Neetel Inside 文芸新都
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徹の車に乗ってお袋の入院する米原市民病院に向かう途中、徹から徹となっちゃんこと綿垣奈津美が付き合っていてもうじき結婚することを告げられる。今年の6月、ジューンブライド。運転を続けつつ徹は照れながら自分たちが恋仲にまで発展した馴れ初めを語る。地元の成人式で中学以来の奈津美と会った。その後の飲み会で話が合って意気投合した。連絡先を交換してしょっちゅう遊ぶようになって気が付いたときには付き合っていた。別に特別珍しい話なんかじゃなくて探せば腐る程ありそうなありふれた内容。
「学生のときは変わったやつやと思っとったけど、久しぶりに会うとなんか色々見違えててなぁ」
ニヤけながら徹は俺たちに喋るけれど俺は「ほうか」とだけ言って後はずっと窓からの景色を見ていた。他人の惚気話なんて聞く価値がないからだ。徹と奈津美か意外だねフーン。光太郎は熱心に相槌を打ったりなんやかんやしていたが俺はまるで無関心を貫いていた。マジでなにが面白いんだ。
街の端から端を一直線に両断する細長い国道をまっすぐひた走るとそのうちに杉の木立に入って琵琶湖の湖岸に出る。夜の浜辺はひっそりと沈黙しながら波が寄せて耳をすませば近くでチャポポンと水面から魚がとびはねているのが聞こえる。月明かりで輝く水面の下では真っ暗な闇が胎動しているように思えてきて俺はその中に飛び込みたくなる衝動に駆られる。魚になるのだ。ブルーギルやブラックバスなんて魚でもいいができるならもう少し立派なやつがいい。そうそんなふうにして一人静かに泳げたらどんなに幸せだろう。沈黙と暗闇を手元に湛えながら水の中をそっと這い泳ぐのだ。
病院の駐車場は車一つなくて正面から入ると夜で隠れていた病棟の輪郭と寝静まり返って死んだ気配がよく伝わった。入口近くに車を止めて降りるともちろん誰もいなくて玄関も閉まっている。どうするのか徹に訊くと「ちょお待て」と言われて徹が誰かに電話をかけるのを眺める。
「俺や...お疲れ、んでさっき言ってたけど皆来ててなぁ、今から入れんか?...うん、了解、裏な」電話の相手は奈津美だろう。徹が病院の裏手に回ると言うので俺たちもそれについて行き2分くらいすると関係者以外立ち入り禁止の看板を越えて病院の裏口につく。徹は関係者みたいに平然と勝手口のドアノブを回し俺たちに見せつけるようにして開いた。「さ、どうぞ」「アホかおめえは」
モップやダンボールなんかが積まれて狭まった薄暗い通路を進んで更衣室の横を抜けると非常ベルの上にある、レモンを半分に切ったみたいな楕円形の真っ赤なライトだけがそこかしらに備え付けられていて古いホールの中は仄暗くでも少し赤かった。光太郎は我が家みたいに待合のソファに腰を下ろして、徹は三つ四つある周囲の通路をキョロキョロ目で見回している。「あれ、あいつ遅いなぁ」
しばらく待つことになり俺はトイレに行くと言って傍の男子用トイレに入り用を足す。無心で便器の下にある緑の球をなんとなく見つめてるとまったくなんの脈絡もなく真後ろでギィーと木が軋んだみたいな音が響いてドアが開く。俺はびっくりして閉めかけのチャックを思わず挟みそうになるがなんとか持ち直す。あぁこんなこと前にもあった。俺は俺が小学生のときに起こった同じような出来事を覚えている。それは俺の思い出でありやつの思い出でもあるのだろう。だからあの時のリプレイを面白がって今こうしてしているのだ。それは俺の奈津美との最初の出会いだ。
ゆっくり振り返るとそこには8年後の奈津美がいる。満面の笑顔をいっぱいに携えて浮かべて。「よっ」と言って奈津美がすぐ前で手をあげる、俺は何も言わない。俺がこの街に帰ってから全ては再現されているかのようだ。8年という月日は何を変えたのだろう。俺は無い頭で考えるけど、何一つまともな答えは出やしない。
少なくとも俺はこのときとあのときにこの女には出会うべきではなかった。出会うことがなければ俺の今後もかなり変わってくるはずだったのだ。

       

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