の影響下にあり、それがユリウス皇子のカリスマによって一つにまとまることができていた。国内もマルクス率いる反乱軍がのさばっていましたが、ガデンツァ皇女の武装親衛隊だけでなく、ユリウス皇子が軍を抑えていたからこそ、曲がりなりにも抑えることができていた。現在、皇女はお一人でも軍を抑えようとされておられますが……」
「難しいじゃろう。乱れるな、本国は」
 スズカの言葉を継いだ声は、ホロヴィズだった。
 闇マンボウが現れ、地獄から蘇った軍団を目撃した時、ホロヴィズは恐怖のあまり混乱しかかっていたが、今やその声は平静に戻っていた。
「閣下」
 ゲルが跪くと、ホロヴィズはゲルの肩をぽんと叩く。
「良く戦った…ご苦労じゃったな。この戦いでにっくき亜人どもを絶滅させられなかったのは残念じゃが、いずれ機会はあるじゃろう。儂らは数百年もエルフを始めとする亜人どもと戦いを繰り広げてきた。こたびの戦争は七十年ばかり続いたが、そうさな、数百年、数千年後でも戦いを続け、いずれきゃつらを滅ぼせればよい」
 ホロヴィズは余りにも長生きであるから年齢が定かでなく、九十歳のクノッヘン皇帝と同年代であるとは言われているが、今はそれ以上に年老いたような声を絞り出していた。まるで何百年も年老いてしまったかのような口ぶりで。
「今は国内を抑えるのが先決のようじゃ」
「は…。閣下。戦いは終わった訳ではないのです」
 スズカが言葉を継いだ。
「今や国軍の大半が消失し、本国ではマルクス率いる反乱軍が息を吹き返しつつあります。他国への侵略戦争ばかりに力を入れる帝政を打破しようと下層民を煽り、“万国の労働者よ団結せよ!”などと叫んでいます。まったく…愚かな民草どもに何ができるというのでしょうか…。そのような中、混乱を鎮めようとガデンツァ皇女は武装親衛隊を組織して治安維持にあたっています。各軍も、一刻も早く本国へ戻り、陛下や帝都の平和を守らねばなりません」
「……アルフヘイムでの戦いは終わったが、まだ戦いは続くのか」
 ゲルは眼下の荒廃したアルフヘイムの大地を眺めながら、うんざりしたように吐き捨てた。自分は軍人、それもホロヴィズさまに忠誠を誓った丙家の軍人だ。どこが戦場になろうと、誰が相手だろうが、関係なく戦うまで。だが、アルフヘイムにおける戦いは、多くの部下を死なせたのに勝つこともできず、何の利益もなかった。それでも、すぐに気持ちを切り替えて戦わねばならないのだ。平和は戦争の準備期間ともいうが、準備する暇さえない。
「大佐…?」
 スズカが自分を見ているのに気づき、ゲルは向き合った。
 弱音を吐いたのは一瞬のことで、いつものゲルの表情であった。
「……自分の腹は決まっている。どのような場であったとしても、自分は軍人である前にホロヴィズさまの臣下だ。閣下、どこまでもついていきます。例え行先が地獄であろうとも」
 ゲルの言葉を継いで、スズカもホロヴィズの前に跪く。
「私も父同様、変わらず丙家の一員です。ガデンツァ皇女の武装親衛隊に入っておりますが、皇女のお人柄や能力をつぶさに観察してまいりました。皇女は現在の甲家では最も信頼のできる御方です。ユリウス皇子の代わりに軍の象徴として据えるには良い神輿となりましょう」
「うむ」
 ホロヴィズは手を掲げ、二人の忠誠を喜んだ。
「わしの予想では、国内は三つ巴の戦いになるじゃろう」
「私もそう思います」
「スズカよ。おぬしの読み通りじゃ。ユリウス皇子が身罷られた以上、軍を強力に統制できるのはガデンツァ皇女ぐらいのものじゃ。エントヴァイエン皇子やアイザックス皇子には荷が重いじゃろうし求心力が無い。カール皇子は能力はあってもやる気がないじゃろうし、ミゲル皇子は子供すぎるし乙家の傀儡となろう……」
