Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
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 昏倒したディオゴの意識は途方も無く続く暗闇の狭間の中を漂っていた。
ディオゴという意識の塊は自分自身を意識とすら認識しておらず、
ただ 目の前で再生されていく過去の想い出をただ呆然と見つめていた。

「兄さん……顔をあげてくれよ」

「…………」

ディオゴという意識の塊の目の前に映っていたのは
かつてダニィがモニークと婚約することを家族団欒の食卓で打ち明けたあの日だった。
今は亡き父ヴィトー、モニーク、ダニィ、ツィツィ、ヌメロ……
あそこには皆が居た。自分を愛し、自分も愛していた人々が。

温かい和やかな食卓がそこにはあった。
だが、そんな場でディオゴは椅子にもたれかかり、俯いていた。

「ディオゴ……顔を上げろ。さもなくば、おまえは兄として最低だ。」

父ヴィトーの言葉がより一層、ディオゴの心を突き刺す。
ヴィトーの声は決して激怒を顕にはしていなかったが、静かなる怒りを秘めていた。
だが、ディオゴはそれでもなお、頭を上げなかった。

「上げろと言っているのだ!!」

ヴィトーは耐え切れず、怒鳴りつけた。
背骨を串刺しにされたような稲妻のような怒りが
ディオゴの背中を貫き、全身の血を掻き回すほど荒れ狂った。

「おまえと……モニークは実の兄妹だぞ……
穢らわしいぞ……ッ! 兄ならば何故……妹の門出を祝ってやれんのだ!」

ヴィトーの言葉にディオゴはかっと目を見開き、
次の瞬間 取り憑かれたようにヴィトーに殴りかかった。

「穢らわしいだと……!!てめェよくもゴラァア゛アァ゛!!」

犬歯を剥き出しにし、殴りかかったディオゴの拳は
ヴィトーの左頬に食い込み、目を押しつぶさん勢いで左半分を変形させた。

「ぐ!」

咄嗟にツィツィが後ろからディオゴを抑え付け、
ヌメロがディオゴとヴィトーの間に入り、2人を引き剥がす。

ディオゴは完全に瞳孔を開き、父親ヴィトーを激しい憎悪と殺意の眼差しで
見つめていた。愛という感情は人それぞれだ。
ディオゴにとってモニークへの愛は己の抱いてきたすべてだった。
その全てを否定され、ディオゴはもはや引くに引けず怒り狂った。

ヴィトーは咄嗟に手を払い除け、思わず殴り返した。
ヴィトーの右の平手がディオゴの左頬を叩いた。
いや、平手が左頬に叩きつけられたと言うべきか。

ヴィトーはおさえつけられながらも、激しく自分を睨みつける息子を見つめながら
右手から伝わる痛みを感じていた。だが、親としてどうしても息子の態度が
許せなかった。家族の幸せを祝ってやるどころか激しく妬み、激怒することに対して。


「もうやめて!お父さん!!」

モニークは俯く兄を見て泣いていた。
本当にすまない、申し訳ないと。健気な妹だった。

「お兄ちゃん……ごめんね……本当にごめんね……」

モニークはディオゴの心情を胸が裂けるほど理解していた。
もしも血の繋がりがなければ……そんなことを考えなかったことは何度もあった。
だが、それでもダニィを愛する気持ちに嘘は無い。そんな気持ちと葛藤する日々だった。

たとえ、ダニィを愛したとしても、
ディオゴは身を引いて応援してくれるだろう……淡い期待を抱いた自分を恥じていた。
だからこそ、この場で俯くディオゴへの激しい罪悪感を拭いきれなかった。

「……っ」

ディオゴはそんなモニークの顔を見つめ、我に返った。
もう後には引けなかった。

自分の愛を穢らわしいと言った父ヴィトーの顔も……
自分の愛を裏切った妹モニークの顔も……
自分を愛を踏みにじり、押しのけた義弟ダニィの顔も……
そして、自分の愛から生じるこの怒りを押さえつけようとするツィツィもヌメロも
何もかもが許せなかった。

「何をする気だ……おい待て!ディオゴ!」
ヌメロが必死にディオゴを止めようとするが、聞き入る様子もなく
ディオゴは無言のまま荷物をまとめていった。

「……ディオゴ!待って!」
従姉のツィツィがディオゴを抱きしめる。恋敗れたディオゴの気持ちを
理解できないはずがなかった。何度、泣き疲れ彼女の肩に顔をうずめ、
眠りに就いたか分からない。そんなディオゴを哀れに思っていたツィツィは
抱きしめ、引きとめようとした。

だが、ディオゴはツィツィを払い除け、そのまま振り返らずに玄関まで歩を進めると、
家を飛び出した。



その光景を見つめていたディオゴの意識の塊は
自身の両手で口元を握り潰さんばかりの勢いで鷲掴みにしながら嗚咽していた。



どうしてあんなことをしてしまったんだと……


父親ヴィトーの言葉も今ならば理解出来る。


オレは兄として妹を祝ってやるべきだった。


それが家族としてあるべき姿だったのだ。

そして、あろうことかそんな父を殴ってしまった自分を

心の底から恥じた。



モニークの涙で濡らした顔を見つめると、自分の心臓をこの手で引きずり出して

握りつぶしたいほどの後悔が襲う。


当てつけなんかじゃない。

ただモニークは幸せを祝って欲しかっただけだったのだ。


精一杯 兄の愛情に報いたかっただけなのに……



ダニィ……おまえは

こんな最低な俺でも 兄と慕ってくれたのに……

顔をあげてくれと言ってくれたのに 

どうしてオレは上げなかったのだ……


つまらない意地やプライドのために、取り戻せた筈の絆を投げ棄ててしまった。

俺のことなど、抱いていた感情など今となってはどうでもいい。

それよりも大切なものがあった筈なのに。

あの時のオレはどうして気付かなかったんだろうか。

その全てが今という未来を築いた。

ヴィトーも失い、モニークも失い……

そしてダニィを失った……

地獄というのは まさに今オレがいるこの場所だろう。

償い切れない罪を重ね、何が出来るのか、何をすべきか、何を感じるべきか

もはや見失ってしまった。

ディオゴという意識の塊は

後悔と慙愧の怨念が渦巻く煉獄の業火に身を焼かれ

断末魔の悲鳴をあげるのだった。 

       

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