Neetel Inside 文芸新都
表紙

拝啓クソババア
二話

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俺が7歳でピカピカの小学一年生で純粋無垢な可愛いクソガキだったときまだお袋はまともすぎるぐらいのお袋でちょうど蒸発する一年前になる親父はというとまともとは言い難い少し近所でも変わった人だと評判の親父だった。普段は大抵のそこらへんの親父のようにスーツを着て朝から通勤電車に乗って会社に行き夜になると残業やらなんやらでくたびれて帰ってくるような普通の親父で、子供の俺が把握する世間一般的な父親像よりかはまぁ少し口数が少ない方かなぐらいの違和感しか俺は持たなかったがその時の俺はやはりアホガキといえて純粋無垢とも言えるようなお子様だった。俺は洗脳されていた。その事実に気付いたのが小学一年生の時で生まれてはじめてできた友達である武内のバカの家に遊びに行った時だった。武内のバカは後に体育の授業中の女子更衣室に忍び込んで学年一の美少女からブサイクまで余すことなく全員の下着を盗み出すような変態でありその全ての隠し場所に学校の机の引き出しを選んでバレて停学をくらうようなアホだったが少なくともまだこの頃はアホの片鱗をたまに見せて俺や柿谷にど突かれるくらいで普通ではあったし親父さんは武内の親としては落第レベルの極普通の人間だった。まず俺の植え付けられていた世間一般の父親像とは違って武内の親父はトイレに入る時ドアの前で衣服を全て脱いで全裸で小便ないし大便をすることはなかった。数時間おきに発作的に庭に出てエアギターやエアドラムやエアベースをして1人コンサートを始めて「イ ェイセンキュー」なんて黄昏ながら呟くことはなかった。コンサートが終わった後思い立ったように荷物をまとめてどこかへ行き翌朝帰ってきたかと思えばボロボロで「どこ行ってたん」と俺が聞くと「山籠り」とか言うようなこともなかった。全部なかった。俺は武内の家を出る時にようやく世間との齟齬に気付き涙を流す俺にしつこく「なぁなんでケーちゃん泣いてるんなぁなぁなぁ」と聞きまくる武内を叩きのめして家についてリビングのソファーで三点倒立をしながらNHKを見ていた親父に目があった瞬間自分でも思いがけない言葉を漏らした「俺とーちゃんみたいな父親いやや。もっとまともなとーちゃんやったら良かったのに」
別に本音から言ったわけではなかったしなんだかんだ好きな親父ではあったけどそのときの深く傷付いた親父の顔を俺は一生死ぬまで忘れることはないだろう。俺は言葉のもつ側面である凶器のような特性を知った。たった一言で包丁よりも深く治ることのない傷を作る。俺の言葉はそのときの親父の心を殺したのだ。俺はやはり小学一年生で純粋無垢であり誰よりも親父を愛していたからこそ誰よりも救い難いアホで、愚かと言えた。
それ以降親父は全裸もコンサートも山籠りもすることはなくなった。俺も何事もなかったように親父に接して変わらなかった。
そして一年後いつものようにお袋と俺に「行ってきます」と言って会社に向かったきり親父はその後の俺の人生から忽然と姿を消した。行方不明者届けをだしても効果はなくて警察や病院なんかから連絡がかかってくることもなかった。お袋は泣きに泣いて泣きまくって、俺は過去の自分の不用意な発言を悔いた。もしかしたらあの言葉が親父をどこかへ旅立たせるのを決定付けたのかもしれない。会社に向かったのかもわからない。親父は俺もお袋も知らないようなどこか遠くの場所へ行ったのかもしれない。意外と近くの山でまた山籠りでもしていて誰にも見つかっていないのかもしれない。今でも俺はふとした拍子に親父はどこへ行ってしまったのかと考えるけど、ちっとも答えなんてでなくて毎回途中で思考を切り上げる。ただあの変わった親父がどこかで死んでしまっているかもしれないという考えは不思議とイメージできなかった。根拠はないけど本当に変わった親父だったのだ。もしかしたら親父は「行ってきます」と言った瞬間言葉や表情の中に何か他の意味を込めていたのかもしれないけど、それは本当にわからない。

       

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