 もう、ホロヴィズも、いつもの彼だった。
 鳥仮面の奥で何を考えているのか分からないが、ろくでもない悪だくみばかりで、好戦的で、決して亜人絶滅を諦めない。老獪な鬼将軍。
「……そして、儂らが皇女を担ぎ出せば、乙家の連中は間違いなくミゲル皇子を担ぎ出してくるじゃろう。一方、マルクス率いる反乱軍は帝政の打破を叫び、ガデンツァ皇女派とミゲル皇子派関係なく攻撃してこよう」
「ご推察の通りです」
 ゲルが同意する。
「……忌々しい乙家の連中は、戦争終盤で殆ど手を貸さなかった。戦力を温存しておる。マルクス率いる反乱軍も数だけは多い。厳しい戦いになるじゃろうな」
「それでも……?」
「クックックッ……無論、戦うとも。儂らの究極の目標、亜人絶滅のためには、このような目の前の石ころなど蹴飛ばすまでよ!」
 ホロヴィズの哄笑は、アルフヘイムの冴えわたった空に響き渡った。
 戦闘飛行船Z-29は、甲皇国のある骨大陸へ向け、勇ましく風を切っていく。
 彼らの戦いは、この空の下、どこまでも続いていく。



 ………だが、結果から言えば、彼らは本国での戦いに敗れ去るさだめにあった。
 ガデンツァ皇女の武装親衛隊と残存する丙家の戦力では、温存されていた乙家の海軍・空軍戦力に対抗するのは難しかった。
「もしメゼツがおれば…」
 後に、ホロヴィズはそう言って悔しがったという。
 戦争終盤で主戦力となっていたホロヴィズの息子メゼツは、禁断魔法発動の折より行方不明のままである。もし彼が本国へ帰還していたなら、ホロヴィズは乙家を抑えることができていたかもしれない。
 穏健派である乙家は、マルクス率いる反乱軍にも一定の歩み寄りを見せていた。
 乙家派閥が支持するミゲル皇子が次期皇太子となることで、人民の権利も向上するという餌を吊り下げられ、反乱は徐々に収まっていったのである。
 だけでなく、帝都の混乱を招き、戦争を続けようという丙家の者たちは人民からも敵対視され、戦いづらい状況になってしまった。
「鬼に金棒と言いますが、確かに、彼は他に代えがたい戦力だった…。しかし、我々はアルフヘイムとの戦いで余りに消耗しすぎた。彼がいてもどうにもならなかったでしょう」
 ゲルは、冷静にそう言い、悔しがるホロヴィズをいさめた。
 ───そもそもメゼツがいたとしても、人民に刃を向けるような展開となれば、戦闘狂とは言われても正々堂々とした戦いを好んでいた少年は、丙家のために戦ったかどうかも怪しい。
「閣下、今は雌伏の時です…機会はいずれ」
 スズカにもいさめられ、遂にホロヴィズは戦争継続を断念する。
 ガデンツァ皇女の武装親衛隊は、人民にも銃口を向けることに躊躇はしない。だが強引なやり方で政権を奪ったとしても、それはクーデター扱いとなる。ユリウス皇子以上に好戦的ともいわれた皇女だが、最終的には戦いを続けることを断念した。
「……だが、儂は絶対に諦めん。いずれ、亜人は絶滅してくれる。例え何百年、何千年かかろうともだ!」
 怨嗟の声をあげるホロヴィズ。
 鳥仮面の奥に光る眼は、まだ爛々と復讐に燃えていた。
 次期皇太子には、ガデンツァ皇女ではなくミゲル皇子がついた。
 皇帝以下、内務卿や軍務卿といった政権の主要な官職は乙家貴族に占められることとなる。
 皇女は処刑こそされなかったものの、“帝国辺境領開拓局”という、新設された良く分からない部署に左遷された。皇女についたホロヴィズ・ゲル・スズカら丙家の者たちも、同様に閑職に追いやられた。
 年老いたクノッヘン皇帝も、ホロヴィズらが閑職に追いやられたことに何の感想も持つことはなく、ただ新たな皇太子となった幼いミゲルを愛でるのみ。
