Neetel Inside 文芸新都
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それから俺は數十分間止むことのない暴力に耐えた。蹴られもしたし水もかけられた。無心で耐えて気づいた時には俺は家の玄関から締め出されていて上半身は何も着ていない。青アザだらけの腕を撫でながら俺は1人これからどうするか考えている。

今までにもこんなことは両手の指じゃ足りないほどあって、その時々で対応してきたけど一度半裸状態で街を歩いたときは児童相談所や警察に通報されかけてビックリして逃げたことがあったからこのまま外は歩きたくない。前々からうちの家の近隣の方々はなんとなくお袋の俺への虐待に気づいていて通報したのか、たまに相談所の連中がうちに訪ねてくることがあるからうちはマークされているのだ。要注意な人間をまとめたブラックリストってやつがあればそこに記載されている自信は十二分。奈津美に笑い話でそのことを話したときには「そのまま保護されちゃえばいいのに」なんて真顔で言われたけど俺はそういう関連の施設にいくのはまっぴらごめんだし関わりたくもない。そこはお袋も同じだろうし少しシャクな気持ちもあるけど俺はこの米原に友達はいるし今までどおりに接して遊んだりしたいし虐待がバレたりして変に気を遣われたくない。俺は俺の日常を壊したくない。あくまで普通の人間でいたい。
格子状の手すりの隙間から差す空は眩しくてじんわりと暑い。俺は腰掛けている室外機のカバーを外して上半身に纏って、例えるならクレープみたいになってアパートの階段をくだる。歩道を歩いてるとすれ違いにジロジロ見られるけどさすがにまだ中学生だし通報はされないだろうと踏む。信号を渡ってシャッター通りと揶揄される赤星商店街の坂道をまっすぐ駆け上がり毛細血管のように先分かれしていく裏路地に入ると手前の民家の平屋根の上にちょこんともう一つ八の字の屋根が乗っていてその分青空が隠れてる。寺の屋根だ。その屋根に近づくよう管状の細道を選択していくとすぐに善行寺の石段の前に出た。ぽん、ぽん、ぽんって一定の調子を自分の中に刻んで杉とかケヤキとかの影が光彩艶やかに踊る石の上を飛び跳ねていく。冬の冷たい風に背中を押されながら。そのうちに焦げ茶色でボロっちい建物が視界の上から大きくなってきて近づいてくる。えっほえっほ夢中になって石段を2段飛ばしで登っていく。次に足の踏み場がなくなった頃、俺の前には石畳がずらっと並んでいてようやく境内についたのだとわかった。石畳の奥にはどっしりと構えた古寺、善行寺がある。突っ立っていると耳の後ろから木々の間を抜けてくるさわさわした音が俺の頬の痣とか擦り傷を包んでまたしばらくするとどこかに吹いて過ぎ去って行く。少しの間俺はそれが気持ち良くてそうして体を自然に委ねる。無心になる。
ふと下に目を落とすと裸足の親指の先を尾がオレンジ色をしたイモリだかヤモリだかがその体をくねらせながら這いまわっていたから俺はそいつをパッと捕まえる。捕まえられたその生き物は危機を感じたのだろうか、手の内でもがいて時には理由なく先の分かれた舌を口から出して俺に見せた。表情はない。カラフルな尾に中指を当てると余計にもがいて暴れる。こういう爬虫類は尾が取れるってどこかで聞いた事が頭をよぎったから、その通りに尾を引っ張ってみる。だけど力を加えても取れないからイライラして俺はそいつの尻尾を無理やりな力任せに千切った。するとぶぢって音がしてドロドロした濃い緑色の体液がつつと手の甲に伝う。なんだか気持ち悪くなって俺は反射的にそいつを石畳の上に叩き落としてしまう。濃い緑色の体液は石畳に大きなバブルマークを描いて中心に倒れ込んでいるそいつは目に見えて、でもしかし微かにうごめいてどこかに向かおうとするけど1分もしたら徐々に動きは弱まって、動かなくなる。昔ゼンマイ式のブリキの人形を持っていたけどまるであれみたいだ。あれも今は壊れてしまった。もう捨ててしまったかな。どうだった? 俺はその場に屈んで体液に指をつけてみる。温かくもないし冷たくもない。舐めると雑草みたいな匂いが鼻を抜けて思わず地面に唾液と共に吐き出してしまう。まずい。境内を見渡すと水の溜まったバケツの上に蛇口があって俺はすぐさま駆け寄って蛇口をひねり水を出して口の中に入れていった。まずい。まずいまずいまずい。クソまずすぎる。いくら水で舌を洗い流しても俺の舌は体液を忘れない。まずいまずいまずいまずいまずい。立ちくらみがして視界が真っ暗になって俺はわけがわからなくなってしまう。体液は俺の中に染み付いてしまった。周りの森の景色や音が遠く、加速しながら離れていく。でも確かにそこにあるのに、俺は世界に見失われ忘れられ1人恐れながらうずくまり真っ暗になった目の前を見つめた。まぶたの裏のような視界。俺は段々と怖くなって、泣いた。心の中で恐怖を叫びながら目から涙を流して泣いた。でもいつまで経っても世界は唸るような轟音と共にどこかに行って飛び去っていってしまう。世界は回転を続けて全てはそれと行為を共にして俺は真っ暗な闇の中に置いていかれるのだ。すぐそこをものすごい音が鳴り止まず俺の鼓膜をうるさいくらいに打ち鳴らしているのに俺はなにがどこにあるのかわからない。俺の周りには何もない。俺はただただ泣いて泣いてそれが無意味だったから懺悔した。神はいないけど、目の前に広がる果てしない暗闇に懺悔をした。俺は最低だ。最低だ。ただの自分のエゴであの生き物を殺した。俺はあいつだったのに。あいつと何も変わらなくてむしろ同一ともいえる存在だったのに。俺は俺の勝手なワガママで俺を殺した。いつもそうだ、俺は救いようもないくらいにアホだ。死ねばいいのは俺だったのに、今俺は死のうともしないし。ただ自分が怖いというからあいつを殺したことに後悔の念をようやく覚えている。震えが止まらない。ごめんよ、ごめんよ。ごめんよ。全部俺が悪いんだ。俺が死ねばよかったんだ。
俺は泣いて、泣きに泣いた。そうしていると音はゆっくりと消えていって、涙の底には光が少しずつ戻ってきた。俺は未だに止まらない震えを両腕で抑える。体の温もりが腕を通して頭に響いて、そっとまた立ち上がるとさっきと何も変わらない寺と寺の境内達はそこにある。青空は頭上にある。水が穿つバケツの滝壺もある。世界は確かに、そこにあると俺は告げられる。今まで俺は死んでいたのだ。でも生き返った。
落ち着くまで肩で息をした。鼻をすすると匂いはなくて代わりに鼻水がずずずっと喉を通り、腹の内側に落ちていった。涙を手で拭うと下まつげに何か付いたから、指で取ってみるとそれは濃い緑色をしたあいつの体液だった。また蛇口をひねって水でそれを落とした後、俺はあいつの死骸の元まで歩いて向かう。それはまだそこにあってまるで変わらず動いてもいない。石畳の横の地面を軽く掘って穴を作り、俺は死骸を掴んでその中に入れる。土をかけると死骸は地面の中に潜って見えなくなってしまう。俺は仏教を信仰しているわけじゃないけど、パンと手のひらを合わせて地面に向けて拝んだ。
ごめん。

       

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