Neetel Inside 文芸新都
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ふらつく足取りで階段をのぼって改札へ出たものの夜の駅の構内はあっけらかんとしており先に出ていた光太郎の姿は見えない。あれれと思って近くのトイレの中を覗いてもどこかのおっさんが個室の中で気張っていただけ。こんな田舎の駅の場合は無駄なく空間は作られていて狭く他に行くようなところはない。先に出たのだろうかと改札を通って西口の入り口へ向かおうとしばらく進むと出口の傍、階段の下から光太郎の声が響いた。誰かと喋っているようだが相手の声はしないからたぶん電話かなにかだろう。
「だから...いやちゃんと持ってる...そんなん言ってもやな...」
光太郎の声はくぐもっていてところどころがよく聞こえない。盗み聞きって良くないことだとはわかってても俺は酔いもあってさっきからうきうきしっぱなし。階段を半分くらい降りてこっそり忍び寄るが、光太郎はまるで気付く様子を見せない。
「おう...俺がいんくても気いつけや...早いうちに」
ああそういや光太郎は結婚してたんだっけ。夜のこんな時間に電話するのは嫁以外にはいないだろう。いや以外なら? 浮気? いやいやいや光太郎はそんなやつじゃない。
光太郎は一言「愛してるよ」なんて言って通話を切る。ナンパな奴。俺があえて足音をたてながら降りるとさっと光太郎は振り向いてケータイをポケットに入れた。
「コーちゃん改札で待っててくれな俺どこ行ったか思て探したで」
「おお悪いな」光太郎は足元に置いていた荷物に手を伸ばしながら言う。なんか焦ってる? 「ちょっとな」
光太郎から俺の分の荷物を受け取って外まで出ると見覚えのない円形の大きい広場が俺たちのいるタクシー乗り場の向こう岸にある。田舎町の夜は恐ろしい程に静かで、しんしんと降り積もっていく雪の様子は夜の静寂に拍車をかけているみたいだ。
「こんな広場できたんやなぁ」と光太郎が呟く。ただ変わったのは広場ぐらいで昔からある雑居ビルやその隣の平和堂なんかはまったく同じ。杉の木立に挟まれた通りの横には会社に併設されたビジネスホテルがある。
「そういやコーちゃん俺らこれからどうすんの」
「病院の面会時間はとっくに過ぎてるしなぁ」米原市民病院は琵琶湖の湖岸沿いにあってここからは直線距離で2キロくらいある。歩いても30分と少しといったところ。「どっかで一晩明かすしかないわな」
「宿はとってないんか」
「忘れとったわ。まぁ、そこでええやろ」
光太郎がビジネスホテルを指差す。こんな田舎だから予約もいらないのは旅行者からすれば便利だろう。浅く積もった雪をざくざく踏み締めながら俺たちはホテルまで歩いていく。「なぁコーちゃん」前を歩く光太郎は振り返らずに返す「なんや」
「さっきの電話誰やったんや?」
雪で冷え切った風は酔いで火照った頬に触れて通り過ぎていく。頭も冷やされているよう。
「あぁ、聞こえてたか」
「嫁さんか?」
「そうや」光太郎はそれ以上語ろうとしない。俺は光太郎が俺に対してなにかを隠している事に気付いたけど、あまり詮索は良くないことだとも思い何も訊かない。
そうこうしているうちにホテルに着いてフロントで空き部屋を聞くと、案の定ホテルは空いていた。鍵を渡されて部屋に入り適当に荷物を置いてベッドに座る。しばしぼんやりと1人くつろいでいると、隣の部屋にいたはずの光太郎がノックもせずに上がり込んでくる。「啓介、飯、行こう」
「ここら辺にあったかな店」
「ここからもう少し歩いたら小料理屋あったやろ、確か」
「あああったなぁ」そういえばそこなら何度か行ったことを思い出した。「番野やっけか」
俺の米原の時間は八年前で止まっている。光太郎が閉店の可能性を心配したので、ケータイで検索したが幸いにもまだ営業しているらしい。「行くか」
そうして俺たちは2人で青年時代の朧げな記憶を辿りながら番野へ向かう。八年の歳月は人を変えるがどうやら米原は変えれなかったらしく、見慣れた冬の光景が道を続いて広がっていた。懐かしさを感じる傍ら、俺は素直にそれらに喜びを見出せない。帰ってきてしまった。音をたてず一心に降り続く雪の情景はあまりにも少年時代の思い出がありすぎる。変わらないことは時には良いことでありまたある時には悪いことでもあるのだろう。
小料理屋番野は八年の間に改装を入れたのか、昔は民家の余ったスペースでやっていたような立派とは言えないながらも親しみのある雰囲気の店舗だったが今は真新しく、慎ましい日本家屋のようなものに建て替わっていた。のれんをくぐり店内にはいると壮年の女将が出迎え、同時に厨房からいくつも歓迎の声が飛んでくる。カウンターに通されて俺と光太郎は腰をおろしたが、ふと女将が去り際にやけにこちらへ視線を送っていたことに気付いた。どうやら光太郎も同様らしく、帽子を取りつつ小さなトーンで言う。
「啓介、あの人知り合いやっけ?」
「うーんわからん、あんなおばちゃんの知り合いなんていたかな」
「俺もや」
「いやでもどっかで見たような顔やと...」
そう話しているうち、カウンターの向かいには同年代だろうか、若い板前がやってくる。光太郎が適当な注文をして、俺は板前の顔をじっと注意深く観察していた。うーんどこかで見たような。板前は奥のいけすから網で暴れる魚を引っ張り出す。まな板の上にその魚を押し付け、よく手入れされた鈍い銀色の包丁を首元に刺し込んだ。慣れた手つきだった。
「お客さん、どちらの方ですか」あくまで目は眼下の魚に落としながら板前が俺たちに訊く。運ばれてきた熱燗を傾けながら光太郎が言う。
「俺は埼玉で、隣のこいつは東京からや」
「へえ、また遠いですね」板前はてきぱきと調理をしていく。俺はまだこの男の事を考えていた。番野、番野か。うーん。「でもお客さん関西弁ですけど」
「ああ、俺ら元々ここ住んでてな、従兄弟やねん。んで米原のこいつのお袋さんが倒れてなぁ」
「ええ、知ってますよ」不意に板前が口元を歪めて笑う。調理の手を止めて。「まだ気付かへんか」
隣の光太郎はぽかんと口を丸くして、口調の変わった目の前の板前を見た。「え?」
板前は俺たちに笑い声をあげて、頭に被っている和帽子を脱いで頭髪を晒した。「俺や、久しぶりやなコーちゃん、啓介」

光太郎が混乱する横で、その時ようやく俺は思い出した。そうだ、昔俺が番野へ来たことがあったのもこいつがいたからなのだ。この懐かしくて古い馬鹿は今だ愉快そうに笑っている。「ああ、お前、徹か!」

       

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