 ───斯くして、甲皇国の戦争は、ここに完全に終わったのである。





「終わったようだな」
 うず高く積み上げられた瓦礫の山に、傭兵王ゲオルクが腕組みをしながら超然と立っていた。聖剣を失ってなお、その姿は軍神のように輝き頼もしく見える。だが、流石にその表情には疲労感が拭えない。戦場での圧倒的な強さから年齢を感じさせなかったが、外見だけ見れば、五十歳という実年齢よりも老けて見えた。
 アルフヘイムと甲皇国の戦争に参戦した最大の理由──自らの落とし子であるユリウスの企みを防ぐことは達せられたが、ユリウスを自ら手にかけることになってしまった。もう一人の息子のアーベルを助けることはできたが、これからのことを考えると気が重い。甲皇国に加担してしまったアーベルを再びハイランドの王子として迎えることに、ハイランド国内諸侯の反発も予想される。
 ───この戦いは終わったが、次の戦いに思いを巡らさねばならんか。
 奇しくもゲル・グリップと同じような感想を、ゲオルクは抱いていた。戦うことしか知らぬ己を自嘲する。
「おい! 押すなよ!」
「そっちこそ! 崩れるじゃねぇか!」
 あちらこちらから、生き残った兵士たちの罵声が飛び交っていた。
「やれやれ…」
 兵士たちをいさめねばならない。
 一息つくこともできんのかと嘆息しながら、ゲオルクは直ちに騒ぎの元へ向かった。
 ゲオルクを含め、彼ら生き残りの兵士たちは、瓦礫の山の上にしがみつくことで辛うじて安全を保っていた。かつてゲーリング要塞と呼ばれ、ゲオルクの息子ユリウスが非業の死を遂げた地は、もはや瓦礫ばかりで壁一枚や柱一本すら残っていないが、少なくとも腐敗した大地に足をつけずに済むだけの大量の瓦礫はありがたかった。
 瓦礫の山から眺めるアルフヘイムの光景は、すさまじいの一言である。
 一言で言うなら、「黒死の泥海」である。
 高い山も木々も消え失せている。一面、黒々とした泥の海が広がっている。土の精霊の気配もなく、微生物すら死滅している。黒々とした泥の海が広がっているのみなのだ。
 アルフヘイムやSHWの人々は知らないが、それは甲皇国の最北端にある「遺灰の土地」と呼ばれる不毛の大地の光景に似ていたが、それよりも酷い光景だった。遺灰の土地は、かつてミシュガルドで起きた禁断魔法の余波によって荒廃したという。ミシュガルド大陸が分裂した時、最も荒廃していた地が現在の骨大陸であるのだ。
 黒々と禍々しい大地は、液状化現象を起こしてぶくぶくと泡立ち、多量の水分を含んだ泥の海に変貌していく。このような不毛で荒涼とした死の湿原がずっと見渡す限り続いていて、どこからか流れてきた流木に、取り残された兵士がしがみついている姿が見られた。そうしていないと、底なし沼のようになっているので溺れ死んでしまうのだ。
 多くの人々はまだ認識していなかったが、この余りに深刻な死と腐敗が止まらなければ、何百年何千年かかけてであろうが、アルフヘイムの地表は泥の海へとなっていき、大陸を支える地下の地層も腐ってしまえば、いずれ海中に没してしまうことだろう。
 ───かつてのミシュガルドがそうであったように。
 ゲーリング要塞のような人工物の残滓は、そうした自然の脅威から辛うじて人々を守っているのだ。
「この周辺一帯の地上は、歩くこともできません。幸い、ボルニア要塞はまだ無事のようですから、竜騎士部隊がピストン輸送で救援に来てくれるそうですが、かなり時間がかかるでしょう」
 と、黒騎士の鎧兜をまとった人物が言う。
 声の主は、竜人の女戦士アメティスタであった。
「……隊長」
 怪訝そうな顔をして、背の低い褐色肌のエルフの少女、精霊戦士ビビが声をかける。
