Neetel Inside 文芸新都
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壁の向こうからカチャカチャと隣の家庭の食器の音がうるさく届いてくる。玄関脇の部屋を出てL字に曲がり、子供の足で5歩も進むとリビングに着く。台所は8畳の狭いリビングと備え付けになっていて、換気扇の隣りにある小さな長方形のスライドガラスからは西日で採光が良く、キッチンの銀色に光が跳ねて綺麗なのだが、今はもうその面影なんてなくて、窓が遮られるくらいに高く洗い残された食器の山が積まれている。だからベランダから差す光が余計にまぶしく感じられて、台所はその光の束から拒絶されたように薄暗く、冷たい。リビングは30年物のしなびた革の深緑色のソファと、もう見なくなったブラウン管が子あって、すこし懐かしくなってソファに腰掛け、汚れがつかないようにラップで包まれたリモコンを取ってテレビの電源をつけようとするのだけど、テレビは点かず、リモコンの電池がないのに気付き、直接テレビの電源ボタンを押すのだけれど、点かない。テレビの電線がコンセントにしっかりとつながっているのを確認し、また、テレビの電源ボタンがいかれてしまっていることを考えて俺はリモコンのための新しい単三電池を探す。お袋はいつもこういう乾電池や、ネジやクリップ、ほつれてとれた服のボタンなんかは一まとめにリビングの箪笥の一段目の菓子箱の中に入れていて、要するにないよりはあったほうがいいという消極的なものの集まりなんだけれど、使い終わった乾電池を混ぜたり、危険な画鋲なんかもまぜこぜにしているのはがさつな性格からだろう。
そういえば、とふと思い立って引いた箪笥の一段目の棚を戻して、一番下、四段目の棚を引くと敷き詰められた物の隅に見覚えのある箱があって取る。箱の表は透明のプラスチックで出来ていて、中のぎゅうぎゅうに押し入った硬質のそれはうっすらと埃を被っている。中に入っているのは三匹の甲虫だ。背後でパタパタと足音がする。
「あっ、洗濯物びしょ濡れやんかぁ」
 ベランダに入って奈津子が第一声にそう言った。より重みを増した布団から、水の柱が細くタイルの合間を伝い、隅の排水溝に流れているのを思い浮かべた。俺はそのままケースを手にソファの肘置きに腰掛けて、洩れ込んで来る太陽の明かりに輪郭をおぼろげにする、実際よりも空いたような部屋を何も考えず、なんとなくぼんやりと眺めていたのだけれど、しばらくしてベランダの奈津子が何かに小さく悲鳴をあげて、目が覚めたように手元のケースに目をやる。十年以上前に前に動いていた甲虫たちは今にも動き出し羽を広げそうなほどリアルに形を保っている。そういうふうになるように死んだときに保存したのだ。うちのこの地区の裏には山があるから、森から迷い込んできたカブト虫や、ヒラタクワガタなんかがうちのベランダに引っかかっていたりして、それを親父が捕まえて緑色の虫かごに入れ、学校から帰ってきた俺に見せたものだった。そういう迷い虫はどこか傷ついていたりするもので、大抵が早死にしてしまうから、世話はするけれど名前をつけたりはしなかった。愛着が生まれるから。だから俺はこいつらの呼び方はいつも『コンチュウ』で統一していた。それでも親父は世話好きでわざわざ書店で飼育の本を買ったりスーパーで少し高い飼育セットを買ってきて俺と一緒に世話をした。
お袋は虫嫌いだから、了承は得た上であまり目の届かないところに虫籠を置く。その頃は飼い猫のポッコも生きていたから、地面に近い、手の届くようなところではいけない。ポッコは猫の中でも特に好奇心が強い性格で、年中鼻をひくひくさせて、人が新たに持ってきたりしたものは目ざとく見つけて、気に入れば自分のおもちゃにする。保健所から親父が連れてきたときから右の後ろ足が麻痺しているのと、肥満により猫本来のような軽快さでは歩けない。
それらを鑑みて、親父は虫籠を玄関外の室外機の上にしていた。ポッコは放し飼いであったが自分の死角では気付けないし、お袋はなるべく見ることを避けた。俺は毎日帰宅するたびそのカゴを持って家に入る。
理由は分からないが甲虫は春から夏の間くらいの時期にやってくる。一匹目のコンチュウのコクワガタのメスはベランダの網戸にくっ付いていて昼帰宅した俺によって捕まえられた。他の甲虫もそうだがメスは角がないから、はじめ俺はコガネムシとかそういう類のもだと思ったのだけれど、羽を広げたときの茶色の下羽で判別できた。初めから弱っていたのだが、二日目には死んでしまった。どうやら死因は食べさせた餌にもあったようで、キュウリやスイカの皮をあげていたのだけど、後で知ったことだが甲虫にはあまり良くないらしい。

       

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