Neetel Inside 文芸新都
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黒兎物語
90 天国のあなたの許へ

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 かつて美女と野獣と呼ばれた夫婦が子を成して6年の月日が流れようとしていた。彼等の暮らす村には沢山の麦畑が黄金に輝いている。
麦を収穫するために、農奴たちがその干し草が刈り取り、積み上げられた
干し草が地面を黄金色に染める時期が訪れた。



干し草の刈り取られた草むらを2人の兄妹が走り回っていた。
両者とも、獣とエルフの血を引いているのか
本来エルフ特有の長耳は、獣耳に入れ替わっていたり、
獣顔はエルフを思わせる顔に入れ替わっていたり……そして、
お尻からは狼の尻尾が生えていたりと、父親と母親が獣とエルフであることを一目で分からせる。
2人の名は兄がアドラーと、妹がミッシャと言った。
アドラーは母親のアンジェの「鷲のように力強い子に育ってほしい」という願いから名付けられた。本人もそのことを誇りにしており、幼心にその名に恥じないように生きようとしていたのか
生まれた時の病弱ぶりが嘘のように活発な子に育った。
そして、ミッシャは父親のローの「子供は親にとって神様のような存在だ」という想いから「神様のような」を意味するミッシャと付けたいという長年の願いを叶えるべくつけられた。ローに甘やかされて育ったためか、かなりのお転婆な子に育ち、兄のアドラーを翻弄する毎日である。

「きゃははははっ!」

 「逃がさねぇーぞ!!こらぁーーーー!! プリンかえせーーーー!!! 」

「やだもーん!! プリンはミッシャのものだもーん!!」

逃げ足の早いミッシャに兄のアドラーは全く追いつけず、
毎度毎度息を切らせて走り回っていた。

「もういいだろう、アドラー。またパパがプリン買ってきてやるから。」

近くで麦刈り作業をしていたローが微笑みながら言う。
ローは、長年の夢だった農夫の仕事にようやくありつくことが出来た。
農園主のムゥシカ家がローの境遇を聞いて気の毒に思ったのか、
アンジェ共々雇おうということになったのである。

「はぁ? 父ちゃんいっーつもミッシャばっか!!
たまにはミッシャ叱ってよー!!」

アドラーはカンカンである。父親大好きのミッシャは
困ったことがあると、直ぐにローにすがりついて助けを求めてくる。
娘大好きのローにとっては見過ごせなかった。

「そうよー、ローちゃん。アドラーにばっかり許してやれって
言うのも可哀想よー。たまには叱ってあげなさいなー。」
アンジェは、そんなローをこれこれと叱る。いつもの見慣れた光景だ。

喧嘩して、また仲直りして……そして大喧嘩して、口も聞かなかったりした時も
あったりしたけど……最後はみんなで一緒に仲良く過ごしての繰り返し。
退屈だとか、ありきたりだとか、スリルのある生活を求めている奴には
かなり物足りない生活かもしれない。そんなに金があるわけでもない。
念願の農夫の仕事にありついても相変わらず、ローの都会の仕事は続いてはいる。

ただ、一人ぼっちだったあの時よりも豊かで満たされているものはある。

「ミッシャー、お誕生日おめでとぉー」

「ありがとー!!パパー!!おにぃちゃん!!おかあさん!!」

「ミッシャ、いくつになったのー?」

「4さーい!!」

「おめでとう!!」

娘の誕生日ケーキを囲い、家族で食事を取るこんな暮らし……かつてのローには想像すら出来なかった暮らしだ。一人で寂しく死んでいくのがお似合いの生き方だと思ってた。でも、今は妻がいて……子供たちがいる。
ただ、ローの心に拭いきれない不安な気持ちが募っていた。 
アドラーとミッシャが寝静まった誕生日パーティーの夜……
ローは一人居間でウイスキーを食らっていた。

「……ローちゃん……どうしたの?」
「………」
子供たちを寝かしつけ、アンジェは心配でローの元へと歩み寄る。
水を注ぎ、酔い始めているローの目の前に差し出す。

「ローちゃん……これ。」

6年付き添ってきた夫婦だ。何らかのサインぐらいは気付く。
ローはアンジェが明るく振舞っている時は大抵思いつめて救いを求めているサインだと分かっていた。
それと同じように、アンジェにもローが出すサインの意味は分かっていた。
ローが一人で泥酔するまで飲んでいる時は、大抵思いつめている時だと。
だが、ローの場合はなかなか自分から打ち明けられず、大概胸の奥にしまってしまうことが多い。
そんな時、アンジェはローの前に水を出してやるのだ。