「いつまでその鎧兜をつけているの? あたしの予備の鎧が気に入らないのかもしれないけど…」
「仕方ないだろう。お前がつけているのは小さすぎるからな」
「でも、あの黒騎士の身に着けていたものだよ? 何だか嫌な……ん?」
 言いかけて、ビビは長いエルフの耳、そして小さな鼻をひくつかせた。空を見上げ、雲一つない青空をじっと赤い瞳で見つめる。
 異様に静かだった。
「……?」
「どうした、ビビ」
 怪訝そうなアメティスタに、ビビは神妙な顔つきで瞳を向ける。不安の色が陰っていた。
「───精霊の声が聞こえない。どこからも。大気に漂う風の精霊も、大地に潜む土の精霊も、あたしに一番親しい火の精霊も…」
「何だと!?」
 驚くアメティスタに構わず、ビビは掌を掲げ、無詠唱でも容易く使えていた炎の魔法を使おうとした。しかし、大気に漂う火の精霊は、応えてはくれない。呪文を詠唱しても同じことだった。
「───だめだ。やっぱり魔法が使えない…」
 既にその時、精霊国家アルフヘイムと呼ばれたこの大陸から、大半の精霊は失われていたのだった。




 失われたのは精霊だけではなかった。
 誰かにとって大切な人々も、多くが失われていた。
 巨大闇マンボウと光の巨人メゼツの空前絶後の激突の後、両者は跡形もなく消え去っていた。
 小生意気なオレンジ髪の少年メゼツは…あの時、伝説の魔獣ウンチダスと同化してしまっていたが、遂に帰ってこなかった。
 彼は一体どこへ行ってしまったのか? あるいは、闇マンボウとの激突で両者とも消滅してしまったのか…?
 それは誰にも分からなかった。
「あいつのことだから、そのうちひょっこり顔を見せると思うよ」
 メゼツがいなくなったことに対しては、ビビはなぜか無根拠にまったく心配はしていなかった。
 だが、クラウスのことになると別である。
 大陸の地形が変わるほどの衝撃、その余波に巻き込まれて行方不明となった者は数多くいた。
 その中には、よりによって、皆が必死になって無事に救出したはずの英雄クラウスとミーシャの二人が含まれていたのだった。
 竜騎士のピストン輸送によって、黒死の泥海からボルニア要塞へとアルフヘイムの戦士たちが次々と帰還していたが、生き残りの人々の人だかりの中を、ビビは必死の形相で走り回ってクラウスとミーシャを探した。
 最後にビビがクラウスとミーシャを視認していたのは、メゼツが光の巨人となった時であった。あれからすぐに凄まじい衝撃の波動と大量の土砂が押し寄せ、仲間たちはバラバラになってしまったし、誰が生きているのか死んでいるのか定かではない状況になってしまったとはいえ…。
「どうして…? どうしてクラウスとミーシャが!」
 アルフヘイムの戦士たちの動揺は大きかったが、最も嘆き悲しんだのはビビである。
「あたしは信じない! 絶対、クラウスは生きている!」
 ビビは半狂乱となり、禁断魔法の影響で死の大地となったアルフヘイム西部へ再び乗り込もうともしていたが、周囲に危険だからと止められていた。
「離してよ! あたしはクラウスを助けに…」
「死んだのはクラウスだけではない」
 そう言ってビビを止めるのは、ビビよりも更に激しくクラウスに私淑していたはずのアメティスタであった。
「死んだ…? 隊長、クラウスが死んだって…?」
 あっさりとクラウスが死んだと断言してしまうアメティスタを、ビビは本当に信じられない思いで見つめた。まるで目の前のアメティスタが本物ではなく、誰か別人が皮を被って演じているのではないかと疑うように。だが、目の前のアメティスタは本物で間違いなかった。
