Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
109 虚しいフォルクローレ

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 ダニィ・ファルコーネは容赦なくギターのヘッドをディオゴへと向ける。
もしもこの場に鏡があったとしたら、きっと変わり果てた自分の顔を拝むことなっただろう。きっと 今の自分の顔に慈悲など無い。あるのはただ激しい憎悪と殺意だけだ。ダニィ自身、そのことをよく理解していた。
別にかつての自分を失ったことへの後悔はしていない。
むしろ、何故今の今までその憎悪と殺意を封じ込めてきてしまったのか。
そのことへの後悔はあった。
時折感謝することすらある。
ありがとう、僕に憎悪と殺意を教えてくれて。
こうしてかつて忌み嫌っていた暴力をより一層憎むことができると。


ギターのヘッドをディオゴに向ける。


ディオゴはギターに掛けてはズブのど素人であったし、
細かい良さもまるで門外漢であるが、ダニィの構えが少なくとも
音楽を愛するギタリストの構えではないことは分かった。

アルフヘイムでギターを弾いていたダニィのギターの腕前は
おそらく達人レベルであろう。下手をすればそれ以上かもしれない。
だが、そんなダニィですら演奏中、弦を弾く指から決して目を離したことはない。
門外漢のディオゴにも、そのダニィの姿勢は音楽への愛から来るものだと直感できた。
自分が奏でる音を最初から最後まで見届ける姿勢がダニィのスタイルだ。
だが、今ここにいるダニィの目は弦を弾く指を見つめてはいない。
ただ、憎しみの相手を一筋に見つめていた。

そして、ダニィのギターがいつものロンロコ・ギターではなく、
刺々しいデザインのエレキギターであることにディオゴは僅かに気づいた。

(ダニィは殺す気でギターを俺に向けている。)

様々な要因を考慮し、弾き出した答えであった。ディオゴは本能的に察した。
ダニィの構えは、かつて戦場(いくさば)で何度か目にした光景に似ていた。
甲皇国の兵隊がライフルや重機関銃を自分たちに向けて構えるあの構えである。

反射的にディオゴは両手をクロスさせ、懐に手を差し込む。
上着の下には2丁のクンペル・カマラーデン48口径が収納された
ホルスターサスペンダーが掛けられている。
取り出し銃口を向けるまでのスピードは0.15秒、獣人としての
高い瞬発力がそれを可能にする。

だが、それに先手を取るスピードで
ダニィのギターのヘッドから見えない音の弾が撃ち出される……弦をトリガーとし、ライフルのごとく鋭い弾を撃ち出す。
実際のライフルと異なるのは、その弾が不可視であること、
そしてトリガーが一つだけではないということだ。

6本の弦を女の陰部を舐める舌のように撫で上げるダニィの指。
1本だけではなく、5本の指が弦を弾くことにより発射される音は
音速で敵に襲いかかる。1弾きにつき、最低1本の音の弾が発射されるのだから
ダニィが一度、手を振っただけで軽く5~6発の音の弾が発射されることになる。
ダニィの手が上下果ては左右に振られると同時に、弦が共鳴し合う。
演奏ともなれば、何十何百何千と手を振られ、共鳴する弦の数はその数百倍をも超えるだろう。
発射される音の弾の数もそれに比例する。オートショットガンやガトリングガンのような
激しい弾幕がディオゴに浴びせられる。

「歓喜なる舞闘行進曲」


クワァンタム・オブ・ソラスの能力の一つだ。
言うなれば、音弾のガトリングガンである。


(ク…ソ!)
反撃する間もなく、ディオゴはダニィの攻撃からの回避を強いられた。
襲いかかる激しい弾幕の嵐を避けるため、大きく左に飛び、遥か遠方の壁に目掛けて着地。
その後は、重力による落下が始まる前に横向けになりながら壁を電光石火のごとく
壁を全力疾走する。

音速のように早く、不可視の空気弾を浴びせてくるダニィに向けて突進するのは自殺行為だ。
ダニィの攻撃がコンマ一秒遅ければ、銃弾で足止めし、直ぐに突撃。
そして、後は数発殴って無力化して強引に家に連れ戻す算段だった。
だが、予想外のダニィのスピードに面食らう形でディオゴは防戦を強いられる。

