Neetel Inside 文芸新都
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子の性格は親に似るというが俺のお袋は几帳面な性格で、毎朝家の中を隅々まで手早く掃除し、物が家の所定の場所にないと苛立ちを募らせるほどで、かといって俺はそういうことはなくズボラで物ぐさだった。最初はお袋への単純な反抗心からきていたのだろうがいつからかそれが落ち着いて俺の性質に合っているようになってしまった。つまり根本から俺とお袋はまったく剃りが合わず、合うはずもなかったのだろう。
中学生になってから、お袋の俺への虐待は体罰や暴力という形を取らずに放置や精神的な攻撃が多くなっていったのだが、中三の冬に一度だけ凄まじいほどお袋が怒り狂ったことがあった。俺はある用事があって、真夜中に家を抜け出して出かけて、その日はみぞれが更に溶けて重くなったような雪とも雨ともつかない気候で、一歩外に出ると辺りはキャンパスに子供が塗りたくったようなグレイで、俺は音がしないサンダルで、背が伸びて肩が広くなって小さくなったレインコートを静かに羽織って、水溜まりを歩き、朝になる前に帰ってきたときには玄関にお袋が何も言わずに立っていて、泥と溶けかけた雪とが風の潜るつま先を冷やして、ばれた。お袋は泣いたり叫んだり喚き散らしたりそういう感情の起伏を表情や視覚で分かる部分には出さずただひたすらに無表情に俺と俺の姿を見つめていた。だから怒り狂うという表現が人の激情を指すなら俺の表し方は不適当で、お袋が何を考えていたのかも知る由がないが、でも15の未発達な幼い感性はそう感じたのだから、そうなんだろう。目や鼻や口やその他体中のパーツが動き歪んでいたことはなく、無表情という表情は最もベーシックなものなのだから、それまでにも数え切れないほど見た経験はあったけれど、無表情という表現も言葉としてはまた不十分で、無ではない何かがあったように思う。
だから怒り狂った風のお袋はその後俺を押入れに監禁した。2Kの家の4,5畳の和室の押入れの上段は、布団を入れるスペースではなく、ホームセンターに売っている大型犬用のよくわからない金属の檻がそっくり入っていて、何も言わないままのお袋はそこへ犬の代わりに俺を入れて鍵をかけて閉じ込めた。襖を閉められると檻の中は光が遮断されて真っ暗で、怖くて、俺は暴れて泣いたりして出してくれと言うんだけど、素直に出してくれるはずもないことも同時にわかっていて、数時間も経つとなんだか抵抗する気も失せて俺は壁にしなだれている。冷たい壁に耳を当てると薄い壁の向こうからごうごうと水が流れる音が聞こえて、今まで喚き疲れた分の落ち着いた集中が時間を忘れさせてくれる。止むことなくアスファルトの地面に降り積もり、すぐさま融解していく氷の結晶の予感はどこにでも立ち昇っている。それは形がなくなる音であり、雲の端から雪くずが零れ落ちる音であり、宙を迷う水を肩で掻き分けていく夜明け前の人の長靴の音でもある。外界から伝わり土を踏み、感覚が壁を越えて檻を隔てた俺の耳に止まり腹の下、意識が集約する底に落ちて溜まっていく。静かで重い空気が、体の上を覆って海底に引きずりこまれるように感じる。暗闇の中に確かな実体があって次に脳裏を、映像ではない、外の鮮明さが掴んで離さない。人はそれを時に詩にしたり、既存の形式に当てはめて無理やりに感じた余韻を残そうとするけれど、野暮だしまず無駄なのだ。今にも消えていくものをどうしてその美しさを実は目では全てを捉えられない物を残すことができるのか。
いつしか俺は眠ってしまっていて、目を覚ます。どこかで鴉が喚いて、雀が何事かを囀り、肌の上を薄っすらとパッケージしていたひんやりはここにはいず、足元を照らす光に気付くと襖が僅かに開いていてかかっていた鍵も開いていた。押入れの中から出ると、本棚と家財で整っていた部屋の面影は散らかった足の踏み場もない場所に失せている。座布団の横に芳香剤が倒れて、畳の上の染みからラベンダーの匂いが充満している。家の中にお袋の気配はない。敷き詰められたごみを踏みながら窓のカーテンを開くと空はもう朱色に夕方で、みぞれは失せていた。俺は床のごみ同然の塊の中に毛布の切れ端を見つけて引き抜き、押入れの檻の中に戻って全身に被って寝る。襖と檻の扉は開けたまま。すこし寒くてくしゃみをするけど、そんなことはすぐに忘れて眠ってしまった。夢を見たような気がするけど、今となってはもう覚えてはいない。

       

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