「そうだ。子供のお前にこんなことを言うのは酷だが、お前も子供ながら、皆から精霊戦士と称えられたほどの戦士だろう? あれほどの衝撃波と土砂が押し寄せたのだ。多くの行方不明者が出ている。誰がそうなってもおかしくはない。現実を直視しろ」
「嫌!」
「聞き分けの無い。……オルガ!フィオーラ、見ていないで手伝え!」
 アメティスタが目くばせすると、これまで共に戦ってきた親衛隊の仲間たちがビビを取り押さえにかかる。
「こら、大人しくしろ!」
 暴れるビビだが、精霊の力が失われた今、ビビは見た目通りの力しかない、ただのエルフの少女だった。戦いの中で、戦闘技術や筋肉もそこそこ鍛えられてはいたが、彼女の強さの大部分は精霊に愛されていたがゆえのものだった。
 精霊の力などなくても強い大人の戦士に取り押さえられては、どうすることもできなかったのである。
「み、みんなは平気なの…? クラウスが死んだって、そんな当たり前の顔で…」
「平気な訳が無い。だが、悲しんでばかりはいられんだろう。これからのことを考えればな……」
 戦争が長く続きすぎたせいなのだろうか。
 みんなにとってあれほど大きな存在だったクラウスが失われたというのに、アメティスタも、仲間たちも淡々としていた。
 ビビは首を振り、声の限り叫んだ。
「あたしは、絶対に! クラウスを信じている!」
 その後、余りに暴れるものだからと、ビビはボルニア要塞の独房にぶち込まれることとなった。

 



「───これで良かったのか?」
「───仕方がない。あの子は絶対に聞き分けてはくれないだろう?」
「ああ、お前が死んだなんて、絶対に信じようとしない」
「可哀想だが、俺の出番というか、役割は終わったのだ。アルフヘイムにとっても、あの子にとっても、俺の存在は邪魔になるだけだろう」
「邪魔とまでは……」
「いや、邪魔になる。俺が望まなくても、人々は俺を放ってはおいてくれない。戦争という非常時だったからこそ、俺は人々の英雄になろうとした。だが、平和な時代にまで英雄は不要なんだ。ビビにとってもそうだ。口やかましい父親代わりなんて、成長していく彼女には不要になる」
「うーむ。あけすけに言えば、ビビにとってはそうなのかもしれんが……少なくともアルフヘイムにとっては、お前はまだ必要だぞ? 甲皇国とは恐らく停戦となりそうだが、丙家の連中がこれで諦めたとはとても思えない」
「……だとしても、俺にも平穏な生活を送りたいという望みはある。それにはこうするしかないのは分かってくれ」
「そうだな……仕方ないか。公に死んだということにしなければ、誰もお前を放っておいてはくれないというのは、俺にだって容易に分かる」
「戦いのない時代に英雄など、殺されるのがおちだ」
「そんなことは……仮に、お前を殺そうとする輩がいたとしても、アメティスタや俺が許さん」
「だとしても、だ。面倒ごとはもうこりごりさ」
「ははっ、本音が出たな。……それで、これからどこへ?」
「故郷のコースニャ村は、黒死の泥海に沈んでしまったからな。俺とミーシャとルキウスが平穏に過ごせる土地を探そうと思う」
「お前のように、アルフヘイムに見切りをつけて旅立つ者は多いようだ」
「落ち着いたら手紙でも出す。悪いが、ややこしい戦後処理は任せたぞ、義勇軍副官どの」
「俺のことはいい。だが、アメティスタが一番ぼやいている」
「だろうな」
「彼女にも手紙を送ってやれよ」
「ああ。だがアメティスタは……まぁいい。彼女は容易ならざる道を歩もうとしているのだが、平穏を求める俺に何か言うことはできん」
「容易ならざる道?」
「彼女から直接聞けばいい。戦後処理で最も重い部分を引き受けようというのだ」
「……もしや、あの組織のことか?」
「俺には何とも言えない。……ではな。そろそろ行く」