よく誤解されがちだから、ここではっきりとさせておこう。
おそらく、兎人族は瞬発力が獣人の中でもトップクラスだから
銃撃に対して真正面から向かっていって銃弾の雨あられに立ち向かう
戦闘スタイルだったに違いないと思われている。

事実、セキーネやヌメロたちと共に丙武軍団・メゼツ兵団を相手取り、駆け抜けた北方戦線では
こんなことは日常茶飯事だった。かつて甲皇国軍は鮭の放精のように銃弾や砲弾の嵐を浴びせてきた。
浴びせられる銃弾の嵐の中をディオゴは駆け抜けたことも事実だ。
だが、だからと言ってバカ真面目に自分に向けて発砲してきている相手に向かって
猪突猛進するのが日常茶飯事だったわけではない。
実際は、敵の攻撃を縦横無尽にかわして翻弄し相手の弾切れを狙って
電光石火のごとく詰め寄り 止めを刺すのが主流であった。

無論、全てうまく行くわけではないし、反応が追いつかずにやられることもあった。
兎人族だからといって何も万能な生き物ではないのだ。
猪突猛進という無謀な戦い方で勝てるのは空想の話だ。
だが、やむを得ない状況の場合はディオゴやセキーネもヌメロも猪突猛進という
手段で敵の弾切れを待たずに、相打ち覚悟で止めを刺したこともある。
事実、ヌメロの左目の傷は、弾切れを待たずに突撃した際に受けたものだ。
真正面で銃口が火を噴いたため、驚いて思わず頭を仰け反らせた時に
銃弾が左目を掠ったのだ。瞬発力ではトップクラスに属する兎人族のディオゴでも、銃弾や砲弾がスローに
見えるほどの域には達してはいない。分かりやすく言えば、銃弾がせいぜい
野球のボールぐらいのスピードに見える程度で、回避できるかどうかは
自身の体調と相談というのが事実だった。

現状を言おう。今、ディオゴを襲っている音弾の嵐は野球のボールのスピードどころではない。
人間が銃弾を目で追えないのと同じスピードに見えている。
もしもアルフヘイム時代のディオゴならば、音弾のスピードを多少は目で負えただろうが、
10年後のドン・コルレオーネことディオゴにとって音弾は人間の目で見る銃弾のように早い。

(クソ……!!)

ディオゴは銃弾の着弾位置をある程度、予測して回避していた。
野球のボール程度のスピードであれば、彼の脳の計算処理能力も追いつくし、
身体もそれに合わせて動くほど鍛え上げられていた。だが、それは10年前の話だ。
28歳になったディオゴは18歳の時ほど上手く動くことはできない。
素人目に見れば、ディオゴは18歳の時よりも筋肉量は増しているし、
体格も大きくなっているから衰えてはいないように見えるだろうが、
中身はかなり衰えている。正直言って、銃弾をかわすのも何とか出来るレベルの話だ。
その状況で、ダニィの音弾を避けるのは至難の技だ。
それでもディオゴは10年前の時の経験を溜め込んでいる筋肉をたたき起こそうと
自身の身体能力と計算処理能力を総動員して何とか音弾を回避している。

岩という岩を何十にも何百にも重ねた筈の遺跡の壁が
まるで煎餅を踏んづけて砕くように、粉々になっている。
ディオゴの疾走する後ろと前から砕けた壁の破片が砂煙のようにあがり、ディオゴの視界を遮っている。

今のところ、かすり傷で済んでいる。
だが、それも時間の問題だ。一瞬の判断ミスで蜂の巣にされる自分の姿が
ディオゴの脳と目に焼き付いている。だが、そんなことを考えている余裕などない。
全身からは既に大量の汗が流れ、口はチーズを食べた後のように……いや、
レイプされることを必死で拒む膣のようにからっからに干からびている。




ダニィはディオゴを捉えながら、ひたすら演奏の手を止めなかった。
ディオゴを抹殺するレクイエムとしてダニィが演奏しているのは
交響曲第7番国父クラウスのロックアレンジバージョン。
かつて、音楽によって世界を変えようとしたダニィがクラウスを弔うために
多くのアルフヘイム出身の音楽家たちと共に考えた曲だ。
いや、今やこの曲はアルフヘイム人だけではない
甲皇国出身のオツベルク・レイズナーや、アマ・マヒトを筆頭とした音楽家たちや、
SHW出身の音楽家手も加わり、今や三大国共通の平和を祈る音楽として知られるようになっている。