「悩みの酒は水を飲んで出すに限るわ。」

アンジェの差し出した水を飲むと、ローは決まって悩みを打ち明けるのだった。

「……ずっと俺は一人で死んでいくものだって思ってた……
親父もお袋も先に死んで ずっと俺は一人で生きてきた……
この頑丈な身体を残してくれたことには感謝してたけど……それ故に
俺は皆から怖がられて疎まれて……なかなか友達も出来なかったし……いや……
まあ、一人は出来たけど……こんな面だったせいで、恋人なんて出来たことすらない。……とにかくみんなが恋人に恵まれて過ごすはずの青春を……俺はずっと一人で過ごしてきた……だから……ずっとそうやって生きてくんだろうなって思ってた……アンジェ……君に会うまではね…………アドラーが生まれて……ミッシャまで君は産んでくれた……ようやく 俺は一人ぼっちの人生から抜け出せたかと思っていたんだ……」

酔いが回ったのか、ローは瞼を閉じ、もう一度ゆっくりと瞼を開けた。
そのせいか、出始めていた言葉が胸の奥へと沈みそうになる。
ローはウイスキーに浮かぶ氷を見つめ、グラスを握っていた。
まるで、己の胸の内から生じた言葉の泉に蓋をしてしまおうとするかのように。
だが、アンジェはグラスを握るローの手をそっと優しく包み込んだ。飲み込まなくていいんだよと
ローを諭すかのように。アンジェの心の声が届いたのだろうか、ローはアンジェを見つめ返すと、静かに頷き言葉を紡ぐ。


「……だけど……考えてみると
君はエルフだ。これから先、何百年と生き続けるんだろう。
そして、君の血を引くアドラーとミッシャ……君ほどか…あるいはそれ以上か……何百年と生きるんだろうな…………だけど 俺はどうだ。 ただの獣人だ。 君たちより先に老い、死んでいく……
君たちにとって……俺はほんの僅かな時を過ごした人になってしまう……」

「そんなことないわ……」
アンジェは涙を流し、ローの手を握り締めた。
「……だけど これは……本当のことだ……結局……俺は死ぬ時は一人ぼっちなんだ……」
ローが知らず知らずの内に胸の内に秘めていた言葉……認めたくはなかったであろう現実。
だけど、ローが悩みに悩み抜いて吐き出した言葉なのだ、アンジェは彼を愛する女性として
その言葉を受け止めてあげたかった。

「……一人ぼっちだなんて言わないで……あなたが死ぬ時は……私も子供たちも傍にいるわ……」

「……アンジェ」
アンジェは涙を流しながら、必死に必死にローの孤独を癒そうと言葉を考えていた。
だけど、ローの現実を突きつける言葉が悲しすぎて涙と悲しみが先に溢れてきて
どう言葉を紡げばいいのか分からなかった。

「……でも……あなたの言うとおりね。そっから先を考えてなかった……
ローちゃんはたった一人で考えていたのね……私たちを置いて死んでしまうことが怖くて……言い出せずに居たのね…………私は怖かった……あなたを置いて先に生きていかなきゃならないことが怖くて…ただ逃げていただけだった………
本当に……本当に…ごめんね。」

アンジェの心から出たのは謝罪の言葉だった。

家族はいつか死で引き裂かれてしまうものだ。
それは変えようのない事実であり、未来だ。

この世界中の誰もが
いずれ訪れる死という現実を……愛する者の死という未来を
受け止めることから逃げたいと思っている。

だけど、いつかは追いつかれるものだ。
ローはそんな現実と未来から逃げず、傷つきながらたった一人で戦っていたのだ。

「……あなたは先に旅立っていく……あなたには辛い思いをさせてしまうかもしれないけど…………どうか……心配しないで……私たちとあなたの行く場所はきっと同じ……何年……何百年かかるか分からないけど…… わたしたちは……必ずあなたの許へ行くわ」

変えようのない現実に抗うことは出来ない。
ローを一人ぼっちにさせてしまう未来にも抗えない。
でも、一つだけ変わらない事実がある。

それはいつか必ず一緒になれるということ……
愛する者の許へと旅立つことが出来るということ……
その現実と未来に向き合ったアンジェなりの言葉だった。

「……どうか信じて 待っていて……人生は一人ぼっちで寂しい時ばかりじゃない……あなたが私を見つけてくれたように……私も あなたを見つけてみせるわ……あなたに貰った……
大切な大切な宝物と一緒にね……」

ローもアンジェも互いを見つめ合っていた。
そこには男と女の……涙があった。
これから先、先立つ不幸で苦しみで大地に膝を肘を落とさなければならない日々が訪れるだろう。
先に旅立つ者も、遺される者も……いつか再び会える日を待ち望む。
それは長い長い苦しみにも似て、いつかは旅立つ場所に愛する人が居てくれるという安堵にも似た希望にも似た感情だ。
きっと乗り越えてみせる。

ローとアンジェは誓ったのだった。

       

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