Neetel Inside 文芸新都
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1日が経ち一週間が過ぎて1ヶ月が終わろうとしても親父は家の玄関をくぐることはなかった。俺とお袋は泣きに泣いて親父の帰りを待ったが泣くという行為は単純に悲しさからくるものであって泣いて待つことはいわば祈りだ。祈りは自分の何かが思い通りになってくれという願望だ。祈ったって親父が帰ってくるわけではないし帰ってきたとしてもそれは祈りからくるものじゃない、偶然の一致だ。そんな事は頭でわかっちゃいるけど人間は祈る。お参りにしろミサにしろコーランにしろ人は祈る。無神論者でもいざという時は祈るのだ。そして俺とお袋は祈り祈り祈り祈りつづけ祈り祈り祈り祈り祈り祈り、祈りの無意味さをようやく本当の意味で理解した。
まず変わったのはお袋だった。ある日を境にお袋は唐突に泣くことを止め、かと思うとその代わりに頻繁に俺を叱るようになった。叱る理由は様々だったが共通していたのは子供ならやりがちな大したことじゃないヘマっこと。一般的な母親なら優しく諭すぐらいで済ませるだろうしそれはお袋も例外ではなかったが、それは最初のうちだけでお袋の剣幕の立てようは段階を踏まずエスカレートしていった。言葉も最初は優しいものだったのが徐々に鋭いナイフのような切っ先を持つものに変わっていく。「どうして母さんの言うことが聞けないの」「あんたは私をどうしたいの」「産むんじゃなかったこんなクソガキ」「あんたのせいで何もかもめちゃくちゃよ」「あんたのせいで」「あんたのせいで」「あんたのせいで」
「あんたのせいで...」
俺はなにも言い返さなかった。というよりも言い返す言葉を持たなかったのだ。お袋が日々憔悴していく原因は親父が失踪したからなのは火を見るよりも明らかでそんな事は小学一年生の俺にだってわかった。どうしてあんたのせいでとお袋が繰り返すのはわからなかったけど実際その通りかもしれなかったのだ。俺は親父に言ってしまったことを覚えていたから。言いたくもなかった思ってもいない言葉。
「俺とーちゃんみたいな父親いやや。もっとまともなとーちゃんやったら良かったのに」
俺は心底救い用のない阿呆だ! 俺があの時あんなことを言わなければきっと親父がどこかへ行ってしまうことはなかったのだ。 お袋も優しい俺の大好きなお袋のままだったはずなのだ。俺はあの時の親父の顔がまぶたに焼け付いて消えない。深く傷付いて何かとても大切なものが手からこぼれ落ちて壊れてしまったような表情。まだ幼い息子に胸を長く細い針で貫かれてしまったようなあの悲哀に満ちた瞳。俺は親父を知らない。親父があの時、あの瞬間なにを思ったのか想像できない。でも確かに俺は親父の心を殺した。俺が親父を殺したのだ!
もしも時が遡れるのならきっと間違いなく俺は俺が親父に言ったことをなかったことにして修正しようとするだろう。親父の代わりに幼いクソガキの俺を殺すだろう。いや俺は消えてしまった親父も変わってしまったお袋も殺してやりたい。なぜこうなって、こうなってしまったのだ。
そして一度だけ俺はお袋を殴った。いつものように叱られていた最中の事だった。お袋の驚愕の眼差しはすぐに憎しみと怒りのそれに変わり、その日を契機としてお袋は俺に暴力を振るい始める。俺は罰を求めていた。明確な形の罰が欲しかったのだ。一番手っ取り早かったのがたまたまお袋の暴力であって俺を傷つけられるものがあるのならなんでもよかった。俺のせいで俺を取り巻く家のすべてが音をたてて壊れていく鐘のように高い悲鳴をあげながら最後にはただの金属のとりどりの破片になってしまった。悲しみと衝撃でできたそれを、一体誰が片付けると言うのだろう。

       

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