かつて平和の祈りを込めて演奏していた筈だったこの曲を
ダニィは義兄を殺すための暴力の道具として使っている。
最も今、ダニィが使っているエレキギターはかつてその平和を祈る音楽を弾いていたギターではないが。


(アルフヘイムの英雄の名は伊達じゃあないね……義兄貴(アニキ)。
戦闘力は腐っても鯛というわけか。)

ガトリングガンのような情け容赦のない音弾の暴風雨を浴びせ、
ディオゴの動きを先読み、追いかける瞬間の刹那刹那を刻みながら、
ダニィは心の中で呟いた。暴力の流れの中で瞬間の刹那刹那の次元を生きるディオゴとは違い、
ダニィは音楽の流れの中で瞬間の刹那刹那の次元を生きている。
手段は違えど、いずれにせよ両者は常人では到達し得ない次元の中で思考を巡らしていた。

ディオゴが自身の衰えを感じているのとは裏腹に
ダニィはディオゴの動きに翻弄されつつあった。
巻き上がる砂煙や粉塵の嵐の中でもディオゴはそれの中で蠢いている。
腕や足のどこかが飛び散っているような姿も見受けられない。

(何故だ……クソ…!)

ダニィほどのギターの腕前ならば10年前のディオゴなら多少苦戦するにしても、
今のディオゴをミンチにすることなど容易だったに違いない。
だが、それを許さないのはダニィが先ほどから感じている違和感によるものだった。

「痛っ…!!」
突如、弦の狭間にダニィの薬指が挟まり、振った勢いにつられて
薬指以外の指が弦に絡まる。薬指は弦によって切り刻まれ、心臓を槍で串刺しに
したような悪寒を覚え、ダニィは思わず手を引っ込める。

ダニィは元々、ロンロコ・ギターによる低音が主体の、穏やかな演奏を得意とするギタリストである。
分かりやすく言うのなら、アルゼンチンの音楽家グスターボ・サンタオラヤというギタリストの演奏スタイルに近い。
ロンロコギターは、サンポーニャ、ケーナ、ロンダールと言った
まるで大山脈のクレバス…あるいは、山々を見下ろす頂で吹く
山風のような笛の音色を奏でる管楽器(笛などのように吹いて音を出す楽器のこと)との
コンビネーションによって映える。サンポーニャたちの美しい音色が生み出す欠点とも言える
物悲しさをロンロコは実にカバーしてくれる。
ロンロコ・ギターの弦を掻き鳴らすことにより生じる、優しく草木を弾き、風に草木の種子をのせ、
生命を大地に行き渡らせるような音色。
その演奏はアルフヘイム・フォルクローレと呼ばれている。
元々、ダニィはフォルクローレ畑の音楽家だった。
だが、物悲しい音色ばかりが槍玉に挙げられるフォルクローレでは生活できないということもありダニィは
エレキギターにも手を出していた。

戦争という心の傷で人々は明るい音楽を求めていたせいもあったのだろう。
ダニィは本来、望まぬエレキギターで音楽活動をすることが多かった。
ダニィがディオゴを抹殺するために、暴力の道具として選んだギターが
愛用していたロンロコではなく、エレキを選んだのはそんな自分のフォルクローレを
理解してくれなかったクソみたいな世界への復讐だったのかもしれない。

だが、そんなダニィの心に残っていたささやかな音楽への情けがダニィの手元を狂わせた。
その刹那、ダニィの演奏が止まる。

「っ!!」

痛みに気を取られ、指に目をやった瞬間だった。
まるで弾丸のようなスピードでディオゴが猛烈な猪突猛進を繰り出していた。

(しまっ…!!)

ディオゴはカマラーデン48の銃口を向け、トリガーを引いた。
5発、6発……あるいはそれ以上の銃弾がダニィに向けて襲いかかる。
音弾ほどではないが、殺傷能力は十分だ。かつて、ミハイルを倒した際にミスリル像に当たっても
砕けることなく殺傷という目的を達成した銃弾を押し出す銃身は非常に丈夫であり、
泥や砂を噛んでも問題なく作動する。ましてや、ゼロマナ加工が施されたままのカマラーデン48の
銃弾はクワァンタムによるマナ攻撃を主力としているダニィにとっては死活問題である。

(クソ…!)