「ああ。達者でやれよ。俺も疲れた。別に名誉が欲しいわけじゃない。戦後処理が終われば、お前のようにどこかへ隠遁しようかと思う」
「そうか。ならばまた会うこともあるだろう」
「必ず会おう。成長したルキウスの姿も見せてくれ」
「ああ。いずれ……そうだな、五年もすれば赤ん坊のルキウスも言葉をしゃべり、少しは分別もつくだろう。それぐらいに、一度会おう」
「約束だぞ!」
 両者は互いに固く握手をし、互いに背を向けて別れた。





 アルフヘイムの戦後処理もまた、茨の道であった。
 英雄クラウスが密かに歴史の表舞台から降りていった影響もあるが、クラウスがいなくなったこと以上に、アルフヘイムの大地から精霊の気配がほぼ消失してしまったことが非常に大きな痛手となっていた。
 ごくごく初歩的な魔法であれば使用できるが、とても実用には耐えられない。負傷兵の治療すらままならない有様であった。
 当然、アルフヘイム軍の再編がままならない。
 甲皇軍が兵力を回復して再度侵攻してきた場合、対抗することが非常に困難になることが予想された。
 ゆえに、甲皇国の次期皇太子が穏健派の乙家が傀儡とするミゲル皇子となったことで、すぐに停戦の申し出が甲皇国からなされた時、セントヴェリアのアルフヘイム政府は喜んで応じた。
「魔法、使えないんでしょ?」
 甲皇国から派遣された外交官、乙家のオツベルク・レイズナー。
 彼は停戦交渉のテーブルについた開口一番、こう言ってのけた。
 乙家も情報収集はぬかりなかった。
 戦争継続を訴える皇女派の存在をブラフとし、威圧的に交渉を進めてきた。
 いくら乙家が穏健派とはいえ、手ぶらで戦争を終わらせてしまうとなれば、乙家の国内での立場はまずくなる。取れるものは取っておこうというわけである。
「甲皇国も経済が破綻寸前、とても戦争が継続できる状態ではないと…」
 負けじと交渉に応じるアルフヘイム政府の首相ダート・スタン。
 だが、オツベルクは鼻で笑って見せる。
「少なくとも温存している兵力はある。敗北したのは陸軍のみ。海軍・空軍が敗れたわけではない。それらを支える財政力も、後ろ盾もある」
 乙家の財政力に、SHWの後ろ盾である。
 いざとなれば、SHWから資金融通してもらってでも戦争継続するという手もあるのだ。
 国内の情勢的にそれは厳しいのだが、いかにもできるように自信たっぷりにオツベルクはブラフをかけてくる。
「我が方にも兵はある」
 重苦しい声。
 傭兵王ゲオルクであった。
 戦争を生き延びた歴戦の強者の言葉は重い。
 停戦交渉のテーブルに、アルフヘイム側の代表団の一人として参加していたのである。
「乙家の軟弱者がよく大言を吐いたものよ。ユリウスは強かったぞ? あれほどの将、そしてその配下の精鋭が生きておれば話も違ってこよう。だが、彼らは敗れた。我らも多くは死んだが、生きてこのテーブルについている。そちらの顔ぶれは何だ? 骨のある軍人の一人も連れてこれぬのか? 勝者がどちらであるかは明らかだな」
 ゲオルクの言う通り、甲皇国の代表団はいずれも乙家の文官ばかり。軍人は誰もいなかった。
「戦争を続けても良いのだぞ? 今度は我が方が貴様らの大陸に乗り込み、皇帝の首を切り落としてくれるわ」
 かつて皇居へ乗り込み、本当にあと一歩のところで皇帝を殺しかけた男が言うと、これまた重みがあった。
「………では」
「………うむ」
 ゲオルクの言葉にも一定の効果はあったらしく、その後の停戦交渉はスムーズに進んだ。賠償金支払いも、領土割譲も何もない。互いに兵を引き、五年間の不可侵条約を結ぶこととなった。
 こうして、七十年の長きにわたったアルフヘイムと甲皇国の戦争は、完全に終結したのである。







つづく
sage