Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
36 神のくれた慰めの報酬

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クワァンタム・オブ・ソラス・・・今でこそダニィ・ファルコーネのガーディアン(守護霊)であるそれだが、本来はダニィに取り憑いた悪霊であった。
甲皇国乙家の軍人オヅベルク・・・ハト派で知られる彼がダニィを含むアルフヘイム系の亜人ミュージシャンと共にライヴを開催した日の帰り道、ダニィの乗ったバイクが荒野のど真ん中でスタックしてしまったのだ。原因不明の故障にダニィは絶望した。 その荒野は夜間はマイナス20度に冷え込む極寒の大地だ。黒兎人族は普段から半裸だったり、薄着だったりとかなりの軽装で知られる。
厚着をしても、ポンチョぐらいしか羽織らない彼は己の準備不足を呪った。

(やっちまったか)
何故ダニィがこんな無謀な旅路を選んだのかには訳がある。この寒冷荒野で目的地の街を目指せばスタックから凍死のリスクと後述するとあるリスクはあるが、30kmの道のりで済む。
一方の温暖山脈を目指せば道中温泉宿がある安全な道のりだが、螺旋状と蛇行を繰り返す非効率な山道がつづくため、およそ120kmの道のりとなる。加えてバイクに乗っている彼には酷な道のりとなる。
目的地でダニィの音楽を待つ余命幾許も無い少女の命がそれまで保つか保障は無い。
(だが、あんな山脈よりかはショートカットにはなるハズだ)

最早ダニィに選択肢は残されていなかった。彼は寒冷荒野を歩いた。
だが歩けど歩けど彼は街へと着くことはなかった。理由は彼が悪魔の沼と呼ばれる沼地を回避しようとしたからである。沼地を回避しようとすると何故か到着しないのだ。
目的地の街に着くには悪魔の沼を通過するしかないと言わんばかりだ。
事実この寒冷荒野は多くの遭難者を出していた。その多くが、視界の悪い夜にこの荒野を歩き続けたことが原因だった。

普通の者なら朝まで待つのが懸命だ、だがダニィはそのまま荒野を歩いた。自分の音楽を待ってくれている危篤の少女の為もあった。だが、何より彼を駆り立てたのはモニークを失なった悲しみから来る自暴自棄さだったのかもしれない。
(このまま遭難して行き倒れになったら・・・君に会えるのかな? モニーク)

そんなダニィが悪魔の沼に取り憑かれたのはやむを得ないことだったのかもしれない。気が付くと彼は 悪魔の沼を歩いていた。悪寒と恐怖を抱きながら、ダニィはこの試練を乗り越えれば危篤の少女の魂を救えるかもしれないと思った。最悪、ここで死ねばモニークに会えるのかもしれない・・・どちらに転んでも損は無い。

そう考えた刹那、ダニィは沼の底から何かに引きずり込まれるような感覚を覚えた。同時に彼の身体は沼の深淵へとひきずりこまれていった。

溺れながら、彼はあの亜骨大戦の時に白兎人族の兵士に拷問され川へと放り込まれたあの日のことを思い出していた。
(・・・無念だ 俺はまた女の子一人救えずに死ぬのか 神様 どうか・・・せめてモニークの許に連れて行ってくれ)

結論から言おう
神は無情だった
ダニィは目的地の街の者達に助けられ、5日間に及ぶ昏睡状態の後に生還したが、残酷な現実を突きつけられることになった。
「・・・そんな」

危篤の少女はダニィが昏睡状態に
陥っている間に息を引き取っていたのだ。
「うおおぉ・・・!」

ダニィが出発してから4日後・・・
少女は息を引き取った。
温暖山脈を通っていれば
充分間に合った筈だった。

「どうして俺の道は間違ってしまったんだ? 俺にとって正しい道って何なんだよ・・?」
ダニィはとうとう潰れてしまった。
暴力の道ではなく、音楽の道こそが
人を救うと信じ、音楽に縋ってきた。だが、現実はどうだ?
最後の最期まで 恋人を立ち直らせてやることすら出来ず、挙げ句の果てに今際の時に自分の音楽を聞きたいと願ってくれた たった一人の女の子の心すら救ってやれなかったではないか。

それまでギターを片時も離すことは無かったダニィの手は 酒と薬物を掴むようになっていった。酒と薬物で震えた手では弦を弾くことも出来ず、次第にギターは彼の手を離れ部屋の片隅に置かれるようになっていった。そして遂にダニィの手にあってはならないものが握られることになった。

「・・・結局、暴力しかねぇってわけか」

ダニィは48口径の大型拳銃を自身のこめかみへと向けた。ダニィが最期に選んだのは皮肉にも、彼が嫌悪し続けた暴力の象徴の銃だった。

「今度生まれてくる時は兵士になるよ」

そう言うとダニィは引き金を引く。
洞窟に響き渡る銃声の後、ダニィの脳漿が吹き出し血しぶきが地面を叩く筈だった。

だが、ダニィの身体から
脳漿も血しぶきも吹き出すことは
無かった。

ダニィのこめかみの傍にあったのは
黒い指出しのグローブ状の手袋をつけた大男の手らしき残像が銃弾をつかむ光景だった。
「ちきしょう・・・一体何者なんだ?お前は・・・どうして死なせてくれないんだ?」
大男の手は人指し指と親指で摘まんだ銃弾を投げ捨てると姿を現した。2つの短い耳の穴から各々長耳が生え、顔の上半分は黒いマスクのように黒い体毛で覆われている。そして、尖って伸びた犬歯の口元から下は葡萄のような美しい紫色をしている。その不健康そうな体色とは裏腹に、体格はゴム風船の集合体の様に一つ一つが膨らんだ筋肉質で健康的な身体をしていた。
その男の身体はところどころ透けており、幽霊のような存在なのだということが一目で分かった。

「ア ナタ ハ 死ナセナイ
ア ナ タ ノ 音楽 ガ 好キ ダ カ ラ」
その男はそう言って口を開く。
そう言うと男はギターの中へと消えていった。


それから何度も自殺を試みたが、
何度もその悪霊に妨害された。

「神がくれた慰めか・・・? 悲しみだらけの我が人生に対する些かな報酬なのか これは?」

ダニィはその霊をクワァンタム・オブ・ソラス(慰めの報酬)と名付けた。クワァンタムはギターの弦が振動し、音が奏でられる時に姿を現す。些細な音でも良い、その音が弦を揺らすのなら数秒ではあるが姿を現すことができる。演奏の時なら尚更長時間姿を現すことができる。
クワァンタムはダニィのギターの音色の集合体が具現化され、物理的現象に干渉するに至った存在である。
故に、弾丸を止めることも
何かを壊すということも可能だ。
そして、一つの結論に至った。
この力は自分が築き上げてきた音楽が暴力へと対抗するために生まれたものだと。

       

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