焦ってはいたが、ダニィも錯乱するほどパニックには陥っておらず、
咄嗟にギターをまるでライフルの銃床攻撃のごとく振り回すと、
カマラーデン48の銃弾を弾き飛ばす。ギター職人人を脅迫して作らせた丈夫なギターだ。
多少の銃弾をキズや損傷なしに弾くことはできないにしても、軌道を逸らすことは容易である。
だが、それに動じることなくディオゴは容赦なく引き金を引く。

「シャァァアアあぁアアあ!!!」
八重歯から生える牙をむき出しにしながら、ダニィは蝙蝠特有の口蓋音の雄叫びを上げながら
ギターのボディをライフルの床尾板打撃のように、ディオゴの顎めがけて振り回す。
今のダニィにとってギターは音楽の道具などではない、ただの暴力を振りかざす道具に過ぎない。
突進の勢いを利用していたデメリットがゆえに、危うくギターのボディが
死神のカマのようにディオゴの顎を刈り取ろうとする筈だったが、咄嗟にディオゴは
両手を突き出して、ダニィが振り回すギターによる打撃の軌道を読んで鷲掴みにし、
ダニィの両手の動きを封じ込める。

「グルゥぅううううう……!」
歯で自らの顎を噛み砕かんばかりの激しい形相でダニィはディオゴを激しく睨みつける。

「やめ……ろ……ダニィ!! らしく……ないぞ!」
ディオゴは眉間に皺をよせ、顎を砕かんばかりに歯を食いしばりながらも
ダニィに呼びかける。喋った拍子に顎の力が抜け、その隙を突いてダニィがギターを振りほどこうと
してくるのをディオゴは必死に堪えながら、ダニィの魂に語りかける。


「おまえは……ギターを……そんな……乱暴に扱う奴じゃなかっただろうが!!」

魂からの悲痛をあげながら、ディオゴは嘆き悲しむかのように叫んだ。
必死にダニィのギターを押さえつけながらも、同時に
ディオゴの目には傷ついたダニィのギターの姿が脳に焼きついていた。
弦は2~3本は切れ、カマラーデン48を弾いたボディにはところどころ穴が空いている。
ネックの上を走る弦は3本が切れて、今や残った弦も引き裂いたチーズのように
今にも切れかかっている。弦を押さえ込むブリッジはところどころピンが何処かへ飛んでいってしまったのか
抑えきれなくなった弦が、振りほどいた蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。

かつてディオゴの知っていた義弟ダニィ・ファルコーネ。
ディオゴの愛したダニィはギターの音色と共にあった。
よく手入れされた無数のギター。ロンロコだか、チャランゴだか、エレキだか……
ギターのことはよく分からない。だが、ディオゴが連れ戻したい筈のあの優しかった
ダニィが持っている筈のギターは今、ここで悲鳴をあげて泣き叫んでいる。

夢なら覚めて欲しいと心の底から願った。
優しいギタリストの筈のダニィのような男が、ギターを痛めつけている
こんな姿を見るのがディオゴは耐えられなかった。

傷つき果てたボディの影からは
こちらを睨みつける鬼のようなダニィの形相がさらにディオゴの心を悲しく切り刻む。

「グルゥゥゥ!!」
破けたパーカーから露になる小麦色の肉体は、まるでかつて10年前の自分のように
刺々しく凶暴で凶悪な肉体へと変貌を遂げていた。
あの華奢で色艶のあった可愛く優しい義弟だった筈のダニィの躰は、
水牛の背中のコブのように浮き上がった筋肉で膨れ上がっていた。
胸のケロイド以外にも、切り刻まれた無数の傷跡。
這い回る蛇のように表皮に浮き上がる血管の網という網……
ディオゴの知らぬこの10年間でダニィは、一体どれほどの修羅場を潜ってきたというのか。
衰えたとはいえ、元軍人だったディオゴの力と肩を並べるほどまでに ダニィは成長していた。

「……ダニィ よせ!」

今度は顔に噛み付かんばかりに吠えかかるダニィのこの姿を
幻想だと言い聞かせながらも、ディオゴはかつてのダニィの姿を走馬灯のように思い浮かべていた。
かつて兵役義務のために、武術家としての見込みがあるとノースハウザー曹長からも
太鼓判をおされていたはずのダニィは、兵役義務を終えると
すぐさま軍を退役し、在籍時代の物品を燃やして破り捨てるほどに
暴力を憎悪し、嫌悪していた。

