Neetel Inside 文芸新都
表紙

拝啓クソババア
四話

見開き   最大化      

/////////////////////////////////////////////////

雨が降っていた。
その人物は白木穂花の家の玄関のチェーンを持って来た工具箱から取り出した専用のペンチで切断すると、インターホンを鳴らすことなく無言で部屋内に押し入った。時刻は正午を過ぎマンションの六階の通路のある電灯は劣化により点滅を繰り返している。明かりが消えるたびに穂花の部屋の前は薄暗くなり、無造作に開け放たれた扉へとざあざあとした地面を穿つ雨音と、凍え切った空の夜風だけが吹き込んだ。その人物は雨で濡れ水滴がしたたる黒褐色のレインコートを靴箱の上に脱ぎ捨てて土足のまま上がっていった。泥にまみれたスニーカーのせいで滑りかけたがすぐそばの手すりに捕まり事なきを得た。あまり物音をたてたくはなかった。
通路を抜け二部屋あるうちのリビングに入るとその人物はまず懐中電灯をつけ辺りを照らした。8畳のリビングには簡素な家具類が適当に並び窓際には大きな本棚がある。本棚の中段は物置のようになっており、マグカップやぬいぐるみ、写真立てが几帳面に並べてあった。近付きその写真立てを乱暴に取ると中の写真に目を通し、彼ーーーもしくは彼女は昂ぶっていく苛立ちのままにそれを足元へと叩きつけた。アンティーク調の可愛らしい写真立ては鈍い悲鳴を上げて砕けその残骸が床の隅々に散っていく。感情のまま、血が滲むほどに握りしめた拳を壁へ向けて勢いよく入れた。薄い壁は凹んで丸いクレーターを作った。
許せない。
胸の奥から濁流のようにせり上がってくる憤怒はその人物が元々から抱えていた疑念と執着を飲み込んで新たな一つの感情を形どっていく。最初に大きな衝撃があった。しかし同じくしてやはり、という気持ちもあった。そのやはりには根拠はなくただの漠然とした予感であったが、写真を見ることで予感は確信へと代わり衝撃は再び怒りへと移る。
次にその人物は散らかった床を踏み締めて部屋の中を物色していく。テーブルの上の小箱の中には指輪やアクセサリーの類が入っていたがそれらには一切手はつけなかった。目的は金というわけではない。およそ二十数分間に及んでリビングを物色した後、キッチンにある冷蔵庫を開けて中にあった缶コーヒーを開けて飲んだ。数口飲んでまだ残ったがそれも放り捨てた。フローリングの床を流れていく液体に罪悪感を感じないでもなかったが生憎微糖は好きではなかった。甘い香りは胸をムカムカさせて次第に眠っていた吐き気を呼び起こす。
舌の上に甘ったるく残ったものも唾液と共に吐き飛ばした。
目当ての物がここにはないとわかるとその人物は廊下に戻りもう一つの部屋の扉を開いた。寝室である。真っ先に視界に入ったのは机の上から部屋の壁全体に光を放ち続けていたノートパソコンだった。画面を覗き込むとどうやら電源を付けっ放しにしているらしくログアウトもされていなかった。その人物は椅子を引いて座りパソコンへと向かった。
メールボックスに溜まった既読済みのメールを斜め読みで流していく。本文もある程度は見ていたが、むしろ注意は差し出し名に向いていた。どこかの店やスパムメールは無視して個人名があるものは全て入念に読んでいく。どこに手掛かり、糸口があるかはわからないからだ。
そしてスクロールさせていくその指は7ヶ月前のあたりのとあるメールで止まる。
_________________________________

早瀬 啓介 2014年 8月 ○○日

穂花であってるよな? 言われた通りこっちにメール送った。いつ携帯直るん?
とりあえず20日の日曜日はあけてもらったから、なんとかなりそう。あとそれ以外は厳しい。まぁお前に合わせるわ〜

_________________________________

その人物は黙ったまま後に続く会話を読み、全てに目を通したことを確認すると丁寧にも個人情報欄に記された啓介の住所・電話番号・メールアドレス等を手元に置いたメモに必死に書き込んでいった。もはや無感情に至りどこかで押し殺され続ける衝動は血走った目に現れた。書き終えるとその人物はパソコンを閉じて寝室を出て玄関のレインコートを纏い穂花の家から出た。向かう先は決まっている。エレベーターで一階に降り、なるべく頭上の監視カメラに映らないよう来たときと同じように顔を背けながらマンションを出て、道路の向かいに停めてある車へと水たまりに靴を濡らしながら向かう。雨の勢いは一向に弱まることなく夜の闇に強く響いていた。エンジンをかけると車のライトが円柱状に降り注ぐ雨粒の一つ一つを切り抜いて、まるでそこだけが時が止まっているようである。
その人物はダッシュボードに置いてある湿気でしけた煙草を一本取り出して一息つくように車内にふかした。そして変わらない表情のまま振り上げた右手をハンドルに叩きつけた。その一瞬のみ夜を支配していた雨音は大きなクラクションの音で吹き飛んだ。その人物の両目は真っ直ぐに窓硝子の向こう、闇の遠くへと向いている。
しばらくして車が動き出しその人物はその場を後にした。その人物の頭の中には強い悪意が芽生きかけていた。行き先は考える間も無く自然に出来ていた。
早瀬啓介の家までは十数分である。

       

表紙
Tweet

Neetsha