Neetel Inside 文芸新都
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古い電柱のそばに赤く眩しい自動販売機があってそこで俺は適当な缶コーヒーを二本買う。じっとりと熱を持ったスチールから手の平に、そして全身に鋭敏に総毛立つような感覚は回る。これはまるで小さなストーブでカイロだ。俺は奈津美にもう片方を投げて渡す。不器用な奈津美は一瞬ぎこちなくそれを取りこぼしそうになるも股と両手で挟んで掴む。自販機を背もたれ代わりに地べたにしゃがみ込んだ俺のとなりに寄せるように奈津美が座る。
「くっつくなよ」
「寒いときはこうやってね、猫だってくっついて冬を越すんよ。ただの地面やアスファルトじゃ冷たいし、凍え死んじゃうもんね。猫、可愛いよね」
「猫、昔飼ってたわ。ああほういえばいたなぁ猫。俺あんときまだ小学校にも上がってなかったなぁ、いやどうやっけかな。もうだいぶ年食っとったでさ、全然動かんかったなぁ。子供っておもろいもんみるとめちゃくちゃするやろ、大概の猫ってそれ嫌がるから子供には懐かんもんなんやけど、あいつは違ったなぁ。怒らんかったな。名前なんやったっけ、変な名前やった、たぶん親父が付けたんやろな、どうして死んだんやっけな」
「私も今猫飼ってるよ、二匹」
 奈津美が差し出してきたスマホの画面には、不思議そうな顔をした猫が二匹こちらのカメラを覗き込んでいる。
「二年くらい前に友達が里親探しててさ、あんまり可愛いから思わず引き取っちゃったんよ。大変やわ。一人暮らしやからさ、勝手に色々、今でこそマシになったけど」
「今、いくつ」
「赤ちゃんをもらったから、三歳くらいかな」
 そういって奈津美はアルバムの中の写真をめくっていく。写真の背景は一様に屋内で俺の知っているところだ。相当に年季の入った木の壁や床は綺麗に手入れこそされてはいるがところどころに隠せない劣化が見える。
「まだこの家住んでたんか」
 一枚一枚写真をめくっていく指を止めずに、奈津美は画面の猫らに笑顔を向けている。
「ほやで」

 俺たちは近くの通りでタクシーを拾って2キロと少しを行く。行き先は昔住んでいた俺とお袋のアパート。タクシーの運転手の親父は話好きらしく、また俺たちが関西弁なのを知るとにこやかに話題を振ってきた。10分ほどで近くに着いて車から降りてドアを閉めたとき、窓の向こうの親父が明るく言う。「上手くやんなさいよ、二人とも!」
 すこし歩いて見えてくる二階建ての安アパートは屋根の端まで蔓草が押し寄せているところがある。一階のずいぶんと誰も住んでいないであろう部屋の幾つかも亀裂の入った窓ガラスを緑色のガムテープで中から押さえつけている。向かいに見える団地の公園を挟み、他の小さなマンションの五階の一角のベランダに隅々まで多い尽くすような緑が光を透かし、干された布団が薄緑に体を曲げ、離れたここからはそれがまるで緑色の巨体の舌のように見えなくもない。そう、長い時間と風化に悲鳴をあげ、渇きから脱却しようと舌を伸ばす鉄骨の群体のようだ。俺のいない数年であたりは隔てた年月以上の衰えが始まっている。それともここにいたときは当たり前になっていて気付きもしなかったのだろうか。
「あれ、こんなアパートやっけ、ここ」
 奈津美がそう呟いて先に二階へと上がっていく。階段の手すりは赤褐色に錆付いて今にもその形を崩してしまいそうで、一段ずつ上へと上がっていく度に踏み場は金切り声を甲高く上げて、知らないところから舞い上がり目の前に浮かんだほこりを手で払うと鉄の匂いが鼻腔を抜けた。二階からはここに来るまでに通ってきた坂の稜線がくっきりと午後の太陽を反射して明かりを持っている。高い建物のない田舎町はすこし背を伸ばせば向こう側の地平線が覗き見えるような気がする。昔よりは背が伸びたかもしれない。
「啓介さ、勢いで来たけどさ、鍵かかってるよ、当たり前やけど」
 開くはずのないドアのノブを奈津美は回し続ける。
「いっそ壊すか、ボロいし」
「えっ、ほんまに言ってる」
 冗談やと笑って寂びれたドアの前にしゃがみ、俺は口の大きい郵便受けに手を突っ込む。お玉のように手首を曲げて鍋の底をかき混ぜるように動かすと指先が何かを弾き、予感を確信に変化させて、俺はそれを奈津美に突きつける。部屋の合鍵だ。奈津美は無用心ねぇと言いながらも呆れ混じりに笑う。
 鍵を開けてドアを引きかけたところで俺は一瞬思いとどまる。
「なぁ、これって不法侵入にならんよな」
「大丈夫じゃないの、実家に帰ってきた息子やろ」
「それもそうか」

       

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