軍人としての道を選んだディオゴにとって、当時のダニィのその行為は正直悲しい行動に映った。
だが、今となっては分かる。俺はそんなダニィが大好きだったのだと。
絶対に暴力を許せない ひたむきに音楽を 平和を愛する
あの優しかったダニィが大好きで大好きで堪らなかった。


「……あんたに……俺の何が……分かる……!!」

ギターを必死に振りほどこうとしながら、ダニィは叫ぶように呟く。
しゃべることで顎の力が抜けているのは分かっているが、
それでもダニィは叫ばずにいられなかった。

「あんたのように……俺は……モニークの死を忘れようとした……!
アンタが家族に打ち込んだように……俺は音楽に打ち込んだ!!
音楽の力が……クソみたいな世界を……モニークの居ないこんな世界を……
変えてくれると思い続けてな……!! だが……現実を見ろ!
未だに誰も……平和などに……耳を傾けようとしない……!!」

ダニィはディオゴの鼻目掛けて頭突きを食らわし、ディオゴをなぎ払うように
ギターのボディのお尻をライフルの銃床のように顔面に目掛けて叩きつけようと振り回す。
だが、振り回そうとした勢いを作るためのタメの瞬間を狙い、
ディオゴは鼻から血を出しながらも距離を詰め、再びギターを鷲掴みにして
ダニィをおさえ込む。

「俺は……心底失望させられたんだ……!! この世界に!!」

魂から振り絞るようなドス黒く、そして悲しく心を突き刺すような
悲痛な声でダニィは嘆くように叫んだ。

 
「散々 こいつのために人生を捧げてきた俺に……神は何をしたっていうんだ……!!
えぇ!? 俺からモニークを奪い、理不尽な暴力が終わらない世界を……
俺に……残しただけだ……何一つ変わりはしない……!! 
モニークを失ったこの心の傷も……俺からモニークを奪った暴力だらけの世界も……!」

「……ダニィ……っ!!」

ダニィの目は叫んでいた。
泣いていたわけでもない……悲しく歪んでいたわけでもない。
ただ、激しい憎悪と失望の光。
決して揺らぐことのないダニィの光の信念を、悲しく闇に染め上げてしまった
失望の光がダニィの瞳を荒れ狂う大海のように揺らしていた。

「どうして世界を変えようとしても、報われない俺の気持ちが分かるか……!!
過去を乗り越えようとしても……いつまでも過去に引きずりこまれる俺の気持ちが……
あんたに分かるのか!! アンタは世界を変えようともせず、過去から……逃げただけだ!!
モニークよりも アンタは迷わずモーニカを選んだ……それが何よりの証拠だ!!!」

ダニィの言葉にディオゴはもう何も言い返すことが出来なかった。
愛したモニークを失った悲しみを背負う勇気は 10年前のディオゴにはもう残されていなかった。
心も身体も ズタズタになったディオゴはもう精神的に押しつぶされそうだった。
もし、そんなディオゴが愛する妹を失った悲しみを背負いつづけようとしたら
ディオゴはとっくに精神的に潰れていた筈だ。

ディオゴの新たなる人生を始めるには一刻も早い癒しが必要だった。
新しく生まれた娘と息子と……自分を伴侶として迎え入れてくれた従姉。
戦場から帰ってきたディオゴにとって、もはや彼等の与えてくれた温もりは癒しだった。
10年もの月日の間、過去のトラウマと罪悪感に苛まれていたディオゴが
立ち直れたのも、その温もりのおかげだった。

だが、ダニィにとってそれは逃げたことにほかならなかった。
ダニィはディオゴを憎んだ。あれだけ愛した女をよくもそんな簡単に見捨てられるなと。
ましてや、その女が自分が心の底から愛した女だったのならば尚更だった。
ディオゴが亡き妹の死を必死に乗り越えようとするために、家族に懸命に愛情を注げば注ぐほど、
ダニィにとって、まるで自分の人生を否定されていったような気がした。

おまえの女の死など、どうでもいい。今は他に愛する者がいると
見せつけられているようだった。

       

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Neetsha