Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
91 親友の背中 ~あなたに別れを~

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時はダヴ歴455年……69年前に勃発した甲皇国とアルフヘイムの戦争、亜骨国大聖戦はここ近年で激化していった。
アルフヘイムの防護壁が処女膜のように破られ、アルフヘイム側の圧勝と見られていたこの戦況は一気に悪化の一途をたどり、ついにアルフヘイム大陸に甲皇国軍が上陸するという非常事態にまで突入した。
度重なる戦死者を前にやがて、アルフヘイム政府軍はかつて志願制だった兵役制度を急遽、徴兵令へと変更した。だが、その徴兵はあくまでも獣人が優先され、エルフは賄賂やコネを使ってその徴兵を免れることが出来た。
軍隊とは腐りきった腐敗組織である。
愛国心を煽り、義務であると仕事を押しつけはするが、それはあくまでも弱者に限られる。
強者には媚びへつらい、金や権力を使って平気で汚職をする。
そして、その汚職に蓋をし、開けようとするものを激しく弾圧する。
元より、その性質を持つ腐敗組織のやることであるからまさに当然と言えるが、
アルフヘイム政府軍に徴兵された獣人族とエルフ族の比率は7:3に及び、大戦が激化するにつれ
ついに8:2を突入した。おまけに獣人族が派遣された地区は激戦区がほとんどであった。



「くそったれが!やってられるかってんだ!」
アリストテレスは新聞を机の上に叩きつけた。その光景に酒場に居た人々が注目する。

「政府軍の奴等、獣人族だけ徴兵しやがって……俺ンとこにも赤紙が来た……クソッタレが……ようやく店長から店出す許可貰って
せっかく店の風呂敷広げようとしてた矢先だぞ……このクソボケ!!」

アリストテレスの怒りは収まらない。
当然だ、軍を辞めてありついたマッサージ店で修行を重ね ようやく免許皆伝して独立しようとした矢先だったのだ。
もう店まで借りた矢先に、政府軍のエルフ兵から出頭命令が来たのだ。

「俺ァ 別に国のために戦うことにゃあ文句はねェ。
だがよ、その国って奴は獣人の俺たちを差別して激戦地に送ってる。
これじゃ、死ねって言われてんのと同じじゃねぇか!」

「……落ち着けよ アリストテレス。獣人はエルフよりも力がある……期待されてるってことだよ。」
ヒートアップするアリストテレスをローはなだめた。
そして、すぐさまアリストテレスの耳元に口を近づけると小声で囁く。

(やばい、はやく酒場から出るぞ。)

みんな、怒るアリストテレスに注目し始めている。これはかなりマズイ状況だった。
当時、アルフヘイムでは徴兵制度に反対したり異議を唱える者がいた場合、
政府警察(通称政警-せいけい)に密告すれば徴兵を免れるという噂が立ち始めていた。徴兵が嫌なのはこの村で暮らす獣人だけでなく、エルフも同じだった。
この町のエルフは人種的に区分するとウエストエルフ族に分類され、数多くのエルフ族の中でも序列がかなり下のカテゴリーに属していた。理由としては、ウエストエルフ族はドワーフ族とエルフ族との混血であったことが
原因であろう。ウエストエルフ族はドワーフ族についで麦の生産能力の高い民族である。それは、ドワーフ族との交流があったことが理由だ。
そういった経緯がエルフ至上主義者からは我慢がならなかった。下賎なドワーフ族の血を引いたエルフ族として蔑まれ、
通常のエルフ族よりも徴兵に駆り出される率がかなり高かったのだ。
従って、獣人だけでなくエルフも徴兵を逃れたい一心でいた。

「バカ野郎、もし政警の奴らに聞かれたらどうするんだ!!」

「いいんだよ、別に! 俺は送られた赤紙を無視してる。3回もだ。
どのみち、政警の連中にマークされてんだよ。」

「不味いぞ 徴兵逃れは重罪だぞ……パン屋のアルフレッドを見ただろ!
あいつは耳を切断されて 素っ裸で橋の下に吊るされてただろ……!」

当時、徴兵逃れをしたものは見せしめとして、リンチされ街の何処かに吊るされていた。ほとんどが死亡するか、運が良くて生き残ったものの身体のどこかを欠損させられていたりとひどい有様であった。そもそも、軍という組織が誰かを見せしめにして下の者を従わせるという組織体制だから仕方がないのかもしれないが。

「……ロー。」
「連中はエルフだろうとお構いなしだ、獣人の君はどんな目に遭わされるか分からないんだぞ!! なんて無茶なことをしたんだ!!」


「……ロー……落ち着けって。おまえの方が焦っててどうするんだよ。」
激怒するローを、アリストテレスは優しくなだめた。
表情こそ落ち着き払ってはいたが、心は泣いているかのように悲痛そうに
ローの目には映った。

