Neetel Inside 文芸新都
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拝んでいると後ろで「あっ」って声がするから俺は振り向く。
ちり取りを持った老婆がいる。
だから俺も「あっ」ってつられるように口を開けて言ってしまう。お寺のお堂から繋がれた渡り廊下を続いて民家があって、そこは寺の住職一家の住む住居なんだけど、どうやら老婆の風体から察するに今から掃除をせんと家を出てきたばっかりのようで今まさに異物を発見したらしい。それはクレープ状の風呂上がりにバスタオル巻いてるような格好をした小汚い中学生。老婆の両の瞳は一向に変わらず俺に据えられてる。面倒だな。俺はお堂の裏手にある墓地に行くために歩き出した。何もする様子がなかったから行きがてら軽くお辞儀をして。鐘台とすれ違いぐねぐねな褶曲を描いた坂を向かう。森の木々の下にかっぽりと開けられたようなデコボコな坂は自然のトンネルとも形容できそうでなんだか腸を歩いている感覚だった。森の腸だ。道は細く脇を見るとそれなりに高低差があって坂をあがるごとに段々とその差は大きくなっていく。墓地に着くと気のせいか雲が僅かに頭に近くなったよう。墓地にはステレオタイプの墓がひしめくようにずらりと並び立ち、俺は中央付近の墓石を見る。
祖父と祖母が眠っている。
近くの水汲み場で桶と手酌を取り桶のいっぱいまで水を溜め、こぼさないように慎重に運ぶ。墓石はこのところ大分来てなかったせいもあってかなり汚れている。枯葉や腐りかけた小枝がそこらに散らばって、以前盆の時に置いた花々は枯れて見る影はなく、しかし茎は痩せ細り萎れながらも形を持ってそこにある。まぶしいくらいに色を放っていた茎の青臭さは死んだ。手酌で水をすくって墓石に投げるようにかける。上に纏っている室外機のカバーを脱いで雑巾代わりに墓石を拭く。御影石でできた石の光沢は水の輝きによって蘇った。何度も繰り返し墓石を拭いていく。墓石の下には祖父と祖母が仲良く並んでいる。俺はずっとさっきの事を考えてる。
トカゲかヤモリだかわからないあいつは死んでどこへ行ったのだろう。
人間には天国があるとしても動物にもそういう感じのがあるのか。

なら茎の青さは死んでどこに?

俺は手酌を置いて、もう一度ゆっくり枯れ果てた茎を見る。誰に殺されたかわからない茎は何も変わらない。突然生き返ってめきめきと元の青さを取り戻したりはしない。答えのない、あってもわからない、どうにもならないことをどうするわけではないが俺は考える。茎に触れようとするけど、奇跡のような何かで保たれているそれが崩れてなくなってしまう気がして俺はそうしない。ああこれはまだ生きている。死んでないな。
落ちているであろう花弁を探すけれど見当たらない。とりあえず手酌で水をすくって花立の底に静かに、少しずつ注いでいく。別にこうすることがどうというわけではない。でも俺はそうした。そうしたかった。水はみるみるうちに膨れ上がり傘を増し手酌の中の水がなくなるころにはいっぱいになっている。
俺は墓石に目を向ける。それは雫を糸を引きながらこぼしていて輝いてる。鈍く暗く息を殺すように。そこにある石ころのうちなるべくシャープなやつを取って俺は墓石に突き立てた。縦にがりがりと削ってやがてそれは長い一つの白線になる。線の真下には石の粉が小山のように盛られていて、俺はそれに指を置き、着いたものを口に運んだ。まずくはない。また舐める。舐める。舐める。
そんなに量もなかったから瞬く間に粉の山は無くなって食べ尽くしてしまう。俺は唾を口内に出して濯いで飲み込んで口の中の粉も全部腹に入れる。
うん。
なんだかどうでもよくなって地面に座り込んで半裸てぼーっと惚けているとカタンカタンと坂の方から音がして、誰かが来たんだとわかる。眠たかったから背中の段差を背もたれにうとうとしながら足音に耳を澄ましていたら足音は段々と近づいて、最後に俺のすぐそばでピタッと止まる。寝たふりをしながら注意をそこに向けているけど、止まってからまったくと言っていいほど動く気配がない。一体誰だろう。
「坊、なにしとるんや?」
しゃがれた声。俺は目を瞑りながら返す。「墓参り」
「おん?」
「だから墓参り」
「あぁ、坊ちゃんは早瀬さんとこの子かぁ」
「うん」
「どーしたんやその格好」
「暑いから」
「今冬やでぇ」
「知ってる」
「暑いかぁ、ほうかぁ」
「そうや」
「アザだらけやで、そりゃケンカでもしたんか」
「そんな感じ」
「痛ないかぁ?」
「ちょっとは」
「ほうか、ほうか」
またカタンカタン音が動いてその人物は墓石の前まで移る。俺はわからない程度に目を見開く。そこには地面があり草が生えてる。
「またけったいなもんで墓拭いたなぁ」
「うん」
「なんやこりゃ?」
「あー、うちの室外機のカバー」
「はぁ、室外機ねぇ」
ざっざっざっざっと背後で何かを始めたから振り向くと先ほどの老婆が俺んちの墓周りを掃除していた。真新しい雑巾で墓石も拭いていく。腰は曲がってなくてしゃんとしていて、老婆が掃除を終えてこちらを見て俺も老婆の顔を見た。白髪のパンチパーマ。皺のたくさん入った顔。
「さ、行こか」
「え?」
「上着貸してあげるから、ついておいで」
「えぇ?」
老婆はちり取りと箒をそれぞれ両手に抱えて坂のほうへ向かっていく。あれ、行く流れ? ぼけっとそのまっすぐな背中を眺めていると老婆は思い出したように言う。「桶らは返しておいでー」
「わかったー」俺も俺で返事をしている。あれ、どうしてこうなったんだろう。俺は舐めたあいつの体液と墓石の粉を思い浮かべる。もしかしたら今の俺は理性だとか人間性だとかいうものが麻痺かなにかしているのかもしれない。今の俺はいつもの俺じゃないようでさっきから体を謎の浮遊感が包んでいるような気さえする。まぁたまには流れに身を任すのもいいだろうし何より眠くて仕方が無い。俺は立ち上がって桶と手酌、ついでにカバーを持つ。また考え悩むのには野外という空間は適当ではなく屋内のほうがずいぶんとマシなはずだ。なんにせよ、今の俺には時間が必要だ。

       

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