それに傍から見ても
もう連行されるか、徴兵されるかの瀬戸際にいるアリストテレスの方が酷い状況にあるというのに落ち着き払っている。まるで、自分が酷い状況に居るかのようにローはひどく動揺している。
「……すまない。一番辛いのは君だってのに……」
「……いいや、そんなことないさ。」
当時としては信じられないだろうが、妻帯者は徴兵の候補から考慮して外して貰っていた。 特にその妻がエルフである場合、ほぼ確実に徴兵の対象外とされた。アンジェはウエストエルフ族を父に持ってはいたが、母はノースエルフ族のダート・スタンの従妹の娘であり、
なんとかそのお陰でローは獣人でありながら徴兵を免れていたのだ。
だが、ローはそのことを負い目に感じていたらしく、ひたすら自分を責めていた。悲しいことに、徴兵される村の若者たちはローを非道い言葉で中傷した、彼等の気持ちは理解できなくもないが、八つ当たりに近いものだ。
ローは「エルフの七光り野郎」「獣人の裏切り者」「文字通り、エルフの犬だ」と陰口を叩かれた。彼はエルフだけでなく、仲間であるはずの獣人たちからも中傷され、その誹謗中傷にローは鬱病寸前まで追い込まれていた。
友人としてアリストテレスはそんなローを見ていられなかった。

だが、ローはそれでも徴兵されていく若者たちを憎むことなど出来なかった。
だからこそ、いざ親友のアリストテレスが彼らと共に徴兵されることになった時にはとても心が痛くて痛くて堪らなかった。

「心配なんだ……アリストテレス。君は俺のたった一人の友達だ……君のお陰で
アンジェにも出会えた……今の幸せがあるのは君のお陰だ……だから、君が酷い目に遭うのは耐えられない。」
ローは切実に……友の心に訴えた。
その顔があまりにも悲痛すぎて、アリストテレスは思わず頷きながら答える。

「……ありがとうな。おまえのその気持ちだけで十分だよ……」
アリストテレスはローの背中に手を回すと優しく彼の背中を叩く。

「……クリストファー・アリストテレス。」
待っていたかのようだった。政警の者らしき2人組のエルフの男たちがアリストテレスに話しかけてきた。

「……政警だ。我々と一緒に来てもらおうか。」
2人組のエルフが政府警察手帳を出す。要件は言わずもがなであろう。

「……お迎えが来たようだな……」
そう言うと、アリストテレスは両手を前にかざした。両手首には手錠がかけられる。

「……アリストテレス!!」
引き止めようとするローをアリストテレスが制止する。
ローのことだ、今にも暴れて政警の連中を殴り倒してしまいかねない。

「……ロー、いいんだこれで。おまえにはカミさんとガキが居る……
俺に構っている余裕なんて無い筈だぜ……」

手錠をかけられながら、アリストテレスは今にも暴れだしそうなローを
必死に見つめ、懇願するかのように言った。

「アリストテレス……!」
「ロー!!」
先程まで優しげだったアリストテレスの顔が悲痛に歪んでいった。

「男なら何よりも自分の女房と子供を守れ……! 親友の……最後の頼みだ……!」

涙を見せぬアリストテレスが必死に涙を噛み殺し、懇願するように言った。
どうか自分を捨て置けと。自分を助けるために、ローまで目を付けられてしまうのが
何よりも耐えられなかった。
ローはあまりにも優しすぎる。妻と子供と同じように親友の自分まで大切に想ってくれている。
優しすぎるローにアリストテレスは親友として惹かれていた。
だからこそ、そんなローに苛立ってしまった。
人生とは、いつか必ずどちらかを選ばなければならない時が来る。
今がその時なのだ。今の状況でローが本当に守るべきものは何か、それは明白である。
ましてや、男ならば何に代えても守らねばならないもの。
どうかそれを分かって欲しかった。

「……すまない。」
当然の選択だと言うのに、ローから出た言葉は謝罪の言葉だった。
いくら妻と子供を選んだとしても、それでも親友を見棄てることは苦しかった。

優しすぎるローの
逆らうことの出来ない苦渋の選択の刻に対する
せめてもの反抗だったのかもしれない。

ローは涙を噛み殺し、俯くように振り返るとその場を後にした。
親友のアリストテレスが涙を噛み殺しているのだ。自分が泣くわけにはいかなかった。
連行されていくアリストテレスを背中で送り出し、
ローは頬を伝う涙を拭いながら、妻と子供の待つ家へと歩いて行った。

       

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